デスクトップがスタート不能の状況に陥り、ノートでつないでいたのいだが、このさいWindows7を導入し、今、すべてのソフト&プログラムを移転すべく作業中。冬なのに汗を浮かべています。
しばらく更新はお休みです。
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絵画展示会
①森 暢子 小品展
2010年1124日(水)~11月29日(月)
まちかど美術館 サンホセ 岡山市北区駅元町21-11 tel086-253-2664
②2人展ーA Duo Exhibition-
2010年12月14日(火)~12月19日(日)
天神山文化プラザ2F第5展示室
http://sannyasou.sakura.ne.jp/index.html
絵画展示会
①森 暢子 小品展
2010年1124日(水)~11月29日(月)
まちかど美術館 サンホセ 岡山市北区駅元町21-11 tel086-253-2664
②2人展ーA Duo Exhibition-
2010年12月14日(火)~12月19日(日)
天神山文化プラザ2F第5展示室
http://sannyasou.sakura.ne.jp/index.html
紅葉三景
県南の紅葉は今盛りの知らせが入り、普門寺・宝福寺・宇甘渓の三箇所を歩いてみた。赤・橙・黄色の織り交ざった紅葉が印象的だった。
☆山野草探訪撮 NO-217 218 219のページにそれぞれUP
http://sannyasou.sakura.ne.jp/index.html
県南の紅葉は今盛りの知らせが入り、普門寺・宝福寺・宇甘渓の三箇所を歩いてみた。赤・橙・黄色の織り交ざった紅葉が印象的だった。
☆山野草探訪撮 NO-217 218 219のページにそれぞれUP
http://sannyasou.sakura.ne.jp/index.html
炉辺余話ー隠すと・・・
2010年11月6日 日常 隠すと見たがるもの、ついに不法手段で露出された。
今の時代を知らな過ぎる管理保存の体制も併せて露呈された。高等の頭脳が蓄積されているものと思っていた機関の脆弱さ、国家の秘密は意外にもガードされていなかった。これはもう個々の問題ではなく組織理念が一体化されていないからだ。こういう足が地につかない国家心理が顕著になったのは前首相以降である。
ビデオを見れば尖閣事故はどちらに非があるか一目瞭然である。
驚くと同時に、これは一漁船の為せることではなく背後に相手国家の領海域拡大の介入が紛々と臭うのに、このごにいたっても「悪いのは相手国」と広報官が報じた。唖然とさせられる同時に、なんと不正義論理を臆面もなく、世界に発信できるのだろうか。非を謝る心理がはたらかない国、常に自分が正しいという中華論、居否が応にも再認識させられる。論語の生まれた国とは到底思えない。
さらにもうひとつ、東アジア大陸の沿岸部には領土に絡んだ国(ロシア含む)が縦筋に並んでいる。これらの国は自国内の不満を逸らすのに、そして統治権力の昂揚を図って他国を俎上にあげてナショナリズムを煽る戦術をもっている。いちいちあげたらキリがないほどこの戦術をつかい、今回もそれをふくんでいる、とみる。意気投合したのかどうかしらないが、ロシアの大統領が北方領土を訪問した。どちらも権力掌握の課題をかかえている。
日本の国体弱体化も要因だ。
政治に骨格がない。迷走停滞していて埒があかない。普天間問題のとき、腹の据わっていない前首相が時替りに迷走し安保を揺るがしたり挙句日米間に溝をつくり、あろうことか中国にすりよった。日米は同盟だが中国は隷属に扱う、後ろ盾のいない、憲法9条に縛られた国はどうでも操れると、みくびられる。このさい手をだし口をだしても何もできないだろうと足元みられた。
戦略的互恵関係などとはお題目にすぎない。国内産業の立ち行く経済の再構築、資源確保と事業輸出を脱中国路線を政府セールスマンで行動すべし。
