新見界隈探訪
2006年7月8日?浅間・・シデシャジン撮影、ギンバイソウは未開花。ミゾホウズキ、クサノオウ、イワガラミ、コムラサキ盛花。
?高尾谷・・道路工事中にて中止。
?市内の美味い冷やしウドンで満足。
?久保井野・・ユウスゲもはや盛期過ぎ。ママコナ、イチヤクソウは盛期。ヒメユリ探索も未遂。林内にブト、カが多く虫除けスプレーが必要。
?無明谷・・ギンバイソウ未開花。
?熊野・・コヒルガオ、ヤブカンゾウ盛期。
?豊永・・ユウスゲ盛期。
?北房、吉備新線・・ビロードモウズイカ盛期。ネジバナ、ネム盛期。
?高尾谷・・道路工事中にて中止。
?市内の美味い冷やしウドンで満足。
?久保井野・・ユウスゲもはや盛期過ぎ。ママコナ、イチヤクソウは盛期。ヒメユリ探索も未遂。林内にブト、カが多く虫除けスプレーが必要。
?無明谷・・ギンバイソウ未開花。
?熊野・・コヒルガオ、ヤブカンゾウ盛期。
?豊永・・ユウスゲ盛期。
?北房、吉備新線・・ビロードモウズイカ盛期。ネジバナ、ネム盛期。
ひたすら北進探訪撮
2006年7月5日大佐から蒜山まで北進。新見赤松という渓谷にツキノワグマが渓流を渡っていた報道があった現地も停車して観察。いつなんどき出没してもおかしくない雰囲気。車からつかず離れず山野草を撮影。
新庄から蒜山にかけて初めての花もあって有意義な一日。
蒜山はハンカイソウの最盛期。
新庄から蒜山にかけて初めての花もあって有意義な一日。
蒜山はハンカイソウの最盛期。
自然保護C
2006年7月4日高温多湿で擂鉢の底のような地形の保護センターで、いい汗をかいた。ダイエットにはもってこいの環境と思える。
一番の狙いはオグラセンノウ。
クサレダマの群落には驚いたし感激した。
タンチョウツルの甲高い声が谷間のすみずみまで木霊していた。
気がついたら結構な種類の花を撮っていた。
一番の狙いはオグラセンノウ。
クサレダマの群落には驚いたし感激した。
タンチョウツルの甲高い声が谷間のすみずみまで木霊していた。
気がついたら結構な種類の花を撮っていた。
暑い!暑い!、温度計はどんどんうなぎのぼり。
いやがる愛犬の散髪もあまりも汗が出るのでトラ刈り。
本犬は平気なので、しばらくこれでいいかあ。
種松山に向かう。
K氏に教えてもらった湿地がわからない。
枝道の出入りをかさねたがわからずじまい。
頂上公園の木陰に車を停めて昼食。同じように弁当をパクっているサラリーマンが多い。なかには運転席から足をだして虫干している。
水島へ降りる。
倉敷の美しい森に行く。何年から前より植林が育っていた。
管理棟が唯一の日陰。
「湿地になにか咲いていますか」
「さあて、今はなんも咲いとらんだろう」
「トキソウとかモウセンゴケとか咲いていませんか」
「さあて、興味がねえからよう分からんが、あそこは年中湿地で蝮が多いそうです。来たひとがあちこちで見たゆうてじゃった。じゃから私はあんなとこは行かんのです。勇気だしていってみなせえ」
したがって、勇気を出していってみた。
板橋に屈んでしばらく目を皿にしたが花影もない。下のため池に流れる沢が水音をかねでていたばかり。蝮もこの暑さではでるにでれないだろう。
遊歩道に咲いていたネジバナ、ハハコグサ、チチコグサを撮ってひきあげた。
いやがる愛犬の散髪もあまりも汗が出るのでトラ刈り。
本犬は平気なので、しばらくこれでいいかあ。
種松山に向かう。
K氏に教えてもらった湿地がわからない。
枝道の出入りをかさねたがわからずじまい。
頂上公園の木陰に車を停めて昼食。同じように弁当をパクっているサラリーマンが多い。なかには運転席から足をだして虫干している。
水島へ降りる。
倉敷の美しい森に行く。何年から前より植林が育っていた。
管理棟が唯一の日陰。
「湿地になにか咲いていますか」
「さあて、今はなんも咲いとらんだろう」
「トキソウとかモウセンゴケとか咲いていませんか」
「さあて、興味がねえからよう分からんが、あそこは年中湿地で蝮が多いそうです。来たひとがあちこちで見たゆうてじゃった。じゃから私はあんなとこは行かんのです。勇気だしていってみなせえ」
したがって、勇気を出していってみた。
板橋に屈んでしばらく目を皿にしたが花影もない。下のため池に流れる沢が水音をかねでていたばかり。蝮もこの暑さではでるにでれないだろう。
遊歩道に咲いていたネジバナ、ハハコグサ、チチコグサを撮ってひきあげた。
PCトラブル第二弾&山歩き
2006年6月27日サーバー接続不能症候群。今朝やっと原因を突き止め一段落。
