園内から旭川に放流する導水管の取替え工事をする機に、江戸時代の技法を解明する発掘調査が行われていたが、この15,16,17日に公開 現場説明会が行われることになった。
 初日に参加させてもらった。報道では80人の参加があったらしい。過日の吉備津神社改築にも行ってきました、と言われた方が多い。遺跡史跡ファンの迫力である。
 旭川からとり入れられた水は園内を巡り最終には花交の池に集まる。この池から旭川に戻す排水口が池尻の堤防下に江戸時代に造られたままのが今に見られた。
 木製の排水施設は緻密に計算されたものであった。
 

 岡山博物館に立ち寄り、[朝鮮通信使と岡山]展を観る。

 百間川の史跡(古代橋つ竪穴住居群)を夕焼けに染まって撮影。

備前車塚古墳

2008年2月14日
 岡山市四御神の小高い山の頂上にある。
 地元の連合町内会で登山道は整備されていて、強い斜度に息をはずませながら探訪撮してきた。
 縦穴式前方バチ型後方墳というのが名称だ。
 
 竜之口南麓には故事史跡が集散している。
 探訪撮をかさねていつか[新おかやま画像ルポ]に編集する予定。

但馬の空の下

2008年2月12日
 今年のカニ喰い小旅行は2度目。
 お誘いを受けて同好の士4人でツアーに組み込まれる。
 4人とも年金生活、たまにつつましい生活の垢を落とすのには手ごろの旅行だった。
 山陽道から播但道へ入り和田山で高速はドン詰り。豊岡を走っているとき上空を大形の鳥が飛翔。コウノトリだ。リュックのカメラを取り出す間がなく撮影を逸した。田園に小粒ほどの鳥影が複数羽、車窓に見え多くのカメラマンが望遠を並べている。
 奥城崎温泉は城崎温泉の北、海際にある。地図には奥城崎という地名はない。シーサイドホテルのカニづくし昼食には大満足。
 ドンとみそと身がギッシリ詰まった茹でカニ、カニ刺、焼きカニ、カニ茶碗蒸し、カニコラッケ、カニ鍋のカニ雑炊・・・、最後まで食べきれない。そして温泉入浴までついていた。
 これは来季も見逃す手はないと思った。

オレフ句会

2008年2月10日
 2月例会に出席。
 近日になって慌て作句する不勉強では駄作は当然、と自覚している。月を重ねるほどに恥の上塗り。知れば知るほど壁にはね返される。難しい世界だ。一重は才能による、と思う。
 

度重なる積雪

2008年2月9日
 予報通り、一夜明けると雪冠り。
 淡い牡丹雪が舞うように降り込み、視界は白一色になる。
 しかし春の雪、木に載り地に落ちては忽ち溶けて仕舞う。
 カメラ下げて庭にでてもこれという光景がさだまらぬ。
 嬌声挙げて子等が遊ぶ。
 知己の人からの上等の酒粕が届き、甘酒を拵え風流に雪見と洒落る。

===そこで駄作一句===
  児走りの傘に重たき牡丹雪
 
 芝焼きの跡の[末黒]状態を見に後楽園へ行く。
 当日の悪天候の勢かよく燃えていなくて斑模様の末黒。今年は良くなかった。やがて小雨にたたられる。
 ひっきりなしでやってくる観光バスのお客さんには生憎の天候。傘をさして眺めるのは楽しみ半減だろう。

後楽園芝焼き

2008年2月1日
 恒例の芝焼きに出かけた。
 今年はあいにくの小雨が混じってか燎火のように広がるおともなく、そのうえ無風状態で煙の美が見られなかった。
 オレフ句会の難波さんがすぐ後におられたのでびっくりした。
 焼いたあとの光景を俳句では「末黒」といい季題になるそうだ。
 芝焼きは早目にあきらめて梅林の方へ行ったが、ちらほら開花見られるものの大方は固い蕾。ソシンロウバイだけが華やかに咲いていた。

半田山植物園

2008年1月10日
 冬晴れの一日、週末は悪天候の予報なので半田山にでかけた。多くはないが三々五々、カメラを持った男女が歩いていた。
 ロウバイ、シナマンサク、アメリカマンサク、ジュウガツサクラ、ソシンロウバイ、ボケ、サザンカ、ヒナゲシ、セイヨウタンポポ、ニホンズイセンが咲いていた。栽培種の草花はもちろん温室の中はサボテンが咲いている。
 頂上の古墳まで登ると心地よい汗を覚える。
 市街の景観は春の靄がかかっていて、日当たりのいいベンチで弁当をひろげられる天気だった。

