亜高山の花を求めて

2008年4月21日
亜高山の花を求めて
 岡山と鳥取をまたぐ山に登山。
 標高は1000mほどの山だが、今も谷間や林床に雪渓を残していた。
 年々登山がでないような体を自覚しながら、休憩を頻繁にとり、山一面に自生しているイワウチワを撮影することであった。
 イワウチワは革質で照葉の葉を持ち、太陽の光を浴びてテカテカ光っていて、花はナイーブ、花弁の縁につく浅いきれこみが絹の襞のように演出して深山の雅を思わせる。
 ピンク色が多いが、赤いのも、白に近いものも自生している。
 崖や傾斜地を好んで繁生するからタイヘンであるが、あせらずに周遊道を見ていれば近接の場所もある。でもそこは人間のさがで手当たり次第にシャッターを切っていく。
 ブナやミズナラの密生地で夏はでかい葉っぱの屋根で鬱蒼と繁にちがいない。亜高山クラスはまだ冬の樹形で梢の蕾が少し赤味を帯びた程度。
 下りにかかる峠で昼食して歩くと、猛爆の音が林間にこだましてきた。向かいの急斜面の山合いに巨大な雪渓があって、そこから融雪の水が大量に下の谷をめがけて落下していた。
 豪快な光景であった。
オレフ句会 吉備路吟行
 外にでて作句するのを[吟行]という。
 吉備路の吉備津彦神社を中心に、それぞれ歩いて句を作る。
 備前と備中との境界線に両国橋があり細谷川が流れている。そこの小高い丘陵に平安時代の貴族でこの地に配流された藤原成親の墓地がある。
 朝廷組織の護衛役であった武士(此の時は平家)が台頭し実権が親権から幕府へ移行していたのを、親権に戻すはたらきが興り、その中枢人物が藤原成親となる。平家によってこの地に流され生涯を終えた。
 かてて加えて古くは吉備津彦の史実、高浜虚子の句碑等、作句の雰囲気は多く漂う。
 青空に鯉幟が泳ぐ清々しい吟行であった。

 画像は吉備津彦神社の鯉のぼり
 毎日新聞社・毎日書道会 主催の[現代書巡回展]岡山展が天神山文科プラザが20日まで開かれている。初日の今日、開展のセレモニーに参加させてもらい観賞してきた。
 評することはとても出来ない素人目に、多岐にわたる作品の網羅は分かる。
 全館使っての展示規模。見ることも心身鍛錬である。
 
 会員・角 洋亭氏が席上揮毫会で[瑞]を揮毫披露された。
 もちろん会員として出展されておられる。
 氏は故郷同窓生である。
 活躍に接して嬉しかった。   
夜桜花見
 旭川の右岸にある宗谷山は、金山に走る道路の途中から私有道路が敷かれていて公園の頂上まで車が入る。
 染井吉野は百本も植栽されていて、市内より遅れて満開。
 日が落ちると枝にわたされたぼんぼりで桜が紅色に浮かび上がる。併せて石楠花が彩りを添えていて花の爛漫だった。
 逐次、暮れなずんでいく市内の眺望を観察しながらバーベキュウを囲み、雅な夜桜花見と洒落て、ひとときを過ごした。

道後温泉行

2008年4月9日
道後温泉行
 讃岐路から松山までのハイウエイ沿いは桜街道で花盛り。桜三里の並木はそれはそれは見事に尽きる。
 川内に[坊ちゃん劇場]なるものができていて観劇した。東北のわらび座が常演していて、演目は[龍馬]。幕末の世界に目を向けた龍馬の薩長連合の立て役を縦糸に夢の実をみることなく中岡慎太郎と一緒に暗殺される。横糸におりょう、佐那、お登勢、西郷隆盛をからめる展開。なかなかの骨太い見応え十分の流れだった。
 なんと、これがミュージカルなのである。
 それもジェームス三木の脚本である。
 構成がしっかりしているはずである。

 絶好の天候は同語温泉に着くと雨天。
 それでも坊ちゃん温泉から商店街、道後温泉駅あたりを撮影徘徊する。カラクリ時計横の足湯に、雨に打たれながら長いこと浸かっていた。坊ちゃん列車も寒そうに雨に濡れていた。
 帰途は矢を突く荒れ模様になった。
 

