孫のひかちゃんからバレンタイデーのチョコをもらった。
 洋酒が入ったあのチョコ、初孫からの初プレゼント、爺冥利につきる心地。
 大事に飾っていたが、日が経って食べられなくなったらひかちゃんに悪いと思い、今日ぱくぱく食べちゃった。
 頬っぺたが落ちるほどおいしかったよ!
ーーー両刀使いの爺よりーーー

prose-習い性

2012年2月17日 趣味
 このところカワセミに傾注している。
 今日も北風ふきぬく河川敷に車をすべりこませた。
 時折陽射しはあるけれど重装備の仕度に温もりがつたわらないのは相当冷え込んでいるからだろう。
 いつもお目にかかる人がやはり2人いた。お顔の表情は失礼かもしれないがスルメを噛みしめた味のある顔の人、ゆるゆる談笑していると安に違わず年金受給者で、雨天でない限り日参しているというのは口をあんぐりさせられるほどのペワーだ、
「だって、なんにもすることがないだから」
 ごもっとも、わが身をふりかえってみてもご同然、もっとも当方はカメラの代わりに双眼鏡を首にぶらさげて専ら探訪するわけであるが、彼らは道具に懲り高級カメラ+パソコン+Net交換の目標に生きがいを見出しているのであって、しかもなみなみならぬ年季が入っていて自信の誇示がエネルギーになっているのである。
 いまも肉眼でみて「あそこにいる」と誘導してくれるのに、視力の弱い身にはとらえられない情けなさ、双眼鏡をあちこち泳がすがわからない、
「ほれ居るじゃないか、葦群のなかに50cm水から上がった葉先に留まっているじゃろう、一本ピュウと伸びた葦の真向かいに、胸毛の橙色をこっちに向け青い背中もみせているがあ、あれが見えんのかあ」
「ハイ見えません」
「方向がちがう、これを見てみい」
 いつのまにか持ち出した自前の双眼鏡を渡されたが、当方の双眼鏡とさしかえたところで何が変わる?と吹きだす気持ちながらもありがたく拝借して覗く
のである。
「おえん、とらえられん」と返すと、
「へえぇ・・・あれがみえんの?」
 と、おどろきももの木さんしょうの木のような火野正平の顔でみられて、いささか癪に障り、前に増して双眼鏡を広域に泳がせてやっとレンズのなかにつかまた。これは、目が悪いのじゃあない、誘導する方角が悪いし、正面を向いているので胸毛の色が枯れ葦と同色である。しかも特有の背中の青は鎌ほども見られない、これじゃあこれと分からんとわからん、と不精髭の顔をみやった。
「わしゃあ見慣れとるけのう」
 それそれ、それがとどのつもりの差なんだわあ」

 今日は漫才のような興味あるひとときだった。 

prose-感情移入

2012年2月16日 趣味
「ピク、ともせず我慢してますなあ」
「3~4時間も枯れ葦の先にとまったままじゃが」
「ここら一帯が棲家ですかねえ、一年通じていてますか」
「ああ、おるでえ、ここに棲みついとる。わし、この子(カワセミ・雌)ずっと
 見守ってきてな6年のつきあいになる。この子は人馴れしてからに可愛いや
 つじゃで」
「へえ、6年もねえ」
「カワセミの寿命は4年じゃけえこの子はおおばば、それでも2匹子を産ん
 で育てたからのう、人間ならとっくにひあがっとるのに元気なもんじゃ。せ
 えじゃから大食いで仰山食べる」
「あっ、跳んだ!」
 まじかの水面に飛沫がたち瞬きすればこそ枯れ葦の先に乗り長い嘴に白く光
 る小ハエをくわえていた。
 たよりない枯れ葉にとまってじっとうごかないのは、確実に捉えられる小ハ
 エの影を狙っていたのだ。
 ウオッチャーのカメラも、バシャバシャと小気味いい連写音でホバーリング
 から水面裂いて嘴を入れ獲物をくわえ反転するコマの動態をキッチリとらえ
 ていた。

 「食べたんだから、もう塒へお帰り・・・」
 長いつきあいのあるウオッチャーは老体のカワセミにかたりかけた。
 それでも一体一鳥は河川敷の風景に溶け込んで動かなかった。
 



