[マックの行こう会]
2007年7月29日 会長夫妻、社長、小生と県北へドライブ旅行。181号線新庄から野土呂トンネルを経て蒜山に。大山、蒜山三座が眺められる絶好の三平山へ行ったがあいにくのガスに覆われて稜線が見えない。
それでも雨はあわずに済んだ。
小生と社長は湿原でカメラのシャッターを押した。オオバギボウシ、クサレダマ、ゲンノシヨウコ、カワラナデシコ、チゴザサ、キツネノカミソリ、オモナエシ、ハギが見られる。早くも夏秋花の端境期であった。
昆虫を追いかけて叢に埋まれる。
蒜山の気温は30度、岡山市内はゆうに35度を越えているだろうと推察していたら、帰岡後確認そたら35,5度。
5度の気温差は大きいのを実感した一日だった。
それでも雨はあわずに済んだ。
小生と社長は湿原でカメラのシャッターを押した。オオバギボウシ、クサレダマ、ゲンノシヨウコ、カワラナデシコ、チゴザサ、キツネノカミソリ、オモナエシ、ハギが見られる。早くも夏秋花の端境期であった。
昆虫を追いかけて叢に埋まれる。
蒜山の気温は30度、岡山市内はゆうに35度を越えているだろうと推察していたら、帰岡後確認そたら35,5度。
5度の気温差は大きいのを実感した一日だった。
取材行
2007年7月25日 書家、画家、詩人の多岐にわたる文化人・清水比庵の生誕地・高梁市に行く。市総合文化会館内にある記念室に入り、氏の書画詩文に触れた。
職員に説明を受けて松蓮寺にある歌碑を見に行く。
すり鉢の底にある土地柄、曲折する街を縫い歩くと、地から燃え上がる灼熱の中はくらくらめまいがするような疲労を覚えた。
水分補給すべきだが工事中の経路に自動販売機はいっさい見受けられない。困った困ったと思いつつ、寅さんロケで有名な薬師寺(此処には次姉が埋葬されている)の隣に接する真言宗松蓮寺の石段を上り、境内の歌碑を見る。城下を見渡す高台にある寺だから望景はバツグン。いつならくまなく見て周り寺の人に話を聞くのであるが、いささか渇水にあるので人気のない寺を辞する。
総合文化会館の駐車場近くまで帰ると自動販売機があり緑茶を嚥下して落ち着く。文化会館の職員に挨拶をして鍛冶町の親戚宅に立ち寄り自転車を借りて比庵生家の弓之町を探訪したがそれらしき遺跡はなかった。車両一台の幅員で左右に軒を寄せ合う通りに行き交う人もいないので尋ねるわけにもいかない。
親戚宅を辞して、臥牛山松山城の麓に歌碑があるというので紺屋川を渡り頼久寺の前を通過して小松山に車を走らす。
したが、駐車場あたりまで探索したが見届けることができなかった。天守閣のある頂上までは15分程度の登山だが、相当の斜度急坂なのを知っているのでその気はさらさらない。
車道の北側に昔ながらの登山道がある。国道180号線にあった野猿の自然公園が登山口になっている途であるが、少年のころ姉の婚家に来て、義兄の桐の下駄を履いて登山往復した記憶がある。大石内蔵助が城預かりに登ったときに腰を降ろしたという岩がある。それはともかく下山すると、下駄の歯がちびてなくなっていたのには驚いた。亡姉にこってり絞られたのはいううまでもない。よほど印象に残っていたのか後々に【兵どもの夢の跡】という一文を雑誌に載せた。
吉備高原の鳴滝まで帰り、チョウの撮影しようと歩き回っていると、空がにわか掻き曇り稲妻雷鳴とどろき、バケツをひっくり返した降雨に遭う。
全身ずぶぬれ。ただしカメラは衣服の下に隠したので濡らさずに済んだ。
職員に説明を受けて松蓮寺にある歌碑を見に行く。
すり鉢の底にある土地柄、曲折する街を縫い歩くと、地から燃え上がる灼熱の中はくらくらめまいがするような疲労を覚えた。