カタクリ満喫

2008年4月8日
カタクリ満喫
 昨日の余韻で午前中は思わしくない空模様。
 ところが午後は陽光が燦燦と降り気温がドンドン上がる。
 急いでカメラを取りに帰宅して吉備中央町へ走る。今日から春の交通安全週間。よくよく規則を遵守して制限いっぱいのスピードで吉備中央町の自生地に着く。
 セダンの車が2台、6人の男女熟年の人が山すそに屈んで撮影していた。
 カタクリ自生地として地元の老人会が手入れされていて、晩秋に下草を刈り柴を掻いておられるのだろう、落葉樹の林床に目指すカタクリが全開し、いうところのイバナウアでの姿態を、これぞ見よとばかりに迎えてくれたのであった。
 たっぷり撮影してから、21世紀の森の公園に戻り、ハクモクレン、コブシ、シナレンギョの盛り上がった木本の花を収め、予定を終了した。

広島県庄原市

2008年4月2日
広島県庄原市
 黄金色のがく片で華盛りの庄原市に走る。
 ミチノクフクジュソウの里。自生の群生がゆるい傾斜に爛漫と春の陽光を浴びて咲いているのは見事。花屋敷のような風情でもあった。
 他に、紅白のスハマソウ、ではじめのキバナノアマナ、ヤマエンゴサク、カタクリ、挽歌のセリバオウレン、ミヤマカタバミ、ユキワリイチゲ、イワウチワ、フッキソウ、アマナ、ハルトラノオ・・(一部植栽含)。
 これからは、帝釈峡周辺のカルスト大地に山野草がつぎつぎと競って咲くだろう。

 ウグイス通り

2008年3月27日
 ウグイス通り
 山陽町の所用が済んで山裾を歩く。
 予報がよく当たって昼過ぎると陽が翳ってきた。
 シロバナネコノメソウの群生も多くは蕾のまま。
 不知人は見逃すほどの小さな花。
 じっくり見るとネコノメソウにしては一番の特徴ある花をもっている
 。白い花弁は、花弁あらず萼で、透けるような白さは魅惑的であり、オシベの先に付いたマッチ棒のような葯はなんとも可愛い。
 残念ながら全開とはいかなったが、あちこちの藪でウグイスの鳴き声にまとわりつかれて歩いた。

桜開花宣言標準木

2008年3月26日
桜開花宣言標準木
 午前中PC編集で閉じこもって飽きた頃、タイミングよくM氏から後楽園のソメイヨシノ標準木が咲き岡山の開花宣言がでたから、との連絡が入りカメラを持って走った。
 柔らかな春日和、来園客も観光バスがならんで盛況である。
 標準木はツル者の東、土手に植わって中の一本。
 初めて見ることができた。

藪の中

2008年3月22日
藪の中
 旭川は一昨日の降雨で濁水になり水嵩が増していた。ダムの放流があったのではないか。
 川右岸を御津まで走る道路は幅員がないのにスピードを出す車が多い。十分に車寄せをせずに対向してくること車にあうと、冷や冷やものである。
 この道の山裾に一箇所だがユキワリイチゲの群落がある。徐行しないと目に止まらないし、前述のように離合がやっととこなので道路上の停車は避けたほうがいい。膨らみのある待避所に停めててくてく歩くほうが無難。まだ早いがイチリンソウも散在している。
 53号線に呑まれて北上し山野草自生地にたどり着いた。
 車を降りてカメラだけで歩く。まことに長閑である。鶯が、藪の中で鳴き方の調子を盛んに調律している。だいぶ上手に鳴けるようになった。
 遠景の山は霞んでいた。雪折れの孟宗竹が無残に倒れていて。青の残る形は無残だ。
 ユキワリイチゲがどこそことなく咲いていた。
 ヤマネコノメソウもいい色をしている。
 ユリワサビは盛期だ。
 カメラ2機でたっぷり遊んだ。
 もう少ししたらシャガ、アカバナネコノマソウ、イチリンソウが続くだろう。
 
