好天吉日

2009年3月8日 日常
 先勝吉日、好天也。
 慶事恙なくおえて木々赤味を帯び芽吹き膨らむ吉備路を往復する。
 春の陽が照り映えれば一華類が待ちわびているだろうと思いつつ企画を練ることだった。

気候不順

2009年3月6日 日常
 午前晴天、午後雨天・・・、というパターンが続いて、さらに強風、雪花が吹き散り、春先の山野草には大敵の天候が続く。もっとも、一雨ごとに春の足音が高くなるのだが、的をアズマイチゲに絞っている今は気を揉むばかりだ。
 アズマイチゲは雨、曇り、低温ではガクを開かずに唐傘をすぼめた状態になり、なだめすかしてもダメなのである。
 来週がタイムリミット、前半の好天気に期待したいところだ。

カワズザクラ

2009年3月1日 日常
カワズザクラ
 岡山市の妙林寺へカワズザクラを見に行く。180号線からの入口を忘れてしまって細い路地を右往左往、寺のある山と公園を視角にとらえているが近づけない。乳母車を押して歩いている老婦人に尋ね教わった方向へ走ると、これまた逆方向、関西高校の前にでてしまうハプニングを経ながら山門に着いた。山門前にはもう数台の駐車があった。参道の桜はほぼ8分咲き、今日の暖かさが続くと日をおかず満開になるだろうと思う。仁王門前の巨木にはカメラマンが自慢のズームを構えてとりついていた。知友のM氏、わざわざ来てもらったK氏の顔が見える。
 仁王門の桜木にはメジロが飛び交う。カメラマンの目的は桜と蜜を吸うメジロのツーショットであるが、接写しかできない私などの出番はない。折から読経が流れる境内でジュウガツザクラと抱き合わせで撮る。
 今日はいい日和、ここにいるかぎり、春爛漫である。日蓮日上人像も微笑んでいた。
 
 K氏宅へお邪魔した。投稿ギャラリ[たかちゃんのワールドトラベル]でお馴染みの人。
 夫人は茶人。
 数奇屋造りの自宅の茶室に案内され、夫人のお点前を、作法知らぬ不調法を許容いただいて頂戴した。夫人は茶を通して園児教育もされておられる。
 談風さわやかに一時をすごさせていただいて、おいとました。
 
 
 

南国土佐②

2009年2月22日 日常
南国土佐②
 午後から悪天候の予報を気にしながら四国山脈の連峰に登りつめ、南大王のフクジュソウを見に行く。ほぼ満開で燃えるような花弁を撮影しながら自生域の頂点にたどり着く。花はまもなく峠をこえろことだろう。
 過去に何度か訪問しているがこの時期、連峰に冠雪の白兎を背景にして蕾の多さを覚えているのに、今年はほとんどが花弁を開いていた。開花の早さはやはり暖冬の影響であろうか。
 

南国土佐①

2009年2月22日 日常
南国土佐①
 久し振りに瀬戸大橋を渡った。
 シコクバイカオウレンの撮影が目的。
 岡山在ではセリバオウレン、バイカオウレンはお馴染み。
 辿りついてみて群落には感嘆した。
セツブンソウ&ユキワリイチゲ
 案内をいただいて真庭市のセツブンソウ自生地を訪ねた。
 集落の奥まった谷沿いの梅林である。平地から水田の則面にかけて白い花(萼)が碁石のように咲いていた。谷間なので日当たりの鈍いところは唐傘をすぼめているのがあるが全体には満開に近い、というよりやや峠を越えた感じがする。スタンダードは5弁だが八重が目立つし雄しべの紫色は白、淡黄色がみえた。開花はやはり、10日ほど早いと思う。
 無風で日溜りのように暖かい谷合は心地よく歩を進ませた。時計の針が止まった空間を味わうことができた。

 高梁市郊外のユキワリイチゲは開花にはまだ早く、御津に走る。同じようにすぼめた唐傘状態であるが2厘3厘と開花、咲こうか咲くまいかと迷うものが多数あり。見ごろは約1週間必要かな、と推測する。

書道展

2009年2月13日 日常
第四十四回 書道協会展
 と き 平成二十一年二月十日(火)~二月十五日(日)
     午前九時~午後五時(最終日は四時まで)
 ところ 天神山文化プラザ 第三展示室
 主 催 岡山書道協会
 後 援 山陽新聞社