今の時代を知らな過ぎる管理保存の体制も併せて露呈された。高等の頭脳が蓄積されているものと思っていた機関の脆弱さ、国家の秘密は意外にもガードされていなかった。これはもう個々の問題ではなく組織理念が一体化されていないからだ。こういう足が地につかない国家心理が顕著になったのは前首相以降である。
ビデオを見れば尖閣事故はどちらに非があるか一目瞭然である。
驚くと同時に、これは一漁船の為せることではなく背後に相手国家の領海域拡大の介入が紛々と臭うのに、このごにいたっても「悪いのは相手国」と広報官が報じた。唖然とさせられる同時に、なんと不正義論理を臆面もなく、世界に発信できるのだろうか。非を謝る心理がはたらかない国、常に自分が正しいという中華論、居否が応にも再認識させられる。論語の生まれた国とは到底思えない。
さらにもうひとつ、東アジア大陸の沿岸部には領土に絡んだ国(ロシア含む)が縦筋に並んでいる。これらの国は自国内の不満を逸らすのに、そして統治権力の昂揚を図って他国を俎上にあげてナショナリズムを煽る戦術をもっている。いちいちあげたらキリがないほどこの戦術をつかい、今回もそれをふくんでいる、とみる。意気投合したのかどうかしらないが、ロシアの大統領が北方領土を訪問した。どちらも権力掌握の課題をかかえている。
日本の国体弱体化も要因だ。
政治に骨格がない。迷走停滞していて埒があかない。普天間問題のとき、腹の据わっていない前首相が時替りに迷走し安保を揺るがしたり挙句日米間に溝をつくり、あろうことか中国にすりよった。日米は同盟だが中国は隷属に扱う、後ろ盾のいない、憲法9条に縛られた国はどうでも操れると、みくびられる。このさい手をだし口をだしても何もできないだろうと足元みられた。
戦略的互恵関係などとはお題目にすぎない。国内産業の立ち行く経済の再構築、資源確保と事業輸出を脱中国路線を政府セールスマンで行動すべし。
2010.11.2
国民文化祭・2010 美術展(書)
会場:天神山文化プラザ
午後から出かけた。
小中学校 高校 一般 書家を網羅した作品の展示で圧巻。規制のしばりがないのだろうか、画になるすばらしい作品が混じる。背に衣桁を通した堅苦しさのないのがいい。小中学生の墨跡初々しさ、飛躍をうかがう高校生、一転流れて我を習う一般、型に嵌る書家・・・この経緯が感じられる。
語句を汲み顕しおどる墨跡の前ではしばし足がとまる。
国民文化祭・2010 美術展(書)
会場:天神山文化プラザ
午後から出かけた。
小中学校 高校 一般 書家を網羅した作品の展示で圧巻。規制のしばりがないのだろうか、画になるすばらしい作品が混じる。背に衣桁を通した堅苦しさのないのがいい。小中学生の墨跡初々しさ、飛躍をうかがう高校生、一転流れて我を習う一般、型に嵌る書家・・・この経緯が感じられる。
語句を汲み顕しおどる墨跡の前ではしばし足がとまる。
取材日記ー温泉ドライブ
2010年11月1日 日常
2010/10/31
雨中の紅葉狩りにでかけた。予想はしていたがそれ以上の状況で霧に咽ぶ紅葉狩りになった。
蒜山大山スカイラインの鬼女台には多くの観光客がみえていたが、大山の威容どころか裾野に展開しているはずの錦絵は霧の中へ没していた。少しかすんでいる程度なら幽玄さがとらえられるのにと切歯扼腕。
鏡ヶ成から関金へ、さらに倉吉の保存町並みへ、はてまた三朝温泉を走り廻り、人形峠を奥津温泉へ抜けて帰岡した。
画像上:関金温泉道の駅「餅つき」
画像中:三朝温泉河原風呂降り口
画像下:倉吉街中 53代横綱 琴桜顕彰像
雨中の紅葉狩りにでかけた。予想はしていたがそれ以上の状況で霧に咽ぶ紅葉狩りになった。
蒜山大山スカイラインの鬼女台には多くの観光客がみえていたが、大山の威容どころか裾野に展開しているはずの錦絵は霧の中へ没していた。少しかすんでいる程度なら幽玄さがとらえられるのにと切歯扼腕。
鏡ヶ成から関金へ、さらに倉吉の保存町並みへ、はてまた三朝温泉を走り廻り、人形峠を奥津温泉へ抜けて帰岡した。