=HPへはタイトル上のHOMEからどうぞ=

書道展

2008年3月19日
 第5回 曾閎会書道展。
 ご案内いただいて足を運んだ。
 会場は天神山分化プラザ。あいにくの雨天。
 駆け込んで受付に、このごろは受付に毛筆署名が多い。専らパソコン愛用なのでボールペンでも上手く書けなくて、毛筆ならなおさらのこと、独特的な筆跡を残して作品を見ていくことであった。
 故郷の同級生・久松岳文氏の作品をしばし観賞する。
 浅学者が批評できる筈もなく、ただ流れるようなひらがな筆跡に感嘆するばかり。
 氏は短歌をよくする。自作かどうか確認していないが歌詞は下記の通りである。

【春の雨一日をふりてくれしのちせきをこえゆく音のやさしさ】

 あたかも今日の日を詠んだような詩であった。

 
 主催は岡山市教育委員会
 現場は津島〜青江線の沿道にあった。
 奈良期から知られている[鹿田荘]という場所。大供周辺区画整理事業に伴い、17年度に調査したところの隣接地を発掘した遺跡の公開説明会である。駐車場がないというので市役所においてテクテク西へ歩いた。途中自転車の女性に尋ねたら、[あそこです、遺跡が出たようですよ]と指をさしてくれた。道路工事のようなゲートが見える。そこが発掘現場だった。現場に立ってみると右に商工会議所が見え、正面にJR瀬戸大橋線の高架が走っていた。
 例によって史跡愛好者が大勢詰め掛けていた。受付で案内のハガキを差し出しA3サイズ裏表の資料を貰う。案内のハガキを持っていくと次回発掘説明会の案内をしてもらえるので好都合だ。

 [荘]とは[荘園]のことで前期戦国時代あたりまでは荘園受領(ずりょう)制度だった。
 [鹿田荘]は中世初期から名が知れていて、[東寺文書]に[鹿田荘は大荘なり]とあるそうだから広大な荘園だったことが分かる。直接の付属は朝廷実権に肉薄していた藤原氏長者だったらしい。郷土史事典(岡山県)には概略記載されていて、それによると年貢の一部は興福寺(奈良)、大原野神社・藤原氏の氏神)に与えられていた古文書があるそうで、大方は藤原氏が独占していたとのこと。そして、世の常、利害による騒乱が起きていた。
 史実を紐解くと興味つきないが、この続きの記述は後日小生の[HP 新おかやま画像ルポ]で紹介したい。

 発掘現場からは、奈良、平安、江戸時代の井戸がそれぞれ現れ、建物立替の柱跡、須恵器や中国渡来の遺物、さらに海が近くまであったので貝塚が数箇所あった。

 帰りは市中散策の態でのんびり市役所まで歩いた。

=HPへはタイトル上のHOMEからどうぞ=
 先に訪れて撮影したものは、パソコンに取り込んでみると今ひとつ妥協のできる画像がないのにがっかりした。
 そこで、今日思い立てば即実行、天候にいささか懸念を残しながら再度カルスト台地にたってみた。
 ユキワリソウは随分カラフルに開花して歓迎してくれた。紅白入り交えていて素晴らしい。芝掻きのおじさんが勤しんでいたものの、あまり不自然にしないでもらいたいと念ずる。
 セリバオウレンは引き続き[好評延長]で爛漫であるが、微妙な部分で衰えが目立つ。
 空は曇天。厚い雲に覆われ、雨足はなくとも涙空。
 懸念が当たり、アズマイチゲはカラカサを窄めてたまま。探しに探して一輪二輪を写す。トラクター運転の老人がわざわざスイッチを切って、
「今日はおえめぇが。昨日くりゃあ、そりゃあ見事に咲いとったのに」
 畑仕事のおばあさんも、
「ほんに気の毒になあ、天気みてきなせえ」
 それでも、零ではなかったから、今年はこれで可としなければなるまい。気難しい花である。
 ユキワリイチゲは感心にも爛漫と咲いていた。

山野草を求めて

2008年3月10日
 深夜の春雷には驚いた。強烈な炸裂音だった。
 愛犬が怖がって鳴き声を挙げて落ち着かない。
 大きな雷鳴は1回だけで、尾を引くように、あるいは手に取るようにしてゴロゴロと遠ざかっていった。
 
