prose-大雪

2013年12月7日 趣味
 大雪がふりはじめる時期になった。
 ほとんど降雪のない県南にいても窓にしんしんと降る情感をかもしだす言葉だ。
 肩の荷がかるくなって部屋の書類やら事務器具の配置換えをしていて一週間は過ごし、故障したパソコンを修理にだし空いた机上に新聞をひろげて寛いでいる。
 朝の陽光がカーテン越しに柔らかくなげかけてきた。
 コーヒーを飲みながら昨日のTVニュースをおもい、今日の新聞記事をなぞっていくと過っての五五体制にもどったような国会の有様に苦い違和感をかんじた。
 この冬はずいぶん冷え込む予報だ、手がかじかむ状況はもう勘弁してもらいたい。

prose-小話なわばり

2013年11月27日 趣味
 川畔にふたつのこんもりした林があって柳や落葉になる潅木が蔦などの蔓植物にからまれて繁っていた。ふたつの林はおよそ半里ほど離れていてそれぞれの中心にたくましく育った野グルミの樹を空につきだしていた。ときどき白鷺のコロニーの様相をていしていたが、秋深なってクルミが熟すこの期はハシブトカラスが上空を舞いはじめ日を数えるうちすっかりハシブトカラスの巣になってしまった。
 よくみていると、住民が驚くほど群れ集まり空の一画がまっくろになるほどに乱れ交い喧しい不気味な鳴声を不文律に放つのであるが、ふたつの巣には仲間からぬきんでいる体格の頭分がいて、東の方は仮にカン太郎かたや西はカン三郎と呼ばれているようだった。
 河川敷に繁茂したアシやガマの茎のあいだを野ネズミやカエルの小動物が跳躍して日のひかりを浴びたりすると、すかさず降下して捕食を逸しない貪欲強欲さをもちあわしている。だいたいハシブトカラスは雑食性でうごくものならなんでも襲いかかるし夏の暑い日にはうねいて抵抗するアオダイショウを銜えてとびたつときだってある。自分だけが捕食するわけでなく黒く大きな翼を草の葉すれすれに飛んではばたき、先物の小動物だけじゃなくバッタ類もおいたてて仲間の糧も確保する度量の大きさを持ち合わして頭分の地位をかためていた。
 ふたつの勢力にはそれなりの縄張りをもっていて、面積の広さはもちろん湿地が適当にあって小動物の塒づくりができる草丈の堤をかかえた良好な領分であれば申し分ない、合して群れの仲間の面倒がいい頭分がいればいきおい隆盛になる。
 最近カン太郎の仲間がにわかに膨張してきたのにはそのような主たる要因があった。勢力を維持するためには美味しくて枯渇の心配にない餌食の支配域をつねに翼下においておかねばならない、して仲間から配下への格付けした烏合の衆を養うために版図拡大をはかることにかりたてられカン太郎はまづ手始めに竜之口山に陣取る幾派の群れに攻撃をしかけて制覇し縄張りをひろげていった。そのなかにはカン太郎集団とは毛色のちがう群れもあったが強引に圧倒的な力でねじふせてきたのである。
 カン太郎はじめ幹部は飽食の栄養ゆきわたり自慢の羽や胸毛は漆黒の艶ますます映え堂々たる体躯になった、かたや部下の有様といえば貧に貪きわまり羽色鈍く痩せてきていた。ぶうぶう、不平不満の声があがり、さてはあちこちで暴動が頻発してきたのには幹部連中は鍋の蓋をして抑圧をした、しかし抑えれば抑えるほどに沸騰する不満はふきあがり幹部は危機感で顔色がなくなった。そこで使いふるした戦略を埃をはらって図った、いわく隣地のカン三郎エリアの飛地に斥侯のゲリラを放ち、はては「ここはおれんちの先祖が羽を休めていたところ、だから古来からおれんちの領地だ」と主張しはじめ、
「カン三郎集団が無謀に侵略してきたぞ」
 などと内外にのろしをあげたのである。
 なるほど不平不満がたまっていなないている馬の鼻づらににんじんをぶらさげられようなもの、上から抑えられた烏合のむかうところのエネルギーは、
「しゃらくせえ、カン三郎集団をやっけろ」
 よこしまな操縦で関心は安全弁の噴出口にながれたのである。
 いつしかなわばり争いは物質的な侵略にとどまらづ、いまや精神的な敵愾に養成されていつ果てることなし続いている。
 
