駐車場の高台は池田藩の祖廟があったらしい、池田光政が先祖祭祀のために建てたもので戦時は本丸の防護としての役割をもたしたもの。
町家越しに内堀が見え、西面の天主閣が冬空に聳えている。この方角で見るのが痩身の楼閣である。
季節のせいか病身のせいか孤高の趣を高くした城の姿だった。
町家越しに内堀が見え、西面の天主閣が冬空に聳えている。この方角で見るのが痩身の楼閣である。
季節のせいか病身のせいか孤高の趣を高くした城の姿だった。
2010.1.15
私は今病院いる。
午後退院の運びになり裸木の梢が揺れる寒そうな外を午前中の淡い光をガラス越しにあびて見ている。さっきまで点滴を受けていた病人なのでスポットライトのような光をもとめて足の位置をずらしていた。
方角からいえば南東向きだろう、建物では裏側にあたる。右半分ほどは元NHKのビルが真ん前にあってRSKが続き旗を風にまかせていた。左南は金甲山などの児島半島の稜線を背景に県庁舎が座りもっとも手前には石垣の台地で病院の駐車場がある。
ここが戦国時代宇喜田直家の岡山城本丸址である。石垣も往時ままだそうだ。
東に宇喜田秀家が築造した岡山城天守閣(戦災で焼失し復元)、月見櫓(往時の築造櫓)が見える。
私は今病院いる。
午後退院の運びになり裸木の梢が揺れる寒そうな外を午前中の淡い光をガラス越しにあびて見ている。さっきまで点滴を受けていた病人なのでスポットライトのような光をもとめて足の位置をずらしていた。
方角からいえば南東向きだろう、建物では裏側にあたる。右半分ほどは元NHKのビルが真ん前にあってRSKが続き旗を風にまかせていた。左南は金甲山などの児島半島の稜線を背景に県庁舎が座りもっとも手前には石垣の台地で病院の駐車場がある。
ここが戦国時代宇喜田直家の岡山城本丸址である。石垣も往時ままだそうだ。
東に宇喜田秀家が築造した岡山城天守閣(戦災で焼失し復元)、月見櫓(往時の築造櫓)が見える。
「新とある風景」に吉備路を続けて掲載してみようと思い立ちでかけた。
狭義にすれば備中国分寺周辺あたりで済むがここは広義に解釈して雑嚢のなかにいっぱい詰め込むつもりだ。
なにはともあれ顔になるのは備中国分寺だろう。
冬景国分寺は冷えの季で観光客はまばら、研ぎすました空間に座していた。
午後だったので陽はすでに西に移動し五重の塔をはじめ被写体のほとんどは黒の中に塊りになっている。西の田園までいけば遠景の光で映えると思うが寒風に身をさらすのには躊躇して近くあたりで済ましてしまった。
境内の休憩所に立ち寄り暖かいコーヒを求め単三の電池を入れ替える。
客はひとりで店の人と談笑して、総社の西側に山野草のある山があるとの情報を得た。桜の名所で、山野草好きの人が植栽されておられるようだ。4月になったらのぞいてみたい。
狭義にすれば備中国分寺周辺あたりで済むがここは広義に解釈して雑嚢のなかにいっぱい詰め込むつもりだ。
なにはともあれ顔になるのは備中国分寺だろう。
冬景国分寺は冷えの季で観光客はまばら、研ぎすました空間に座していた。
午後だったので陽はすでに西に移動し五重の塔をはじめ被写体のほとんどは黒の中に塊りになっている。西の田園までいけば遠景の光で映えると思うが寒風に身をさらすのには躊躇して近くあたりで済ましてしまった。
境内の休憩所に立ち寄り暖かいコーヒを求め単三の電池を入れ替える。
客はひとりで店の人と談笑して、総社の西側に山野草のある山があるとの情報を得た。桜の名所で、山野草好きの人が植栽されておられるようだ。4月になったらのぞいてみたい。
2010.1.4
天気予報では宵口からくずれるとのことなので午後半田山へでかけた。車の中は温室なのでいい気持ち、外へでると少し風がでていたが寒さはこたえるほどでもない。
園内の日陰はさすが冷たさがこもっていたが、左側の遊歩道から展望台に登っていると体はあったたかになった。結構な傾斜つづきの山で小休止を何回かとる。ロウバイ、ソシンロウバイ、スイセンは見ごろ、マンサク、ボケはまだ早かった。
グループの撮影会があるようで高級なカメラを持った熟年男女がおのずのポイントで熱心にアングル情報を確認しながら撮影していた。でっかい三脚を抱えて急勾配を徘徊されておられその体力には脱帽した。