 

prose-更新情報

2012年2月12日 趣味
☆おもしろシンメトリック画像 NO267 川の音を聞きながら
  http://sannyasou.sakura.ne.jp/

prose-梅一輪一輪

2012年2月11日 趣味
 旭川河川敷をジョキングする人が多い。ことに若い女性があでやかなスタイルで走っていた。休日なので運動にはげんでいるのだろう。陽射しは暖ったかい色を射しているのに南風は迎い風になって強く、だらだらと前倒しの姿勢で歩く。カメラを担いでの体の重さはいい加減にUターンして返ろうとおもいつつ蓬莱橋まできて、渡橋してから後楽園に入り、目当ての梅園に行った。三々五々、カメラマンがたかっているが、先じて開花する一株に一輪一輪ほどのほころびが見えるが春にはほど遠い、淡い朱色のがくに抱かれていて花弁は開くのをためらっているようだ。
 ロウバイの盛花を写して外苑を廻り歩数を稼いでプラザホテル前から風を避けるべく住宅地を歩く。
 結構な運動を終えた。
 早朝目が醒めてTVをみていたら、6時前だった、突然TVの映像が消えた。小さな照明も消えて真っ暗、他の電気器具のSWも入らない、(停電?)と思ったが念のため懐中電灯でブレーカを確認すると正常、外へ出て近所を確認すると点灯している家もあれば真っ暗な闇に沈んでいる家もある。同じ回線のところは街灯もふくめて消えている。
 懐中電灯で電話帳しらべして電力会社の問い合わせ窓口に連絡、工事停電の有無を確認するも該当停電はないとのこと、されば何かの突発でブロックエリアの電柱機器に支障がおきたにちがいない、老人2人が凍えそう(?}だから早急の対処を要請!
 オール電化だからこういう事態になると手足をもぎとられたようなもの、一番困のは季節柄の暖房で、いったん冷えるとなにをしたって温まらない、びんぼうゆすりの経過で待つこと約30分後に工事車到着、係員が電柱に登ってまもなくして電流復帰した。ほんとに眩く、このときほどパッと明るくなったよろこびを感じたことはなかった。
 電柱にあげている変圧器のヒューズが劣化したらしい。新しく交換したのを確認して一息。
 電化の落とし穴を、つくづく味わう夜明けだった。
 節分は過ぎ立春が過ぎてもなお記録的な寒冷は終焉にならない。それどころか、寒波は3~4月にまたがって波及的に襲ってくるという。「小春日和}は作句だけの季語になるのだろうか。
昨年の夏は猛暑にへばって亜熱帯の風土になり、冬は厳寒に暗転して日本の気象は暗澹たる両極に移行してしまった。
 欧州は過去に無い積雪だそうだ。日本も日本海側が記録更新の雪で、これはもう地球規模の変動だ。
 植物も動物(人間ふくめて)も、生体の律動を変化し対応ししていかないと生きていけないような気がする。昔は春秋という、華を愛でる優しい季節があったなのになあと懐古するようになるかもしれない。
 進化か退化か、はてさて単なる慣性移行か、ここはシャーマンにサイコロを振ってもらいたいところだ。
prose-好きこそものの戯びなれ
 雲間の陽を浴びるべく河川敷を歩く。風は一時ほどでないにしても強く冷たい。
 土曜日なのでテニスコートは若いプレーヤでいっぱい、黄色い声が飛び交う。声を追い風に河川敷の堤を下ると、やはりカワセミの追っかけが三々五々みうけられる。フリーハンドで撮る人はいない、大きな三脚に今流行の望遠レンズをセットして虎視眈々狙っている。
 水没している護岸の石積に一本の枯木が、不思議なことに石の合わせ目につきたてられていて、小石をつめこみ倒れないようにしている。なにかに知恵をしたがる誰かが冷たい水に入ってわざわざ差し込んだにちがいない。
 その木の上に、カワセミが停まり羽を休めていた。撮影アングルには絶好だろう。層の厚い雲がかかると開かれた空間でさえ陰影を濃くしている。宝石といわれるカワセミもそれとながめればブルーをおもわせるが瞬間的には黒い鳥でしかない。それがかえって宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」の雰囲気がでている。
 奥さんが荷物持ちの高齢夫婦がカメラをかまえており、手前で立ち止まり雑談を交わした。カワセミは人間の意向を介せず突然飛びたつ。対岸に枯れ葦がやぶをつくり延々とのびていてその中へ姿をけした。それっとばかりカメラマンは三脚を担ぎ移動するのである。
 撮影に熱くなった旦那は奥さんを忘れてかってに走りまわり、尻をみせる者と追う者は遊戯のようにみえもしなくはない。
「朝は10人のカメラマンがいたのよ」
 早足をとめて奥さんは振りかえり教えてくれた。つきあいきれない、げんなりした顔であった。今15時、6時間ぐらいとどめおかれているのである。
 憑かれた旦那のすることに否とはいえないのが夫婦なのだ。