豪雨がウソのような晴れで、11時にHGの吉備高原に走る。先日の撮影分がトラブルのあおりを食って消滅してしまったので再挑戦。草丈が膝あたりまで成長している中を歩くので、厚手の靴下に長靴を履いた。用心に越したことはない。
最初の山はカキランが咲いていた。1株か、と思ったら以外や周囲にたくさん咲いていた。モウセンゴケが咲いていた水路脇はものの見事に刈り払われて痕跡もない。
一つ奥の山には目をつけていたカキランが咲いていて、ササユリが一輪のみ残り花として迎えてくれた。近くの農家の女性が通りかかり、
「この辺はユリがようけい咲くでな。ピンクや橙色のが咲くんでな。またおいでんせえ」
ピンクはササユリだろう。橙色のは、多分ユウスゲだろうと推察する。
夕方まで待っていられないので吉備高原都市まで帰り、アイスクリームで喉を癒し、今度は先刻のひとつ南の道に入る。さすがホナガタツナミソウは花弁を散らし小さな実をつけて地上葉が残っていた。湿地にはクサレダマが3株あったが茎丈ごあるので湿地に花条が倒れていた。小径をトラバースして杉の植林帯まで行くと鬱蒼としたササ床にササユリが10輪程度散見できた。
シライトソウはまだ健在である。
多い湿度の晴れだから立っているだけで蒸し暑くて、アップダウンの山歩きは全身汗に濡れ長袖のシャツが色変わりした。
豪雨がウソのような晴れで、11時にHGの吉備高原に走る。先日の撮影分がトラブルのあおりを食って消滅してしまったので再挑戦。草丈が膝あたりまで成長している中を歩くので、厚手の靴下に長靴を履いた。用心に越したことはない。
最初の山はカキランが咲いていた。1株か、と思ったら以外や周囲にたくさん咲いていた。モウセンゴケが咲いていた水路脇はものの見事に刈り払われて痕跡もない。
一つ奥の山には目をつけていたカキランが咲いていて、ササユリが一輪のみ残り花として迎えてくれた。近くの農家の女性が通りかかり、
「この辺はユリがようけい咲くでな。ピンクや橙色のが咲くんでな。またおいでんせえ」
ピンクはササユリだろう。橙色のは、多分ユウスゲだろうと推察する。
夕方まで待っていられないので吉備高原都市まで帰り、アイスクリームで喉を癒し、今度は先刻のひとつ南の道に入る。さすがホナガタツナミソウは花弁を散らし小さな実をつけて地上葉が残っていた。湿地にはクサレダマが3株あったが茎丈ごあるので湿地に花条が倒れていた。小径をトラバースして杉の植林帯まで行くと鬱蒼としたササ床にササユリが10輪程度散見できた。
シライトソウはまだ健在である。
多い湿度の晴れだから立っているだけで蒸し暑くて、アップダウンの山歩きは全身汗に濡れ長袖のシャツが色変わりした。
よくない日曜日
2006年6月18日?HP修復に没頭ー回復せずに落日。
?ワールドカップも対クロチア戦は手ごろの時間帯なので放映をみる。あれは胃にもたれるようなスポーツだ。高温のグラウンドをあれだけ駆け回り、最小の得点を奪い合う競技は〔労を多くして・・・〕に尽きる。緊迫感に欠ける。
逆にバスケなどはあきれるほどの得点をカウントしてこれも飽きる。サッカーもバスケとはいかないでも、も少しプレーするグラウンドを縮小したらどうだろうか。
・・・と無責任な感想を。
?ワールドカップも対クロチア戦は手ごろの時間帯なので放映をみる。あれは胃にもたれるようなスポーツだ。高温のグラウンドをあれだけ駆け回り、最小の得点を奪い合う競技は〔労を多くして・・・〕に尽きる。緊迫感に欠ける。
逆にバスケなどはあきれるほどの得点をカウントしてこれも飽きる。サッカーもバスケとはいかないでも、も少しプレーするグラウンドを縮小したらどうだろうか。
・・・と無責任な感想を。
雨天
2006年6月15日どうにか公の仕事もすんだし、明日は山へと気がはやっていたが深夜から雨脚が車庫の屋根を叩きだした。
深夜までHP更新の試みをあれこれして結局いらいすぎて魑魅魍魎のようになって、現時点ではあきらめた。このままの状態を脱するのは私の力量では限界である。
結論的には訪問していただいている常連の皆さんにはご迷惑をかけることになるかもしれない。熱頭の冷却をまって再トライするつもりだが、完全に匙を投げて打ち切り、あらたなサーバーを立ち上げる状態になるかもしれない。