水分補給すべきだが工事中の経路に自動販売機はいっさい見受けられない。困った困ったと思いつつ、寅さんロケで有名な薬師寺(此処には次姉が埋葬されている)の隣に接する真言宗松蓮寺の石段を上り、境内の歌碑を見る。城下を見渡す高台にある寺だから望景はバツグン。いつならくまなく見て周り寺の人に話を聞くのであるが、いささか渇水にあるので人気のない寺を辞する。
総合文化会館の駐車場近くまで帰ると自動販売機があり緑茶を嚥下して落ち着く。文化会館の職員に挨拶をして鍛冶町の親戚宅に立ち寄り自転車を借りて比庵生家の弓之町を探訪したがそれらしき遺跡はなかった。車両一台の幅員で左右に軒を寄せ合う通りに行き交う人もいないので尋ねるわけにもいかない。
親戚宅を辞して、臥牛山松山城の麓に歌碑があるというので紺屋川を渡り頼久寺の前を通過して小松山に車を走らす。
したが、駐車場あたりまで探索したが見届けることができなかった。天守閣のある頂上までは15分程度の登山だが、相当の斜度急坂なのを知っているのでその気はさらさらない。
車道の北側に昔ながらの登山道がある。国道180号線にあった野猿の自然公園が登山口になっている途であるが、少年のころ姉の婚家に来て、義兄の桐の下駄を履いて登山往復した記憶がある。大石内蔵助が城預かりに登ったときに腰を降ろしたという岩がある。それはともかく下山すると、下駄の歯がちびてなくなっていたのには驚いた。亡姉にこってり絞られたのはいううまでもない。よほど印象に残っていたのか後々に【兵どもの夢の跡】という一文を雑誌に載せた。
吉備高原の鳴滝まで帰り、チョウの撮影しようと歩き回っていると、空がにわか掻き曇り稲妻雷鳴とどろき、バケツをひっくり返した降雨に遭う。
全身ずぶぬれ。ただしカメラは衣服の下に隠したので濡らさずに済んだ。
梅雨明け
2007年7月24日 通勤途上に東川原のけやき通りは蝉しぐれというより、蝉シャワーである。窓を開放して朝の風を受けるのはなんともいえない涼感があり、蝉シャワー(アブラゼミ)の、ザワザワかシャワシャワかよく分からない旋律も爽やかに聞こえるから不思議だ。
午後3時過ぎに通過するときはそうはいかない。
多湿で上昇した気温に汗が伝わってうだっているうえに、蝉シャワーのふきこみを浴びると、油汗が、ドッと吹き出る思いがする。
百間川の河川敷でバッタやチョウを追う。
体が温もって彼らは一番活発な時間。
飛び足、跳び足・・・、についていけない。
昆虫探訪撮は早朝や雨上がりに限る。
午後3時過ぎに通過するときはそうはいかない。
多湿で上昇した気温に汗が伝わってうだっているうえに、蝉シャワーのふきこみを浴びると、油汗が、ドッと吹き出る思いがする。
百間川の河川敷でバッタやチョウを追う。
体が温もって彼らは一番活発な時間。
飛び足、跳び足・・・、についていけない。
昆虫探訪撮は早朝や雨上がりに限る。
昆虫探訪撮
2007年7月21日 昆虫の顔は感動ものである。
レンズでとらえると固有の面相の迫力、そして精緻な造り、なにかを訴えている表情、その息使いがぐんぐん迫ってくるのだ。
普段、全体像はみえていても、ここまでは分からなかったというのが実感だ。
【画像掲示板に掲載】
レンズでとらえると固有の面相の迫力、そして精緻な造り、なにかを訴えている表情、その息使いがぐんぐん迫ってくるのだ。
普段、全体像はみえていても、ここまでは分からなかったというのが実感だ。
【画像掲示板に掲載】
例会
2007年7月16日 蒜山湿地へ。
地形上、あちこちに現存しているので雨中の湿地巡りとなった
。シモツケソウ、チダケサシ、クサレダマが盛期。周辺にネムノキ、ヤジノホトトギスが天と地で花を咲かせていた。
以前の手製レンズは卒業して特製レンズを初めて使ってみた。
結果、ほぼ目標に近づいた画像が得られそう。あとは研鑽のみ。
地形上、あちこちに現存しているので雨中の湿地巡りとなった
。シモツケソウ、チダケサシ、クサレダマが盛期。周辺にネムノキ、ヤジノホトトギスが天と地で花を咲かせていた。
