prose-落葉の梢

2012年12月15日 趣味
 いかばかりか今日は暖かい。背を丸めた枯木になりたくないので背を伸ばし枯葉に顔をとられた公園の道を歩く。よく晴れた早朝にこの道を歩くと梢を離れた葉を踏む音のうえに青空を従えた昇陽のかがやきが射してくるのだ。まぶしくて掌を翳すほどだが日本離れしたモミジバフウの小径は気持ちを華やかにさせてくれる。愛犬を連れた夫婦の散歩をこよなく幸せに映す小径でもある。

 年賀状の作成に、尻火の気配を感じる。
 今年ほど喪中ハガキが多いことはない。
 友人の一人は「こう書くそうだ}
 「年老いたので年賀状は今年でもって終わりにしたいと思います」
 いいか悪いか別にして齢かさねて一つの節目であることは確かだ
 ただし本人はマイペースで飛んだり跳ねたりしている。

 総選挙も大詰めである。
 ときおり候補者の街宣車が走るがいたって静かな選挙戦だ。
 どっちもどっちだ。
 耳にいい公約はとんでもない政治を裏にふくんでいてはいないか、国民は疑い深い目を向ける教訓を学んでしまった。

 

 

prose-寒さ募る

2012年12月11日 趣味
 往路は送り風でずいぶん歩数を稼ぐが復路は吹きさらしの迎い風で自然と前倒しの姿勢で歩く、河川敷のウォークである。車の中で一息ついてあったかいコーヒーを飲んでいるとガラス越しに白いものが飛んでいる、や、雪花だと思いきや、さにあらずガマの綿毛だった。種を仕込んでいてあたり一面の湿地に散布しているのだ。
 1万歩も歩くと体の芯がほっこりした感覚になるが、耳を触ると氷のように冷たい、千切れる痛さでないのはさいわいだ、この試練は車のシートに休んでいるとほんわりするから不思議だ。

prose-三陸沖地震

2012年12月7日 趣味
 15時過ぎて中島から旭川河川敷をウォーク、後楽園外苑を廻って車に帰着したらどっぷり暮れ落ちてしまった。
 万歩計を確認したら7000歩、ちょっと足りないが真っ暗闇をついて歩く積極性はない。
 帰宅したら「三陸で地震」という家人の声におどろいてTVをみたら東京スカイツリーあたりが激しく揺れていた。
 震度5から7にかわり津波警報がながれた。
 おさまらない地震は長い地球の歴史に耐えられない歪みがきたのだろうか。

prose-写真展

2012年12月6日 趣味
 岡山大学山岳会はネパールの高峰登頂に挑戦したり学校教育支援事業を実践をしてネパールとは縁が深い。近年はダウラギリV峰に初登頂、今回それを記念してパソコン&天体望遠鏡を寄贈されたとのこと。
 そのときの記録を撮影した写真展が操山公園里山センターで開かれている。
 案内状をもらったので出かけた。
 足守の町屋敷をそぞろ歩く。
 木下藩25000石の陣屋町に車の疎らな通行はあってもイベントもなくて人どうりもない。一塊の夫人がたの賑やかなおしゃべり道中と、小学校の甲高い運動の声が武家屋敷に流れていく。
 とある民家の屋根瓦にはえるツメレンゲを写す目的だったが盛りがすぎて灰色になっていた。消化不良の心持ちで足をのばし、木下利玄生家をのぞき近水園の吟風閣を紅葉越しにみてようやく落ち着いた。
 
 御津まで走る。
 川沿いの岩場をのぞくとここのツメレンゲはさすが水水しく本来の姿を保持していた。
 葉を打ち枯らした雑木林の葉がパラパラ頭上に落ちてき持続感がなえ車のなかへもぐりこんだ。

prose-落魄②

2012年12月3日 趣味
prose-落魄②
prose-落魄②
 冬枯れの田園は色彩がなく畦を伝うて歩くとひとしお侘しさが募る。犬でも走ると主役のように存在がうかびあがる風景だ。 平安時代終期には描ききれない野であったに違いない。
 藤原基房の配流地湯迫の関白屋敷跡は竹林に埋もれて幽玄の空間にある。地元の人の手入れがゆきとどいて足の踏み入れに難はないが、雰囲気は押し詰められた緊迫感を漂わせている。
 代々朝廷の摂関職を任じてきた藤原一族にとって平清盛は不倶戴天の仇との想いがあって企てたことが露見した結果の配流、さぞかし栄華の落魄にむせた一隅である。

prose-政党万華鏡

2012年11月29日 趣味
 ひとばん寝て起きたら新党が生まれていた
 ひとつのスローガンをかかげただけであとは白紙という政党だ
 面々をみるとひと癖もふた癖もある仕掛人の政治屋がみえる

prose-歩き撮る

2012年11月29日 趣味
 年賀状に使う写真をたのまれたので後楽園にいく。
 できるだけ色彩のないアングルを探したつもりでも紅葉の時期なのでゼロとはいかない。披露宴延長のカップルがなんと多いこと。旅人のはじまりだ。