話は元に戻り、天気ならば県北の高い峰をはしり、根曲がり竹の(タケノコ)を採集するつもりでいた。少々遅いかも知れないがあのタケノコは美味い。皮付きのまま茹でて灰汁を抜き、皮を剥いで煮付けなり天ぷらにしても美味。峰筋には無尽蔵にある小竹だから採ることにはこだわりはない。スーパーなどに山菜具としてワラビ等と一緒に袋詰めしているが、あのなかの鉛筆ぐらいのタケノコの輪切りがはいっているのがそうである。手で折るとポッキと折れるからいともたやすい山菜である。
県北の道の駅にいくと少量を結構な値段で売っている。
ああ明日も天気は良くないようだ。
なので、思いついたのげ吉日、カメラを持たずに激しい風雨のなかを上斎原に疾駆。合羽を着て、タケノコが竹になった藪をかきわけ10本ほどの収穫を得た。遅かりし!である。来年こそは。
廻って中津河に行くとヤグルマソウが大葉に育つも花芽はのぞきこそすれ観賞にたえるものでなし。下旬ごろの再行が適か。
深夜までHP更新の試みをあれこれして結局いらいすぎて魑魅魍魎のようになって、現時点ではあきらめた。このままの状態を脱するのは私の力量では限界である。
結論的には訪問していただいている常連の皆さんにはご迷惑をかけることになるかもしれない。熱頭の冷却をまって再トライするつもりだが、完全に匙を投げて打ち切り、あらたなサーバーを立ち上げる状態になるかもしれない。
話は元に戻り、天気ならば県北の高い峰をはしり、根曲がり竹の(タケノコ)を採集するつもりでいた。少々遅いかも知れないがあのタケノコは美味い。皮付きのまま茹でて灰汁を抜き、皮を剥いで煮付けなり天ぷらにしても美味。峰筋には無尽蔵にある小竹だから採ることにはこだわりはない。スーパーなどに山菜具としてワラビ等と一緒に袋詰めしているが、あのなかの鉛筆ぐらいのタケノコの輪切りがはいっているのがそうである。手で折るとポッキと折れるからいともたやすい山菜である。
県北の道の駅にいくと少量を結構な値段で売っている。
ああ明日も天気は良くないようだ。
なので、思いついたのげ吉日、カメラを持たずに激しい風雨のなかを上斎原に疾駆。合羽を着て、タケノコが竹になった藪をかきわけ10本ほどの収穫を得た。遅かりし!である。来年こそは。
廻って中津河に行くとヤグルマソウが大葉に育つも花芽はのぞきこそすれ観賞にたえるものでなし。下旬ごろの再行が適か。
PC復元没頭
2006年6月12日昨日はワンタッチ操作のミスでHPの原版が一瞬にして消滅。乏しいありとあらゆる知識を動員して、やっと昨晩遅く復元できた。が、復元されたものはバラバラ、再構築の作業は今日も続く。
通常バックアップをとっているが、これだけはとっていなかった。そのツケがきた、という心境。ただしHPは支障なしなので見られるし、書き込み投稿受付はOK。更新のみ不可能。
今朝は震度4で覚醒。近来ない横揺れ体感。揺れ戻しを警戒して階下に。異常なし。報道も西国地方の被害はないとのこで安心。
通常バックアップをとっているが、これだけはとっていなかった。そのツケがきた、という心境。ただしHPは支障なしなので見られるし、書き込み投稿受付はOK。更新のみ不可能。
今朝は震度4で覚醒。近来ない横揺れ体感。揺れ戻しを警戒して階下に。異常なし。報道も西国地方の被害はないとのこで安心。
オオバ&オオバコ
2006年6月9日オオバとオオバコは一字ちがいだが、この一字が意味合いを大きく変える。
オオバは今が旬で、包丁で刻むとなんともいえない新鮮な青臭さの芳香が立ち昇り、たちまち腹の虫が鳴き出す。冷やし麺の薬味に欠かせざるもので、田舎では〔青じそ〕といっていた。この天ぷらもカラッと揚げるといい惣菜になる。この前も恩原のいっぷく亭でこれを食べさせてもらった。本屋で立ち読みしていたら、オオバを刻んでカツオブシを振り醤油を少し馴染ませてから炊き上げのご飯にのせたら美味しくいただける、との記事にであった。さっそくやってみたら、オゥ、いける。食欲を揺さぶって持ち上げる美味しさだ。ただしオオバかご飯かご分からないほど載せたらいけない。つつましく載せるのがいい。栄養的にも申し分ないようで、ジュースにして飲む人がいるようだがこれは異にして青汁のようになって鼻をつまねばならないだろう。〔もう一杯!〕とはいかない。
オオバコは路傍の王様だ。見逃すのが難しいぐらい日本全国の平地といわず、高低の山にかかわらず生えている。漢字で大葉子と書く。若葉は和え物にして食用にされるとのことだが、今のところその意思がないので味は分からぬ。薬草の方が鳴り響いていて、塩もみしたものをおできの膿を出すのに用いる外、煎じては咳、下痢、利尿に効能ありとのことなのでまさに万能薬の趣である。お試しあれ。
ただし採集するには山奥のものを勧める。
なぜか?それは・・・、お考えあれ。
