prose-寒い!

2012年11月1日 趣味
 月がわりして俄かに寒さが襲ってきた。
 長い不景気を象徴しているような冷え込みだ。
 川原に出て堤防の石段を20回ほど昇降を重ねた。
 堤防の上に立つと突風は身をよろけさす。
 明日県北の低山だけどアタックする予定、このところ県北を歩いていないので足腰の自己診断をしてみた。まんずまずだった。

 臨時国会が開かれている。
 質疑応答の言葉遊びを聞いているとからっきし危機意識が伝わってこない。
 

prose-市内

2012年10月30日 趣味
 バス停にたどり着くとき、けたたましい警音を鳴らしてパトカーが走ってきてキキィとブレーキ音をたてた。城下の路面電車の軌道を踏んだのかどうかカーブの曲面でさらに歯が疼くようなブレーキ音を響かせて走り去った。
 違反者を追尾しているのだろう。立ち止まる人、知らぬ顔で歩く人、様々。
 出雲蕎麦でも食って帰ろうと中山下に足を向ける。

prose-落日の水鏡

2012年10月26日 趣味
prose-落日の水鏡
 ミミズが一匹遊歩道を這っている。
 ドバミミズといわれる大きなもので上半身(?)を伸ばし、ついで下半身を引き寄せるまどろっこしい動きで前に進むのである。この生物は目がない、音だろうか、嗅覚だろうか、はてさて触覚だろうか、よくわからないがいずれにしても器官をはたらかして進行方向を目指しているのだ。
 不思議なことに、灼熱の夏この遊歩道には一方の叢から這い出て反対の草地に向う行動をおこなうのが定番で、30㌢の間隔をおかない珍道中がみられる。歩兵の匍匐前進に似ている。卵を割って置けば卵焼きにもなるほど過熱の小石をうねって進むのだから尋常ではない。なぜ?、、生体がよくわからない。
 シーズンOFFの10月に迷いミミズの出現である。
 落日が早い、釣瓶おとしの陽が水面に飲み込まれる直前。
 人も犬もミミズも紅く燃える。
 
 気候は落ち着きカワセミの待ち時間も日光浴と思えば苦にならないそうだ。
 カワセミはほぼ定刻に出勤するようだ。振り回されるのは人間さまだ。夜のとばりが明ける頃、女神さんの寝姿をまたいで朝食もそこそこ6時の早朝に河川敷を目指す。さぞ眠たかろうと想うのだが老境の身には頃合だそうだ。
 定刻に間がある場合はカワセミも撮影者ものんびり構えている。例のバズカー砲のようなカメラを三脚に据えて焦点だけを合わしみんな雑談してスタンバイの状態、見張りのような人が「出た!」「跳んだ!」と叫ぶと一斉にカメラに跳びつきパシャパシャと高級カメラの連写モードのシャッターをきるのだ。緊迫した戦場カメラマンのようだ(もっとも、戦場に挑んだ体験はゼロの人ばっかりであるが)。
 止まり木からホバーリング、水中への跳び込み、小魚を銜えて水面を割る、そのうえウグイを狩猟して夜明けの陽の輪へ入ったとき、子供神輿の歓声のごとしだ。

 ほんとに気持ちのいい天気で車窓の風にうたれながら吉備高原に走る。
 缶コーヒー(微糖)をのみのみ、鼻歌を謳って峠を越え山道をくねってダムかたわらの目的地に着く。ダムにゴムボートを操ってルアーをふる釣人がいた。こんなところにもブラックバスが棲んでいるのかと驚いたが、雷魚や鯰もルアーの対象になるので外来魚にきめつけてはいけない。
 一人っ子もみかけない山奥の湖畔でリールを巻いては投てきを繰り返していた。
 