prose-

2012年2月3日 趣味
 冬の果物は蜜柑だろう。
 炬燵にはりついて毎日2個は食べる。
 2月に入ってスーパーの店頭に並ぶのがそろそろ少なくなり、伊予柑とかポンカンに代わりつつある。私事だが柑橘類では蜜柑が第一、他の大振りの柑橘には食指がうごかない。だからなくなれば果物の味覚に飢える。
 そこで日生の道の駅にドライブがてらでかけていくことになる。
 日生の地産ものが網袋に入って売られていて、数列のワゴンに山盛り並び、値段も岡山市内に比べ安いし甘さも熟成している。
 今日も少々買いだめしてきた。

prose-カワセミ

2012年1月31日 趣味
水辺の小鳥でもっとも美しいのはカワセミと、衆目一致するところ。
 県北の清流域を飛翔する姿や、水面にのびた枝にとまる姿に出会うと、宝石もさぞやと深くため息がでるほど色合いが印象にのこる。
 因って澱んだ水辺に棲息することを考えたくないが、それは人間のかってな願望にすぎなくてカワセミにとってはどうやら余り問題していないようだ。
 水辺で小魚が容易に捕獲できれば清濁の差をきにしてないようにみえる。
 たとえば後楽園の花葉の池などは小さな人工の滝があっても流水とはいえない、実態は溜池と同等だ。オイカワのような小魚の魚影がみえるのでこれを捕獲して食べているようだ。通い鳥か、それとも棲息している鳥かはつゆぞ知れらぬとも、長い間カメラマンをひっぱっていた。カメラマンが連日むらがりカワセミの動きに一喜一憂していた。
 今回は旭川と並行して流れる百間川の右岸一隅。運動のつもりで河川敷を歩いていて、この数週間とみに人溜りがめだつようになってきたので不審に思っていた。
 いずれも立派な望遠レンズを装着した一眼レフを首にかけている、西側地区の排水路付近に集まっているのをので、バードウオッチングの集まりと想像できたが、詳細はわからない。常駐の主、カモ、シラサギに執拗なおいかけが発生するはずがないだろうに。

 日が改まって其処に一人の老人が三脚据えてフアインダーをのぞいていた。
 排水路の左側をたどり、レンズを向けている方向にいきたいので声をかけると、「行け、行け」という手振りの合図を返してきたので進み、ふと護岸の則面に目をやったときカワセミが止まっていたのである。
 ものの3m先の位置、足を運んで直線上になるまでカワセミは静止したまま、追い越しになるとヒョイと先に跳んでまた凝っとこちらの動きをみている。振り返ると老人のレンズの狙い目はカワセミを追っていた。200㍉ほどのレンズだから雀ていどの小鳥を絞り込みすれば野次馬は邪魔にならないはずだ。

 現在の後楽園の経緯は知らないが、ひょっとして同一のカワセミがエリアをかえてきているのではなかろうか。
 
 百間川は運河だ。旭川の水を取り入れてはいるものの、水量は豊富ではない、水面にうかんだ木っ葉がゆったり動くていどで、ところどころにある堰のところは音と泡をたてている、が幾箇所に住宅地排水路がひきこまれていて有機質の澱みがひろがったりしていて、清流の情緒にはほど遠い。
 餌になる小魚の影だけは濃いのだが。
 こんなところに、とため息がでる。
 でもずいぶん人馴れしているではないか

 なんともあれ、姿色合いは見間違うなく「宝石」で、カワセミの美しさを誇っていたのは見ごたえあった。。

 
 

prose-懸念2

2012年1月28日 趣味
 今日28日は東北地方で3~4クラスの地震が頻発している。ラジオを付けっぱなしだとそのたびに番組を中断して情報を流す、大きな地震の予兆でなければいいが一寸気を揉む現象だ。