オオバは今が旬で、包丁で刻むとなんともいえない新鮮な青臭さの芳香が立ち昇り、たちまち腹の虫が鳴き出す。冷やし麺の薬味に欠かせざるもので、田舎では〔青じそ〕といっていた。この天ぷらもカラッと揚げるといい惣菜になる。この前も恩原のいっぷく亭でこれを食べさせてもらった。本屋で立ち読みしていたら、オオバを刻んでカツオブシを振り醤油を少し馴染ませてから炊き上げのご飯にのせたら美味しくいただける、との記事にであった。さっそくやってみたら、オゥ、いける。食欲を揺さぶって持ち上げる美味しさだ。ただしオオバかご飯かご分からないほど載せたらいけない。つつましく載せるのがいい。栄養的にも申し分ないようで、ジュースにして飲む人がいるようだがこれは異にして青汁のようになって鼻をつまねばならないだろう。〔もう一杯!〕とはいかない。
オオバコは路傍の王様だ。見逃すのが難しいぐらい日本全国の平地といわず、高低の山にかかわらず生えている。漢字で大葉子と書く。若葉は和え物にして食用にされるとのことだが、今のところその意思がないので味は分からぬ。薬草の方が鳴り響いていて、塩もみしたものをおできの膿を出すのに用いる外、煎じては咳、下痢、利尿に効能ありとのことなのでまさに万能薬の趣である。お試しあれ。
ただし採集するには山奥のものを勧める。
なぜか?それは・・・、お考えあれ。
いよいよ
2006年6月8日梅雨入りだ。雷の鳴り物いりで華々しくやってきた。1ヶ月近く湿気の多い日々をすごさないといけない。
避けて通れないのだから、楽しく過ごす梅雨を考えねば、と思案している。
避けて通れないのだから、楽しく過ごす梅雨を考えねば、と思案している。
〔幻の漬物〕はなかった
2006年6月7日コメント (6)メロンの産地といえば〔夕張〕が先ず浮かぶ。さして好物ではないがそれと同じように岡山のメロン産地は?と訊かれれば〔足守〕と答えれるほどに、〔足守メロン〕は市民権を得た果物になった。なんでも盛期は西川きよしのように目が飛び出るほど高値がつくそうだ。食べれる人は大いに買って食べてもらいたい。
知人からメロンの漬物だある、と聞いた。
今の時期は受粉のあと蒼い小さな果実を着け、栽培の効果をあげるために余分とされる果実を摘み取るのだが、この未熟実を味噌に漬けたものらしい。ただ単に漬けるだけか、あるいはそこに味付けのノウハウが加わっているのかは食味していないので定かではない。栽培途上の副産物であり栽培農家が片手間にする嗜好品らしい。量的に流通に乗るものではなく、しかも正真正銘季節限定品である。成熟した物の漬物ですといわれたら、それこそゲップが出て見たくも無いし、第一味噌がいくらあっても足りないだろう。
果物のメロンには手を出したくないが、漬物とくれば味を利きたくなる。
おぼろげに聞いた青空市(そこしかないらしい)に朝早くでかけてみた。180号線から足守に入って、ここぞという辺りを徐行しながら走っていって、とうとう黒谷ダムに至った。らしきものは皆目なし。
以上が先日の話。
知人にあらためて訊くと場所位置は、なんと吉備新線を下りて直ぐのところ。180号線の足守からだととんでもない大回りである。でも、知人のために弁解しておくと足守に奥さんの実家があって、周囲の地理は足守の中心地からみる癖がついているのだ。行政区域は岡山市足守でいささかも間違いない。
人間の世の中、コロンブスのタマゴは珍しくも無いが。
ここからは今日の話。
そこで迷わず吉備新線を、快適に走った。
加茂川線を左折。走ればイヤでも分かる青空市に到着。
青空はアオテンなのに、こちらは掘っ立て小屋市なのだ。全国にある青空市の多くはこの類で、簡易ながら屋根あり壁あり庇あり、閉店後のセキュリティも万全である。まして山の上の森林の中であるからグリーンシャワーを浴びながら買物できるのは貴重な環境ではないか。
なぜか隣は墓地である。
敷地もさして広くない店で、扱う農産物も多くはないが、市だから一応青物が氾濫している。にじり口で小父さんが取立てワラビを揃えて紐括りしている。小母さんはなにかしら品揃えしている。奥で姐さんがダンボール箱から商品をとりだしている。奥の段棚は加工品で埋まっていた。
「いらっしゃい」と、ずいぶん遅れて姐さんに歓迎の挨拶をもらった。
一通り見渡した。ない!ないではないか!
「メロン!」私は右手の親指と人指し指で小さい丸を作って、言った。「の漬物があるということを聞いてきたんじゃが、無いねー」
なぜかしばらく返事がない。この空白はなんだ!
