迷求居士

2011年5月18日 日常
 五月晴れというのは今日のような天気をいうのだろう
 今10時すぎ、天空に雲ひとつないし黄砂もない
 備前平野の稜線は明瞭に鎮座している
 青空は真夏のそれと違い透けるような真っ青というわけではない
 太陽はまことに穏やかな日差しをさしこんでくれている
 部屋に閉じこもって本を整理している場合じゃあない
 動かないとなにかにおいていかれる
 なにかわからないがなにかである
 体のなかで迷い虫がごそごそと右往左往している
 迷いながらなにかを求めて外を歩いてみよう

児玉 清さんが16日77歳で亡くなったとの報道が相次いだ。
 胃癌だそうで、いつだったかTVでひさしぶりに拝見した顔は端麗に整えた白髭の印象がつよく、その頬のやつれに驚いたことがあった。
 比較的治療が進んでいる胃癌であるのに、病院嫌いで肝臓に転移されていたようである。
 俳優らしくない脇役名優がまたこの世から去っていった。
☆山野草探訪撮 NO-236 花は茄されど危し ハシリドコロ
  http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 雨上がりの好天、西風が強いが爽やかさに変わりない。むしろ風に向かって歩きたいぐらいだ。部屋でパソコンしていると不思議に眠たくなりつい椅子でうとうとしていることがあって、それはそれで実に気持ちいい。

☆ギャラリー NO-235 ロシア④ ピョートル大帝と「夏の離宮」
  http://sannyasou.sakura.ne.jp/
☆山野草探訪撮 M-235 白炎僧
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 部屋で読書しているとやや寒さをおぼえる。
 文庫本を整理していて藤澤展子作「父・藤澤周平との暮らし」をみつけた。娘さんが書き綴ったエッセイ集である。藤澤周平の作品はそろえているが、この文庫本は購ってから書棚にいれてその侭忘れていたような気がする。ペラペラ拾い読みしてみて読了した記憶がない。
 そこで、屋外のほかほか天気にさそわれ文庫本を持って百間川の河川敷にいき車内の椅子を倒して読みふけった。読みやすい文体でさらさらと読みすすめられる。作家の普段の生活、家人とのふれあい、執筆の様子、思考の過程などがみえてつい読みきった。
 つつましくて清廉な藤沢周平その人なりがうかがえる一冊である。
 読んで本をおくと背中にじんわり汗を感じた。
 愛犬を散歩させる人がおどろくほど増えてフロントガラスの前を往来していた。外にでてのびのびすると薄着の体にさわやかな風がきもちよくなでて流れた。
 すっかり初夏の匂いである。

http://sannyasou.sakura.ne.jp/

更新情報

2011年5月3日 日常
☆山野草探訪撮 NO-234 清廉 キクザキイチゲ
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/
2011.5.2
 分かっていても分からないことは突然やってくる。
 吉備高原を走っていた。
 高梁市と総社市、吉備中央町にまたがる心得ある幹線か気ままにらわき道にはいりさらに枝道をえらび進行、山すそ、山間、こぶ山の稜線とつづけているうち、初めて見る光景に気がつきだし、ままよと進むうちに方向をみうしなった。進行方向をいつもと逆にとるとまったく未知の展開になるし、目的とかけはなれたところならばなお更である。村かどのシャッターの閉まった万屋で自販機のカンコーヒーを飲み、頭の地図を整理したがどうも見覚えのない地域だとしかうかばなかった。
 農機具を積んだ軽トラのあとをついていくと、比較的交通量のある道にT字形にぶつかった。まてよ、この道姿は見覚えがある、停車してきょろきょろ観察しているうち、思い出した。180号線から豪渓をぬけて旧賀陽町に至る道だ。
 わき道が好きだといっても、このたびはまいったな、と思った。
 いっときだが離合できない地道の遭遇にはうろたえた。

 黄砂が激しい。かなたの景色は春かすみどころではない。黄土色の更紗をかぶしたような景色だった。
 大陸で舞い上がり気流に乗って日本に運ばれるのだが、この流れには懸念がある、急成長の中国は絶対的な電力不足、原発の増開発に余念がない報道に危うさを覚える。
 原発の放射線事故がおきたばあい、気流による拡散被災は想定できる範疇だ。
 
 いろんなことを思いながら迷走ドライブを終えた。
 
 うっすら汗を覚えるほどの陽射しのある昼間、たちまち厚い雲がはしり時雨にみまわれ、移り気の雲が去るとまた陽射しを受ける。今日も変な天候だった。
 北房山野草愛好会主催の北房文化センターでおこなわれている「春の山草木展」にm175氏とでかけた。
 春秋の年2回開催され一般愛好家たちの観賞でにぎわっている。山野草の盆栽仕立ては手入れの濃い作品ばかり、毎回感嘆することである。