以前の手製レンズは卒業して特製レンズを初めて使ってみた。
結果、ほぼ目標に近づいた画像が得られそう。あとは研鑽のみ。
台風一過
2007年7月15日 台風4号、7月では史上初めての【最強】台風だそうだ。庭の小物をかたずけて早々に就寝、ラジオを聴いているうち記憶中止。それでも風のうなりに幾度か目がさめるであるが。
早朝に台風一過の陽が射していた。
屋外に出て点検。自転車、植木鉢が倒れていた以外に家屋の外傷はなし。風雨にさらされて黒く滲んだあらゆる建造物や樹木に曙が降りかかる。
道筋を眺めて新幹線下まで歩いてみたがポリ類の容器が転がっている以外にどこも被害はなさそう。マックは植木鉢の植木が一本被害がありそう。
先ずは安堵のアサ〜、だ。
現在中部関東へ影響が出始めているようだ。
下記の新聞公表数値のうち、雨量の数値を6時間で除算してみたら時間あたりの危険雨量・50ミリに対する度合いが分かる。
風台風の特徴だ。
最大瞬間風速 雨量【12日午後〜24時】
岡山市 27メートル【23時9分】 87ミリ
高松市 20.9 【22時40分】 94ミリ
福山市 20.1 【20時12分】 65ミリ
瀬戸内市 158ミリ
和気町 150ミリ
上斎原 147ミリ
早朝に台風一過の陽が射していた。
屋外に出て点検。自転車、植木鉢が倒れていた以外に家屋の外傷はなし。風雨にさらされて黒く滲んだあらゆる建造物や樹木に曙が降りかかる。
道筋を眺めて新幹線下まで歩いてみたがポリ類の容器が転がっている以外にどこも被害はなさそう。マックは植木鉢の植木が一本被害がありそう。
先ずは安堵のアサ〜、だ。
現在中部関東へ影響が出始めているようだ。
下記の新聞公表数値のうち、雨量の数値を6時間で除算してみたら時間あたりの危険雨量・50ミリに対する度合いが分かる。
風台風の特徴だ。
最大瞬間風速 雨量【12日午後〜24時】
岡山市 27メートル【23時9分】 87ミリ
高松市 20.9 【22時40分】 94ミリ
福山市 20.1 【20時12分】 65ミリ
瀬戸内市 158ミリ
和気町 150ミリ
上斎原 147ミリ
新庄散策会参加
2007年7月7日 新庄村の自然保護に活動されているボランティア団体の企画による[新庄散策会]が開催された。当方も例会を兼ねて参会。山野草探訪撮大好き、新庄村大好きなのでなのをおいても駆けつける。
前日までの荒天気で100%雨にたらられると予測して対策万全。
ところが現地では次第に曇りから午後には木漏れ日の林床を歩くほどに晴天になった。
一番に悔いたのは愛機の一眼レフを雨に濡らしたら大変とばかり、コンパクトカメラを持っていって得心できる画像が得られなかったことだ。
ボランティアの皆さんはご親切に対応していただいて大満足で帰岡できた。
また、秋には同じような会を開催していただきたいと切に思った。
前日までの荒天気で100%雨にたらられると予測して対策万全。
ところが現地では次第に曇りから午後には木漏れ日の林床を歩くほどに晴天になった。
一番に悔いたのは愛機の一眼レフを雨に濡らしたら大変とばかり、コンパクトカメラを持っていって得心できる画像が得られなかったことだ。
ボランティアの皆さんはご親切に対応していただいて大満足で帰岡できた。
また、秋には同じような会を開催していただきたいと切に思った。
侮るべからず梅雨
2007年7月4日 空梅雨と達観していたら梅雨前線が居座り気圧の影響を受けて激しい雨足の連日であった。梅雨という趣のある雨脚ではなく夏の夕立の勢いがあった。
緩んだ土砂が山道に崩壊しなければいいがと案ずることである。もともと他の地域に比べれば天変の被害が少ない位置にある圏域で[晴れの国]をスローガンにしている県のせいか、刻々と報じられる天気予報に破天荒の気配がないのは幸いである。