 書道家・角 羊亭氏は中学時代の同窓生。卒業後の進路はちがっても同窓の親交は不変。氏が参画されておられる展示会にはなによりも駆けつけて観賞させてもらっている。
 今回も天神山プラザに同窓仲間とでかけた。
 書道にはまったく識見はないのだが、素人なりに字体、筆の流れ、全体のバランス、タイトルとのからみなどを見させていただいている。作家の思うところの一片でも触れることができたらこのうえない喜びである。

セツブンソウ

2009年2月12日 日常
セツブンソウ
 各地のセツブンソウは満開に近い便りが届く。
 岡山市郊外の自生地を覗いてみた。
 梅林の下には白い花(ガク)が一斉に開いていて蕾はない状態。
 今年は例年より10日ほど早いというのはほんとうだ。
 茎丈はまだ短く落葉にくるまれているようである。
 膝をつき肘をつきカメラを構える。ところどこに山羊に似た糞のかたまりがみえるのはなんの動物だろうか、場所をよく確認してからうずくまることであった。
 葯が薄紫のがスタンダードなのだが、変種とみられる黄色のものが2輪みつかった。
 白梅の膨らみにはまだ早いようだ。
南方遺跡現地説明会
 岡山市教育委員会が発掘調査をしていた[南方遺跡]の現地説明会の案内をいただいたので出かけた。(初めての場合受付で署名すると次回からの発掘説明会には案内状が送られてくる)
 場所は市街地の中心になる一画、詳細には岡山市南方一丁目3-30。もっと分かりやすくいえば、NPO 会館(旧国立病院)の道路向いで、裁判所の北側、南方保育園の隣になる。
 駐車場がないのでバスを利用。現地には考古学ファンが詰め掛けていた。
 西向きに新幹線、北向きにNPO会館、南向きは裁判所や法務省などの公的機関のビルに囲まれた環境に発掘調査されたのは弥生時代前期、中期、後期にまたがる水田跡である。柱跡が無数あるのに水田とはと思うが、穀倉らしきとのこと。耕作には水が必要不可欠、弥生前中後期の水溝があり、旭川の水害による土の堆積で解析されるらしい。
 MPO会館あたりが集落で、裁判所の改築工事の時にも集落あるということなので集落が次第に南に拡大されたようだ。新幹線橋脚の下には墓が以前発掘しているので、津島グランドまでを含めてここら一帯は古代人の一大集落が形成されていたのだ。
 改めて思うのだが、近代の生活基盤は同じ要素を共有して古代の上に成り立っているのだ。
 [詳細画像は後日 新・おかやま画像ルポ に掲載]

北房ぶり市

2009年2月1日 日常
北房ぶり市
 旧正月の行事、北房ぶり市にでかけた。
 少年の頃の光景を偲びつつ何度か赴いているが次第に時代の脱皮をして、そこいらの土用市や五味市となんら変わらない賑わいを味わう。伝統にねついたものならば、土着性のあるものがえんえんと欲しい。メーンのぶりはだんだん脇においやられ夜店の屋台のごとし。

 草間台地のけんちん蕎麦で昼食。

 方谷園で山田方谷を偲び帰岡した。

恩原湖

2009年1月31日 日常
恩原湖
 雪を見に行く
 思いついて、午後出発
 院庄で高速下車
 奥津湖あたりは雪景色と期待していたが、ユキのユもない
 奥津道の駅でやっと積雪をみることができた
 恒例イベントのカマクラつくりをやっていた
 雪質がどうもおかしい
 2週間前に降雪とのこと
 近日はまったく降っていないそうだ
 恩原湖に走ってみた
 ここまで来ると 
 さすがmを越す積雪があった
 スキー場は氷紋まつりで大賑わい
 湖畔をぐるり一周
 白樺の根開き、凍結した湖面のもようなど
 珍しき雪国風景をカメラに収めた

