稜線が随分ぼやける。春霞とはいささか異なる。たぶん黄砂のせいだ。
 車の全体がきたなく汚れ洗車してもまたたくまに砂かぶりの状態になり、当分なせるが侭放置しておくことにきめた。

 花粉に負けることはなかったのに、きたない話だがこのところ鼻水がとまらない。一陣の風で黄色い花粉が帯のように飛ぶ。こんな光景にも自然の恐ろしさを体感する。

 東日本大震災に遭われわが町内会に避難された家族を招き慰労と歓迎会を、所属する団体が開いた。聞けば聞くほど地震と津波の恐怖を現実にみる思いだ。縁あって岡山に在住されるようになり、この家族が地元にとけこんで従来の落ち着いた生活をはやくとりもどしてほしい。
 友人宅で米を買い、近くの高松城址に散歩がてら桜の花見をした。清水宗治が篭城する沼城を羽柴秀吉が水攻めした城である。ひろびろした解放感のただよう公園に整備された随所には中高年の婦人がめだつフループがベンチに、芝に弁当をひろげて歓談している。ぽかぽかのいい陽を浴びて絶好の花見日和だ。幼い子や孫をのびのび遊ばせるのには一押しである。
 枝垂れをふくめて相当数の桜木はまだ蕾を残していた。

 半田山に立ち寄る。
 歩行訓練の心構えで西遊歩道の急さかを休み休み歩く。ここのさくらは満開ないしは散り始めていて一陣の風がながれるると風情豊かに花弁が舞う。小潅木のぼけが見事に咲いていた。
 週末まで、盛花の状態はもちそうにない。
 余震とはいえないようなマグニチュウードの大きい揺れが頻発している。被災地の人は安らぎのない日々を過ごされておられるだろう。

 日本列島の太平洋側には太平洋プレートとフイリピンプレートがあるのが知れている。そして深い海溝がとりまき、トラフ(舟状海盆)があって、陸地には多くの活断層がはしっている。日本国土の立地はこんな状態だ。地殻変動を制御する力は人類にはないから、いかに防備するかの体制構築につきる、とはいっても凡人になす術はおよびもつかない・・・。

かててくわえて、原発事故レベルが7にひきあげられた。25年前のチェルノブイルと同じ評価である。最悪の一言。

更新情報

2011年4月11日 日常
☆山野草探訪撮 NO-232 蝶になって「ハナニラ」
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 報道によると岡山地区の投票率は16時現在、25%程度で前回より低いそうだ。時間の流れがシフトさせるだろうか。
 若年層の政治離れが原因とみるほうが流れだろう。
 政治の引率がないから、これは中央政党の責任。
 国会の与野党の顔をみても迫力のなさ、利益確保に暗躍、生活苦のないぼっちゃんぼっちゃんの底抜け言動・・・、軽薄、この思いが地方政治に影響しているとすれば根は深刻だ。
 地方の首長はいわば大統領と同じで市民直接投票で選ばれ権限は十分そなわっているのだから今回選ばれた市議会&県会議員は議会を通じ首長を啓発してほしい。

 
 最後の追い込みで朝から街宣車の往来が激しい。
 市民に一番ちかい議員選挙だ。支持者がくると門前に出て激励する。
 市民生活を反映した議会活動をお願いしたいものだ。
 明日は投票日、心をこめて投票したい。
 昨日(7日)は半田山の撮影すませて旭川をさかのぼり牧山に向かった。
 ソメイヨシノと左岸から急峻に立ち上がった山に、ほどよく群がり咲くヤマザクラの一景を撮りにいった。私にとっては一番の場所だ。
 にぎやかなさくらもさりながら、河岸にソメイヨシノを愛でながら背景にボタンボタンとした日本画の風景を、孤りの楽しみにするのは乙なものだ。願わくば樹下に毛氈を敷いて三重の箱とお神酒がたのしめばこの上なし。
 想いを馳せながら編集しUPした。
 山野草探訪撮 NO-231
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/
☆山野草探訪撮 NO-230 NO-231 sakura
http://sannyasou.sakura.ne.jp/

