prose-砂に雨

2013年6月16日 趣味
 15日の雨は梅雨ではなく気圧のせめぎあいで発生したようで田んぼの上土を黒々と染めたものの少し土をはねてみると乾いた層があらわれた。
 鉢植えを楽しんでいる分には申し分ないが農耕に潤いをもたせるまでにはいかなかった雨量、今週半ばには梅雨前線が列島を覆うとの予想なので一息つく気配である。
 なにごとにおいてもほどほどという尺度があるが乱気流気配の地球はなにをもたらすわからない。

prose-とんだ梅雨

2013年6月14日 趣味
 午睡のあと玄関の温度計をみると31度もある、じっとしていても額の汗が眼に伝い両鬢の玉汗がつつっと流れ後頭部は湿地のようになって気持ち悪い。何べんもシャワーを浴びる。
 庭の紫陽花は花びらを開き始めたが猛暑日の雰囲気になじまないあだ花になっている。
 いつ田んぼに水が入るのか農家は困って見通しが立たないところがあるようだ。
 永年の農業暦で梅雨であればこそ事が成るのにこれでは「成らぬことは成らぬのです」ではすまされまい。
 同級生全体の同窓会を無事終えることができた、もっとも懸念していた台風が洋上を東にそれて遠路かけつけ参集してくださった人にはなによりだった。
 それぞれのライフを積み上げてきた同窓生がすべての垣根を払って「おい、おまえ」と懇談できるのはこの会合しかない。
 よきかな、かけがえのない思い出のページを贈ることができたと自負。
 Gパンは穿き慣れるとすこぶる便利だ。現役時代は思いも及ばなかったが今頃は何処へいくのにもGパンを愛用してのこのこでかける。
 普段はもちろん市街や病院、官公庁やちょっとした会議、里山歩きにもそのままの格好である。
 ラフないでたちが市民権を得ているので着る方も見る方も違和感がなくなっている。
 昔なら顰蹙をかったかもしれない。
 今日はある官公庁の機関に出向いたさい、ひさびさにうさんくさい監視の雰囲気を感じ取り一時代を遡った思いをした。
 ある機関の会議に出席していた親友と打ち合わせを昼食時にロビーでの待ち合わせしていていたのででかけた。玄関内側の正面にガードマンが後ろ手に仁王立ちにしていた、なんの目的かよく知らないがいかに官公庁といえども時代離れしたいでたちの人間が訪問する人間に睨みを利かすのは、どうみても気分がよくない。12時を過ぎても会議が終わらないので苛苛しながらロビーのソファーに小一時間腰をかけていたら、いかにも胡散臭そうな目つきで頭のさきから足許をじっくり点検された。ここに出入りするような人間の服装ではないと断じている顔つきである。
 役所に権威を鼻にかけてひきずっている機構の浪費ではないか。

 早朝に起床、白々と明けそめし空の基で昨日買ってきた苦瓜3本と花苗2本を鉢植えした。冷えている空気が心地よく肺に入る。
 早起きは3文の得というのはこのすがすがしさが健康に及ぼす作用のことを指しているのだろう、、、でも生き物は惰性の産物、安らかな睡眠の保証ある朝寝はなんとも得がたい慣性なので毎日の早起きはできそうもない。
 一日拘束されないので久方ぶりにカメラをもって里山にでかけて盛りを過ぎたトキソウを探訪してきた。
 

prose-ゆすら苺②

2013年6月6日 趣味
 鉢植えして3年目のゆすら苺(ゆすら梅)がはじめてたくさん実をつけてぽろぽろ落果するほどに熟した。孫娘にいちご狩りと言い含めて脚立の上に立たせ取らせた。喜んで紅い小さな実をもみじのような手で摘んだ。小さな網籠に底のほうでこんもりなるほどになった、ひとつぶ口にさせると口中もごもごさせていたが変な顔してそのまんま吐き出した。爺が強いるので口にしたものの味覚に合わない顔である。甘いのだが酸っぱい口当たりを含むので、それがイヤだそうだ。甘くて美味しいので爺の子供の頃はいっぱい食べたもんだといっても、今はこれ以上に甘い菓子やジュースがあってとても勝てない、見向きもされない果実になったようだ。
 でも目的は食べることではなく苺狩りした思い出メモリーにしたいのである。
 夕方の愛犬散歩は暑い。
 19時ごろが丁度涼しげで犬にも人間にもころあいの時間。
 教練をしていない愛犬は屋外にでられて喜び弾んでリードーを引っ張る。
 お決まりコースのスポーツ公園にいくとご同様の愛犬家に何人か出会う。
 年齢もほぼ同じ、走ることを忘れて犬に先導され歩く。
 人生下り坂、こういうことでいいのだろうか。

prose-ゆすら苺

2013年6月2日 趣味
 鉢植えのゆすら苺が真っ赤に熟れあま酸っぱい忘れられた甘さを醸しだしている。麦刈りの畦に遊び、麦藁でつくった小さな籠に摘み、きゃぁきゃぁ騒ぎながら口いっぱいほぅばっていたものだ。
 この微妙な甘さは、いまのところ小鳥にふりむかれてない。
一名、ゆすら梅。