砂川公園

2009年1月30日 日常
砂川公園
 暖かさにつられて外出。
 ただっぴろい砂川公園をぶらりぶらり。宵口から降雨予報のせいか、しだいに雲の層が厚くなりはじめた。熟年夫婦が一組散策、柿農園では剪定の音と人影、荒田に踏み込んでナズナとオオイヌノフグリをカメラに収める。この2種しか野草の花はない。紅梅の膨らみがだいぶ大きくなった。
 運動がてら歩くのに専念した。リュックを背負った登山姿の男性にあった。すこぶる健脚。鬼ノ城に登ってきたのだろうか。
 帰途、総社IN近くの、岡山市域になる[矢喰神社]に立ち寄る。駐車の数は多いのに公園内は無人。
 鳥居ちかくに巨石が鎮座していて、この石が神社名になった[矢喰石]なるもの。吉備の中山から吉備津彦命が弓を射り、鬼ノ城の豪族が岩を投じ、空中で噛みあいここの地点に岩が落ちたそうだ。つられて、おもわず鬼ノ城の山を見やる。はるかかたに稜線がかすんでみえる。眉唾ものどころか、とてつない伝説の壮大さには言葉もない。吉備津神社の矢置石、鯉喰神社、血吸川はては矢掛の羽無などなど、この一帯にはこの物語りに起因する遺蹟や地がまことに多い。それというのも、吉備津彦命と鬼ノ城がいまだ未解明で謎になっているからだと思う。
岡山駅氷紋まつり
 岡山駅前広場で[恩原高原スキー場氷紋まつり]の雪像が作られた。雪像は干支の丑である。あいにくの雨天の中、現地の人が雪を持ち込みスコップや専用道具を使って牛の像が出来上がった。テントでは名物のしし鍋が販売されていてあったかそうだったが、寒い冷たいのが現実で観光客や女子学生が立ち止まりケイタイで入れ替わり立ち代りのそそくさ撮影、ほぼ出来上がって炭の眼が入るとスタッフの歓声が上がりTV局のカメラが回ってインタビューが始まった。
 当方も寒さに負けて半時間で退散した。

大寒の高原

2009年1月21日 日常
 2月の上旬まで大寒の時季。寒いことは寒いし、冷えることは冷えるのだが、こごえ縮みこむ日が長く続かずに推移しているのは寒がり暑がりの身にありがたいことだ。
 多事の合間、午後の雨模様を突いて吉備高原までドライブする。枯れ木も山の賑わい、の通り落葉樹が櫛歯のようになった稜線が重ね流れていた。
 花木の園地ではシナマンサクが枯葉を枝先に残した侭黄色の花を咲かせていた。まだまだ咲き始めの幼さを見せている花だ。草地の緑は多年草のホトケノザが光を待ちわびて唇弁花をそっと咲かせていた。
 林間に人のうつろいが写り、落葉を掻き寄せて手入れをしている様子。
 春の幕開けの準備をしているのだ。

HP山野草探訪撮
http://sannyasou.sakura.ne.jp/



 標記テーマでの講演会が本日(17日)に開催された。
 場所は北房文化センター。
 講師は津黒いきものふれあいの里 自然観察専門員 片岡博行氏
 テーマ[標本情報からみる北房の野生植物]

 [まにわ山歩]でお馴染みの片岡専門員の講義は面白く、北房地区にこんなに植生があったのか、と認識し、終わりには戸外の畦などを全員散策し野草の観察もすることもできた。
 ことにタンポポは、日本古来の種は外来帰化したもの、さらに混種したものが現在は多く、現に咲いたいたのは西洋タンポポが主流となり、シロバナタンポポ、キビシロバナタンポポをみることができた。特筆はキビシロバナタンポポは北房地区を中心点として繁生しているとのことだった。
 有意義な講義に参加できて参考になった。今後に活かしたい。
 関門人道トンネル入口はは和布刈神社のすぐ上にあった。20人乗りと40人乗りの2基のエレベータが地下60メートルに連れていってくれる。自転車や単車は40人乗り側の利用がルールになっていて20円必要。歩行はただ!
 海底に到着すると出口は反対になり、出るとちょっとしたフロアになっていて、壇ノ浦側と一体図にしたら鉄アレイの形になる。その鉄アレイの軸が人道路で、そこを歩くのである。
 道の長さは800メートル弱ほど、時間は15分とあるが、私の方は例によって立ち止まり観察して歩くので30分近くかかった。孤独にならない程度に人の往来はあるし、第一照明が明るい。魚の壁画が続いているので他にない楽しさもある。ウオーキングやジョキングの人とも出会う。
 真直ぐ伸びた道はかなり遠くまで見わたせられる、というのも約半分の400メートル進んだ辺りが最深部でそこまでは微妙な勾配で下がり、福岡県ー山口県の県境を股にしてからは微妙な勾配で上るので、そこから少し先までが見わたせられるという訳である。
 上にもう一つのトンネルが走っていてこれが国道2号線。世界に珍しい2重構造のトンネルで、しかも海上は高速道が走っているのだ。
 関門海底国道トンネルは、昭和33年3月に開通した。全長3461メートル、海底部780メートル、総工費80億円を投じ途中に太平洋戦争があって中断したりしながら、約20年の歳月をかけて完成している。
 門司側の人道入口は先述のように和布刈(めかり)神社近くに、下関側は壇ノ浦にある。
 トンネル内ば、夏はヒンヤリと涼しく、冬は暖かいそうで、いわば鍾乳洞の要件を備えているのだろう。
 そして壇ノ浦に着くと和布刈と同じようにエレベーターで地上に吐き出された。
 目の前が、下関側からみる海峡。
 壇ノ浦古戦場でもある。
 壇ノ浦合戦の主役、八艘跳びの源義経と勇敢な平知盛のブロンズ像が公園で見得を切っていた。
 早鞆の瀬戸といわれる海峡は日に4回、干満の際に響灘と周防灘に大きく水位の差をつけて流れを変える。当初平家軍が優勢であったが、この潮の流れを読んだ源氏が盛り返して勝利したのだ。土壇場の逆転勝利である。
 以下クライマックスのところを、平家物語から拾遺するとこうなる。
 