 山襞から滲み流れる湿地に目標の花をみつけた。
 ヤマラッキョだ。
 簪のような花を直立させて、二~三株が集合していた。

 新しいカメラをプレゼントしてもらい嬉しくて嬉しくて。
 試運転のつもりで連写撮影に夢中になったのである。

prose-天高き下で

2012年10月20日 趣味
 早朝の冷え込みの分、日中は絶好の秋日和で一片の雲もなく青空が澄み渡る。
 恒例の北房山野草展にでかけた。
 手塩にかけた盆栽仕立ての樹形には可憐な花が咲いていた。

prose-マイハシ

2012年10月19日 趣味
 分かりやすく書けば、マイ箸、である。
 ひごろから箸袋にいれて持ち歩く人を見かける。
 
 孟宗竹を割って知人が作ってくれた、ものの10分で出来上がった。
 さっそく持ち帰って昼食に使ってみるとなかなか使い勝手がよろしい、小さな豆を掴んでみても滑らない、しかも青い皮の部分を背に残してあるので趣も乙なものである。家で使うマイ箸で愛用したい。

 図にのって家内の分と采箸も製作依頼した。

prose-書道展

2012年10月18日 趣味
 日本の書展 岡山県の書展を見に百貨店へ。
 近在の友人連と時間合わせして落ち合いたまの喫茶。

 しょぼしょぼと ときに雨音はげしく裾をたたき 終日雨天の按配。
 
 

prose-芒ヶ原

2012年10月17日 趣味
2012.10.16 
 旭川と百間川を分ける堤防を散策する。
ここら辺り草と木が生い茂り、草刈の対象外にある河川敷は白い穂をなみうたせるすすきヶ原、つるべ落としの紅い日を浴びて銀色に耀く。
 老夫婦の散歩、大形犬の散歩、若者のジョキングみんなりんごのように染まっている。
 路傍にオオヨウガギクの白い寄り集まりが散見、マルバルコウの小さな紅い花がはにかんでいるように咲いていた。

prose-地下道画廊

2012年10月11日 趣味
 中山下に所用がありバスで市内にでかけた。今日は知事選の公示日、さぞや街宣車が走り廻っているだろうと思っていたがそのようなけん騒はなくて、人の流れの疎らなこと、ウィークデイといいながら不景気は万延して白けた街風情だ。
 国を預かる政治家の責任は大きい、などと嘯いて、用事を済ましたあと駅前に歩いていく。
 JR岡山駅では正面壁に時計のないのが不思議、時刻と直結した公共機関なのに一義的なサービスにことのほか怠慢ではないのか。今はデジタルの世の中、工夫した顔つくりで拠点をアピールしたほうがいい。
 地下に降りグランビアに抜ける地下道で知人が下記のような展示をしているので観賞にいく。
===
佐藤輝夫  絵画展2012 1
1. 期間
2012年8月30日(木) ~ 11月20日(火)
2. 場所
岡山駅南地下道  
岡山一番街ホテルグランビアから岡山市役所方面、旧林原駐車場へ抜ける地下道
===
 著名な版画家(江戸時代)の模作画だがその出来栄えはすこぶる緻密、迫力を覚えた。


 ひさぶりにチャリンコに乗って右往左往したので両足のふくらはぎがパンパンに張った。第二の心臓といわれるふくらはぎ、触るとかたくて痛い、のでもみもみしながら月刊誌を読んで日暮れをむかえた。
 プランター菜園に小松菜が芽をふいた。
 水菜と春菊はまだ地中に眠っている。

prose-在所探訪3

2012年10月7日 趣味
 明治初期から中期にかけて新政府は地方自治を動かして行政区域の編成を繰り返している。
 その土地の研究会が執筆し編んだ風土記冊子は丹念に掘り起こしていた。
 ただ字(あざ)で表示しているので、遺跡をたずねるのに転入した者には土地勘がないので相当の苦労がいる。
 表示されている当地区の首塚6基は5基を探し当て、残る1基を今日みつけた、これで一応完結である。
 新幹線下道路沿いに東西にかけて帯状に設置されていた。
 石塔であったり地蔵の形態をとっているが地元の人の供養が続けられていた。
 大きな宗教ではなく最小単位の集落の人たちが生活に結びついた信仰の対象として祭祀しつづけられたものだと想う。
 

prose-在所探訪2

2012年10月6日 趣味
 歩き回るのにはほどよい天気がつづく。
 鞄と冊子を手にポコポコと歩くのである。
 
 在所史跡の探訪といっても江戸時代のものはそんなに多くはないし総体的に底が浅いような気がする。大川(旭川)以西とくらべて東側は重要視されづに歴史を重ねた形跡で、やはり平安末期~応仁の乱終末期に因んだ風習文化ものが深耕している。守護地頭制度が瓦解して力ある地豪が台頭し過激な覇権あらそいで干戈を交えた戦場だったこの地は、土着した文化物が歴史をこえて今に残っている。
その一つが首塚だろう。
 宇喜田と三村の激闘を物語っている。
 旧い家並みの片隅にそれらは後世の手で石碑とか地蔵になって祀られていた。