 

prose-新しい見聞

2013年5月30日 趣味
 孫を保育園に迎えにいき帰宅するロードでいろんな会話がある。
「見て、でんしゃ」  (津山線)
「見て、こいのぼり」 (まだ仕舞っていない家がある)
「見て、トーマス」  (蒸気機関車 この場合は電気機関車)
「見て、しんかんせん」(そのまんま)
「見て、あかっ」   (信号)
 e.t.c・・・
 
 甲に苔が生えてる人間にとってはたわいない物象だが、3歳未満の幼児にとっては絵本から飛び出た面白さなのだろう。毎日でも飽きないのだ、2人とも。

 同じように苔の生えた女性を助手席に乗せると、
「自転車っ}
「人っ」
「右っ」「左り」「右寄りすぎ」「左寄りすぎ」
「赤っ」「青っ」
 教習場にいっているんじゃないんだ、うるさい、指示するな。と、これは喧嘩になるのだ。
 昨日、西日本は梅雨にはいったとの報道、12日ほど早い入梅である。
 地球変動の一歯車をあらわしたのかもしれない、いつか農業暦や歳時記などもズレ調整しなけねばならないときがくるかもしれない。
 そして動植物の生態リズムも例外ではない、さけて通れない。
 肉体のきしみはギシギシと適応の変動に向って蠢動しているようだ。
 若緑のふわふわした柔かさから剛毛に似た力強さに進んだ濃緑の息には圧倒される。どの草も木もごわごわと盛り上がり波うっている。
 傾斜道を20歩ほど歩いては一息つき馴れれば50歩ほどに延びて上へうへとうつり、ロックガーデンに日よけされて咲いているヒマラヤケシにたどりついた。青い花に白い花が混じる、すでに花弁を散らし早や針坊主のもの咲けし衰えようとやつれているものはたまた未だ蕾のもの、不穏な天候にふりまわされて様々な態をみせている。暑い日が3日続けば花の寿命は尽きるといわれる高山植物だそうだ。
 園内では此処がもっとも温度があがらないところだそうだが、いかんせん、樹木が繁る濃緑の咆哮にはうなだれていた。さぞや温室ならぬ冷室が恋しかろうに。
 

 すっかりTVっ子になって迫ってくる定時間の間隙を縫って映像を見ている。
 特に朝方の7時代は余程のことがないかぎりBS3に合わし、動植物ドキュメンタリー、TV小説、それから火野正平さんの[こころ旅]が済んで腰をあげるのである。
prose-ジェ ジェジェッ
 ちょうど今の時期、公園やグランドの四隅で丈の低い草地にところに「ぅん・・?」というような、小花が咲いているのを眼にするだろう。マツバウンランという野草である。
 わたしが生まれた昭和16年に渡来してきた外来種のごまのはぐさ科の植物で、細い茎に小さい薄紫の可愛い花をつけるのだが、なにせ周囲に溶け込んで存在感があまりない。それでも一輪みつけて眼を凝らすと結構あちこち発見できる。
 どうみても栄養失調の植物の感じで、微風でも盛んに踊りまくる。
 撮影したものを後で確認してもぶれた画像ばかりなので匙を投げていた。
 愛犬の散歩に少し大回りのコースしていたら休耕田の日陰にこの花が「おっ・・}とおもうほど栄養ゆたかにしかも群落を形勢して咲き乱れているのを発見した。しぶる愛犬を抱いて家にとってかえし、小躍りしてカメラをもちだしたことである。
 長靴を履いて荒れ田に侵入し盛んにシャッターをきった。
 いずれ埋め立てられて消滅してしまう運命だろう。

prose-熊は避暑

2013年5月11日 趣味
 新見市内から旭川右岸にわたり支流の西川沿いに俎上して1キロていどいくと右側にダムの堤防があらわれる。山野草探訪で幾度も目にして脇を通過しているので記憶に残っている。
 10日の新聞報道でツキノワグマが泳いでいるのを管理委託業者の職員が巡視中にみつけ、ボートで近づいたところ山間に逃げたと記事は報じていた。
 気候の変動で体を冷やしていたのだろうか?
 市内では昨年度は2件目、県内では56件もあったそうでこれからが熊襲のシーズンの本番にはいる。
 グループで音をたてながら山歩きするのがベスト、ゆめゆめ油断なさらぬことだ。
 
