prose-乙な道行

2013年3月12日 趣味
 病後の体を慣らす意味で毎日愛犬の散歩を引き受けている。
 愛玩用の体躯でちょこまか歩いて右往左往して電柱や塀、路肩の匂いを嗅ぎまくので散歩しているような気にならない。河川敷に連れて行っても同じこと、尻尾、足を踏んであわてさせるのである。距離的には往復4㌔を平気で歩くようになった。出会う人や同類に尻尾を振ってじゃれつきすこぶる好奇心旺盛で楽しい道行である。

prose-自然と対応

2013年3月11日 趣味
3.11の災禍から2年の歳月が流れた。
 報道は特番を組み復旧復興の有様を伝えていえるが実際は大幅に遅れているようだ。進行過程で行政の停滞が浮彫りされて、復興環境の大臣が任命されているものの縦割行政で総合的な対応ができなくなっている。エンジンの加速ならず空運転している様はだれしも歯がゆい思いにさせられる。
 
 先の土曜日、せっかくの好天気でもどんよりした昼の岡山駅前大通りはビルや車の形がひどく霞んだ風景だった。まるでTVでみる北京のよう。偏西風がはこんできた黄砂の勢だ。問題はPM2.5の含有率でマスクをかけての自己防衛するしか術がない。

prose-とうとう

2013年3月5日 趣味
 とうとう風邪に罹った。
 右鼻腔の奥がムズムズして(きたない話だが)鼻水がとめどなくでる。右眼がうるんできた、でも発熱はないし、食欲は衰えない、花粉症の罹歴はないにしても鼻炎の兆候だろうと自己診断、今朝はよくなった気分で起床したのであるがしばらくすると元の木阿弥になった。
 医院で診てもらうと咽喉が真っ赤だそうだ。
 背中にぞくぞく感を覚え、2~3日間の予定をすべてキャンセルさせてもらった。

公園ーイベント

2013年3月2日 趣味
公園ーイベント
公園ーイベント
公園ーイベント
 池田綱政が江戸初期に完成させた岡山後楽園は3月2日を開園記念日としていろんな行事を行っている。この日はだれもが入場無料のせいか目を剥くほどの観光客で溢れるが目玉は祝い餅のふるまい、園内のもち米を使ってボラティアの人たちが鹿鳴館広場で杵をふるい長蛇の観光客に黄粉餅を配るのであるが、みていると外人の人は「Oh!No」といったかどうかしらないが受取らず行列から離れた。目的を知らずして行列に尾いていたのだろう。
 お茶、貝合わせ、投扇興、能、神楽などのセレモニーもある。
 ひときわ盛立つ紅梅を観賞して園外に出たのがお昼前、にわか白曇霙におそわれ霙に足を速めた。
prose-春待草ーフクジュソウ
 28日は重たいジャンバーを脱いでベスト姿で公園の傾斜をあるくと軽く汗を覚えた。春本番の陽気だったが1日の今日は灰色の雲が天蓋を覆い陽射しをさえぎって気温はあがっても肌寒い、なんとも悪戯小僧のような寒暖の差である。
 公園にはフクジュソウを見にいった。
 陽気に誘われた観光客が目立ち始めて園内を散策、正面の花園頂部に色付いた紅梅の盛枝が見事に眼を奪う。フクジュソウも黄金の羽を平開しているのに出会い撮影、そのまま上り詰めてシダレウメを愛でて紅梅のところへ、持参のコーヒーを飲みながら楽しんでいると、女子学生の4人が脇の遊歩道に屯いそれぞれ一眼レフで紅梅をこのみのアングルを変えながら撮影しだした。享楽の雰囲気は感じられず生真面目にシャッター音をつたえてきた。大学に写真部でもあるのだろうかしら。
 午後のひと時、春先の暖かい陽のしたで身体の弛緩をあじわった。
 