 
 鳥取から移送されて岡山の檻で飼育されている「白いタヌキ」。
 ウサギがみたいという孫に便乗して動物園に、いい機会だから話題の狸を目的にワクワクしていたのであるが、なんとまあ想定外の現象にめんくらう、近辺の有料駐車場はすべて満杯のありさまでUターンして帰ろうかとおもうほどだった。イベントでもあるのだろうか玉串の状態の車はえらい遠くに誘導され、ある自治体の敷地に設けられた駐車場にすべりこんだ。遠くともシャトルバスのサービスはなかった。足に違和感を覚えながらとことこ歩きくたびれてしゃがみこんでいるガードマンになにごとですかと訊ねると今日は「無料開園の日」だと!
 しらなかった、へえ道理でタダだからだ、白いタヌキだけでこんなに大勢はありえないでしょうと、ごもっとも。
 

prose-チュウの道

2013年11月22日 趣味
 チュウとは焼酎のこと、子供のころ田舎の萬屋ではだるま焼酎で顔を赤くした大人をよくみた覚えがある。日本酒と比較してあまり評価されていなかったのに現代では炭酸でわったチュウハイが一大ブームになって興り、質と種類が改善されてから店頭では堂々とならべられている。
 いっとき安すぎるということで国税庁が増税して値上げの憂目にあったが、おっとどっこい焼酎は健在で他の酒より安価もあって嗜好度は肩をならべるようになった。
 ただダルマボトルを買い求めレジにつらなっているとだれかれなしの好奇のまなざしを感じ、大酒飲み奴、などと思われているように自覚する。
 芋より麦のほうが癖がなくて良、塩コンブを入れると旨味がくわわり湯割り一杯を肴なしで楽しむことができる。
 なにより体によいらしく診察のDrにあまり酒を飲むなという指導に、なに湯割り一杯ですから心配ありませんなどと弁明すると、
「自己判断するな、医者はオレだ」
「ショウチュウはいいんでしょう?」
「ばかもん、なんであろうとアルコールはアルコールだ、勝手なレールを敷くな」
「先生も晩酌やるんでしょ」
「まあな・・・」
 握手しましょうよ。


prose-孤の湖畔

2013年11月19日 趣味
 一刻ザッと木々をゆらして騒ぎ、しばらくして頼りない秋の陽が雲間からもれてきて明るくなった。
 身を隠した木陰をでてとぼとぼ山合い道を歩いた。
 一本の黄金に染まった銀杏の巨木がみたくて高原の湖畔に車を停めて小さな峠を越え下り坂に足をふみいれたとき、帰路の上り坂のことが思いよぎり悔いたがそのまま気持ちをおしもどした。下り坂は快適でどうってことはないのだが上り坂は負担が大きい、脚から股関節にかけて鈍い痛みがはしりやがて澱のようにたまって耐え切れなくなって歩をとめ大息をつくと刷毛で掃くように体が軽くなるのだ。その繰り返しなので登山などは遅々とすすまず同伴者にたいそうな迷惑をかけるのでこのところ単独の歩行をこころがけている。地形をえらんでなるたけ峠道を避けるようになってきた。
 あざやかな黄葉は遠出しなくてもあるにはあるが極天然のものをみたい、それもだれもが訪れないものがあればなお良い。
 厚く降り積もった落葉のなかにかがやく銀杏が日暮れの影を曳いていた。

prose-コウノトリ

2013年11月17日 趣味
 岡山市北区のたんぼに珍鳥が飛来してきた。
 足環の判別から隣県豊岡市の飼育したもの4羽、足環のない自然成長の2羽でうち1羽は事故で死んだ由、ぜひ目で見てみたいと現地へ走った。
 幹線道路から刈り跡のひろがる集落のある庭で主婦に今日の状況をたずねた。人馴れした鳥は目の前を田圃から田圃へ道路をわたる姿を写した写真帳とタブレット端末の画像をみせていただいた。
 すぐ西に直進道路があってその道路をはさんで両側の田圃にいつも餌とりしているそうだ、目前の広大な視野にはそれらしき動きの鳥は見えない、移動してみたらとの教示をえて、集落の狭い路地をぬけ広い道路とのT字交叉を左折し観察しながら南下していくと左手の田圃に、いた!、2羽がいた。
 多分つがいだろう、つかず離れずして果断に稲株間をつつきながら豊満なお尻をふりふり徘徊していた。頭に紅い模様があれば丹頂鶴そっくりだが体格はやや大きく尾羽の先の黒模様が少しちがうようにみえるのだが詳細に比較は知識不足で不可、緩慢におもえるしぐさは意外に敏捷でともすればシャッターチャンスを逸する。すぐ近くに寄っても驚かない。幾枚の田をこえさかんに嘴を使い餌を探しているのはザリガニの類らしい。
 そうこうするうちどこからわいてきたのかカメラマンがおびただしくおしよせてきた。
 高松城址の北面にふってわいた初冬のハプニングである。