炉辺余話ー桜爛

2011年4月7日 日常
 日和にさそわれて出かけなくては悪い気分になった。
 半田山に出かけると花見客がわんさおしかけて駐車場は満杯、列をして待機する有様。ガードマン二人で整理していて通常ありえない。
 正面の石段をかぞえながら登るスローペース。右手の桜下の草にはシートを敷いて重かさねの花見弁当をひろげて楽しんでいる家族連れ、子供連れ、新婚連ればかり。うらやましいとは思わないが和やかな光景は日本の安定は大丈夫とあらわしている。震災の方々には申し訳ないが・・・。
 ハナニラと七分咲きとはいえ白く盛り上がる桜花と空に展ろがる幕をパチリ。
 古墳のある頂上までたどり、幾組みかのにぎやかな焼肉に毒されてお腹がグウグウ鳴り、唾液を飲み込んで坂をおりた。
 午はぽかぽか陽気、5月ごろの気温だそうだ。
 通院を終えて月見橋をわたり後楽園の東苑をそぞろ歩いて、駐車場のひしめき、ブルーシートの場所取りの空間を埋めるて流れる焼肉の匂い、白く燃え上がるヨメイヨシノの花波、いわく花見の舞台揃いであるが東日本大地震への鎮魂がこめれればさいわい。
 歳相応の無骨にかたまっているのでうきうき気分はさらさらないが、これも季節の風物詩と目の角にとどめおくのみである。
 ひっそり草に座しさくらを愛でたらそれでよい。。
 明日は下り気配の天候、またもや冷え込み高下のはげしい夜になりそうだ。

更新情報

2011年4月5日 日常
☆ギャラリー  ロシア③  ロマノフ王朝の栄華と芸術
   http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 連日の天気予報をみていて東北地方の雪情報は、避難所の高齢者に重ね言葉がない。いつまでも冬が去らないのはこの時期だけにひとしお心を重くする。
 政府やメディアは復旧、復興の言葉を流すようになった。くりかえし耳目をかたむけているうち、大まかな素人の大まかな絵がかける。

 倒壊物を処理し土地を元の姿にするのが復旧。
 教訓をあらたに構築しなおす都市計画が復興。
 
  プレートのきしみを抱えている以上、いつか同レベルの地震、津波におそわれるのは必定、後世に禍根の種を残してはならないとおもう。

住宅は高台、産業は平地に、広域幹線道路は井桁に敷設して通勤・避難経路として高台へみちびくような青写真はどうだろうか。

 忘れてならないのは原発問題。
 立地要件の海浜で100%あってはならない放射線禍。想定外の言葉が不必要なくらい要塞化した防備を施すこと。さらに施設専用の災害機動隊・機械を充実させておくこと。電気屋が非常時の電気をまかなえないぶざまなことにならないこと、今回これがしっかり働いておれば燃料棒の冷却は自前の稼動でおさえられたはずではないか。

 おぼろな書きながしをしてみた。
 
 

炉辺余話

2011年4月2日 日常
 親友・寅吉さんが訪ねてこられた。相変わらづパワーがみなぎっておられる。
 うらやましいかぎりだ。
 
 拙宅のオキナグサを持ってmさん宅を訪問。mさん栽培のオキナグサと並べて、どちらがセイヨウオキナグサを観察する。
 葉の色形、花弁の色形に違いがみられるが、結局分からず。もう少し成長してから比較してみようということになった。
☆山野草探訪撮 NO-229 椿咲く春なのに・・・
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/

更新情報

2011年4月1日 日常
☆画像掲示板 キハナヒメオドリコソウ (野ノ花咲子)
  http://sannyasou.sakura.ne.jp/

更新情報

2011年3月26日 日常
☆山野草探訪撮 NO-228 たんぽぽ綿帽子
 http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 2011.3.25
 病院の駐車場の角に桜の蕾がほころび、退院が近くなるころには満開に咲いた。桜の種類はたぶんカワヅザクラ、気温が低く吹く風の冷たいなかで、白い花弁、長い蘂をみせて咲いていた。
「検査の結果であさっては退院しましょう」
 医師から言われて、心明るくなり病衣で散歩するさいその桜にちかずいて色や匂いを観察し、またベットに横たわり、花の余韻で眠った。

