画作傍談

2006年12月13日
知人に画を描く人がいる。二科展の連続3年入選されているので、もう画家の称号を冠してもいい。喫茶店を経営していたが店を閉めて画作に専念されておられる。だから主婦画家である。
小生が会社勤めしていたときから知人になった人だ。
電話をもらってコーヒーのご招待を受けて自宅にお邪魔した。久しぶりにプロのコーヒーを頂きながら雑談する。とにかくよく喋る。もっぱら小生は聞き役である。喋るのが彼女の活力だろう。
来年の出展に向けて50号と100号の大作に取り組んで格闘中。イーゼルに架かったキャンバスにナイフで絵の具を塗りつけている(この動作を塗るという表現するのは適格ではないかもしれないが)。荒々しいタッチは筆のそれとはずいぶん違う。離れて見るとそれは迫力あるものに変わる。筆の優しさは失せても躍る活性はグンと表面に現れるものなんだ、と思った。まだ未完成で、100号のほうはキャンバスが真っ白。
これは大変な情熱。岡本太郎が〔芸術はバクハツだっ!〕と叫んだ言葉を肯定してしまう。今の彼女のテーマは一貫してギターである。裏町の街角で弾くギター弾き、酒場の椅子で弾くギター弾き、背後は主人公を支えるように踊り子、あるときは歌い手がいる。私の胸に伝わるのは派手な色彩の底に潜む切ない暗さだ(ご本人のモチーフは尋ねていないので知る由もない)。部屋中に配置したスピーカーからクラシックを流して彼女は今日も絵の世界に閉じこもる。
完成したらどうなるかのか。楽しみだ。

山野草にしろ、写真、陶芸、絵画、書にしろ・・・一芸をライフワークにしている知人に心服される想いのひと時を過ごすことができた。

数式は純粋人間愛

2006年12月11日
岡山出身の作家、小川洋子さんの本は一度も手にとっていない。若い女性の作品、特に近年の芥川賞を受賞している作品のものに辟易しているのが災いしているのかも知れない。
昔、パソコン教室で小川洋子さんのご両親と同席させてもらっていたことがあり親近感はあったのだが読むことなく今にいたっている。
同じ岡山県出身作家に岩井志麻子さんという人がいるが、失礼ながらこいうジャンルと文体は私にとって拒絶感しかなくて一度書店で拾い読みしただけで嫌悪感を呼び意図して読まない。

今日、友人から〔博士の愛した数式〕というDVDをお借りしてきた。承知のように小川洋子さんのベストセラーの映像化である。
文系の頭には数式などという熟語は蕁麻疹がでるほどの恐怖感があったのであるが、ついつい見ていると、ぐいぐい物語りにひきこまれ夕食前に席をたたずに見終わってしまった。

数式の世界はは新発見がない限り定型的な理論で固定している。文系のように他に汚染されることがない。理解するのにはスルメを噛むようにシワイが、岩石を噛むことの味気なさはない。むしろ他の解釈が入り込まないから途方も無く純粋な学問であって、数式で物事を分析したらこれはまた魂をゆさぶるような人間愛の結果をもたらすものなのだ、と感銘した。

博士は事故のため一定の時間が経つと記憶が喪失する。阪神タイガースとエース江夏投手の大ファンで、彼の頭には永遠に現役で活躍している。残りの空間は数式の思考の世界に沈んでいる。
あるハプニングがあったあと病院の待合室で、博士はメモ用紙とマジックを事故に遭った子供の母である家政婦さんに渡し、直線を書かせる。彼女はとまどいながら用紙に横線を書く。
〔そうだね〕と博士。
〔だけど直線は端がないんだよ。直線は永遠に続く。だだ紙には限界があり、それを書き続けるあなたにも限界がある・・・}

この言葉は大いなる数式の含蓄である。

魑魅魍魎に乱れた社会には数式の原点回帰への転向が必要なのではないだろうか。
汚染とはいわないが、潜在観念で判定し物事の解決を断念してしまう常識人(?)、は恥ずかしさが残る。
寺尾聡が好演している。宇野重吉の再来である。
得体のしれない浅丘ルリ子演ずる博士の義姉はまさに世事の残滓だ。