根雨宿界隈

2008年1月6日
 四十曲峠を越えると鳥取県日野町に入る。旧出雲街道と交差しながら国道181号線を根雨宿目指して走る。
 両側に切り立つ山合いの底に山村が張り付いているのが見えてくると、左手に金持神社の幟がはためいていた。国道沿いに売店ができ駐車場もあって三々五々参詣の人が、絶えぬ程度に参道をにぎわせていた。
 眞に縁起のいい、神頼みでも願ったり叶ったりの神社である。
 ついでにといったらご加護もなんもないだろうが、わずかな金運でもいとわないので参ることにした。ジャンボ宝くじがオールパスしたあとだからいささか熱気がないのだ。抽選前に参拝してお払いでも受ければよかったかもしれない。残っているのは年賀ハガキの特等当選である。
 年末に降った雪の層は30cmほど。一面白銀の世界。ざらめのような残雪。鳥居前の手水の柄杓にはつららが下がっていて知面は凍てつき変な歩き方をすると滑って転ぶこと間違いなし。ハイヒールの女性は空を泳ぐがごときおっかなびっくり腰でとても見られたもんじゃない。
 石段を昇るとこじんまりした拝殿本殿があり、善男善女が神妙に他の神社以上に長い祈念をしていた。
 周囲にぶら下がった幾層の奉納絵馬を見て回ると、[1億円が当たりますように][一生お金に困りませんように]の文面が圧倒的に多く、[家内安全][健康祈願]は隅に押しやられている。
 この神社特有の願掛けとみた。
 集落の名前が[金持]である。地名をかぶせた[金持某]という国人が台頭した由、呼び名は[かねもち]ではなく[かもち]であることは、黄金ではなく室町時代はそれ以上に貴重な[鉄]であってここら一帯に[たたら]跡の存在が、その名の由緒をうらずけている。
 八転びして金の名称になったのだと思う。

 国道180号線と合流する地点から下がったところ根雨宿の中心町がある。伯備線が頭上を走る日野川の右岸に[おしどり]観察小屋]が設けられていた。
 どんぐりや古米などで餌付けされたおしどりは朝8時ごろ撒き餌を食べ昇陽とともに近くの鵜ノ池に飛び人気のない陰に隠れているらしい。夕方吉野川に帰ってきて朝を摂るとのこと。天気のいい今日のような日はなかなか帰ってこない、と監視人がのたまう。観察小屋の望遠鏡で覗くとはるか対岸の浅瀬に居残り組が遊んでいた。肉眼ではまさに点で、望遠鏡にカメラをくっけて撮影したのがトップ写真の上一枚で、あとは編集時のパソコンの機能で大きくしたものである。
 全羽は2000羽、日本に居残り繁殖しているのが約一割の200羽との説明を聞く。されば鵜ノ池にと赴いたものの踝まで埋まる積雪を踏みしめて歩くのは幾倍の疲労で途中で挫折した。

 根雨宿は出雲街道伯耆側の最後の宿場町である。峠を越えれば新庄宿である。詳しく見学はしていないが後日画像ルポで紹介したい。
 帰途、180号線の県境峠、明地峠から紺碧の空に浮んだ大山の秀峰が確認できた。

丹頂鶴飛翔

2008年1月4日
 後楽園初春の行事、鶴の初舞を久し振りに父娘で連れ立って観に行った。大きくなって自立していても娘は娘、父としては嬉しい行動だ。可愛さから嬉しさ、頼もしさに成長していっているのも実感できてこのうえない正月だ。
 鶴の飛翔は勝手が分からず近すぎた位置で満足のいく写真は撮れなかった。
 10時の放鳥だから、といって落ち着いていてはいい場所でカメラが構えられない。みるみる内に芝生周辺は人で埋まっていく。 飛翔と着地瞬間を撮るなら延養亭前、滑空を撮るのであれば唯心山周りがいい。まあこれで様子が分かったので又の機会に期すことだった。代わりにといっては失礼だが池のユリカモメにあそんでもらった。
 ボランティアの友人が餅つきをしていたので挨拶して門をでた。
 その後岡南にあるTOHOシネマズに映画観賞にいき迫力ある冒険サスペンスを堪能して帰路につく。