  

prose-二偉人

2013年5月8日 趣味
prose-二偉人
 有史以来、天皇のなろうとした武人と僧侶がいた。
 武人は足利義満、僧侶は弓削道鏡である。
 一方的なプリズムを透過してみると義満にはそこはかとなく可愛げがあるが、道鏡は妖僧で称徳天皇:孝謙天皇(女性)を篭絡して天上位を狙ったのである。許しがたい行為は糜爛に充ちた当時の朝廷の環境にもよるが道鏡の人間としての野望にあり、和気広虫、清麻呂の姉弟がこれを阻止建言した事変は世に知られているところ。
 因みに述べておくと称徳天皇の家庭教師のような存在であったのが吉備真備で、往時の吉備人が時代を同じくして立場を異にし天皇政治に深く関わっていたのは事実であった。
 清麻呂の生家跡に建立されたのが和気神社で神社境内に4・63cmの立像が建っている。吉備真備公園にも巨大な吉備真備の立像が建立されていて地区の誇るべき人物として祭祀されているのである。

 藤まつりにでかけて、藤ならぬ清麻呂に思いをしただけである。

 

prose-GWの行状記

2013年5月6日 趣味
 渋川藤まつり、にいって
 ブランコと滑り台、そしてシ-ソのある公園に、
 ワゴンセールの商店街に、
 奥津温泉に、
 アンコールにこたえて再び公園に、

 現役時代は我がことにはしゃいで終始したが、
 孫中心の境遇になるとそうはいかなくなる、
 嬉しさに身体が追いつかなくなり、
 疲れがにじみでる、
 
 そうだ、
 明日は和気の藤まつりにいくやくそくだ、
 今晩は睡眠じゅうぶんにとろう。

ビーチのどか

2013年5月2日 趣味
ビーチのどか
ビーチのどか
 背景は霞む瀬戸大橋、渚は長閑、遊歩道は賑やかな風景。

prose-鯉幟り

2013年5月2日 趣味
 曇天に晴れまが縫う天気、風はやや強く鯉幟は腹腔いっぱいに膨らんで泳ぐだろうと思い、吉備津彦神社の連鯉を見に行こうとしたのであるが、出掛けにプランタ畑のトマトの芽欠きをして杖をたてていたら時間がついえてしまった。
 孫を迎えにいく刻である。

sakuraもパッと咲いてパッと散って葉桜になった。
 もっと長く咲いていないと[JAPAN]は世界にアピールできないだろうに、とおもん武士道の朱子学では世界の理解は得られない、日本が有難がっている思想の真理などを本家本元の中国がふりむきもせず我執統制しているのだから。

prose-藤まつり

2013年4月29日 趣味
 孫を中心にして渋川にでかける。
 暑からず寒からず、天一面青空の海水浴場、さすがに水に入る人はいないが渚にカラフルなテントを張って太陽と遊ぶ家族連れが多い、霞む多島と瀬戸大橋そして大槌島さらに四国の稜線、サングラスが要るほどの眩しさである。
 海岸線のコンクリートの段差に敷物を敷いて一家族は手ずくりの弁当を開いた。
 寝起きの孫娘は好物がいっぱい詰まった婆の手ずくり弁当に微笑んでくれた。
 左右どちらでも器用にフォークを使い海苔巻きのお結びをほうばる。
 食事を終えて孫家族は水族館に、爺婆はホテル前の藤回廊に向かい八分咲きぐらいの藤を愛で歩く。広場では藤まつりのイベントの舞踊や太鼓演奏が賑やかにおこなわれずらり並んだ屋台には人出がごったがえしている。
 爺は藤の撮影に婆は屋台めぐりに、興味ある方向へバイバイ、である。
 

prose-食のめぐみ

2013年4月28日 趣味
 春には良いこともある。
 山ウド アブラナ タラの芽 コゴミ フキ ワラビ・・・。
 これらはいずれも春の食べられる山菜で、これにタケノコを加えれば豊富そのもの。
 あくがつよいので煮て灰汁を抜けば特有の美味しさを味わえ春ならでは惣菜が楽しめる。煮付けによし天麩羅にして極上、酒の肴にしても申し分なし。
 ウドとアブラナ、筍をいただいたので酢味噌和えと天麩羅で夫婦2人の食卓には当分季節の香りが絶えないだろう。

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