 安徳天皇は、最期を覚悟して神爾と宝剣を身につけた祖母二位尼に抱き上げられると、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世はつらくいとわしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。安徳天皇は小さな手を合わせて念仏を唱えると、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じ、安徳天皇は歴代最年少の8歳で崩御した。

 勝利した義経にも悲惨な後世があるのだがそれはさておき、この合戦により貴族政治が終焉し、武家政治が確立してのちのち明治維新まで続く幕開けにもなった。
 それ以降の時代、維新騒動の際、長州藩が英国に攻撃しかけた[長英戦争]なるものが此処で勃発している。指揮したのが天才・高杉晋作、大砲を海際に並べてイギリス船に撃ちかけたのだが、後詰めの最新兵器アームストロング砲を装備した船からの砲撃に惨憺たる敗北を喫したのである。
 その大砲の実寸大のレプリカが、威容を誇って並べてあった。

 ようやく傾けかけた陽を浴びて壇ノ浦が金色に染まるのを見届けてバスに乗ることであった。
 
 今回は盛り沢山の歴史探訪撮になって満足している。ただ未踏の名所はふんだんにあってこの地は緒についた歩きだった。
 機会あらば宿泊して唐戸~下関まで歩き、巌流島(船島)の決闘場に立ち会いたいものだと、思った次第。
                          (この稿終了)
 なお画像は後日[と・ある風景]の街&遺・史跡の書庫に載せます。

HP山野草探訪撮
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          謡曲「和布刈」と和刈神事
”ここ和布刈神社では、毎年12月晦日寅の刻(午前4時)に神官が海中に入って水底の和布を刈り、神前に供える神事がある。
 今日はその当日なので、神職の者がその用意をしていると、漁翁(竜神)と海士女(天女)とが神前に参り「海底の波風の荒い時でも、和布刈神事の時には竜神が平坦な海路をお作りなさるから出来るのである」と神徳をたたえて立ち去った。
 やがて竜女が現れて舞い、沖から竜神も現れて波を退け、海底は平穏になった。
 神主が海に入って和布を刈り終わると波は元の如くになり、竜神は竜宮に飛んで入る。神前にお供えの後最も早い方法で朝廷へ奉じられた。史実に現れたのが元明天皇和銅3年ですので、それ以前神社創建時よりお供えとして用うる為神事が行われていたと思われます”
                         謡曲史跡保存会