寺社探訪めぐり

2007年12月30日
 早島町にある鶴崎神社に巨大な干支の折紙展示を見に行く。早島町の氏神様で、池田藩家老で当地領主・戸田安晴が奉納して残っている絵馬があることで知られている。
 一般的には前記の干支の折紙を境内に展示しているのが呼び物。来年は子年。紅白の大ネズミが新年1月いっぱいは見られる。
 神社は初詣の準備が整っているようだ。

 2号線を東に走って瀬戸内市の上寺山余慶寺に赴く。西大寺観音院から吉井川を挟んでの遠望に、山の木々を突いて三重塔、緑青の大屋根が陽に映えて見える。
 奈良時代に報恩師によって創建され平安時代の建造物が現存している。小晦日でここも初詣の準備がほぼ出来上がり一時寂として寒風が吹き流れていた。中国三十三観音霊場第二番札所である。
 小高い山上は広壮な一大聖地に成っていた。いかにも古刹の風雅がある。隣地に豊原北島神社が拝殿新築なった姿で建つ、いわゆる神仏混淆で両参りの聖地である。
 門前参道は桜並木になっていて桜花見には絶好とみた。
 驚いたのは大晦日に照明されるサーチライトの夥しい櫓の設置である。ディーゼル発電機も随所に設置され、さぞや光芒の山上になって岡山、邑久の肥沃平野を照らすことだろう。
 いずれも善男善女でごった返すことになる。

 当方は白河夜船になるので一足早く撮影させてもらった。

忍と耐

2007年12月17日
 山野は冬枯れである。寂寥の落葉樹が木葉を打ち枯らして裸木を晒している。それでも探索していけばキク科の花は見られる。先年までは意気揚々と冬山を歩いていたような気がするが、今年は気分の昂揚がなくなった。ひとつは、気候の乱れで体調が整備できないこと、正月を目前にして、老いたなあ、と感受していること。
 早春のセツブンソウが咲くまでは[新おかやま画像ルポ]の取材と、企画中の二つのコーナーを完成させることに専念したい。

由加山

2007年12月10日
 岡山ー児島線から由加神社へ。
 神仏混淆なので蓮台寺にも。
 目的は蓮台寺のさくら園の車道に点在するビナンカツラの赤い実を捜して撮影すること。サルトリイバラ、フユイチゴの赤い実もみつけてパチリ。

 建造物等は新おかやま画像ルポの取材にするつもり。
 帰途、備中兵乱お戦国時代、三村氏最後の戦場、常山城に車を走らしたが工事中で途中で断念し帰岡した。
 

足慣らし

2007年12月6日
 小春日和。
 総社市の宝福寺へ。目的は紅葉。でもいささか遅く、一箇所を除いては先枯れで絵にならなかった。

 鬼ノ城へ。
 遺構の見学会があって、珍しく人の行き交いが尽きない。
 資料展示館から、とっかかり急勾配は加齢に従いしんどくなる。朝日夕日の時がもっとも美しいところ。

足慣らし

2007年11月30日コメント (2)
 3週間ぶりに外出しグリーンシャワー公園を探訪撮してきた。
 駐車場に停めた車の屋根やワイパーあたりに、5分も立たず黄葉が落ちて掃き溜めようになった。果断に渡る風が落葉の吹雪を演出して、ハッと息を呑むほどの幻想の世界になる。
 グリーシャワー公園は外来樹木が多い。正門から休憩舎まで直線に伸びるロードが一番好きだ。モミジバフウなどの紅葉黄葉が日本離れした環境をかもし出している。
 少し遅かったが、それでも十分解放気分をあじわった。
 恋人連れ、夫婦連れ、グループ連れ、さまざまなハイカーが竜之口山頂から降りてくる。
 幾筋もある登山道の一つを選んで登ったが、足が重たし体は熱し、病後の足慣らしには少しハードだった。