 余韻の雨を懸念したが、出発するときは快晴の青空がのぞいた。春が、幕を切って躍り出たのである。
 県中央部へ急いだ。
 カルスト台地は林間に根雪が見られた。存外気温が上がっていない証拠だが、季節も季節、陽気も陽気、草本の体内時計もそう狂うはずがないと読んでひたすら走る。
 豊永のセツブンソウ自生地を覗いてみた。此処は他と違う品種かと思うほど全体にひよわな印象を受けるのだが、通常薄紫のシベが黄色のものを多生している。それを確認して、草間に走る。
 草間に異変がおきていた。赤白の、可愛いユキワリソウの群落咲きがない。ところどころ咲いてはいるが、例年の開花状況を見ているので、とてもこれで咲いているとは言いがたい。
 大幅に遅れているのだ。
 セリバオゥレンは見事に咲いていた。
 再び豊永に戻り、前記とは別のセツブンソウに立ち寄り、最盛期の立ち姿をみせてもらった。接写ロケーションにはお気に入りの自生地。
 一番の目的、アズマイチゲ。今にも開花しそうなガクが、それこそ唐傘をすぼめたように群落していたものの、気温が今ひとつ上がらないのか、風がやや冷たいのか、待てども開かなかった。あと一週間の待ち草だろう。
 高梁まで帰り、ユキワリイチゲを観察した。
 これは見事に開花して梅林の下を薄紫色に染め上げていた。

 かってのデーターが参考にならない現象を一日で再確認することであった。
 パソコンのトラブル解消にようやくメドがたったとき、岡山空港でイベントがあるという誘いの乗って一緒に午後でかけた。
 空港貨物の駐車場からてくてく歩いてターミナルにつくと、広場ではテント店舗が並んで各拠点地の名産名物の販売があった。新庄村の店舗ではペッタンと餅つきをやっていて、お馴染みの人が参加していないかつぶさに眺めたがおられなかった。それにしても新庄村の[ひめのもち]は名高い名物だ。
 ターミナル東の倉庫を開け放した空間では多分中国だろう(?)、ペアーの曲芸が喝采を受けていた。カンプウの武器舞踊(良く分からないがそう見える)が終わって、女性の、高い一輪車に乗った曲芸が始まった。狭い舞台で巧みに一輪車を操るのには驚嘆がが、かてて加えて足甲に乗せた金属製の食器を次々とはねては頭上に重ねていく芸には、中国ならではの修練を感じさせられる。
 しかし、鉄骨、スレートになにも飾らない倉庫そのまんまの舞台装置はいただけない。催事効果の半減である。芸人にたいても失礼ではないか。
 続いて[うらじゃ]の踊りだ。[飛舞人]という団体。動きが早くてそれを活かそうと思ってコンパクトカメラを構えたが見事失敗。ピントが別のところにいってしまった、
 すべて終演際だったから混雑はなかったが、それでも駅前の繁華街を凌ぐ人出。空港での催事だから隣国の人も多い。欧州や米国の人は少ない。3000メートルの滑走路に恥じぬ広義の国際空港にトライして欲しい。
 混雑に紛れて旧知の人の横顔をみた。公共混雑の場でも知人に出会うことはあまりないのだが、お会いして元気を確認するとことのほかなによりの感慨である。
 (画像は画像掲示板にて)

お雛まつり

2008年3月3日
 お雛まつりも3月3日が本番。
 後楽園に足を運んでみた。
 通常日なので観光バスもいなくて意外に閑散。
 延養亭が開放されていて出入り自由。
 広間の周囲に数々のお雛さまが飾られている。
 中央の毛氈の上には、投扇興の遊び支度が並んでいる。
 能舞台にも七段飾りが二対飾られていた。
 雅な趣を堪能して辞した。
 