屋内に閉じ込められた毎日であったが消化しなくてはならないPCによう集計業務には没頭できた。
上顎奥歯の揺れが大きくなってそれなりに舌で遊んでいたが起床時に痛くなって雨を突いてかかり付けのクレド内の歯科医へ。
抜歯という字面からは恐怖以外なににもないのだが、痛い麻酔のあとは[バリッ]という衝撃を体感したら[アッ]っとの間に抜き去られた。
記念に持って還られますか?と聞かれた。
「長年連れ添った歯ですから」といわれても、金やダイヤモンドならいざ知らず・・・。
緩んだ土砂が山道に崩壊しなければいいがと案ずることである。もともと他の地域に比べれば天変の被害が少ない位置にある圏域で[晴れの国]をスローガンにしている県のせいか、刻々と報じられる天気予報に破天荒の気配がないのは幸いである。
屋内に閉じ込められた毎日であったが消化しなくてはならないPCによう集計業務には没頭できた。
上顎奥歯の揺れが大きくなってそれなりに舌で遊んでいたが起床時に痛くなって雨を突いてかかり付けのクレド内の歯科医へ。
抜歯という字面からは恐怖以外なににもないのだが、痛い麻酔のあとは[バリッ]という衝撃を体感したら[アッ]っとの間に抜き去られた。
記念に持って還られますか?と聞かれた。
「長年連れ添った歯ですから」といわれても、金やダイヤモンドならいざ知らず・・・。
満奇洞
2007年7月1日 マック夫妻、お孫さんの車に同乗して満奇洞に。併せて草間の蕎麦賞味も目的。
蕎麦どころなので食味は好評だった。
満奇洞は県下ある内でも規模は小さくとも神秘性は随一と思っている。かてて加えて入場料も随一。
昔々猟師が発見したそうで元の命名は[槙の穴]。
歌人の与謝野鉄幹、晶子が訪れていて、晶子が[奇に満ちた洞]と詠んだところから[満奇洞]となったらしい。
洞内でいろいろな設定で撮影を試みたが、三脚の持込を忘れてお気に入り画像にならなかった。途中腰を屈めて前進するところがあり腰を伸ばすたびに幾度となく頭を打つ。
何十年ぶりの洞穴見学を楽しんだ。
蕎麦どころなので食味は好評だった。
満奇洞は県下ある内でも規模は小さくとも神秘性は随一と思っている。かてて加えて入場料も随一。
昔々猟師が発見したそうで元の命名は[槙の穴]。
歌人の与謝野鉄幹、晶子が訪れていて、晶子が[奇に満ちた洞]と詠んだところから[満奇洞]となったらしい。
洞内でいろいろな設定で撮影を試みたが、三脚の持込を忘れてお気に入り画像にならなかった。途中腰を屈めて前進するところがあり腰を伸ばすたびに幾度となく頭を打つ。
何十年ぶりの洞穴見学を楽しんだ。
宵を待つのは
2007年6月20日 スズサイコの開花は陽が落ちると始まる。自生地に到着したときはガクや花冠は硬く閉じたままであったが、貝が口を開くように、又は高速度カメラの映像みたいに次々開いていくのである。
山間の休耕田に沿う則面だから他の野草も伸び放題に伸びた中に見つけることができる。耕作されていたなら、この田植え時期は刈り払いされて見られなかっただろう。
待宵草ばかりが[マツ]じゃなくて、スズサイコもマツヨイグサ。
山間の休耕田に沿う則面だから他の野草も伸び放題に伸びた中に見つけることができる。耕作されていたなら、この田植え時期は刈り払いされて見られなかっただろう。
待宵草ばかりが[マツ]じゃなくて、スズサイコもマツヨイグサ。
高原は花盛り
2007年6月10日 吉備高原へ。
ササユリ、ヤマタツナミソウ、ホナガタツナミソウ、ハンカイソウ、アリドウシ、ソライトソウ等等の取材。
ササユリとシライトソウを絡めての創作を企画中。
ササユリ、ヤマタツナミソウ、ホナガタツナミソウ、ハンカイソウ、アリドウシ、ソライトソウ等等の取材。
ササユリとシライトソウを絡めての創作を企画中。
シライトソウに逢いたくて
2007年6月4日 半日の予定で出かける。