 歩き足りないので河川敷におりる。離れて独りでいる「年金生活」のカメラマンとの会話。
「カワセミはもうでましたか」
「わしゃカワセミじゃあねぇじゃ」
「えっ、じゃあなんの鳥を?」
「ミサゴ、ミサゴじゃ」
「あっそうですか。これからは寒うて撮影もたいへんですなあ」
「さみいことはありゃせん、ぬきいぞな・・・」
 両胸が着膨れて盛り上がり、簡易懐炉かなんかを巻き付けておられるようだが顔は寒さで白けている。
「モンゴルが先祖じゃからさみいことはねえ」
「???」
 一文の値打ちもないとは、いやはや、つれない台詞である。
 表紙、帯紙もキレイで悪戯書きもしていない、著者は現役で今でも話題作をだしている有名な作家、数冊の文庫本ならまだしも単行本はそれなり値打ちもんと思うが・・・、それでもなおダメ、となれば一体どこがどうなっているから評価に価しないのだろうか・・・。
 本の呼称に、上が「天」、下が「地」、前が「小口」の部位名がついている。
 本箱や本棚での保管が一般的で、立てに並べたり平たく積み重ねするが多い、ここは本棚に立てに並べるのを基準にすると、「地」と「小口」は板に接して「天」だけが板との空間があり汚染分子を包含した空気にさらされている。
 紙は生き物で呼吸している。
 ホコリ、湿気それに煙草の脂をはりつかせ咽び呼吸させていると人間の皮膚と同じように紙に汚沁をあらわす。
 どんな僅かな隙間だろうが一寸の穴だろうが空気はアメーバになって侵入する。
 もっとも早く激しく被害を受けるのが「天」の部位で、指摘されてあらためて見てみると白が白でなくなり茶褐色の汚沁が点々の尾を曳いているのである。
「除染できなくて、これがあると売れない」そうだ。他の部位を診たりページをぺらぺら開いて損傷を確認する以前の問題で「天」のゲートでひっかかると「ハイそれまでよ」ということになる。
 
 世は活字離れnet社会にあっても、紙の匂いインクの香り活字に親しみあるいはくみた昔々の懐古薫香を後生大事にする機関や人は、いかに変転しても絶えることはないと思う。

 今日以降、新書購入の際には余程気をくばろうと肝に銘じた。
 
 
 
 
 狭い本棚がまたもや溢れてきた。いちど床が抜けるといわれて処分したのだが月日経つと元の木阿弥になった。
 スーパーでダンボール箱を調達してきて本棚に立ち向かった。要らない本なんかないに決まっているが、それでも格納するところがなければ仕方がない、あの世とやらへ旅立てば振り向きもされないのであれば尚更、思い立ったが吉日、買取してもらうべく自分なりの基準で棚から抜き出しダンボールにつめた。
 ※再読の可能性のないもの
 手放す基準を持主からいえばこれに尽きるだろう。
 辞書、百科事典の類は端から買取対象外にされる。買取の書店によって専門書の評価はことなる。もっとも喜ばれるのは漫画本、歴史希少本、生憎当方の蔵書はいづれにも該当しない。
 文芸書を、袂分かれても心残りのないものを槍玉にあげた。
 