 帰途吉備高原を走り、シロバナウンゼンツツジ、クロモジの撮影に精出した。
 他に木本の白花が車道両側に咲きほこっていた。
 書人山崎徹道氏を久しぶりに訪問。
 氏は庭で植木の剪定しておられた。
 書に清心し書にあそばれる氏にしてよく似合っていた。
 あつかましく居間にお邪魔し、また筆をふるわれる部屋にも進出して作品を閲覧させていただく。失礼と思いながら素人のおもむく侭の拙い書評にわかりやすく解説していただいた。
 私の部屋に額だけを掲げたものがあるので裏打ちした作品を頂戴した。
 帰宅後、額に入れあらためて観賞、部屋に張りがでてきた。
 

更新情報

2011年4月30日 日常
☆山野草探訪撮 NOー233 陽の当たる坂道 ボケ 
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 まず目先のものにとりかかり駄目だったら次策を使う、普通ならそういうことだろうが、危機とか緊急の場合そうはいかない。目先の対処とともに次策も並行して着手し、3番手も机上にひろげておかねばならない。失敗してもきれめなく対処の行動が立ち上がる。
 ひとつの結果がでてからでないと次策の行動をおこさないのでは、リスクは拡大し解決に途方もない歳月を要する。
 政府や保安局、東電のやることを、報道で追うしかないが、積木の施策のような気がしてならない。

炉辺余話ー驟雨

2011年4月27日 日常
 山道は時雨れた。
 大気不安定でときおり前面の見通しがきかない驟雨がスピードを極端に抑えた。山桜が雪洞のように突然あらわれ若葉のそろった山襞が幻想的に後方へ消滅していく。
 死者の骨あげに赴く人々は一様に寡黙な時間を耐えた。
 斎場スクリーンに写しだされた故人のつややかな歌声を雨煙りの中の余韻に浸るように耳を傾け、たよりなげに曇り窓をながめていた。
                      〈真庭・義兄の葬儀にて〉
 先日より積もり積もった自室の本を整理している。あまり気の乗らない作業だから1~2時間したら飽きてくる。したがって一日でかたずかない。
 専門書とか趣味の歴史&ミステリー関係を除いて、てあたり次第に読んだ文庫本をおもいきって整理することにした。シリーズものも結構あり、スーパでダンボールをもらってきてとりあえず不要ものをどんどんつめこむと、ダンボールの大小はあるとしても6箱になり、書棚をみわたすとさらに同冊数ほどがまだのこっている、フアッーとため息がでる。
 あとは何処へもっていくかである。
 水田を取り巻くあぜ道を歩くとナズナとホトケノザが花盛り。クローバやタナツケバナが肩身をせまくしているようだ。他の草もぐんぐん茎丈を伸ばして春光の恩恵にあずかろうとしていた。オドリコソウの写真を撮るべく範囲を広くして歩いてみたが田のあぜにはみられない、山すその作業小屋につづく荒れた畑地に発見したがすぐ横を車が行き交うので撮りずらいし、ちょっと踏み入れると犬の排泄がそのままだったりするのであきらめた。

GS公園にテッセンが野生化して土手の則面にみごとに群生していた。つる性だがからみつくものがなくて地に這い繚乱に咲いている。おりからの時雨でいたぶられた姿になっていた。晴れなら明日カネラをもっていこうと思う。
 昨日は好天気、体調もいいので県北東部へドライブにだかけた。 
 岡山道&縦貫道は途切れもなく結構車がはしっている。総社~北房間は無料のせいかもしれない、いつもゴーイングマイウエイの縦貫道が行き交い追い越されるのは、この時期うれしいような気分になった。ところが院庄でおりて地道を走るときの車数はガタッと減った。閑古鳥はどんな啼きかたをするのだろうか、カッコウが一番ふさわしい雰囲気がある。
 長距離運転で覚えの無い腰痛がでて休憩すべくすべりこんだ奥津湖道の駅は「本日休業」、ひとふんばりで奥津温泉の道の駅までがんばった。ここも閑散たるもの。客といえば私たち夫婦がえらいめだつほどだから状況はしれたもの。新鮮なワサビ葉をもとめたが店頭にない。しからばやむを得ず瓶つめの醤油づけを好物にする息子に、そして盆栽仕立てのワサビを購う。友人向けに搗き立ての豆餅を添えて。
 車のなかで缶コーヒを飲みながら遠方の稜線をあおげば積雪を抱いていた。
 帰途、養蜂場の観光農園に立ち寄り蜂蜜の試食、美味い!、そこで極上のものを一品、贅沢もたまにはと、言い訳しつつ。