芳賀でマンテマ、イヌナデシコ、ノハラナデシコ、ムシトリナデシコ、山上でレンリソウを撮影。
目的の吉備高原で期待どうりのシライトソウ大群落の中を歩く。日差しが届かない雑木林の林床は湿気が充ち全身汗でびっしょり。
芳賀でマンテマ、イヌナデシコ、ノハラナデシコ、ムシトリナデシコ、山上でレンリソウを撮影。
目的の吉備高原で期待どうりのシライトソウ大群落の中を歩く。日差しが届かない雑木林の林床は湿気が充ち全身汗でびっしょり。
サイキダ山
2007年6月2日 新庄村の朝鍋鷲ヶ山へ登る。この山は山野草探訪撮流に言うと[サイキダ山]なのである。
サは、サンインシロカネソウ
イは、イワカガミ
キは、キクザキイチゲ
ダは、ダイセンキスミレ
今回はこれにアカモノが加わった。
もちろん、これ以外の野草が豊富に見られる山である。
探訪撮120では[サイキダ山]で企画更新したい。
サは、サンインシロカネソウ
イは、イワカガミ
キは、キクザキイチゲ
ダは、ダイセンキスミレ
今回はこれにアカモノが加わった。
もちろん、これ以外の野草が豊富に見られる山である。
探訪撮120では[サイキダ山]で企画更新したい。
つれづれに
2007年5月30日 わがHPのアクセスカウント25000人目の連絡があった。5000ごとのささやかな記念事だがこれも一つの節目、今後も精励したい気持ちのスタートとしている。
HPの構成スタイルも随分変えてきた。あれこれ考えているのも面白いし、自我のことなので即実行できるのが一番楽しい。
そうはいいながら[山野草事典]がいぜん未完成で編集途上で遅々としている。今,[ち]箇所で足踏み状態。早く完成させて肩の荷を降ろしたいのは重々なのだが、[山は呼んでいる]し、隠れ郷土史も取材したいしと、思いは千里を走るばかり。
しかしなにごとも自己のペースから逸脱せずに歩みたい。
水曜日は所要を片付ける日。あいにくの天気だが[山]にいきたい気分になれない天候がいい。たまった用事をさばくのには絶好である。
所要の合間に一冊のPHP新書を読了した。
鈴木眞哉著[戦国時代の大誤解]という本である。
小生も歴史好きだがTVの時代劇や歴史ドラマはほとんど見ない。疑問だらけの時代考証では漫画以下と思っているので、この本を読んだらおもわず喝采した。
フィックション考証ならそれと表示すればいい。それをしないから若い多くの人は史実と習うのだ。
人間のやることはTVドラマほど格好よくはない。
しかし、ドロドロしい映像であれば視聴率という化物に勝てないのも事実だろう。だから自己判断で見ないのに越したことはない。
HPの構成スタイルも随分変えてきた。あれこれ考えているのも面白いし、自我のことなので即実行できるのが一番楽しい。
そうはいいながら[山野草事典]がいぜん未完成で編集途上で遅々としている。今,[ち]箇所で足踏み状態。早く完成させて肩の荷を降ろしたいのは重々なのだが、[山は呼んでいる]し、隠れ郷土史も取材したいしと、思いは千里を走るばかり。
しかしなにごとも自己のペースから逸脱せずに歩みたい。
水曜日は所要を片付ける日。あいにくの天気だが[山]にいきたい気分になれない天候がいい。たまった用事をさばくのには絶好である。
所要の合間に一冊のPHP新書を読了した。
鈴木眞哉著[戦国時代の大誤解]という本である。
小生も歴史好きだがTVの時代劇や歴史ドラマはほとんど見ない。疑問だらけの時代考証では漫画以下と思っているので、この本を読んだらおもわず喝采した。
フィックション考証ならそれと表示すればいい。それをしないから若い多くの人は史実と習うのだ。
人間のやることはTVドラマほど格好よくはない。
しかし、ドロドロしい映像であれば視聴率という化物に勝てないのも事実だろう。だから自己判断で見ないのに越したことはない。