 陽射しはあたたかいが気温のあがらない日々がつづく。
 サンルームでだべっていると居眠りがつくほど気持ちいい。
 極楽気分を味わうのは風が入らない車内でも同じことと考え、エンジンを動かして遠出のドライブすることにした。
 芽吹きの色が少しのったかなあと思いながら山々稜線を後方へとばして爽快、音を出さない口笛でリズムをとりながら高速道を落合JCで下り181号線の勝山は文化センターの駐車場に停めた。
 2万3千石の城下町は旧家が町並み保存で趣がのこり白壁が旭川渓流にとけこんだ民俗歴史文化が根づき、かっての高瀬船の発着場、木材の集積セリ市、出雲街道宿場町のにぎわった装いを色濃く漂わしている。高田硯が名産、戦時中に疎開していた谷崎潤一郎も愛用していたという逸話から河鹿や蛍の情緒がわいてきて、夕暮れの窓灯かりに文人が潜んでいるようなムードになる。湯上りのほてりを2階の出窓にあずけて寛ぎ書き散らかした炬燵のうえで地酒をふくみ、かててくわえて三味をはべらせば寿命が相当延びるような気がしないでもない、といったら潤一郎より夢二の境地に似ているかもしれないが。
 3月3日の雛祭りは大賑わいで大型バスの観光客で町の人口が一挙にふくれあがる。どっしりと構えた商家の通りを愛犬を抱いてだらだらと歩く。雛祭りの準備で店内は声が飛び交う。
 どの軒下にも孟宗竹の節上を楔形に切った空間に小形の雛を載せている。竹の青色がまことに結構だ。祭りの脇役を十分にはたしている。
 祭り本番もいいがこうやって静かに進行している蠢きに触れるのは楽しくてしょうがない。
 陽が稜線にかくれ俄かな日暮れに追われて文化センターに帰りついた。
 四方の山が黒墨法師になっておそいかかってくるようだった。
 
 旭川の寒風が山あいの谷をかけあがって陽射しを撥ね身に沁みる。山すそのセツブンソウは平開を唐傘をすぼめたように閉じている。そのなかの比較的撮影に向いているのを探ってシャッターを切り、早々に車中にはいり逃げるがごとく山をくだる。
 吉備高原を跨ぎ足守の陣屋町に入り、旧家の軒にならぶ雛人形を見て廻った。藤田千年冶邸、足守プラザ、藤田総本家の歴史をきざみこんだ七段の雛飾りはまことに豪華絢爛といった雰囲気が漂う。
 観光客は数えるほど、3月になると賑やかになるそうだが足音がわかるほどに閑散としている。
 大光寺に秀吉・寧々の位牌が廟にて納められているよし、裏山に木下利玄の墓標もあって一目確認したいと思ったが情報をあつめると俄かな申し出はかなわぬようだ。
 日を改めての探訪することにした。

prose-寒い客

2013年2月22日 趣味
「よく冷えますなあ」
 斎場からの帰途だれもが心に思う言葉だ。枯葉を鳴らす木々をぬけると灰色一色の田んぼのなかを走り、夕暮れのような平野に車はとけていく。高梁川を撫でて吹いてくる風はいさかも容赦しない、つらなる黒服の肩をだれもが丸めホールの玄関にすべりこんだ。
 初七日の弔いを終えてタクシーで伯備線の総社駅へ行き終点瀬戸駅の電車客になる。
 すっかり日暮れて家路にかえるサラリーマンや学生で箱は詰まって、一日の枷を解かれて疲れてだれた空気が蔓延している席に腰を降ろす。試験の予習か試験後の答えあわせか女子高校生が輪になってプリントの問題を読み上げ他のものが回答して正解あわせをやっている。黄色い声が別途のいきもの塊に浮き上がっていた。
 途中の駅で一人の若い女性が息せきって乗り込み目の前の空席にすわった。すると、バックから化粧品をとりだしコンパクトミラーをのぞきこみ憚りもせずパフでパタパタ顔をはたきだした。向い合った4人席で隣の若い男性は窓外の闇に写る女性を息をつめて眺めている、中年は新聞を繰りもせず上目をつかっている、葬儀つかれの老年は奇妙な生き物をにみせられてポカンとしていた。はたき終えた女性はミラー相手に百面相のように出来具合を確認して、さてそれから口紅かなと思いきや小さな筒をさぐりだし穴掃除するような細いブラシを威嚇するように上目の睫毛にピンピンと撥ねだした。時間をかけての粧に満足したのか、最後にルージュをひきだした。垂れた髪を手串で整えころ電車は倉敷駅のホームにすべりこんだ。
 まるっきり化けた顔の女性は意気揚々とおりていった。
 どっと乗り込む客にとりつかれた寒い大気が、変に澱んだ空気をいれかえてくれた。
 

prose-ペット

2013年2月19日 趣味
prose-ペット
 何匹目かのペットをこの正月に娘のプレゼントとして迎えた。
 生後5ヶ月、パピヨン×シーズのミックス犬。
 家に来たときは離乳食だったが今はかたいドッグフードを食べるようになり、2㌔の体重が4㌔になった。
 近くのグラウンドでボール遊びをして飼主ともども遊ぶことにしている。