prose-しのびあし

2013年11月16日 趣味
 インフルエンザの予防注射にでかけた。
 医院の待合室は老男女でごったがえしていた。

 これも健康への保険のつもり、万が一にそなえる処方のひとつ、もろもろの事象を考えてあれもこれも自己判断で事前行動できるのは民主主義のいいところ。なのだが健康保険の対象外であるインフルエンザはともかくとして今国会で審議されている社保改革法案が成立するとどうなるのか、年齢層によっては窓口負担が増加するので躊躇の事態になる。

 格差社会への足音に要警戒だ。

prose-奮闘

2013年11月14日 趣味
 友人の一人が肺気腫と肺癌でながい治療に専念していてがんばっている。たまに気がまぎれるだろうと思い電話している。幸いなことに小康状態で推移し張りのある声はかわりないので安堵している。なにか変化をかんじるとすぐさま病院にかけつける癖のあるわが身も罹病の百貨店のような按配、登山は止めこそすれ結構あちこち外出して楽しみ些少心身を癒している。知人、友人おしなべてなんらかの健康不具合をかかえて人生を下っている音信なるもそれなりの努力奮闘に余念がないようだ。

 澄みきった青空がスクリーンで雲は演者のようで好き勝手に流れている。陽を隠されるとたちまち屋内は忍者のごときの冷えがしのびよってくる。
 北国の冠雪たよりはいよいよ来たかと身構えるも、今日は孫娘の七五三で彼女の晴れ姿を思うとひとしれず心あたたくなる。

prose-文化の壷

2013年11月9日 趣味
「岡山県教職員美術展」
絵画 彫刻 写真 書の多岐にわたる品目の展示、特に「書」はさすがと思う作品ばかりだった。

「後楽園菊花展」
知人の出展があり出向く。

「岡山城菊花展」
規模、作品とも豪華絢爛だった。

 秋天好日に文化の香りを堪能してきた。
 

prose-古寺紅葉

2013年11月7日 趣味
 紅葉前線の南下がつたえられるが今眺める視野内の色はまばら、まだまだ山は緑の衣を纏っている。宝福禅寺の境内も紅い分には鮮やかに映えてはいるものの、おおかたは緑の衣が捨てがたく袂をかかえている境内の風情である。
 山門をくぐる前から大杉に護衛されているように黒々と建つ本堂が直線上にあり威容をほこっている。
 ひとわたり此処を巡り自我独尊の判断でポイントに思うところでシャッターをきる、本堂裏の楓一木が真紅に染まっていた。
 どういうわけか方丈前の雪舟さんはつむりの剃り跡の青青さを思わせるようないたいげな小僧姿、大人びた青年のなかに思春期の憂いを秘めた姿は山門ひだりにある坐像、いわれどおり後手にしばられ膝元の鼠と戯れていて二対そろい寺の風雅に趣をそえていた。紅葉一枝なりとも垂れていれば申し分ないのだが無となればすればそれも可となし、清廉さっぱりしている坐像である。
 鎌倉時代まえは天台宗のお寺で創立のちに臨斉宗に改宗、東福寺派中本山の格で西日本いちめんの臨斉宗布教活動拠点であったといわれている。
 本堂天井の龍の絵は、江戸時代のものといわれ幾年風月をかさねてか絵の具の劣化がいちじるしくそのぶん古刹を偲ばせていた。
  