 車で近くまでいけば楽にちがいないのだが、土地勘のない路地などの細道を探しながらたどるには二本足が一番、不親切な古地図をみながらではなおさらだ。
 

 
  

prose-在所探訪1

2012年10月4日 趣味
 朝から公民館で地元の研究会が執筆し編んだ資料冊子に目を通した。図書館の検索で行き着いたのがこの公民館の発刊になっていたからだ。まず同じものがあるかどうか、同じ記述箇所になっているかどうかを確認、間違いなしと判り長机に座を取り閲覧の構えにおよんだが、しばらくすると身は正直に腹の虫を鳴かせるものだから、止む無く冊子を購入して館外へ出た。牙を剥かなくなった陽光が里山の緑に溶け込んでいた。

prose-邂逅+検索

2012年10月2日 趣味
県立図書館で調べものをしていると声をかけられた。かって独法で一緒に働いていたY氏でスリムな体格はそのままで額が相当後退していた(人のことはいえないのだが)。館内の喫茶コーナで旧交をあたため歓談に尽きるまじ、近いうちH氏を誘って一杯飲もうという話で別れた。かっての同僚に会えば最後にはこういう話になるのである、がきわめて切実性のないこの類の約束は、実現したためしがない。卓を囲んで雑談に哄笑するのはGU-だが。

 調べものはほかでもない、岡山市のそれも中区内の「首塚」を掌握するためで、戦国世に備中の豪族三村氏と備前の宇喜田氏の覇権争いの激闘をくりかえした備前、特に高屋、赤田、高島、雄町あたりの「首塚」の在所をしらんがためである。戦闘は宇喜田が勝利したものの赤田という在は稲田が真っ赤にそまるほどに両雄が干戈を交えたところ、その史跡というか犠牲者の祭祀されたところを趣味で探訪される人が知人を経由して私に調査依頼が舞い込んだのである。
 頭をひねるほどこの手の知識はなく、電話で知らされた住所とインターネットの情報を基により詳細に得るべく図書館に赴いて職員に検索相談、幾冊の文献から記述されたものを提出してもらい閲覧して少し判りかけてきた。Y氏のアダバイスに感謝。図書館職員に感謝。
 あと発行元を訪問したり地の古老に聞くなりして、できれば具体的な報告になればと想い及ぶのである。
 29日「土曜日」のこと
17号襲来の前兆で空は鉛色、西のはてから黒いもくもくとした雲のわきあがりが見える。里山の稜線は激しい黄砂にみまわれているかのような現象を呈していた。使用していないグラウンドのフェンスはすべてたおされていて風禍対策は万端準備ようであるが、軟式野球、ソフトボール、テニスのコートでは高い黄色い飛び交っている。ホームをばっちり決めこんだ若い男女が跳ねているウォーキングコ-スはいつもより華やかにみえる。

 30日「日曜日」のこと
夜明けから雨音がして濡れた道路を走る車が跳ね音を枕元にとどけてくれる。
台風というのに静かないつもの朝だ。
日曜日だからのんびりしようと思う、サラリーマンを卒業したのだから365日が日曜日みたいな生活していてのに、カレンダーの曜日が週末になればついつい休みだぁと思うのである。企業戦士であくせくしたときの刷り込みは生涯抜けきれないようだ。
午後も果断に降っているものの秋雨のような雨音、木々は揺れているが格段激しいものではない、どちらかといえば身震いしているようなもの。宵口になると晴間になり陽光が射し明るくなった。予報は四国沖を太平洋側北東に渦が進んでいる。今回も岡山は難をのがれたようだ。後楽園のお月見イベントは台風一過で賑わうだろう。
となれば家にじっとしておれない、河川敷のウォークにでかけ後楽園まで往復した。
お月見をすっかり忘れるほど爽快だったのである。