prose-宇宙の危機

2013年2月18日 趣味
 これ以上の危機はない。
 大気圏突入のときの重量1万トン、直径17mと推測される隕石がロシアに落下、氷結した湖に6mの穴をあけた。64、000キロ/秒の想像絶する速度で大気圏に突入し摩擦熱は4、000度の火の玉化した隕石。
 飛行過程の状況をはっきり映像にとらえられて全世界の人間に提供されて、見る者のド肝を抜いた。さいわいにも市街地に激突しなくて最大最悪の事態はまぬかれたようだが衝撃波による破壊規模は驚くべきもの、惨澹たる様相を呈していた。
 翌日に急接近した惑星の場合は観測できて軌道予知もできるそうだか(わかったところで対処方法はない)、このていどの隕石は予知予測できず追尾さえ現時点の科学もってしても不可能とのこと。
 恐るべきは宇宙のメカニズムである。
 地球の生物は〇からの再出発という懸念はありうるべきことと、思う。
 竹馬の友は生涯の財産である。
 北房・岡山・近畿エリアに各単位の同窓会があり、数年に一度三者合同の同窓会を開催している。交通の便宜もあって開催拠点は岡山市内を要望されて自ずと岡山市内在住者が幹事役になりお世話をさせてもらっている。
 次回は喜寿の年にと思っていたのが喜寿まで待てないという声が噴発、その意味を詮索するのは野暮というもの、ドッコイショと重い腰をもちあげた次第。  
 駅前のホテルに主だった世話人が集結、マネージャーを交えて下打合せをした。 喜寿が待てない竹馬のあの顔この顔が今度は毎年やれというに違いない。 

 百間川河川敷に車を入れぶらぶら歩く。
 イヤホーンでラジオを聞きながらマイペースで歩をすすめ旭川河川敷を後楽園までいき園内を一周、南門を出て出石町から鶴見橋をわたり再び河川敷をかえりテニスコートの駐車場に帰ったら夕焼けの日暮れになった。
 万歩計は13500をカウントした。
 途中だれてリタイヤしょうと思ったが忍耐をつらぬくとなんとかなるもんだ。

 ラジオは怒鳴る・・・
 北アフリカ 中東 中国 北朝鮮 グアム・・・、狂気だ、一方的な独善狂気だ。

 円安で景気誘導、そろばん通りいっても効果はまだ夢のうち、中国の空気にひたされている企業がおいそれとリターンするわけでなし、輸入の枷にしばられて物価はじわじわ高騰のきざし、あがらないのは年金収入・・・

 そのときまでの忍耐か、耐えられるかな。

prose-芝焼き

2013年2月9日 趣味
prose-芝焼き
 風が強くて襟元をなでられると首がすくみ、指がかちかむ冷え込みからは一向に解放されない園内の歩道を老男女が大勢うめ、携帯電話どころではないアクセサリーに似るごとく高級カメラを一様に首に巻きつけている。同好の士が絞りだのシャッターだのマニュアルでどうのこうのと薀蓄をなげあっている。
 定時間のアナウンスが流れるころ、此処と思われるポイントの雑踏では身動きできない肩越しの隙間に「遠慮」の熟語をとっくに放擲したおじさんおばさんがなにこそすれ殺到して他人のレンズの前でフェンスを張る、白髪や禿頭、乱れ髪がフェンダーいっぱいにとびこんできてうんざりしたおっさんは「やれんなァ」の捨てせりふを吼えて場所替えするのである。
 紺地の法被に「岡山後楽園」の染め上げを背負った職員が長筒に着火、南北の隅を滑らして歩くと後追いの火炎が飢えた鼠のように舐めて走っていく。燎原の火勢といえば大げさになるが一画を切り取って拡大すれば同じ火焔の図になる。無作法に燃え無尽に煙をたて竜巻をよび煙幕でカメラマンを囲み右往左往させて哄笑している。
 よく乾いた枯れ芝はあっというまに墨布を出現させた。

 夜中になんどか屋外をうかがったが降雪はなかった。雨足が瓦うつのを寝耳に聞いただけだった。
 後楽園の芝焼きは8日に延期されたようだ。
 ならばよし、咲き始めた水仙でも撮りにいくか。