11月 オレフ句会

2007年11月11日
 後楽園での吟行に参加。
 おりから菊花展の盛会で観光客で賑わうなか、観騎亭を借りての句会である。
 観騎とは文字通り騎馬術を藩主に観閲してもらうことで、後楽園の場合は一番東にその場所があり、観閲の亭がある。
 句作は園を巡って六句を課され、それぞれ席に持ち帰り短冊に書き、清句、選句を行い、互いのものを評し主宰者の指導を受けるのである。
 散文が身についているので俳句は難関だ。
 
 観騎亭は照明がない。障子を少し開いて明かりを入れて行う。
 手元の明暗具合が木漏れ日で変わる。
 鳥が飛び立つような騒がしさで梢が鳴り紅葉が障子を打つ。
 初時雨。
 

さくらと紅葉祭り

2007年11月4日
 真庭市落合
 山の頂上にある普門寺
 雲海も見える
 生徒9人の小学校もある
 四季桜と紅葉まつりがひらかれた
 ドンドンとまつり開始の花火があがる
 門前の広場には新線野菜を販売する婦人会の露店
 もちつきのかけごえ
 建部の女性太鼓
 湯原のちんどんや
 生徒のうらじゃばりのダンス
 森がぽっかり空いた山の頂は大変な賑わいだった
 
 早朝の冷え込みが山の秋景を[錦秋]を加速させだした。
 お世話していただく人が5人、参加するわがグループは6人で、マンツーマンの観察会で恐縮である。

 行程その1:朝鍋鷲ヶ山
車で登山道を走ったのは初めてのことなので新線気分。ほぼ8合目までは常緑樹であるが、境を明確にして頂上までブナ林に代わる。陽を浴びて紅葉を増す落葉樹の梢は美しい。歩くにつれ稜線の低い南の山をバックにしての眺望は格別である。
 この季節はヤクシソウの黄花とイナカギクの白花が目立ち、リンドウが藪のなかに秘かに咲いている程度。他の多くは赤い実をキララと輝かしている。
 頂上の展望台からは日本海と弓ヶ浜、大山南壁、烏ヶ山、擬宝珠ヶ山、皆ヶ山、蒜山三山が望見できた。陽射しの裏側になるので圧巻の紅葉の錦帯は残念ながら見えなかった。

 行程その2:土用ダム
新庄の最北部に位置し落葉樹が密生しているので、色彩は一段と濃い山並みを走り、車を降りて用意していただいた美味弁当を摂り、ダム周辺を散策する。水面に細波がたって景色を映さないのは無念だったにしても、ポイントでは黒い幹、紅葉、白い水面をナイフで切り裂いたようなアングルで撮れば絵になる。

 行程その3:後鳥羽天皇の道
大和有史は誕生以来、君制政治を布いいてきたが、宮廷の警護武士であった源平の勢力勃興で幕府政治の布制が成立以来、天皇は統治実権を奪われた。それの奪還すべく内乱を興したのは弟82代後鳥羽天皇、弟96代後醍醐天皇である。どちらも敗れて隠岐島げ流刑になるのであるが、その道中、新庄の出雲街道を越えたといわれる。しかし念のため追記しておきたいのは、道中経由地は途方もなく離れた土地にふんぷんととあり、重ねてもっともらしくそれぞれの地は記念碑とか謂われを公示しているのである。
 おしなべて絶対的な確証のないことだからロマンがあって結構、ではあると思うしかない。
 新庄にも碑があり歌碑が建立され、咽喉の渇きを潤した湧水の場があり、さては愛でた[しだれ栗]なるものが二樹ある。
 真っ赤に燃える渓谷は奥津の紅葉に負けずと評価しているのであるが、悔しくまだ蒼い葉が多かった。

 観察会が無事終了して解散。企画し随行説明していただいて感謝々々でした。来春を楽しみに帰路につく。

円通寺&玉島港街

2007年11月1日
 倉敷市立美術館で良寛展が開催されているので平成寅吉氏と観賞にでかけた。良寛自身の書、良寛に因んだ人の書、肖像画、彫刻、写真などが2階全フロアに展示されていた。
 書を書かれた人も立派だが、読める人はなおさら立派だと、つくずく思った。私などは何が書かれているのか皆目判読できない。添付されている現代訳がなかったら眺めるだけだろう。
 全作品をつぶさに見て回っての余韻は、普遍的に抱いているイメージの、あの良寛さんの暖か味のある面影ではなかろうか。