 清盛は汚いとか、画面が暗いとか、瀬戸内の空が青くないとか、兵庫県知事が、不満をぶったそうである。ご説もっとも、青年時代の清盛は後世でいうバサラの格好である。そして公家どもが天皇をかついで武者所の平家、源氏を表にだして朝廷権力を暴奪して我が物にしようとする不穏な時代で保元、平治の乱が勃発がするなかで平和であるはずがなかった。平家の末裔と吼えた戦国時代の織田信長が清盛に酷似したバサラで時代的には価値観が混沌とした清盛の平安時代の方が暗かった。天上人の天皇をふくむ貴族が右往左往して覇権を競った形跡がある。
 放映の清盛は叱責にたわがず格好が汚いし、白河法皇が俗生の個性を迫力で演じた脚本とカメラUPの印象もあって貴族も庶民と一緒だとというえげつなさが物語を暗くしているのは間違いない。
 それと製作者の意図が史実に忠実であればあるほど地味な構成になるのはいたしかたがない。知事の思いは観光に馳せているから派手な源氏的な演出を望んでいるからだろう。
 頼朝、義経を助け、つまるところ両者に滅ぼされていく情に弱い清盛をどこまで演出できるか、観光虚飾にはしるよりストーリの核を大事にした展開を楽しみにしたい。

 

prose-更新情報

2012年1月25日 趣味
☆おもしろシンメトリック画像 NO-256 路傍のパワーストーン
  http://sannyasou.sakura.ne.jp/

prose-積雪災辺

2012年1月24日 趣味
 一夜あけたら銀色の世界になっていた、という関東地方の現象だったらしい。
 岡山市内の積雪は 一年にあるかないかの、恵まれた土地。
 若いときは銀世界を妙にはしゃいだものだが今は手のひらをかえしたように、雪などは「まっぴらご免」の心境にある。なんとなれば降雪まえの冷え込みにおそれおののき、小春日和をなにより恋焦がれているからである。
 
 温暖な岡山であるけれど寒さや冷たさがかやの外ではないのであって、気候的に大陸寒気団と太平洋低気圧の接点に位置しないだけで問題である。北風や西風の寒さは虎狩笛となって吹き晒し朝晩の冷えは相当なものである。わずかの差で接点の枠内にまきこまれていれば当然積雪の圏内にあるのだ。
 それに当てはまる年が希にある。春先の気まぐれなドカ雪である。
 ドカ雪、といってもせいぜい20センチ前後の積雪であって、雪国の人に、いわく「なんだそれしきの雪、おれん処なんぞ軒下いっぱい積もるんだぜ」といわれればばそれまでであるが、なにせ雪に縁のない市街地に踝が埋まるほど積もれば天地がひっくり返るほどに市民は仰天しまさかのインフラが麻痺してしまうものなのだ。
 すぐる年、現役時代の三月に脛までの積雪のときがあった。
 労務担当だったので朝食そこそこに出勤した。早朝だったので新雪の農道の中央を走って無難に会社にたどり着き、関係部署に連絡して臨時休業の手配した直後に、一面凹凸をかくした社員の一人が路肩の限界を読み違え、それによる脱輪事故の知らせがあいつぎ、最悪、農道で水をたたえた農水路に転落し車は水没、結果的にかえらぬことになった社員のできごとだった。
 積雪の知識がうすくて経験のない地域に「それしきの雪」は該当しないのである。

 判定の尺度は魑魅魍魎なのである。

prose-健康志向

2012年1月20日 趣味
 行きつけの処方箋薬局さん主催の「栄養教室」に出かけた。
 今回のテーマは「感染経路を封鎖せよ!」~ノロウイルス大作戦~。
 管理栄養士さんの講話はpowerpointowo使っての説明、イラストを主体しての毎回理解しやすい内容で知っているようで知らないことが多い。
 私にとってためになる講座である。

prose-寒の最中に

2012年1月20日 趣味
 このぐらいの寒さに「さむいさむい」といってたらどうする、月がかわったら大寒だぞ!
 ・・・などと耳元で喝をいれられる。といわれても、さむいことはさむい。雨が降って部屋まで暗いと余計に気分から冷えがつのる。背中がまるくのが嫌いで炬燵にはいらずにストーブをガンガンきかして、椅子にだらしなく座り、足を熱風吐き出し口にのばして文庫本に耽る。キャリーのついた椅子だから浅く腰をのせて活字に気をいれていると椅子がうしろへ逃げて我が身は床に放り出され、腰をしたたかに打ち棚に後頭部をぶつける。このことが再々ある。派手な音だから家人がおどろいてとんでくる。
 凝りもせずくりかえすから頭もたいへんだ。物忘れがときどきあらわれる、そろそろ始まった・・・、などといわれ、「今日は何日?何曜日?何時?」と質問され咄嗟にわからなくてもカレンダーと時計をみれば分かることだから憮然として答えるのだが、即応できないのは、その縛りから解放された日々を堪能しているからであって、頭を打っているからではないのである。
 窓が俄然明るくなった。午後は薬局主催の栄養教室にでかける。
 机に読み止しの文庫本が何冊かつまれていて、読了まで通せばいいのだが、そのときそのときの気分にふさわしい栞のページをひらくのが、これまた楽しみだ。
 