 公園の駐車場は意外や意外、車でうまっている。イベントの情報も得ていないのになにごとかと五感をふり向けたものの、玄関口でがやがやわいわいしている風でもないし、なまぬるい人いきれもなく園内の階段あたりとか温室の屋根がのぞく丘のうえのほうにも蟻ほどの動きはなかった。
 気が変ってカメラは車においていくことにした。水仙もなにがなんでもということではないので、他にめざとく咲いている植物は思い浮かばないし今日のところは傾斜道を散策すれば足腰の運動に好都合、その勝手なつもりを優先することにした。これと思うものに遭遇すれば300円をにぎってあらためてくればいい話だ。
 案内嬢に「スイセンは咲いていますか」と問う。
「咲きかけです」
「はああ(ヤッパリ)」
 正面に「今咲いている花」
    「これから咲く花」
 と書いた掲示板がある。
 ロウバイ マンサクが今咲いている花、スイセン フクジュソウはこれから咲く花の欄違いに区分してある。
 西側の遊歩道をあるけば、いきなりロウバイの乱れが右側をおそってくる。緑を潜めている牡丹園を背景にしていて金塊を透けるほど伸ばし礫にして枯枝にふりまけたように金色の花を盛花につけ、にじみでた花粉の勢いが香水のにおいに化して澱んでいた。(6日記)
 この木は目線の高さに剪定されているので遠景で見るよりたちどまって観察したりするのにはよい、ただ風景のなかでとらえたり見上げて感嘆するのにはこの先の裾地にある数株のほうが勝っている。
 ロウバイの間にマンサクがまじり金紙を短冊にして枝先に結んだ花弁をひらひらさせて風とたわむれている。観光客はたいていここで見上げたり縁石に足をかけて写真を撮っている。背景が傾斜の草地なので凡景になりがち、変化や動きを合わせるアングルにするのにはカメラの位置工夫が必要のようだ。
 も少し歩をすすめるとスイセンが咲き始めの不揃いの穂をならべていた。ふくらんだ蕾をかかえているので次の好照を浴びれば一気に咲きそろうだろう。
 つきあたりの右だらだら坂をのぼると自販機のある休憩所にでるので手前の下り道をとりしばらくくだると左へ入る。
 樹下スイセンの咲く階段で腰をおろし汗ばんだ体のほてりを癒す。
 レンガの階段へでると眼下に正門入り口がみえる。
 山も丘も、下りの爽快さを実感した。7日記)
 5日夜半から南部でも雪になるかもしれない・・・、昨日からの気象情報であるがさてどうだろう、午すぎになると広島は雨らしく夜半には雪とのこと、はて岡山は?・・・、時刻が進につれ冷え込みが伝わってきだした・・・。

prose-活字余話

2013年2月2日 趣味
 ジャーナリズム魂を彷彿させてくれた2冊を読んだ。

 「辛坊訓」という本を息子がもってきてくれ、一晩はさんで読了した。読売TVのアナウンサーだった辛坊治郎氏の著作である。職業柄しゃべり上手で巧みな話術はせんこくTVで承知の助だが文筆も達者に操っているのにはおどろいた。
 大阪自治から社会問題、はては国際問題まで硬軟調のテーマを得意の辛坊節にまぶして読む者をひきつけ退屈させず肩を凝らさずに読みきらせた。
 文筆も芸の内を味わわせている。

 「夕刊 フジの挑戦」
 2004年の初版だから今では古本に類する本だが、産経新聞社が大阪で夕刊紙をたちあげた発刊極意本である。
 新聞社に務めていた息子の書棚から選りだし、世も昼もなく頁を追い読み終えた。報道局長で取締役編集局長が書いた本だから一般的には表面にでない発行発刊の裏を識る面白さに魅せられた。

 活字って面白いねぇ、愉快ですねぇ、怖いですねぇ。

prose-寒中余話

2013年2月1日 趣味
 暑さ寒さに弱い体質に移行したようだ。
 こんなことはなかったのに、昨夏の猛暑に閉口し今冬の厳寒には往生している。
 カメラを担ぎ出す勇気も萎え、自室で読書&パソコン遊びでひなが過ごしている。一日がすぎてメールをひらいてみると覚えのないところから硬軟のメッセージがはいりあふれている。
 だれがどこでアドレスを盗んだのかとぶつぶついいながら削除している。
 で、HP画像やブログ画像の更新するネタがなくてもっぱら日記ブログのみ書き込んでいる始末。2月末になったらすこしづつ探訪撮の対象があらわれるかなという思い。