温室のなかにTVで紹介されていたトラファナナスという亜熱帯植物をみて、なるほど虎模様の肉質葉は寅にちなむネタ探しのメディアには喜ばれるだろう。
南面のガーディニング園は黄色いバラが一輪咲いていた。
画像1;トラファナナス
画像2;トナカイも負けるだろう シダレ・・・なんとかの名があったが忘れた
画像3:顔に見えました
天気予報では宵口からくずれるとのことなので午後半田山へでかけた。車の中は温室なのでいい気持ち、外へでると少し風がでていたが寒さはこたえるほどでもない。
園内の日陰はさすが冷たさがこもっていたが、左側の遊歩道から展望台に登っていると体はあったたかになった。結構な傾斜つづきの山で小休止を何回かとる。ロウバイ、ソシンロウバイ、スイセンは見ごろ、マンサク、ボケはまだ早かった。
グループの撮影会があるようで高級なカメラを持った熟年男女がおのずのポイントで熱心にアングル情報を確認しながら撮影していた。でっかい三脚を抱えて急勾配を徘徊されておられその体力には脱帽した。
温室のなかにTVで紹介されていたトラファナナスという亜熱帯植物をみて、なるほど虎模様の肉質葉は寅にちなむネタ探しのメディアには喜ばれるだろう。
南面のガーディニング園は黄色いバラが一輪咲いていた。
画像1;トラファナナス
画像2;トナカイも負けるだろう シダレ・・・なんとかの名があったが忘れた
画像3:顔に見えました
2009.12.31
午後あいかわらず北風は衰えないが陽が射すのに誘われてウオーキングにでかけた。
旭川左岸竹原の河川敷に駐車、河川敷のランニングコースを着膨れて河口に向いて歩き出す。ときおり突風にあおられると足がとられる。大晦日ゆえランナーやウオカーはいないとおもったが結構すれ違うし追い抜かれたりする。
中洲に葉を落とした樹木が並びようようの形が墨絵になって面白い。
傍に赤い前掛けの地蔵がある。
やがて橋脚群をくぐり抜ける、JR新幹線、岡北大橋、JR山陽本線、それを抜けると市街に林立するビルが要塞のようにあらわれる。
後楽園に着いたのが約30分、駐車場はうまっていて観光バスさえ見える。園内に入ってぐるり一周、まばらな人のなかで一塊の団体さんと行き違う、会話はハングルである。
明日元旦は雅な雰囲気につつまれるだろうが門口の門松以外は閑散としている。お茶屋の緋毛氈に座し甘酒で体を温める。明日の主役であるタンチョウとユリカモメの鳴き声が閑静さを演出していた。
西門は閉鎖されていたので、正門から出て外苑を歩き月見橋をわたり榊原病院の前を過ぎ蓬莱橋で再び後楽園にかえり河川敷におりて竹原へ歩いた。
所要時間195分、万歩計は11、434歩を表示していた。
午後あいかわらず北風は衰えないが陽が射すのに誘われてウオーキングにでかけた。
旭川左岸竹原の河川敷に駐車、河川敷のランニングコースを着膨れて河口に向いて歩き出す。ときおり突風にあおられると足がとられる。大晦日ゆえランナーやウオカーはいないとおもったが結構すれ違うし追い抜かれたりする。
中洲に葉を落とした樹木が並びようようの形が墨絵になって面白い。
傍に赤い前掛けの地蔵がある。
やがて橋脚群をくぐり抜ける、JR新幹線、岡北大橋、JR山陽本線、それを抜けると市街に林立するビルが要塞のようにあらわれる。
後楽園に着いたのが約30分、駐車場はうまっていて観光バスさえ見える。園内に入ってぐるり一周、まばらな人のなかで一塊の団体さんと行き違う、会話はハングルである。
明日元旦は雅な雰囲気につつまれるだろうが門口の門松以外は閑散としている。お茶屋の緋毛氈に座し甘酒で体を温める。明日の主役であるタンチョウとユリカモメの鳴き声が閑静さを演出していた。
西門は閉鎖されていたので、正門から出て外苑を歩き月見橋をわたり榊原病院の前を過ぎ蓬莱橋で再び後楽園にかえり河川敷におりて竹原へ歩いた。
所要時間195分、万歩計は11、434歩を表示していた。
大晦日。
早朝より寒波襲来で虎落笛がなりやまず。
牛から寅へのバトンタッチは秒読みの段階になった、
今年は地球規模で変動多く世界的にも日本国内でも混乱の種をのこして終わった。
早朝より寒波襲来で虎落笛がなりやまず。
牛から寅へのバトンタッチは秒読みの段階になった、
今年は地球規模で変動多く世界的にも日本国内でも混乱の種をのこして終わった。
魚住りえと、どんな関係ですか?の問い合わせ。
えっ、魚住りえ! どんな人?