prose-衣の下に鎧

2012年1月16日 趣味
 TV報道を小耳に挟んでおどろいた。
 掃除機を止めて詳しく聞こうとしたら話題は移っていた。
 たしか日本の軽自動車を廃止して優遇制度を止めろ、という主旨・・・確定できないがそういったように思う。発信したのはアメリカの、議会か業界・・・。
 アメリカの不景気、あふれる失業者、いつまで歯軋りして耐えれるかと思っていたら、そろそろと牙をむき出した。自国の営利のためには自由の下にかくしている恫喝癖を見せるし、平気で戦争をしかける。このこととは関連ないという報道だが、例のTPPなんかは自国有利のルールで囲い込もうとする戦略だ。
 ペルーと井伊直弼の図式ではないか。
 内政干渉といいたいところだが、世界が一つの丼に入って関与し合っている実情からいえば肩が当たり肘を突くのもやむをえないかもしれないが、恐喝しなければ動かないし、すればどうにかなる・・・、というふうに思われているのだ。
 
☆ギャラリー たかちゃんのワールドトラベル   ギリシャ④
  http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 野田改造内閣が発足
 なにがなんでも増税による財政再建を果たすという布陣
 しかしきこれでは片肺飛行
 スリム化による捻出額が一向にみえてこない

 先ず塊からはじめよ
「国民に犠牲を強いるなら、まずは立法行政の身を削ってから始めよ」
 ではないか
 使うだけ使って親の脛を齧るのでは改革にならない

 他の政党も政局しか口にしない
 百年の計をもって論じる気配なし
 与党の手とり足とりして沈めようという話ばかり

 やはり人間は人間以上になれないとみゆる
 

prose-更新情報

2012年1月11日 趣味
☆おもしろシンメトリック画像 NO-255 SAKURA he SAKURA
http://sannyasou.sakura.ne.jp/
 今年の大河ドラマは「平清盛」、8日に放送が始まった。
 乱世から治世へのメッセージとなるか否や。
 
ーーー埃をかぶっている歴史本で得た知識にハタキをかけてみるとーーー

 平清盛は伊勢平氏の頭領、全国に散らばっている平氏の中でもっとも上皇とか法皇に近侍していた武家氏族。
 天皇にかぎったことではないがなべてこの平安時代老若男女とわず好色、一夫多妻の風習や手にこぼれるほどの妾の囲いはぽろぽろと子を産み落とし、だからといって男女間倫理などと騒ぎたてるような風情でなく雅の慣れの果て、好色もさりながら子孫を絶やしてならない観念のいわば本能のなせる業。
 さいわい何事もなく皇太子にバトンが渡った場合、後の親王は僧籍か臣下に降下させられる。臣下となれば一線をひかれた地下人呼ばれて朝廷とか院の護衛の任にあたる身分が相当。一線から上への復帰はかなわなくなる。
 そうした皇族の血をひいた皇族でない氏族が地域に一族を形成するようになり、院の武者所に詰める身分になる。
 平安時代後半、覇者を争った源平もたがわず、いずれも天皇を祖にした武者でありながら地域の貧窮にあまんじていた。
 平氏の場合、祖は桓武天皇である。正盛、忠盛、清盛と継がれてきたた伊勢平氏なのだが、平家の風雲児・清盛の出目は忠盛の胤ではなく実をいうと白河上皇が白拍子を愛でた結果というわけで、懐妊させた白拍子を平忠盛に下賜したのである。(TVでは、冷徹な上皇面前で母白拍子が懐刀を向けたため矢で打ち殺されている)
 己の出生を知った清盛がカリカリ悶々したのは当たり前こと。

 青雲時代のちのち、このような数奇な出目の認識が竪糸となって清盛の精神をつかさどる心の稜線に、バネになって張り付いてた。源氏との競り合い勝ち、六波羅の構築で都を制圧、武者の身分で朝廷内裏に入り込みあろうことか関白職までを執りこみ、はては娘を御台にして生まれた孫を安徳天皇に据えた。
 豪胆な政略家。
 初めて武家政治を確立し世情を安定化した功績は大きい。

 人間臭い平家のほうが源氏より面白い。
 脚本がどう展開していくのか見ものだ。
 
 

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