 さて、その足で目標の玉島は良寛荘へ走り昼食。
 K.Komathuと落ち合い、良寛さんが修行した円通寺を見学し、眼下に展開している玉島港の乙島、柏島を望んで古の源平水島合戦の説明をしていだいた。平家ならではの海上戦術を駆使して勝利した、瀬戸内海の島礁なみなみだ。絵屏風を見ているように鎧武者の躍動が目に浮かぶ。
 今は玉島大橋がポイントになり、高梁川河口左岸の水島工業地帯にある企業群から煙が立ち上っていた。
 
 山を降りて、港街の栄盛余韻を今に伝える街中をそぞろ歩きのガイドをお願いした。保存地区の建造物、記念碑、水門を見て回った。
 西爽亭は旧柚木家住宅で保存区域の象徴拠点である。
 高梁川中流域にある高梁松山城(板倉藩)の飛び地であったとのことで、ここはさしずめ藩の出先機関のにあたるのであろう。高瀬舟で運ばれてくる米穀をここに集積し難波、江戸へ船出ししたのだ。城主や監査役人をもてなす豪壮なたたずまい、背後の山膚を利用した石組みの庭園、煎茶、抹茶を使い分ける茶室等、霜月に燻された屋敷だった。
 町並み探訪撮にはボランティアで保存地区のガイドをされておられるM氏にも同行していただいた。横文字も挿入して洒脱な会話をされる。
 港から乙島に沿い入江が深く切り込んでいる。まるで運河だ。塩水と淡水とを堰止めしている江戸時代の頑丈な石造りが残る水門、淀んだ水面に浮き草が漂い、杭を打ち込んで家屋を広げ軒を交差させた脇に朱の鳥居が鮮やか、この風景はなんともいえない情緒がある。遠くに忘れてしまった光景に出くわした。放射線状に伸びた商店街に、店頭ビラがはたはた舞い、ここに映画館のポスターが貼られていたらよほどよく似合う雰囲気だ。おばさんが独り留守番をしている鮮魚店、おばさん三人が商品ケースの前に座り込んでおしゃべりしている和菓子屋、自転車がチリリンとバイクがバタバタと走る商店街だ。だけど歩く人は疎ら、いうのもはばったいほどの閑静さ。経済の坩堝とはまるで縁がない様相である。
旅籠の跡に、長岡藩の家老で幕末で活躍した河井継之助の碑があった。こんなところに、と思えるのだが、同じ陽明学の師ともしていた山田方谷を訪ねて船を下りて逗留した碑であった。
 お招きに預かり、M氏お宅に上がりこんだ。これまたびっくり。社会の動きとは隔離された明治大正の世界に巻戻どされた。曲折した廊下の奥に煎茶、濃茶の間があってそれぞれの間が使用目的によって造りが異なる。見受けるところ亭主の書斎&書庫に化しているようだ。蕪村の書簡が表装されて、さりげなく壁に架かっている。永井荷風もかくやありなん。いやこの雰囲気は溝口正史の世界かもしれな。ともかく浮世ばなれした世界だ。
 亭主のお茶を立てていただいた。
 
 お聞きすれば多様な外国の人が来訪されるそうだ。
 得がたい体験をさせてもらった。

 港町の歴史残照に浸たることができた貴重な一日だった。
 k.komathuさんはじめ地区のにお礼を申し上げたい。

 画像&紀行文は日を改めて項を分けながら、HP上で公開していきたい。
 ノコンギク ヨメナ オオユゥガギク・・・、外見は類似していて小生など素人は大雑把に呼んでいるが、指導員のK氏、Y氏は花弁を取り去った後のカモンをルーペで観察されて、毛の状態で類別して教示してくれた。毛の揃っているのがノコンギク、不揃のものはオオユゥガギク、まったく残らないのがヨメナ、だそうだ。久世周辺はオオユゥガギクが多いとのこと。系統的な学習ができた。
 余川は仲間橋周辺で観察。午後は足尾滝周辺で観察。
 11月は5日湯原エリアの予定。

 前記の他植物
ベニバナボロギク ミゾカクシ ザクロソウ ハナイバラ コバナタツナミソウ ヒキオコシ サンインヒキオコシ キバナアキギリ(無赤点) ナガミノツルケマン等々

< 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 >

 
SU

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索