そこでNETで調べました。フリーアナウンサーの人ですね。
なんの関係もいっさいありません、ということを公言しておきます。
えっ、魚住りえ! どんな人?
そこでNETで調べました。フリーアナウンサーの人ですね。
なんの関係もいっさいありません、ということを公言しておきます。
カラスのカンタロウ一家
2009年12月25日 日常
午前中は温暖な日和に誘われて近場の百間川と接する旭川堤防を歩いてみた。
河川敷の木々はすっかり葉を落とし幹に養分を蓄えて冬眠している。
名の知らない木にカラスの一家がいた。
しばらく観察しいた。
さほどの動きはない。
ただそれだけで帰ってきた。
久しぶりに太陽を燦燦と浴びた気分だった。
[新とある風景]に関連ルポあり。
http://sannyasou.sakura.ne.jp/
河川敷の木々はすっかり葉を落とし幹に養分を蓄えて冬眠している。
名の知らない木にカラスの一家がいた。
しばらく観察しいた。
さほどの動きはない。
ただそれだけで帰ってきた。
久しぶりに太陽を燦燦と浴びた気分だった。
[新とある風景]に関連ルポあり。
http://sannyasou.sakura.ne.jp/
ヒマラヤ写真展ー5人衆のヒマラヤトレッキング
2009年12月6日 日常
2009.12.6
午後、操山の里山センターにでかける。
ヒマラヤ写真展の鑑賞である。知人の寺尾氏はじめ操山高校のメンバーが高齢をおしてチベット・ヒマラヤに挑戦した軌跡写真展である。
寺尾氏はあいにく不在だったが氏の同行友人に懇切丁寧に説明してもらっていただいた。説明を聞いていると直ぐでにも飛んで行けるように思うが、そうは行くまいと思う。
異国の高山にある集落の生活画像は環境と衣装こそ違え昔日日本の写し絵である。
午後、操山の里山センターにでかける。
ヒマラヤ写真展の鑑賞である。知人の寺尾氏はじめ操山高校のメンバーが高齢をおしてチベット・ヒマラヤに挑戦した軌跡写真展である。
寺尾氏はあいにく不在だったが氏の同行友人に懇切丁寧に説明してもらっていただいた。説明を聞いていると直ぐでにも飛んで行けるように思うが、そうは行くまいと思う。
異国の高山にある集落の生活画像は環境と衣装こそ違え昔日日本の写し絵である。
okayama-castle
2009年12月6日 日常
2009.12.5
午前中はいい天気、陽だまりは無風なので心地よい。
知人に年賀状用の写真を依頼されていたので、岡山城にでかけてみた。
石山公園からのアングルを思い浮かべていたのだが、建物と橋梁が前面に出て構成が散逸になる。ので、廊下門から不明門を昇り正面から天主閣をみたが、のっぺりしてめりはりが出ず、また観光客が絶えることなしアングルをさえぎるので諦めて、後楽園外苑の遊歩道にでた。午後からは逆光になり、曇天の気配。
裸木枝越のアングルがいい、自分ではおもい何枚か収めて帰途についた。
ただし、採用するかどうかは我輩ではない。
午前中はいい天気、陽だまりは無風なので心地よい。
知人に年賀状用の写真を依頼されていたので、岡山城にでかけてみた。
石山公園からのアングルを思い浮かべていたのだが、建物と橋梁が前面に出て構成が散逸になる。ので、廊下門から不明門を昇り正面から天主閣をみたが、のっぺりしてめりはりが出ず、また観光客が絶えることなしアングルをさえぎるので諦めて、後楽園外苑の遊歩道にでた。午後からは逆光になり、曇天の気配。
裸木枝越のアングルがいい、自分ではおもい何枚か収めて帰途についた。
ただし、採用するかどうかは我輩ではない。