小父さんは知らんぷり。奥のお姐さんが、「ありゃあ、いつもこつもないんじゃけぇ」といいながら手の動きは止まらない。「作ってる農家もそれが目的じゃあなかろう、あるときに持ってこられるだけで、いつになるか分からんし、あったときにこられたあ人はよっぽど幸せもんじゃ、そういう人が多いじゃけど、予約して帰りんさるんじゃ」
「えっ、予約制ですか」姐さんが、したり顔で頷いた。
「店頭に並べるほどの量じゃあねえけえのう」とこれは小母さんの後押し。
南無三、予約していつ来れるわけでなし、ここは諦めが肝心。
せっかくだから、新鮮な葱とキュウリ、破竹を買う。大好物のオオバはなかった。小父さんは、モクモクとワラビの紐掛けに専念していたが、突然、
「ヨウ!兄貴!」と大声を張り上げた。
すると息子のような年齢の青年が真向かいの山から降りてきた。顔見知りの仲だろう、みんなで雑談しだした。
「破竹を買わんか」小父さんは商売気をだす。
「破竹なら取りにいきゃあなあんぼでもあらあ」と青年。
姐さんが奥から、「この人ァとるんじゃけえおえんわあ」
「じゃあワラビはどうじゃ」と手先を変える。
「おそうまであるのう、ワラビは」とうまいぐあいに話を逸らす。なかなかもってシワイと、診た。
「彼岸まである彼岸まで、茅のなかにあってみなはわからんがのう、わしゃ生えるとこう知っとるけえの」
「ほうか」
会話をメモするわではないので、耳取材をこの辺できりあげる。
「ありがとう」
小母さん&姐さんの標準語のハーモニーに送られて車に乗った。
知人からメロンの漬物だある、と聞いた。
今の時期は受粉のあと蒼い小さな果実を着け、栽培の効果をあげるために余分とされる果実を摘み取るのだが、この未熟実を味噌に漬けたものらしい。ただ単に漬けるだけか、あるいはそこに味付けのノウハウが加わっているのかは食味していないので定かではない。栽培途上の副産物であり栽培農家が片手間にする嗜好品らしい。量的に流通に乗るものではなく、しかも正真正銘季節限定品である。成熟した物の漬物ですといわれたら、それこそゲップが出て見たくも無いし、第一味噌がいくらあっても足りないだろう。
果物のメロンには手を出したくないが、漬物とくれば味を利きたくなる。
おぼろげに聞いた青空市(そこしかないらしい)に朝早くでかけてみた。180号線から足守に入って、ここぞという辺りを徐行しながら走っていって、とうとう黒谷ダムに至った。らしきものは皆目なし。
以上が先日の話。
知人にあらためて訊くと場所位置は、なんと吉備新線を下りて直ぐのところ。180号線の足守からだととんでもない大回りである。でも、知人のために弁解しておくと足守に奥さんの実家があって、周囲の地理は足守の中心地からみる癖がついているのだ。行政区域は岡山市足守でいささかも間違いない。
人間の世の中、コロンブスのタマゴは珍しくも無いが。
ここからは今日の話。
そこで迷わず吉備新線を、快適に走った。
加茂川線を左折。走ればイヤでも分かる青空市に到着。
青空はアオテンなのに、こちらは掘っ立て小屋市なのだ。全国にある青空市の多くはこの類で、簡易ながら屋根あり壁あり庇あり、閉店後のセキュリティも万全である。まして山の上の森林の中であるからグリーンシャワーを浴びながら買物できるのは貴重な環境ではないか。
なぜか隣は墓地である。
敷地もさして広くない店で、扱う農産物も多くはないが、市だから一応青物が氾濫している。にじり口で小父さんが取立てワラビを揃えて紐括りしている。小母さんはなにかしら品揃えしている。奥で姐さんがダンボール箱から商品をとりだしている。奥の段棚は加工品で埋まっていた。
「いらっしゃい」と、ずいぶん遅れて姐さんに歓迎の挨拶をもらった。
一通り見渡した。ない!ないではないか!
「メロン!」私は右手の親指と人指し指で小さい丸を作って、言った。「の漬物があるということを聞いてきたんじゃが、無いねー」
なぜかしばらく返事がない。この空白はなんだ!
小父さんは知らんぷり。奥のお姐さんが、「ありゃあ、いつもこつもないんじゃけぇ」といいながら手の動きは止まらない。「作ってる農家もそれが目的じゃあなかろう、あるときに持ってこられるだけで、いつになるか分からんし、あったときにこられたあ人はよっぽど幸せもんじゃ、そういう人が多いじゃけど、予約して帰りんさるんじゃ」
「えっ、予約制ですか」姐さんが、したり顔で頷いた。
「店頭に並べるほどの量じゃあねえけえのう」とこれは小母さんの後押し。
南無三、予約していつ来れるわけでなし、ここは諦めが肝心。
せっかくだから、新鮮な葱とキュウリ、破竹を買う。大好物のオオバはなかった。小父さんは、モクモクとワラビの紐掛けに専念していたが、突然、
「ヨウ!兄貴!」と大声を張り上げた。
すると息子のような年齢の青年が真向かいの山から降りてきた。顔見知りの仲だろう、みんなで雑談しだした。
「破竹を買わんか」小父さんは商売気をだす。
「破竹なら取りにいきゃあなあんぼでもあらあ」と青年。
姐さんが奥から、「この人ァとるんじゃけえおえんわあ」
「じゃあワラビはどうじゃ」と手先を変える。