画像上:関金温泉道の駅「餅つき」
画像中:三朝温泉河原風呂降り口
画像下:倉吉街中 53代横綱 琴桜顕彰像
炉辺余話ーなんとまあ~
2010年10月26日 日常 昆虫の世界の話。
一時期、この世界の宰相についたキリギリスは苦労知らずに育ち、外界の空気に触れると思うさま毀誉褒貶、朝礼暮改をくりかえし昆虫の民意をもてあそんで飛び跳ねていた。カブトムシ、タマムシ、アリなどなど、あまりにも浅はかなキリギリスの言動に、どうも可笑しいんじゃないか、あれに宰相をまかせたらこの昆虫世界は生物の分類から蔑視され爪弾きされるんじゃないかと騒ぎ出し、ぬかるみに嵌ってみてさすがに自覚したのか、ついに宰相の座を放り出した。次の昆虫議会代議員選挙には立候補しないとも明言したのである。これは肝の据わった発言だった、これだけをとらまえれば千両役者である。
ところが、後継宰相選挙でコウロギを推したのにもかかわらず、一方の候補者カマキリから共に集散離合をしてきた仲間じゃないかと、鎌をふりかざれて迫られるといとも簡単にカマキリ候補の軍門に下ったのである。いうことに欠いて「カマキリさんに昔お世話になったから」とは、とほほ・・、まことにお粗末きわまる理由を、その程度を図りもできずに公表するにいたっては多くの昆虫は唖然とした。
かくて、コウロギが勝利した。
コウロギとカマキリの間にしこりが残ったのは自然の理。
眼に油膜がついて世間がよく見えなくなったのに、キリギリスはおこがましくも両者の手を握らそうと跳び交った。これはコウロギが、虚像の手にのるはずがなく子供の使い走りに終わった。
余命つきたりと思っていたら、外遊途上、ここにきてなんとまあ、代議員不出馬を撤回するコメントを発表、したもんだ。
昆虫の世界は、キリギリスのようなペチカの燃える窓の中でピアノを弾いていては繁栄しない、寒い窓の外で勤勉に働いているアリの苦労をわが身のことと思う統治であらねばならない、そうでないかえ皆の衆。
一時期、この世界の宰相についたキリギリスは苦労知らずに育ち、外界の空気に触れると思うさま毀誉褒貶、朝礼暮改をくりかえし昆虫の民意をもてあそんで飛び跳ねていた。カブトムシ、タマムシ、アリなどなど、あまりにも浅はかなキリギリスの言動に、どうも可笑しいんじゃないか、あれに宰相をまかせたらこの昆虫世界は生物の分類から蔑視され爪弾きされるんじゃないかと騒ぎ出し、ぬかるみに嵌ってみてさすがに自覚したのか、ついに宰相の座を放り出した。次の昆虫議会代議員選挙には立候補しないとも明言したのである。これは肝の据わった発言だった、これだけをとらまえれば千両役者である。
ところが、後継宰相選挙でコウロギを推したのにもかかわらず、一方の候補者カマキリから共に集散離合をしてきた仲間じゃないかと、鎌をふりかざれて迫られるといとも簡単にカマキリ候補の軍門に下ったのである。いうことに欠いて「カマキリさんに昔お世話になったから」とは、とほほ・・、まことにお粗末きわまる理由を、その程度を図りもできずに公表するにいたっては多くの昆虫は唖然とした。
かくて、コウロギが勝利した。
コウロギとカマキリの間にしこりが残ったのは自然の理。
眼に油膜がついて世間がよく見えなくなったのに、キリギリスはおこがましくも両者の手を握らそうと跳び交った。これはコウロギが、虚像の手にのるはずがなく子供の使い走りに終わった。
余命つきたりと思っていたら、外遊途上、ここにきてなんとまあ、代議員不出馬を撤回するコメントを発表、したもんだ。
昆虫の世界は、キリギリスのようなペチカの燃える窓の中でピアノを弾いていては繁栄しない、寒い窓の外で勤勉に働いているアリの苦労をわが身のことと思う統治であらねばならない、そうでないかえ皆の衆。
このところ家に居ることが多いので深夜TVを観る癖がついてしまった。
CSの時代劇専門チャンネルで往年の映画やTVドラマの再放送を終日やっていて、そのパターンは深夜にも及んでいるのである。