 だから春の暖かさがやってきたと思った。
 ところが思いがけず冬に還り、ダウンのジャンバー、マフラーに首を埋めて愛犬の散歩につきあい、めまぐるしくアップダウンする気温にふりまわされ足の運びがおぼつかないほど体がかたくなった。。

 昨春、鉢植えにして今年無事に芽をだすか気をもんでいたオキナグサが白毛につつまれた花茎をすくすくと伸ばし、包葉のなかに特有の蕾をつけた。根葉は人参葉のように幾片にも深裂していてなかなか可愛いスタイルだ。
 近所の知人宅にも芽生えたのことで拝見すると5株ほどその姿をみせていた。我家の緑色とちがって濃褐色の葉色である。
 日本古来の種は、ほとんど野生が絶えたのが実情、絶滅危惧種の状況にあり多くは鉢植えで生き延びている。
 セイヨウオキナグサの種があるそうだが、どこがどうちがうのか。実物をみたことがない。詳細な図鑑で検索してみてもセイヨウオキナグサの名はみあたらないでいる。
 
 
 
 暑さ寒さも彼岸まで、というけれど、少しづつズレが生じてる気がしてならない。昨日は旭川河川敷のランニングコースを後楽園まで歩行してみたが、汗を少しもかかない、術後まもないので息を切らすより股関節の痛みに絶えかねて帰途はバスを利用したハプニングで、むしろ冷や汗をかいた。
 今日は術後検診で通院、順調に推移していて安心した。
 
 原発防災にどうしても耳目が動く。自衛隊、消防隊の犠牲をぎりぎり許容した活動には敬意いがいなにものもない。
 しかし知識のない者の思いだが、冷やして封じ込めた燃料棒を永久に無効力に処理することができるのか。眠れる原子から解放されるのか。
 化学にあぐらをかいた触手に怖気が走る。
 

炉辺余話ー義援

2011年3月20日 日常
 被災地支援が各自治体、団体で活発化しだした。
 行く先々で支援募金の呼びかけで、これに応じる人が絶えない。いろんな支援の方法があるけれども、個人としては自分のできえる形の貢献しかできない。復興の道程は遠い。衣食住&罹病、・・・、これからが正念場だ。

 気にかかることがある。
 東日本大震災とか東北太平洋沖震災とか東北関東大震災・・・
 TV 新聞の報道、募金活動の看板$呼びかけの呼称は統一できないのか。

 政界に原子力政策の見直し発言がやっと表面にでだした。災害の鎮静に決定打の対策がうてないばかりか甚大な犠牲を強いるエネルギーの見直しは当然必要だ。代替エネルギーをどうするのか、ケンケンガクガクの論議を俎上にあげてやってもらいたい。核にこだわると、いつか地球崩壊の恐怖が、想像ではなく現実味を帯びて顕示されたのだから、教訓を無にすべきだはない。
 プレートの身震いがつづいているようだ。地球内部は一枚岩ではなく貼り合わせの幾重のプレートが断層をはさみ、寄り合っていて、きしんでいる。
 指先をはじくように撥ねると、この活断層は大魔神化して地中一画をゆさぶる。吸い込んだ海水を反動で一気にはきだす。地球規模でいえばくしゃみ程度かもしれないが、地表に貼りついた生物には阿鼻叫喚の崩壊をもたらす。
 この大自然の前に大手をひろげて阻止することはいかな英知に長けた人類でもできえないのだから、げに恐ろしき構造である。
 
 福島原発もまた恐怖だ。電気屋が電気を絶たれて自社施設を制御できなくなるとは笑うに笑えない。扱うものが核爆発に転化するものであれば、予想外を想定して制御を組み込んでおくべきもの。近代発展に大きく貢献したエネルギーだがそのパワーを凌ぐボタンをもたないかぎり、安易に手をつけるべきではない。
 テロ、紛争、戦争にあけくれるより、世界が一体になって制御ボタンを完成させるか、文明を後進させるか、思案時である。

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