 これは和布刈の神事について謡曲側から説明している公表文章である。

 神事は旧正月の晦日に行われるので、今は神事の時ではないが是非この神秘に満ちた場所を確認しておきたかったので、タクシーを拾い門司港駅から東へ走ってもらった。運転手と雑談していているうちに忽ち到着した。料金800円の距離である。
 海峡の東口、すなわち周防灘がうかがえる所で、海峡に突き出た小高くてさして広くない台地に和布刈神社は建立されていた。
 海峡の一番狭い位置にある。向かいは馬関、壇ノ浦だ。
 陸に近い域は比較的穏やかに流れている海潮も、中央域は轟々と白馬を飛ばしていて周防灘にへ流れ込み瀬戸内海と豊後水道に分流している光景を眼にしていると、神社特有のあのケバケバしさは豪快さに包容されて、イヤ味が消え、見た事もない竜宮もさもありなんなどと、彷彿させるから不思議な自然融解な場所でもある。
 僅かな坂を下って境内に立ち入った。真上に高速道関門橋が架かっている。
 神職や巫女の人はまったく見受けられず新年初詣を迎えるためのテントが境内を占拠していて、徘徊しているのは私のようなカメラを担いだ観光客ばかりだ。
 ジーパンの足をブーツに突っ込んでダウンジャケットにリュックを負い、バシャバシャ撮影ばかりしている、野球帽の両鬢に白髪をのぞかせる老人はちょっと目立つ格好だと、わが身を自覚させられた。
 境内の先は拝殿の西横にあたる。正面は海峡をのぞんで建ち、左橋に鳥居、足許の石段は段々と海に沈んで洗われていた。その先の海中に大きな沈岩が見える。
 和布刈神事は此処で行われる。
 小倉生まれの作家・松本清張は[時間の習俗]の冒頭でこの神事の由縁や神事状況を詳細に記述し物語に取り込んでいるので、その一節をつまんで説明に替える。 
[神主たちは、巨大な竹筒の篝火を先頭に、狩衣の袖をまくり、裾をからげて、石段を降りてゆく。数千人の黒い観衆が、篝火に浮ぶ神主の姿に眼を集めていた。
 赤い篝火に浮んだ禰宜の姿は石段から棚になっている岩礁の上に降りた。海水は神主たちの膝まで没する。見ている者が寒くなるくらいである。]
 
 関心のある方は一読をお勧めしておきたい。
 おどろいたことに、拝殿の前で投げ釣りしている人が3人いた。小さなバケツを覗くと小魚が3匹ほどいる。上からはなんの魚か不明。問うとめんどくさそうにアブラメと教えてくれた。
 建物の東側に廻ると松本清張の碑文があり、神殿の背後はこれまた巨大な岩が本殿を飲み込みそうに鎮座していた。

HP山野草探訪撮
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 ここは鹿児島本線である。九州を貫いて走る大動脈だ。
 小倉駅を出ると門司駅、小森江駅を経て終着駅の門司港駅に着く。車両止めがありもじ通り鹿児島本線は、ここが北の果てになる。山陽本線は門司で分岐してモグラに似て海峡の底にもぐりこみ対岸の下関につなぐ。因みに鹿児島本線は交流、山陽本線は直流だそうで、ダイレクトに下関まで走る車両は直交交換可能の車両に限定されるのだ。こういうことを知ると50、60サイクルという使用域を分断していることを含めて、明治以降の電気事情には政治政策の匂いが紛々として漂うのである。
 