「おそうまであるのう、ワラビは」とうまいぐあいに話を逸らす。なかなかもってシワイと、診た。
「彼岸まである彼岸まで、茅のなかにあってみなはわからんがのう、わしゃ生えるとこう知っとるけえの」
「ほうか」
会話をメモするわではないので、耳取材をこの辺できりあげる。
「ありがとう」
小母さん&姐さんの標準語のハーモニーに送られて車に乗った。
梅雨払いの一日
2006年6月5日比婆帝釈国定公園のなかにある道後山に向かう。
道後山にストレートに登るコースはスキー場のの下にあるが、月見が丘の駐車場にまで車を走らす。道後山スキー場の頂点で草原に包まれた休憩舎があり、その下にはリフトの終点施設が今は人気も無く直立している。
一行6人のうち5人、すなわち体調思わしくない私を除いて岩樋山登山に出達する。私は薫風に身を晒して峰々を仰ぎ見つつ近辺の野花を探して歩く。因みに道後山は岩樋山の向こうにあり駐車場からは岩樋山に隠れて見えない。岩樋山(1268,9?)、道後山(1271.2?)。
登山口の樹林の草地には、吉備高原ではすっかり姿を消したチゴユリが群生。ウマノアシガタ等の黄色花が日当りのいい草原を一色に染め上げている。
駐車場の入口にあるナナカマドの木の下で昼食を摂り、そのまま草地にひっくりかえり午睡をむさぼる。小一時間は眠る。護衛のようにまとわりつく虻の羽音と蟻の噛み付きで覚醒。
あらためてあたり一周を徘徊するも珍種なし。
車道に出てみてアカモノの群落をみつけた。カメラを構えて腹這いになりコマ数を重ねた。
新装成ったトイレ舎の屋根越しに、登山道の樹林地帯を抜けたあたりに休憩所が遠謀でき、そこから〔オーイ!〕という風に乗った呼びかけが聞こえてきた。グループらしき人影がちらちらしていた。両手を挙げて合図をする。
柏餅を2個食べながら登山入口で出迎えた。皆々さん、一様に疲れた顔である。
私は少し気が満ちてきたような気がしてきた。
道後山にストレートに登るコースはスキー場のの下にあるが、月見が丘の駐車場にまで車を走らす。道後山スキー場の頂点で草原に包まれた休憩舎があり、その下にはリフトの終点施設が今は人気も無く直立している。
一行6人のうち5人、すなわち体調思わしくない私を除いて岩樋山登山に出達する。私は薫風に身を晒して峰々を仰ぎ見つつ近辺の野花を探して歩く。因みに道後山は岩樋山の向こうにあり駐車場からは岩樋山に隠れて見えない。岩樋山(1268,9?)、道後山(1271.2?)。
登山口の樹林の草地には、吉備高原ではすっかり姿を消したチゴユリが群生。ウマノアシガタ等の黄色花が日当りのいい草原を一色に染め上げている。
駐車場の入口にあるナナカマドの木の下で昼食を摂り、そのまま草地にひっくりかえり午睡をむさぼる。小一時間は眠る。護衛のようにまとわりつく虻の羽音と蟻の噛み付きで覚醒。
あらためてあたり一周を徘徊するも珍種なし。
車道に出てみてアカモノの群落をみつけた。カメラを構えて腹這いになりコマ数を重ねた。
新装成ったトイレ舎の屋根越しに、登山道の樹林地帯を抜けたあたりに休憩所が遠謀でき、そこから〔オーイ!〕という風に乗った呼びかけが聞こえてきた。グループらしき人影がちらちらしていた。両手を挙げて合図をする。
柏餅を2個食べながら登山入口で出迎えた。皆々さん、一様に疲れた顔である。
私は少し気が満ちてきたような気がしてきた。
優雅な一日
2006年6月3日行きつけの喫茶店で香り高いコーヒーを喫する。
シンフォニーのCDショップでクラシックの視聴を堪能する。ブラームスのピアノ協奏曲が素晴らしい!と、いううといかにもクラシック通と思われるが実はさっぱり理解していない。ヘッドホーンで全身が震えるほどの音質で聞いて〔うっとり〕することができたら、それで私にとったら名曲である。
或る作家は原稿を書くときにモーツアルトのピアノ協奏曲を部屋に流していると、創作力が高揚すると発言していた。シューベルトなどは高揚しすぎて書けないそうだ。聞くためだけの音楽で、聞いてモチーフのバネにはならないということか。
モーツアルトは何枚か持っているがいまだそういう発露にいたっていない。ただしいい音楽であることには違いない。パソコンにCDを入れてヘッドホーンで聞くのであるが、目を閉じて聞くので魂を揺さぶられるのであるが、いつのまにか睡魔にとりつかれてしまう。大天才と極めつき凡才の違いであろう。
二科に2回入選した画伯と落ち合い、随伴して県立図書館に行く。
検索モニターの使えない画伯の代役で、スイス生まれのリレーの画集を検索したら書架ではなくて書庫にあるとの表示。職員に閲覧を依頼し出してきてもらう。絵画もクラシックと同様に系統的によく理解していない私は具象画であろうが抽象画であろうが心琴に触れないと名画とは思わない、すこぶる粗野な人間である。
呼び出されてカウンターに取りに行くと、重たい画集を2冊渡された。画伯の見る間、他の一冊を私は見た。抽象画である。何を意図して画いているのかよく分からない。最初はページを丁寧に送っていたもの、途中からは画集を立ててパラパラ送って、投げ出した。
画伯は身じろぎもせずに一ページ一ページを丹念に見て捲っている。ポイントを解説したしていただく。