 昨年小額だけど欲しい値段でさばけ新本が買えたので同じように持ち込んだ。
 ところが、ところがである。
 店内アナウンスでカウンターにいくと、
「すべてお引取りできません」宣告された。
 ・・・!、・・・?・・・
 


prose-道の駅で

2012年11月23日 趣味
 黒井山の空は鉛色、暁に降った余韻が重たく残っている。
 かみさんが買物しているあいだ駐車場をぽこぽこ雄牛の牛蹄になって歩き回ることにした。
 牡蠣祭りとのことであるが神輿を担いだ練りの熱気があるわけでなし、無料でふるまわれる牡蠣汁の列がえんえんとつづき、それもおとなしいもの綱に繋がれた羊のように並んでいる。外国の人が驚嘆する日本人の気性をみせられる。
 公園の一画に四季桜が3~4本咲いていた。
 侘しい咲きかたであり背景は黄葉した山肌のキャンバスに溶けていた。
 

prose-饒舌

2012年11月22日 趣味
 2.5歳の孫がいろんなしゃべくりをしだした。
 いままでのだんまりゲートを開け放したように言葉表現をしだした。
 やはり女の子だ、これからはとめどなく賑やかになるだろう、自然と頬がゆるんでくる。

prose-落魄-1

2012年11月20日 趣味
prose-落魄-1
prose-落魄-1
「平清盛」も大詰めにさしかかった。
 歴史をひとつまみしてみる。

 朝廷の摂関は藤原家の祖になる鎌足以降代々藤原家の者が就いていたが、平安末期、位階をのぼりつめた平清盛がその権力を踏襲した。プライドにまみれていた天皇・公卿は面白うはずがない。魑魅跳梁の画策が次々に出来した。平家追落としの策謀である。治承2年の、時の関白・藤原基房が図った事件はまさしく緒端のそれでことの顛末に怒った清盛は基房を備前に流刑に処した。

 基房の経歴を調べると内大臣、右大臣、左大臣などの高官を歴任しており、兄の近衛基実が早世すると、その息子である近衛基通が幼少のため、六条天皇の摂政に就任している。仁安3年(1168年)2月、六条天皇が高倉天皇に譲位すると、引き続いて摂政を務め、嘉応2年(1170年)12月には太政大臣、承安2年 (1172年)12月には関白をきわめている。
 盛子と平重盛が死去すると、基房はその遺領を清盛に何の相談も無く、後白河法皇と謀って没収するという反平氏的政策を打ち出した。これに清盛は激怒して同年11月、軍を率いて福原から上洛し、クーデターを起こす。清盛の軍事力の前に基房が抗せるはずもなく、直ちに反平氏的公卿と見なされて解官されたうえ、大宰権帥に左遷される[6]。 途中備前国で出家する事でようやく同地滞在を許された。その後の治承4年(1180年)12月になって、ようやく罪を許されている。

 その流刑地の備前はいまでいう中区湯迫にあたる。


prose-厨房

2012年11月18日 趣味
「男子厨房に入らず」の由来は、中国の『孟子』にある、「君子、庖厨を遠ざくる也」が所以。
 
 このところ日ながらパソコンと遊んでいるので留守番が多い。
 したがって手前の口を癒すのに手前で賄うことがちょくちょくある。
 友人に板前心得がいるのでなにかと総采の「かんどころ」を教わっている。
 ぎょうざの上手い焼き方を教わり「近いうち」に腕をふおうと構えている。
 今日は近所で活きハゼの大きいのをいただいたので舌なめずりしながら厨房に入る。
 鱗とワタを取り、味醂に醤油を合わし生姜をちらしたた味で煮詰めた。
 男の料理だ。
 シンプルで小魚のまんくうの味を味わいたい。
 空間にいい香りがたつ。
 火をとめて直ぐ食してもいいが、「美味い!」と思うのには一晩おいて味を十分沁みこませるほうが我流食通の掟、あつあつのご飯によく合う。
 
 孟子の言葉に添うていては美味いものが食べれない。
 

prose-

2012年11月15日 趣味
 昨日の党首討論は迫力切実の論戦だった。
 錆び付いていると思わせた伝家の宝刀はあざやかなる抜き身を見せた。
 日向泥中でうとうとしていて舅、姑、小姑の家猫がやれやれどうのこうのと言われても泰然と受け流しやりすごしていた泥鰌猫、党内グループどころか党内党の様相を呈し質の悪い泥棒猫までまねきよせて外堀を埋められたのではさすが牙を剥き隠れていた爪をたてざるをえまい。
 常にこういう臨戦態勢をみせていれば違った経緯になっていたかも。
 川原でも里山でも目を曳く立て札がある。木々があって草が繁って湿地があれば舞台がそろっている。いわく、「マムシ注意」というおどろおどろしい文字である。仮に空脅しとしても無視して分け入ろうとする人はいないはずだ。
 あのての生物は好きになれない、そのような人は大勢おられる。
 鱗は魚だけで十分、だと思う。
 子供時代、網を持って田んぼのあぜ道を裸足で歩いていて大きな青大将の上に乗っかったことがある。足裏がひゃっとした感触して(あっ)と思った瞬間足首を巻かれた、天に登るほどびっくりした、韋駄天のごとく狂走してふりほどいたが折からの好天気で走るほどに黒や茶色や縞の長虫が日向ぼっこしていたからたまらない。網やらバケツやら鮒やハエやらおっぽりだして逃げに逃げた。
 あるとき花を接写すべくカメラを叢にのぞけピントを合わしたとき、冷徹な目と先の割れた舌に向き合って驚愕し、カメラをおっぽりだして私は跳躍し逃走した。
 ことほど左様な体験があるのでこの生物は、私にとってトラウマなのである。
 だからといって怖がってばかりいては野山は歩けない。
 友人のなかには尻尾をもって頭上でぐるぐる回したり棒にひっかけて空中はるか投擲してみたりする、豪の者がいるにはいる。
 感嘆の一言で偉人を見るおもいで、じつに尊敬に値する。