 12月30日10時28分、キョロキョロ車窓景色を眺めているうちに電車は門司港駅のプラットホームに滑りこんだ。降りた途端、潮風にさらされた旧い駅舎の光景が飛び込んできた。濃い海峡の匂いが鼻腔を突いた。
 改札口にいたるまでに、大きな動輪が記念設置されていたのでこれを撮り、途中下車なので乗車券を若い駅員にさしだすと、門司駅~門司港駅の追加運賃を請求された。(?)の顔してみても、乗車券を裏表ひっくり返してみても、追加運賃は要るようだ。博多駅での説明とはいささか異なるのだが、揉めても詮方なし200円支払う。
 門司港の街は[レトロ]を一枚看板で構築されている。したがって駅構内外は旧き良き旅情をかもし出していた。関門トンネルができるまでは九州鉄道の玄関口で、下関との鉄道連絡船基地としてまたは貿易港として栄え随分賑わった様である。連絡線から列車を迎えいれる導入口はコンクリートで封鎖されてはいるが、その痕跡は見学できるので話の種に覗いてみた。
 キヨスクでパンと缶コーヒーを買いリュックに押し込んだ。食事にありつけない場合があるので。食堂事情が分からない土地ではこの方法が大事だ。
 駅舎を出ると円形状の駅前広場がゆったりと広がっていた。余分な物はいっさいなくきれいに確保されていた。この印象的な広場の蓋は少し曇った海峡の空だ。
 駅前に旧商船三井ビルや 門司郵船ビルなどの歴史を刻んだ建物が建ちならび、観光人力車3台が客の呼び込みをしているのが聞こえるほどに空気が冴えている。
 向かって左の海港背景に馬関が横たわっているし、右手に高速道・関門橋が豪快に海峡を渡っているのが見える。
 広場で駅舎を撮つしている観光客を少なからずいるので私も歩いていき振り返ってみた。
 戦前の構造をそのまま残した現役の駅舎がデンと座っていた。いい光景だ
 駅前周辺を眺めてみると、ちょっとした明治開化のムードがするのは、函館の味に似て非なるものがある。
 広場から国道198号線を横切って埠頭を歩くと、響灘から周防灘へ向かう突風に煽られる。沢山着込んでいるので顔の寒さほどの冷えはないが、その分風当たりがよいのかヨタヨタ歩きで西日本海運の待合所に駆け込んだ。
 下関に渡る連絡船と巌流島への観光船発着場である。突風に船も浮き桟橋も木っ端揺れ、折からの満ち潮は響灘から白馬のように波頭をたて早瀬にように海が流れている。私にはグワッと襲い掛かる波の牙のように写る。それでも船は知らぬ顔で埠頭を離れていくのだ。怖ろし気に見送るばかりなり。
 隣の桟橋にはお馴染みのトーンに塗り分けた警察艇があった。
 馬関に壇ノ浦、唐戸、下関の景色が一巻を広げるぐあいに伸びて見え、朱色鳥居の赤間神宮が手に取るように判別できる。
 此処まできたら行かずとも巌流島の島影を是非みておきたい、と思い目の届く埠頭の端にある異形の建物に向かう。みるからに展望台があるようだからだが、[海峡ドラマシップ]といわれる施設でサブタイトルに[海峡の歴史ドラマに感動する旅!]とついているからには、[源平の戦い][巌流島の決闘]をテーマにしたイベント展示館だろう。
 最上階で北方向に巌流島が浮んでいるのを確認した。
 この位置からだと残念ながら島とは見えず本島の地続きに見える。
 
 正午になったので、点在する食堂の看板をみて歩いていたら一様にあるものに気がついた。どうやら、門司港の名物メニューは[焼きカレー]らしい。手持ちのパンフによると、御飯の上にカレーを掛けてチーズと卵を載せオープンで焼いたもののように書いてある。
 余程のよほどか、どの店も行列が出来ていて、簡単にありつけない様子。岡山は日生のカキオコを求む状況とみたがいかばかりか。(続)

HP山野草探訪撮
http://sannyasou.sakura.ne.jp/

 

 
 博多と小倉は、いうなれば巨大都市である。どちらの町も高層ビルの林立で早くからの発展を誇示している様子がながれる車窓を見ていると実によく分かる。その点、岡山市の場合は眞に長閑で低層建築の田園のような風景であるのが、これまた再認識できる。列車の旅の、しかも鈍行のいいところだ。
 比較してどちらがいいかなどとはいいたくはないが、産業経済の核となりうる地盤があるかどうかで人口の集積度に大きく差がでている実証である。大きくなりすぎると、変革の時代は振幅の影響をもろに受けやすいから、気候温暖で土着性の強いこじんまりした岡山のほうが、粗野で根張りがあるの分、困窮に耐えうる要素があるのではないかと、ビール片手につらつら思う。岡山はしかし波瀾やドラマチックの趣にはいささか物足りないのではないのか、これは一重に気候風土が育んだ土着だと察する。決まりきった器しか持たない県民性にもよるのだ思うのだが、どうだろう、だからといってこういった県民性は俄かに急きたてられて大きな器で酒を喰らえなどといわれたら、きっと身を滅ぼすにちがいない。
 古くから博多は半島の色濃い商人の町、小倉は炭鉱の町といわれ商才と度胸は筋金入りである。古代~中世~群雄割拠~明治維新の形がちがうのだから同じ物差しで背丈を計ってみても比較にならない、なりたちの地域性に磨きをかけるのが正等というのが、ちょっとだけ温まった肌身に感じてよく分かるのだ。
 博多を抜けると鈍行の車内の雰囲気がぐんと変わってきた。目から鼻に抜けるような人とか恰幅の為りのいい人がいなくなり、ガラガラの車両のなかは田畑に馴染んだ人たちが細切れに乗降を繰り返したりしててローカルの味わい満腔である。
 小倉に近くなると、博多とは異なる地味で華やかな(?)ドレッサーの男女が多くなり、大都会と変わらぬ私服の学生が混じってきてゴチャ混ぜ御飯の雰囲気になってきた。
 見るからにコンパでも掛け持ちで徘徊するような扮装の人、渋谷か原宿を流すような人、しっとり落ち着いた人、入れ歯の噛み具合を調整している人、むきたての卵の顔で真っ赤なほっぺたをし人・・・、多くは寡黙で滅多矢鱈にガムをグチャグチャ鳴らしてケイタイをガチャガチャやって、遊んでいるのだ。突然、空気を裂帛して大笑いするアベック、まこにもって恐れ入って候、である。
 そういった集団を乗せて電車は小倉駅頭に滑り込み、おしとやかな田中裕子ばりの婦人をふくめて小倉駅の雑踏に消えていった。(続)