私は「・・・なるほど・・・なるほど」と頷く。
この場合の〔なるほど〕は、不理解の[なるほど〕なので不敬きわまるのだが、〔なるほど〕以外の進行形言葉は他にみつからないのも事実なのだ。その点は遠うに、画伯も見抜いている。
画伯が山野草の写真に興味を示さないのと、同じである
私はなにごとによらず不明な本は最後にある解説文が好きだ。そこに書いてあるリレーのモチーフなるものをを読んで俄然興味が湧いた。
再度見直した。然るに、どう結びつくのか、分からずじまいに終わったのでる。
ただしリレーという人間像には大いなる興味が湧いた。解説文の内容をここに書くのは憚れるので止めておくが。
図書館の喫茶コーナーに行く。
葉を繁らしたプラタナスの下にある停留所で、ベンチに掛けているバス待ちの人を見ながらコーヒーを味わい、閉館まじかの時を過ごした。
こちらの方が活きた絵画に思えてならない。
シンフォニーのCDショップでクラシックの視聴を堪能する。ブラームスのピアノ協奏曲が素晴らしい!と、いううといかにもクラシック通と思われるが実はさっぱり理解していない。ヘッドホーンで全身が震えるほどの音質で聞いて〔うっとり〕することができたら、それで私にとったら名曲である。
或る作家は原稿を書くときにモーツアルトのピアノ協奏曲を部屋に流していると、創作力が高揚すると発言していた。シューベルトなどは高揚しすぎて書けないそうだ。聞くためだけの音楽で、聞いてモチーフのバネにはならないということか。
モーツアルトは何枚か持っているがいまだそういう発露にいたっていない。ただしいい音楽であることには違いない。パソコンにCDを入れてヘッドホーンで聞くのであるが、目を閉じて聞くので魂を揺さぶられるのであるが、いつのまにか睡魔にとりつかれてしまう。大天才と極めつき凡才の違いであろう。
二科に2回入選した画伯と落ち合い、随伴して県立図書館に行く。
検索モニターの使えない画伯の代役で、スイス生まれのリレーの画集を検索したら書架ではなくて書庫にあるとの表示。職員に閲覧を依頼し出してきてもらう。絵画もクラシックと同様に系統的によく理解していない私は具象画であろうが抽象画であろうが心琴に触れないと名画とは思わない、すこぶる粗野な人間である。
呼び出されてカウンターに取りに行くと、重たい画集を2冊渡された。画伯の見る間、他の一冊を私は見た。抽象画である。何を意図して画いているのかよく分からない。最初はページを丁寧に送っていたもの、途中からは画集を立ててパラパラ送って、投げ出した。
画伯は身じろぎもせずに一ページ一ページを丹念に見て捲っている。ポイントを解説したしていただく。
私は「・・・なるほど・・・なるほど」と頷く。
この場合の〔なるほど〕は、不理解の[なるほど〕なので不敬きわまるのだが、〔なるほど〕以外の進行形言葉は他にみつからないのも事実なのだ。その点は遠うに、画伯も見抜いている。
画伯が山野草の写真に興味を示さないのと、同じである
私はなにごとによらず不明な本は最後にある解説文が好きだ。そこに書いてあるリレーのモチーフなるものをを読んで俄然興味が湧いた。
再度見直した。然るに、どう結びつくのか、分からずじまいに終わったのでる。
ただしリレーという人間像には大いなる興味が湧いた。解説文の内容をここに書くのは憚れるので止めておくが。
図書館の喫茶コーナーに行く。
葉を繁らしたプラタナスの下にある停留所で、ベンチに掛けているバス待ちの人を見ながらコーヒーを味わい、閉館まじかの時を過ごした。
こちらの方が活きた絵画に思えてならない。
吉備高原、春の晩花
2006年5月31日春気分に浸る間もなく明日から夏。
春最後の晴れに連れられて21世紀の森に。すっかり濃緑化粧になった吉備新線の走行は爽快そのもの。車窓を開放してオゾンいっぱいの風は気持ちがいい。
シライトソウが林床に群落していた。木々の葉が繁ってきたので環境は薄くらい。腰を落として群落を見上げると蝋燭を無尽に立てたように見え、白衣で白鉢巻の妖女が蝋燭を片手に縦間を走りまわっているようにも見える。
陽光の眩しい田圃に下りてハナタツナミソウを写す。山間を変えてホナガタツナミソウを伺うと少し開き加減、油断していると時を逸してしまいそうなので撮影できそうなものを探してパチリ。
軽トラが横付けされて老夫婦がバケツを持ち林床一株の茶木に寄って茶摘をしだした。
廃品回収の流し声が山々に木霊して聞こえてきた。
春最後の晴れに連れられて21世紀の森に。すっかり濃緑化粧になった吉備新線の走行は爽快そのもの。車窓を開放してオゾンいっぱいの風は気持ちがいい。
シライトソウが林床に群落していた。木々の葉が繁ってきたので環境は薄くらい。腰を落として群落を見上げると蝋燭を無尽に立てたように見え、白衣で白鉢巻の妖女が蝋燭を片手に縦間を走りまわっているようにも見える。
陽光の眩しい田圃に下りてハナタツナミソウを写す。山間を変えてホナガタツナミソウを伺うと少し開き加減、油断していると時を逸してしまいそうなので撮影できそうなものを探してパチリ。