 現役のころ、といっても大阪本社から転勤で岡山工場に赴任したときにこの寺でおこなわれる暁天座禅に2度参加したことがある。詳細は記憶のかなたへとんでいて思い出せないが、本尊のまえで集団就寝し朝あけやらぬまに起床、みずくろいして靄のおりたつ縁にて座禅を組んだ覚えがあるが、無我の境地とはほど遠いものだった。食事や雑巾かけをして解散し境内を歩むさい、朱の三重塔と見事に紅葉した木々の見送りをうけた覚えがある。
 
 旭川のランニングコースを愛犬と散歩、鉛色の厚い雲におおわれ、ときおり雲の流れに切れ目がでてきて磨きたりないダイヤのような光りを浴びながら走り急ぐバロンについていく。右や左の路肩によってはクンクンと嗅ぐものだからテンポの乱れがはなはだしいいたらない、そこでリードを短くすると制御されて機嫌をそこねこねなおさら早く走る、たちまち岡北大橋、新幹線、在来線の橋脚をくぐり後楽園にたどりついてしまった。
 犬も人間も堤防の階段にすわりこんでハアハア大息をついた。
 うしろからテニスのラケットを振りながら歩いていた人が笑いながらたちどまり「犬の散歩しているのをみていると大抵いきがけは犬がひっぱり帰りは人が引っ張っている]と愉快気にいわれる。
 ところが我家はちがう、バロンは生後1年、人間年齢でいえあば17才の青春真っ只中だから往きも帰りも先頭で走りまくり、いやけがさして誰もいないの確認してリードを放してやると俄然いきおいづきそこいらを疾駆、くさむらもなんのその突入してあげく草の実を全身に飾って還ってくる。
 人間は往復ヨタヨタである。 

prose-あぶく

2013年11月4日 趣味
 還流のない沼をみていると微細な泡がたっているときがある、たまに大きなものが水面をわって吹きあがりおどろく。
 木の葉など有機質なものが吹き溜まって、水面下の土壌にまじり腐食をかさねて気化しその膨張で放出するものである。
 今、つぎつぎとあきらかになっているホテルの食材偽装はそれによく似てい、
 堆積とか慣性のなかには組織の傲慢さといわれるものが介在して増長させているように思う。
 雲のない秋空、澄みきって天高くとはこのこと、国分寺の五重塔がいかさま黒くそびえその甍はあわく光って巨大な物の怪のようにそびえ吉備路を睥睨していた。

「よう!」
「よう!」
と、隣のバズカー砲のカメラを構えている人に顔見知りの仲間だろうか声をあげて寄ってきた。
「讃岐からよう遠くまできたなあ」
「今、吉備路がにぎやかじゃ言うからな」
 聞く耳たてるでなし大勢のなかの二人の会話はゴマのようにあつまっているオジンとオバンのカメラマンのあたまを逆巻いていく。
「コンデジはレンズ換えんでええから便利じゃな」
 バズカー砲が寄ってきた人のカメラをみてそういう。痛烈な皮肉だ。
「オレはコンテストへだすからなこれでないといかんのよ」
と、バズカーを撫でていた。

 報道のすさまじさを改めて確認した。
[「夏のひまわり」と「秋のコスモス」が同じくして国分寺前のたんぼにミックス繚乱然として咲いている]との報道が新聞&TVにながれ、大仰にいえばごまんの人たちがおしよせてきた。過去しげく通っているがこんな人出にあったのははじめてだ。
さらに殆どの人が多種多様なカメラをもっていて、無神経症候群もあいもかわらず出没、ファインダをのぞいているのにレンズ前にわりこみカメラを構える、カメラの放列は五重塔をバックにした風景なのに視野の畦に堂々とはいりこみニッコリと笑ってV字のピースサインをえんえんとくりかえすオバタリアン、だからといって怒るわけにもいかずカメラマンは忍の一字でひたすら待つのみである。

 異変つづきとはいえ夏と秋のコラボレーションは妙に痛快だった。
 

 