prose-とどろき

2012年11月9日 趣味
 鉄橋はなんとなしロマンがある。貨物列車の鉄の塊が大車輪でレールを研磨して平地を駆り坂を喘ぎ走り去る。節々のせめぎを鳴らし変身したいも虫が、みるも果てない地方風土を切り裂いて驀進していく。
 たまさか河川の橋桁に足を踏み入れたと同時に、機関車が頭上に躍り出てきた。容赦なしの轟音をあびせられ頭に落下した雷のよう、咽頭部をがたがた強請り腹部に飛び込んできて胃や心臓、肺から肝臓膵臓を滅茶苦茶おどしひっくりがえしてあかね空のなかへ吸い込まれた。
 それからは鉄橋の桁下にさしかかる場合、右よし左よしと確認するようになった。強引で強欲なロマンは遠くから味わうものである。

prose-水辺

2012年11月8日 趣味
 運河の中洲はちょっとした森を形成していてその裾は無尽の葦地になっていた。白い穂はさながら鉈をふりかざす兵隊のように鬨をあげて前後左右に動くのである。水は鏡のように止水のおもむきだが堰の岩を滝落ちるほどのゆったりした流れはある。すこし下流に進むと川幅は不意に狭くなってせせらぎに似た音を発して葦を噛んでいた。石敷きの継ぎ目がすかして見える浅瀬はきらっとナイフの刃を横にした光りが瞬きつづく。ウグイが遊んでいるのだろう。

prose-もろもろ

2012年11月5日 趣味
 昔とったキネズカ、の心意気で登山したのが大間違いだった、大いに悔いている。一夜あけると脹脛&腿は足を踏みだすだけでとびあがるようだった。平地歩行と傾斜歩行の運動筋肉のちがいである。特に下山のときの膝のケタケタ笑いにはまいった、全身の力が弛緩していくのである。
 でもまてよ、翌日に痛くなるのは若い証拠、年寄りは2~3日たってから痛くなるって、誰かいわなかったけっ。

 

雲の中

2012年11月2日 趣味
雲の中
雲の中
 三平山は1、010m。びっくりするほど高くはないが、蒜山ICからは正面に形のいい山容をそびえさしている。山麓から登山口にとりつき左右に折り返す道を登るのであるが以前より樹高をのばし繁茂の草丈に蒜山大山が隠れている。
 登山道の両脇はきれいに刈られていて、アキノキリンソウやリンドウがみられるのだが、そもそも山野草の探訪に向いていない殺風景な山でむしろ右手に標高をかせいでいくうちに屏風絵のように開いていく蒜山大山の雄姿を味あうのに適した山であり、頂上からはそれらに加えて弓ヶ浜、境港、島根半島の望見が楽しめる。
 しかし今日は山霧が覆いかぶさり、ときおり霧雨、最悪の天候になった。
 8合目あたりからは岡山鳥取の境界になる土塁の上を歩くときは完全に厚い雲の中、乳白色世界のなかの行進になった。日本海の強風をまともに受ける頂上は降雪は吹き飛ばされるので他山ほど積雪がないといわれている。
 一番がっくりきたのは、ほかでもない、自分が思うほど体力がなくなってしまったことだ、足が動かないんだ。ほうほうの態で頂上にたどりついた。さんたる姿は刀おれ矢が尽きた、老いた山男。下山のそれはケタケタ膝が笑うのだ。
 同行二人にはおもいのほか迷惑をおかけした。
 

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