 HP山野草探訪撮
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 年末年始を挟んで家族が韓国旅行するという。私は日本国内で旅行したいところが一杯あるので外国へ行こうとは露とも思っていない、
 博多港のジェット航路を使って行くとので博多まで随行し、見送った後はのんびり歴史の関門海峡(旧名・馬関海峡)を探訪する計画をたてた。とても短時間で見られる溢れる歴史の土地ではないのは百も承知、先ずは概略的に歩けばいいという計画である。福岡(博多)の歩きは息子に一任、といいながら、大宰府と福岡城址のどちらかを選べといれれば、梅には早いので福岡城址と注文をつけた。
 宿泊の駅前通りのビジネスホテルに荷物を預けて地下鉄で福岡城址に向かう。ご存知、黒田官兵衛・長政親子の居城。天守閣はじめ楼閣は殆どなくて往時の石垣が累々残り、城郭敷地が広く温存されている。謀将・官兵衛の縄張りらしく石垣をたどっていくだけで複雑怪奇な郭楼を見ることができた。岡山で言えば外堀のあった柳川までの敷地が確保管理されている。
 夜は名だたる中州に行き屋台の博多ラーメンで一杯やる。豚骨の味が胃袋を刺激した。
 明けて今日、博多駅で朝食を摂り、博多港からのジェット航路を利用する家族を見送り、門司港に独り旅の出発である。
 みどりの窓口で、門司港で海峡を足で渡り下関で乗車し新山口で新幹線に乗りたいの希望を言うと何等問題なし、ただし橋を歩いて渡りたいというと目を丸くしてあの橋は高速道で人歩道ではないので海底のトンネルを歩いてください、とのたまわる。私は、海峡を歩いて渡るのだから橋に歩道ゾーンがあるものと、てっきり思い込んでいた。JRの窓口でこんな申込みしたのは私ぐらい者だろう。窓口のお嬢さんをびっくりさせてしまった。
 しかし私にとってはその方がよかったのである。高所恐怖症だから、白馬が跳びあがり大河のように流れていく潮を眼下に渡るなどとは、現実にはとうてい肯定できなかったからだ。渦巻く海底の狭い空間を歩くのもどうかと思い、相談すると、直に下関に行き観光されたら如何ですかと、まじまじ顔をみつめられた。じゃあ、そうしますわと妥協(?)して門司行き快速に乗った。目的がなければ鈍行並の列車旅はなかなかよろしい。だけど夕方には帰宅して待ちわびる愛犬を散歩させてやりたいし歴史の埋れたところも確認したいし、割り切れぬ気持ちでうつうつしていたら、赤間駅で隣のホームに門司駅行きの各停電車が待っていたので衝動的に乗り換えてしまった。門司港駅は小倉駅から本線を逸脱したローカル線である。
 各停の旅に退屈していると女優の田中裕子ばりの婦人が横に座った。聞くまでもないのに、[この電車はモジミナトに行きますか?]と聞いた。田中裕子似の人に[モジコウですか?]と聞き返されて、ああそうともいうわなと反芻して、[ええそうですそうです]と促すと、[行くはずですよ]とのたまう。小倉駅で下車の様子、振り返って[大丈夫ですよ、門司港にいきますからね]とご親切な言葉。私は満面の笑みで[ありがとうございます]と返礼した。とても沸き立つ思いがしたのである。
 


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