 

prose-カリンの芳香

2013年10月29日 趣味
 たぼたぼの実に生ったカリン、幹ににわわず枝が撓るほどソフトボール大ぐらいあってたくさんの実をつけている。5月ぐらいに咲かす花はボケと似、華やかであって可憐な趣で人をひきつける。
 「全部とってもいいよ」隣人の奥さんが言ってくれたので遠慮なく買い物袋にいっぱい捥いだ。生食用にはならないが玄関や室内、車内におくと爽やかな匂いがたまらない、天然の芳香剤になる。
 明日も捥いでみよう、咽喉にいいかりん酒つくりに挑戦するか。

prose-繊維まつり

2013年10月27日 趣味
 毎年恒例の児島繊維まつりは天高く晴れわたり暑からず寒からず何年ぶりかでかけたこの日、潮の風も流れて好日の日和だった。児島駅前の駐車場にすべりこむまでは我慢を強いられてもう帰ろうかと思うほどの長い路上待機時間、やっと駐車できてバスターミナルへ歩きシャトルバスで会場の競艇駐車場へつれていかれた。テント店舗を見て回るよりなにより先ず小腹がすいてなだめるのが肝要、焼きそばとたこ飯を買い、日赤の献血広場で立ち食いのありさま、ことほど左様に人、人、人の波なのである。

prose-果物三昧

2013年10月25日 趣味
 桃 葡萄 梨 柿とくだものの旬をあじわって堪能し今は無花果をつまんでいる。店頭に美味しそうに熟したものが並びついつい財布の紐をゆるめてしまう。古来からの和種のものもあるが食べるのには洋来のほうが質感と甘味にたける。皮をむいて果肉にかぶりついと甘味が口腔にひろがりぷつぷつと種がつぶれる感触がたまらない。無花果のあて字では花が咲かないと書くが実際は内包されていて、いっしょくたに食べてしまっているのである。
 子供のころ裏の土堤に大きな木があって秋雨にうたれる無花果がたくさん実をつけお八つに絶好だった。蝸牛が幹を這っていて競争のようにもいで食べていた。
「さくい木じゃけぇ、のぼるんじゃないよ」
 母の注意あらばこそ、足をかけた枝が親幹から裂けすってんころり土堤の傾斜をころがって3メートル下の小道に落ちたことがある。
 手足を擦り頭をしたたかうって不思議にはなさなかった無花果は掌で無残に赤くつぶれていた。
 もうじき果物のない冬が時計の針のように歩み寄ってくる最終のくだものだ。

prose-秋の陽に

2013年10月22日 趣味
 雲のなかで秋の陽射しがすけて見え、その光りは春のほんわかとした湧きたつ温もりと違って体の一部がひえびえとする棘がある。
 これが時計の振子のように天候に左右されてきたふにゃけた体には刺激があっていいのかもしれない。
 外に椅子をすえて月刊誌をよみふけった。
 ラジオでコラムニストの天野祐吉さんが亡くなったとの報道が流れた。ユーモラスで辛口の批評文がもう読めなくなった。

 デパートで開かれている書道展にでかけ一覧したのち角羊亭氏の揮毫を拝見した。同窓生の5人が集まりミニミニ同窓会の雰囲気でトークをまじえながら軽快に筆を揮う羊亭氏に感動した。ふるさとを同じくしているので、「ふるさと北房」「秋櫻花」「蛍」と揮毫していただいたのでなによりの思いを強くした。
 
 

 台風一過、チャリンコで外出すると爽やかな気分になったが何せ台風の余波でむかい風がつよい、だんだん脚に負担がかかり世の風を一身に受けている気分になってきた。百閒川にかかる勾配を押して歩くのは、回転する乗り物を手押しで歩くなんて本末転倒の思いであったが下りは最高、風をきって走るときの爽快さは人生そのもの、憂いあれば楽もありで起伏もよしとしたいが、帰りのことを考えると鬱陶しいのである。
 電器量販店で小物を調達し、いつもの河川敷で短距離のウォーク。
 トランペットの音が流れてきていいリズムの歩行しているうちに突然みだれて躓きそうになる、ニニロッソとはなかなかいかないようだ。
 折り返しは急ぎ用もなし、口笛を吹いて走れれば申し分ないのだが脇を車がビュンビュン走り対向自転車でもあると片足をついて待つようになるので、裏道の住宅街をぬける。ゆっくり軒並を見ながらペタルを踏んで帰ろうと思っているのだが、いつのまにかやみくもに脚に力がはいり膝が痛くなるほど漕いでいて、はっと気がつき、スローダウンでいくとこれまた徘徊している気分におちいりはなはだ面白くない、で元どうりいっぱいに漕ぐようになる。
 さして用事もないのになにを急ぐのか、自分でもわからいのである。

 

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