 本日は昼前から雨天。
 以前からてがけていて放置していた自室の整理に奮起した。
 書籍があふれかえっていて、さして興味の褪せたものをダンボールに詰めるのだ。書棚から取り出す本に懐かしさがよみがえりぺらぺら拾い読みすので途方もなく時間がながれていき、とうとう又中途で放置することとあいなった。
 角羊亭氏出展の墨光会展に天神山プラザにでかける。
 氏の作品は中国古典のなかの詩文を風雅な墨跡にあらわしておられる。音読、意味は浅学で得てしていないにしても、書人なるもの造詣はさりながら、書家全体にわたることかましれないが精神的肉体的タフ、あるいは健康でなければ作品完達はないような気がする。知識だけのか弱さでは筆を天地に走らせきれないと推察するが、左様か否か。
 今一人、小学校恩師の娘さん・武村祥玉氏の「怒涛」の書は紙からはみ出す勢いの怒涛のような文字、感情の趣を素人なりにうかがうことができる。怒涛から逃れないさしせまった迫力は十分。

 展示会は24日迄。

 報道をみていると、転校してきた被災地の児童に「いじめ」が発生しているそうだ。このようなことは決してあってはならないことだ。

 
 北風強く月見橋を渡るときふらついて危ない思いをした。私だけが病的にゆれているのかと行き交いの人をみれば同じように蛇行しているので、いささか安心した。川面をながれる気むらな突風だ。カメラをかまえて烏城を写す老境の人がいる。園児の団体がわいわいがやがや賑やかにわたってきた。
 後楽園に入ったが、報道の通り、中国・韓国の観光客団体が一人もいない、閑散たるものだった。震災、原発の風評被害はここにも及んでいる。

 お日様は輝いていて、パラパラ雨が降り注ぐ。早足で軒下に走るほどでもない。空に黒い雲がきれぎれにとんでいる。予報があたって不安定で妙な天候だ。

 病院の待合室は、私もそうだが表情の沈んだ人が多い。明るくて朗らかな人はいない。当たり前だ。健康な人に縁のないところだ。

 それでも大過ない診断結果を期待して明るい無表情を演出している。
 生きている証拠だ。
 またぞろ政局が騒がしくなりだした。野党のみならず、与党内・政府内で内閣不信の発言が泥温泉のようにぶつぶつ噴きだしている。しがみつく人とはぎとろうとする人、肝のすわった人がいないのは、どっちもどっちということ。巷間にしらっとした空気がながれてばかり。
いま緊急に東日本復興をしなければ国がなりたたなくというのに、政治家は目先の我欲しかないのだろうか。

 自家製パンが人気をよんでいる。
 友達の家で米パンをもらった。
 米作農家なので普通のパンをつくると主人から、米を作っているのに小麦を食わせるのは実にけしからん、と叱られるそうで、ならばというので米パンを作ったら黙って食べるなったので、以降せっせとパン工房に精をだしているそうだ。
 その米パンはもちもちして美味しかった。
 驚いたのはパン製造機?(なんというのか知らない)が大人気で品切れ状態、三ヶ月待ちだそうだ。
 今日は近所のおばさんに小麦の自家製パンをいただいた。イースト菌を入れすぎたので大きく膨らんたのかボリュウムがあった。これもまた美味しかった。
 我家も試してみようかな、とおもったものの、めんどくさがり屋なのでしり込みをしている。
 昨日までの昼間は初夏をおもわせるような暖かさ。23度はあった。上着は不要、まさしく初夏の気候であった。
 それでも朝夕は薄着だとはだ寒い、いすわっているストーブに火をつけたりして当分は手放せない。
 今日はひさかたぶりの雨天で屋内は暖房の世話になる。

 手元の文庫本をめくっていると、人間教育は三歳までが大事、生まれ授かった脳はこの歳で完成する、と記述してあった。身体のつくりはひ弱だが脳の発達ははるかに早いそうだ。
 公式行事において足組みをしている園児がいた。整然と、といっても園児だから相応のざわざわ感はあるが、それでも足組みは違和感はある。これで腕をくんでいたらひとかどの親父だ。これで完成してもらったら困ると思うのだが。

 ざわざわ感となればこのところの政局もそうだ。
 にっちもさっちもいかない鈍行より新幹線のほうがいいに決まっている。
 急ぎのときは臨時新幹線を走らせる軌道を敷設すべきだろう。

 それにしてもお寒いことだ。

< 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >

 
SU

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索