 本丸下の段、かってテニスコートがあった広場の一番東が今回発掘調査した場所。それ以前は旧制中学の寄宿舎があったそうだ。発掘は今年度から4年をかけて行うとのこと。
 1700年(元禄13年)に作成された[御城内御絵図]に拠るところの築構が、試掘したときに見られたそうで、これが今回の本格的発掘の実施につながった。
 調査が一段落したので公開現場説明が行われ、おっとり刀でかけつけた。
 現れたのは蔵、役宅住居が主体で、これに関わる井戸、手水受けの排水路、曲輪等である。
 これらの建物の礎石が見事に並んでいた。しかもいずれの礎石や平面が2段になっていて、宇喜多秀家時代から池田前期において建替えられたことを示すそうだ。蔵は鉄砲や火薬貯蔵に用い、役宅跡に東西に突き出た礎石は出入り口にあたり、便所の使用後の手洗い水を受ける瓦を縦に埋められた箇所、曲輪の無数の柱穴も頻繁に建替えた跡と想う。すべて[絵図]上で推察した通りの遺構だそうで、新しく出てきたのは、蔵の南西角の地鎮祭を行った素焼き壷の位置、そして曲輪の南に虎口と呼ばれる外からの出入り口、つまり城へ通じる南門に価するもの。宇喜多か池田前期かは不明だそうで、ここから権(竿秤のおもり)、宇喜多五三桐紋の瓦片、池田揚羽蝶紋瓦片、鯱片、硯などが発掘された。これらはいわば先の戦災後、整地のときの捨て場にあてられたようだ。
 鯱瓦片には金を施した痕跡が伺える。
 東南にある井戸は石組みで現時点の発掘は4・5mで、さらに深く、下になるほどに膨らみ、フラスコ状とのこと、中から出てきたものを推測して、明治まで延々使用の跡が見られるとのこと。
 この先発掘域が広げられるだろう。

 思いがけづ旧知の小橋氏に出会うことができた。

 画像ルポは後日[新おかやま画像ルポ]に掲載したい。

国分寺と足守

2008年2月29日
 小春日和。じっとしておれない。早々に用事を済ませて車を走らせる。
 国分寺の菜の花はまだ健在。一人の老人が菜の花畑に三脚構えての長期戦。隣に位置して五重塔を出来るだけ黒いシルエットになるようにセットして撮影。
 茣蓙を敷いて弁当を広げておられるグループがチラホラ。

 足守に走る。
 しばらくぶりなので町並みがずいぶん整備されていたのには驚き。道沿いの千本格子、切子格子窓の旧家をみながら散策、町の西よりにお雛の展示が目立つ。面白いと感じたのは竹細工に小さな雄雛雌雛を入れて旧家の格子に飾ったもの。
 しばらくこの撮影に没頭して歩き廻った。
 スーパーのおばさんと雑談しながら休憩。
 侍屋敷、陣屋跡、木下利玄成果、近水園、緒方洪庵誕生地、大光寺と歩いた。
 相当の歩数で万歩計は15000歩をオーバー。
 甘酒を飲んで終わりにした。
 詳細は、山野草探訪撮NOー134をご覧ください。番外編で掲載しています。

笑顔

2008年2月28日コメント (2)
 現役をやめて健康保険は組合保険の任意継続できた。
 それもこの3月末日で無効になるので、空白期間ができたら困る。国民健康保険に切り替えるべく市役所に相談に行ってきた。
 過去経過に不遜がないのでいままでの証書を提出すれば、新しい証書は2〜3日後には送付できるという、ただし21日以後に手続においでくださいとのこと。
 笑顔で教えていただいた。気分がいい。
 過去に他の件で別窓口に再三相談していたがこういう応対ではなかったと思う。
 最近の時勢でとは思いたくないが、年月が経てもこういう応対でお願いしたいものだ。

 午前中は小春日和だったが、午後は一転曇り空。
 移り気の多い気候だ。
 3月の句会に出す作句を捻る。
 毎度のことで句が浮ばない。また、直前にばたばた数だけを整えて提出することになる気配濃厚。
 だから駄作ばかり、と自戒しいさめられる。

セツブンソウ探訪撮

2008年2月17日
 岡山市郊外の梅林にセツブンソウを撮りに走る。
 県中央部の群落地に行ければ最高だが、この大雪注意報では億劫であるし、先の積雪が残っているような気がする。時期柄、或る程度は開花していると推測、たdし可愛そうに雪の下になっているだろう。
 両側から山が迫る谷の北斜面に広がる梅林下は見事に咲いていた。雪は見なかったし狭い山合いなので降雪が少ないのかもしれない。それでも雪の重さに虐げられた痕跡は見られて素直に伸びていない。折から僅かだが北風に乗って小雪が舞いだした、
 待ちわびた山野草だった。十分に枚数は重ねて撮影できた。

 宗谷山公園で紅梅を愛でる。
 春あたたかになれば気持が広がる公園だ。
 

< 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 >

 
SU

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