市内加茂の用事を済ませて総社市に。
師走に紅を刷く宝福寺に。
浅尾陣屋跡を訪ねて。10年前に探訪していたが、環境周辺が様変わりし人訪ねて訊くも定かではない応えにぐるぐる往来、しかし次第に円が狭まってようやくたどり着く。跡地に建つ神社の石鳥居に記憶をみつけて安堵。
鬼ノ城の展示館に。このあたりはまだ紅葉が楽しめる。駐車場は満車の呈。
足守の洪庵茶屋で食事。
12月とは思えない暖かなドライブだった。
師走に紅を刷く宝福寺に。
浅尾陣屋跡を訪ねて。10年前に探訪していたが、環境周辺が様変わりし人訪ねて訊くも定かではない応えにぐるぐる往来、しかし次第に円が狭まってようやくたどり着く。跡地に建つ神社の石鳥居に記憶をみつけて安堵。
鬼ノ城の展示館に。このあたりはまだ紅葉が楽しめる。駐車場は満車の呈。
足守の洪庵茶屋で食事。
12月とは思えない暖かなドライブだった。
2009.11.21
ひとときに安らぎを求めて近場のドライブを楽しんだ。
吉備高原を貫いて落合の普門寺へ。桜と紅葉まつりの期間中であって人出があり、地元の人たちが開いている青空市場、茶屋、蕎麦屋に[おだやかな活気]があった。変な表現だが、人息ムンムンというような混みあいではない、山の上をポッカリ拓いた広場には普門寺と生徒数10人余の分教場のような上田小学校があるだけの、空にひっついたところだから、普段よりは人出が多いというだけだ。紅葉は境内、桜は四季さくらで門前にかけて10数本咲いていた。四季桜は花冠が小さく斑に咲くので華やかさに欠けるが、紅葉と相見えるというのが風流である。
[いなかそばきり]という蕎麦がある。刈り入れ前のそば畑を見ながら、寒風に身を晒し鼻水をすすって食するのも、はてさて乙なものゲス。
下山して木山寺、木山神社を参拝。
近接している[岸田智史ふるさとギャラリー]を見学。
佐田建美という木工芸の会社の工場敷地内にあり、社長さんが彼の地元後援会長との由、佐田建美さんの生品、木芸品の展示は素晴らしい。メディアでとりあげられた木製自動車、トレーラハウス、からくり、どれをとっても見飽きない。
後日[新・おかやま画像ルポ]に公表したい。
http://sannyasou.sakura.ne.jp/
ひとときに安らぎを求めて近場のドライブを楽しんだ。
吉備高原を貫いて落合の普門寺へ。桜と紅葉まつりの期間中であって人出があり、地元の人たちが開いている青空市場、茶屋、蕎麦屋に[おだやかな活気]があった。変な表現だが、人息ムンムンというような混みあいではない、山の上をポッカリ拓いた広場には普門寺と生徒数10人余の分教場のような上田小学校があるだけの、空にひっついたところだから、普段よりは人出が多いというだけだ。紅葉は境内、桜は四季さくらで門前にかけて10数本咲いていた。四季桜は花冠が小さく斑に咲くので華やかさに欠けるが、紅葉と相見えるというのが風流である。
[いなかそばきり]という蕎麦がある。刈り入れ前のそば畑を見ながら、寒風に身を晒し鼻水をすすって食するのも、はてさて乙なものゲス。
下山して木山寺、木山神社を参拝。
近接している[岸田智史ふるさとギャラリー]を見学。
佐田建美という木工芸の会社の工場敷地内にあり、社長さんが彼の地元後援会長との由、佐田建美さんの生品、木芸品の展示は素晴らしい。メディアでとりあげられた木製自動車、トレーラハウス、からくり、どれをとっても見飽きない。
後日[新・おかやま画像ルポ]に公表したい。
http://sannyasou.sakura.ne.jp/