 
 友人は早朝にウォーキングする。
 そのおり百間川の堤に咲く白花の彼岸花をみつけて連絡してくれた。
 午前中、抜け落ちた歯の治療で通院、午後、みつけた本人の案内を乞い現場へ、なるほど叢のなかに白黄色の大ぶりの花冠を4輪咲かせていた。
 近年あちこちに散見するのだが昨年まで見られなかったところに何ゆえ植生したのか、疑問である。
 その足で棚田の彼岸花を写そうと心覚えのある足守の、深い谷間にある集落をさがし近辺をうろうろしたが結局探しあてることができず、道路沿いの小さな谷川に沿う水田の畦に群生する花にあたり撮影して帰路についた。
 秋のつるべ落とし、陽が稜線に沈みあたり一面あかね空に染まったドライブで、バックミラーにうつる顔は赤鬼のようだった。
 美作落合から備中川に沿う313号線をさかのぼる。馴染みのある里山の田園風景なのに何か違うなあと滓の残る気持ちでハンドルをにぎっていた。途中の道の駅で一服しながら目線を泳がしていたら畦の赤い花にきがついた。
 あゝ、これだ!
 彼岸花だ。
 あるところは絨緞のように敷詰められて咲いたいる筈なのに、今年は散見ていどで、おっ、と思うような光景にでく合わせないからだ。
 どうしたのだろう。


prose-秋の節季

2012年9月22日 趣味
 23日は彼岸の中日、仏前に二十世紀梨を供えようと北東部の西粟倉にドライブ。いままで思わなかったのに、ノンストップで片道3時間半、道の駅アワクランドに到着すると目が落ち込むほどの疲労を覚えた。若杉原生林の尾根を踏破し口笛吹いて帰岡、悠々たる気分であったのはも少し若かりしころの生体であったのだと、悔しいけど自覚せざるをえない。
 湯郷を越えると稲はきれいに刈り取られ、粟倉線にはいると稲株に早いものは2番芽を吹かしている。稲刈りまえに草の繁った畦は坊主頭になって彼岸花を早や咲きに散らしていた。鮮やかな群落風景を見たいが今少しまたねばなるまい。
 蕎麦を植えた田は白花を爛漫と咲かせていた。
「さあ美味しいよ、姿といい色といい最高のものをそろえているよ、金持ちはこっちへおいで」
「私は貧乏だけど」
「気持ちは分限者なんだろう、逆わらずにさあさあ買ったかった」
「試食させて」
「いいとも、タモリじじゃねえがな。おじさんは朝から試食用に切って切って切りまくっているんだ、子供にはじゃんじゃん食わせてな、ガキは可愛いもんだぜ」
 結局一箱買っちゃたよ。

prose-シフト

2012年9月19日 趣味
 尖閣列島をめぐる中国内の様子はTV、新聞、雑誌などの報道で逐次わかる。
 表面的にはそうだろうが、裏側の実態がいまひとつわからない。若者主体のデモは沸騰する薬缶のようで暴動そのものに激変、当局が抑制もせず放恣している国家的思惑に異常感をぬぐえないのである。
 あの国の、日本に対するいつもの言動だといってしまえばそれまでだが、一握りの活動家による仕業とはとうてい思えない苦々しさがある。
 一党一主義の専制国家だから大衆が自由にあのような行動をおこせるとは天地ひっくりかえっても思えない。国家機関の煽動が想像できる。
 事あらば民衆を先頭に立たせ弱い敵とみたら覇権手段を選ぶかれらの中華思想は、教育があらたまぬかぎり永遠に変らないだろう。
 日本の企業はあの国の「安心」というスローガンに乗って競って進出、「巨大な消費市場」に目がくらみ円高に背をおされて資本も技術もねこそぎ投下しては恒例の暴動で破壊され挙句にノウハウを吸収されていくのだ。大局的な誘導もできない政府の見透しの甘さ、企業ともどもこのリスクを承知で進出したのだからこれも勘定のうちではないか。
 このさい、海洋侵略国と対峙する南沙諸島の国々との連帯が必要、相手から感謝される相互合掌の経済を投資をするべき。
 

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