肩が凝らずに痛快さに飽きないのが「鬼平犯科帳」「剣客商売」「必殺仕事人」。原作でいえば池波正太郎は「鬼平犯科帳」「剣客商売」、俳優でいえば藤田まことは「剣客商売」「必殺仕事人」。
どちらも持味の粋と渋さがあり、皿に水を盛ったようにさらりと流れ後に残らないのがいい。好みの人たちだ。
池波正太郎は映画人で培った劇作者だったから展開の妙を構成して読む人をうならせる。「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵は行政組織のアウトロー的存在、「剣客商売」「必殺仕事人」は正規では在りえない世界の物語、正悪を単純に色分けしているのではなくてその狭間の揺れ動きを粋に渋く観せてくれる。
両者は既に亡くなられている。作品は今に残るもののみだ。
春とおもえば 夏がきて
夏とおもえば 秋がきて
所詮 最後は寒い冬
「必殺仕事人」の主題歌の一節である。
ただし、冬とおもえば春が、確実にくる。この世の中そう捨てたものじゃあない。
CSの時代劇専門チャンネルで往年の映画やTVドラマの再放送を終日やっていて、そのパターンは深夜にも及んでいるのである。
肩が凝らずに痛快さに飽きないのが「鬼平犯科帳」「剣客商売」「必殺仕事人」。原作でいえば池波正太郎は「鬼平犯科帳」「剣客商売」、俳優でいえば藤田まことは「剣客商売」「必殺仕事人」。
どちらも持味の粋と渋さがあり、皿に水を盛ったようにさらりと流れ後に残らないのがいい。好みの人たちだ。
池波正太郎は映画人で培った劇作者だったから展開の妙を構成して読む人をうならせる。「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵は行政組織のアウトロー的存在、「剣客商売」「必殺仕事人」は正規では在りえない世界の物語、正悪を単純に色分けしているのではなくてその狭間の揺れ動きを粋に渋く観せてくれる。
両者は既に亡くなられている。作品は今に残るもののみだ。
春とおもえば 夏がきて
夏とおもえば 秋がきて
所詮 最後は寒い冬
「必殺仕事人」の主題歌の一節である。
ただし、冬とおもえば春が、確実にくる。この世の中そう捨てたものじゃあない。
第三十八回 日本の書道展
第三十一回 岡山県の書展
に足を運ぶ。
同窓の角羊亭氏は岡山書壇秀作展コーナに展示されている。
素人目に臆せずコメントさせていただくと、この会に展示される作品は書家の個性溢れる筆致を観賞できる。
第三十一回 岡山県の書展
に足を運ぶ。
同窓の角羊亭氏は岡山書壇秀作展コーナに展示されている。
素人目に臆せずコメントさせていただくと、この会に展示される作品は書家の個性溢れる筆致を観賞できる。
今年はまったけが豊作らしい。
夏の暑さが災いして不作予報であったが、此処へきて朝夕の冷え込みが一転豊作をもたらした。そうはいっても、食べる口はもっているにせよ気楽に買える代物ではないのは確かだ。
ところが、ところがである、友人の声がかかったのである。「土瓶蒸し」したから食べにこいというのである。おっとり刀で駆けつけたのはもちろんのこと。
友人はプロ級の調理師、正規の器をして腕をふるってできあがった一品、えもいわれぬ香りが部屋に充満し、極上のスープをたっぷり味わうことができた。
いきなり秋の豊穣を堪能することができた。
イヤー、満足満足、の一日であった。
夏の暑さが災いして不作予報であったが、此処へきて朝夕の冷え込みが一転豊作をもたらした。そうはいっても、食べる口はもっているにせよ気楽に買える代物ではないのは確かだ。
ところが、ところがである、友人の声がかかったのである。「土瓶蒸し」したから食べにこいというのである。おっとり刀で駆けつけたのはもちろんのこと。
友人はプロ級の調理師、正規の器をして腕をふるってできあがった一品、えもいわれぬ香りが部屋に充満し、極上のスープをたっぷり味わうことができた。
いきなり秋の豊穣を堪能することができた。
イヤー、満足満足、の一日であった。