軽トラが横付けされて老夫婦がバケツを持ち林床一株の茶木に寄って茶摘をしだした。
廃品回収の流し声が山々に木霊して聞こえてきた。
河川敷漫歩
2006年5月29日梅雨の先触れのような天候の晴れ間。
百間川に車を停めて河川敷を歩く。
長板のベンチに営業マンらしき青年が鞄を枕にして昼寝をしている。
名の知らない小花が絨毯のようになって咲いている。
葦の中でひばりが盛んにさえずり、近くまで寄ると一際やかましく鳴いて飛び立つ。
汗ばんで車内に入り缶コーヒーを飲みながら文庫本をひろげた。
対岸のテニスコートの声が耳障りだったがいつのまにか気にならない状態なった。上と下の瞼がくっついたのだ。
百間川に車を停めて河川敷を歩く。
長板のベンチに営業マンらしき青年が鞄を枕にして昼寝をしている。
名の知らない小花が絨毯のようになって咲いている。
葦の中でひばりが盛んにさえずり、近くまで寄ると一際やかましく鳴いて飛び立つ。
汗ばんで車内に入り缶コーヒーを飲みながら文庫本をひろげた。
対岸のテニスコートの声が耳障りだったがいつのまにか気にならない状態なった。上と下の瞼がくっついたのだ。
県北行・県境広域農道
2006年5月25日奥津の道の駅に立ち寄り、和食のバイキング1000円にと思ったが開店が11:30分。みるみるうちに行列ができる。あきらめて幕の内を買い、恩原へ走り、〔いっぷく亭〕に。こんな高い深山の襞に食事処があるとは一般には分からない。古い民家をそのまま使い、近隣の集落の婦人がもてなしてくれる。食事時なので結構座敷が混んでいる。一段上の上等席が空いていたのでそこに陣取り、定食を注文。囲炉裏にヤマメを焼いていたのを薦められたがイワナならともかく、お断りする。やがた運ばれてきた膳はごく素朴なもの。山菜のてんぷら、山菜の煮物、酢の物、味噌汁、ご飯。極上は山菜のてんぷらと味噌汁。中でも味噌汁は頬が落ちるほど美味。実に美味かった。あとから思ったが2品のみ注文して屋外の草地で幕の内を食べればよかった。遅い春の人形峠の峰々ははやっと木々に芽吹きが揃った色合い。それを眺めながらの食事を終えた。
人形峠の機構建物をすり抜けて林道へ。路肩に単車を停めて二人の老人ださかんに笹群らに分け入り、根曲がり竹の〔竹の子〕を採集している。これは好都合。当方も採る事にした。20センチほどの筆状に伸びた子を掴み曲げると柔らかい節目の部分からキレイにポキンと音をたてて折れる。これは面白い。両手に余る収穫を得た。帰宅してから懇意にしていただいている近所の社長事務所に進呈すると、皮ごと10分ゆでて皮をむぎ、濃いめの味付けで即料理して食べさせてもらった。うまい!〔食〕ならぬ〔飲〕がついつい進んでしまった。
オオイワカガミは花落ちしてほつつじのように花茎を伸ばしていた。代わりにアカモノが花穂を膨らまして一輪二輪開花していた。もう少ししたら来て見ようと思う。
人形峠の機構建物をすり抜けて林道へ。路肩に単車を停めて二人の老人ださかんに笹群らに分け入り、根曲がり竹の〔竹の子〕を採集している。これは好都合。当方も採る事にした。20センチほどの筆状に伸びた子を掴み曲げると柔らかい節目の部分からキレイにポキンと音をたてて折れる。これは面白い。両手に余る収穫を得た。帰宅してから懇意にしていただいている近所の社長事務所に進呈すると、皮ごと10分ゆでて皮をむぎ、濃いめの味付けで即料理して食べさせてもらった。うまい!〔食〕ならぬ〔飲〕がついつい進んでしまった。
オオイワカガミは花落ちしてほつつじのように花茎を伸ばしていた。代わりにアカモノが花穂を膨らまして一輪二輪開花していた。もう少ししたら来て見ようと思う。
絶好春日和
2006年5月24日画像掲示板にKomatsuからトキソウをいただいた。血が騒ぐ。そして今朝山陽新聞の朝刊にハッチョウトンボが載った。もうだめだ。したくそこそこにヒイゴ池に走る。一番に足守のあおぞら市のメロンの漬物が美味しいと聞いたので探したが、それらしき市がない。しばらく右往左往したが分からずじまいで時間が気になりヒイゴ池に。朝早かったのでどうにか駐車できたが倉敷ケーブルTVのクルーも入りカメラマンで昼前後は大賑わい。
見たことのある車があり、やはりKomatsuさんが三脚構えておられた。氏の知己の人もお会いした。
トキソウは今年は群落が大きく大サ−ビスの状態。ハッチョウトンボも羽化して間もないようだが、雌雄入り混じって飛んでいる。
それにしても接写は苦しいと改めて思う。
見たことのある車があり、やはりKomatsuさんが三脚構えておられた。氏の知己の人もお会いした。
トキソウは今年は群落が大きく大サ−ビスの状態。ハッチョウトンボも羽化して間もないようだが、雌雄入り混じって飛んでいる。
それにしても接写は苦しいと改めて思う。
県北行、春花探訪
2006年5月22日旧北房から大佐へ、そして真庭郡に。
キンラン、ルイヨウショウマ、ヤマシャクをカメラに収められたのが特筆。なかでもヤマシャクの群落には感激した。100%満足の一日。
キンラン、ルイヨウショウマ、ヤマシャクをカメラに収められたのが特筆。なかでもヤマシャクの群落には感激した。100%満足の一日。