 図書館ならぬ書店で立読み、好きな開高健の未読の文庫本をさぐりだし図書カード2枚をさしだしたら1枚は対象外カードといわれた。そういえばそのカードに図書カードとは一文もなかった。

 
 もう40年も前、大阪本社から転勤して岡山に着任したとき、重たいビデオカメラを担いで古代吉備の古墳や遺跡を撮影して歩いたことがある。もちろん趣味でやったことだ。
 全国4位の規模の造山前方後円墳をみて南西方向にある千足古墳にいってみたことがある。こんもりした盛土の古墳は造山古墳の周囲に6つある陪塚のひとつで、歴史的価値としては随一といわれる直弧文を刻んだ石障を石室にかかえている、とのことだった。
 吉備における首長を埋葬したといわれ謎だらけの造山古墳はいまだ完全発掘にいたってないので、陪塚の千足古墳にいたっては発掘したものの埋葬された主は不明の侭である。ただ石障といわれる岩石が九州に採掘されるものと限定され、熊本の特徴である直弧文が描かれているのでなんらかの理由で熊本からい出でて造山古墳の主に仕えた武将の墓だといわれていた。
 当時、土盛の頂に穴が開けられ鉄格子が蓋をしていたのを覚えている。叢から覗きこむと金属網の蓋一杯に雨水の充ちた緑藻の水のみがみえた。直弧文おろか石室さえ探索できない状態で水没させて保存しているのだと思った。
 それっきり忘れるほど年月が経っている。

 このところTV・新聞の地方版に千足古墳の報道がくりかえし流れた。新発掘か、と浮き足だったが、さにあらず、どうやって確認したんだろうか石障文様の損傷がすすんできたので、石障を取り出し岡山市埋蔵文化財センターに緊急避難させ状態が安定しきたので公開展示するとのことだった。
 一度はみておきたいものなので文化財センターにでかけた。思いのほか考古学ファンは多いもので駐車場は満杯、一階展示ホールにも年配の男女が結構徘徊しておられる、この手の展示会には珍しい人出だ。

 難解な「直弧文」とはなにか。下記に索引した説明を載せておきたい。

 古墳時代に用いた特殊な構図をもつ文様。斜め十字に重ねた2本の帯の側縁における交点を中心として,旋回する帯を渦状に配置し,さらにそれらの間に出没する帯の表現を加えたもの。斜交帯の存在を表面に出す構図と,渦状帯の背後にほとんど隠す構図がある。斜交帯を隠す構図では,その一側縁のみが表面に出ているので,斜交軸とも,対角線とも見なせる。これを対角線と見て想定した方形ないし長方形が,ほぼ直弧文の1単位をかこむ枠になる。

 して千足古墳の主は誰なのか
 なにゆえ九州の人が造山古墳の主の陪臣になったのか
 いまのところ明快な説明はない。

 謎のかなたにある。

prose-寒中一服

2013年1月27日 趣味
 新年の行事も昨日で終了。なんとか義理をはたした。
 大寒の気候に負けて陽の射す日々でも冷たい風に身がちじみ屋内に蟄居。

prose-天平の甍

2013年1月22日 趣味
 天平時代当時の聖武天皇は全国に国分寺と国分尼寺の建立を命じた。武士が権力を握る以前の時代である。目的は国家鎮撫だった。
 備中にも往時の中心地域の吉備に並立を命ぜられ五重の塔をいただく寺院が、やや離れた地に尼寺が建立された。すべての建築は人手によるものだから壮大な公共工事だったにちがいない。そこまで想いをよせて眺めていると身震いする感動をおぼえる。人口の少ない国勢にいかほどの民が集落を形勢していたのか分からないが、今にして田園がひろがり向う丘陵に民家が散在していて長閑なよそおいは往時を偲ばせる環境にちかいだろうと思う。
 
 国分寺から南西の方角になだらかな丘陵が連なっているなかひときわ高い峰が史実の残る福山、南北朝の戦いで九州に敗走していた足利尊氏軍勢(弟・足利直義)が東上するさい新田義貞軍勢が迎えて干戈を交えた福山合戦の戦場になり、五重の塔をふくめ吉備一帯が戦禍の灰燼にきし、のち江戸時代後期になってようやく再建されて甍の光りが吉備の郷によみがえったという。

 時代を超えて風雨にさらされて老朽化がめだち昭和に解体改修工事がおこなわれ
た。肥沃な田園は豊穣を約す郷は今につづく一幅の画そのものである。

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