陶芸展

2006年12月9日
知人の政木さんが陶芸展に参画されておられるので倉敷市立美術館に行った。
天気がよければ倉敷駅から陶芸展を経て美観地区の散策をと計画したが、空は[雲の声]が今にも降りてきそうな鉛色。雨天なら車が無難。
旧2号線は県道162号線の名称変更になって、中仙道あたりから庭瀬、中庄、倉敷あたりまで様変わりしていた。密集した商業路線でいろんな色彩がにぎやかに軒を連ねている。早く言えば、無秩序出店路線の景観。さらに拡幅工事中の殺伐さは頂点に達している。新2号線は南に移動したというものの、あいかわらず渋滞現象は慢性的。
倉敷の大島交差点でこの県道162号線は国道429号線に化ける。前の車に追尾してハンドルをにぎっていると自然に化かされるのである、
市立美術館は美観地区入り口の道路向かいにある。広い駐車場に入れて降りると「形の建物の縦辺が美術韓、上辺は図書館になっている、美術館に入ったらすぐ左手に〔倉敷一芸の会展〕という縦看板が目に付いた。受付で記帳。展示台のとっかかりに政木氏の作品がズラリ並んでいた。一番手前に県展入選の萩焼抹茶茶碗があった。同様のものが一椀あったが、ド素人目を憚りながら見て、やはり県展入選のもののほうが一段上とみた(失礼)。
一巡したところでM氏と出会う。彼は陶芸に造詣が深い。
政木氏の作品に戻って宮原氏の講釈を拝聴した。
私などは全体の趣で見るだけだが、彼は両手に包むなじみやすさ、椀上縁の厚さ、コウダイの具合、釉薬の美しさ、全体の品格、などなどをを評価して県展入選作品がいい、と教えてくれた。ド素人目もまんざらでもないわい、とわが身を思うことだった。
喫茶室で話をしていたら彼に初孫の誕生の連絡が入った。欣喜、中座された。これから東京へ馳せ参るそうだ。
入れ替わり政木氏が会場にこられた。
陶芸談にひとしきり浸り、館外に出る。
秋雨はやまない。
萩焼の釉薬のようなやさしい雨足だった。

秋雨しとしと

2006年12月7日
昨日夕方岡山市内にでたとき、駅前のクリスマスツリーが点灯していたのを思い出した。恒例のものだが、いつもは通勤のさい見ていたものが今年はおのぼりさんのような気分でバスの窓外に見た。それがどうした、といわれても答がないが、桃太郎通りの並木にぐるぐる巻きした電飾の含め、日本人ってなんでもありなんだなアと、感じ入った次第。

ところで今日は終日雨天。昼の時間が少ないことに、かてて加えて雨のバリヤーは5時になると宵ではなく夜の雰囲気を演出する。
一日屋外に出る用事がないので、咽喉にひっかかったように引き延ばしていた年賀状作成にパソコンをガチャガチャ鳴らして、なんとか片面を印刷し終えた。
あとは[読書]。

東北に引越ししたようば天候の一日だった。

釣り

2006年12月6日
今日はいい天気で大潮なのでハゼ釣りに行かないか、との誘いを受けて一緒にさせてもらった。
釣り三昧を絶って久しく、もう使うこともあるまいと道具一式を物置にしまいこんで20年近い。底釣り専門だったから投げ釣りの道具が幾式もある。あのころは、正月&盆おろか連休があれば寝もやらず四国、九州の方まで遠征して釣りに明け暮れていた。クラブを作って全日本サーフキャスティング岡山協会に加盟し運営委員の末席で機関紙の編集などやっていた。あちこち釣り歩いては月刊誌に随筆を連載していたのもこの時期だ。感慨にふけりながら道具をだしたものの、ハゼ釣りにはちょうと大げさな道具建てになり、奥のほうから手持ちの軽い振り出し竿とリールをひっぱり出しホコリを払って使うことにした。
釣り場所は西大寺の吉井川河口の乙子島あたり、対岸にエクスランの煙突からモクモクと盛大な煙りか、蒸気がしらないが青い空に吐き出していた。
沖に突き出した堤防に独り、付け根に独りの老人がそれぞれ3本の竿を使って黙然と沖を見つめていた。私は手持ち一本でナス形錘に2本針の仕掛け。青虫の餌をつけて投擲し底を探って駆け上がりにねかせて、敷石の間に竿を立てた。間をおかぬ内に竿先を激しく絞り込んだ。しゃくってリールを巻くと確かな魚信。水面を走ってきたのはいい形のハゼとセイゴのダブル。底魚もハゼは一回の引きであとは針にかかったままあまり動かないが、バタバタ竿先をたたくのは回泳するセイゴ(シズキの幼魚)のせいである。

それが最初で最後。夢二ではないが、待てど暮らせどこぬ君を・・、の状況。
たちまち飽きて、堤防の草地を歩くと、クコの実が、コヨイマチグサがみられる。コンパクトカメラをもってこなかったのを悔いた。今の私は魚より野花に惹かれる。堤防に上がって眺望するとみごとな豊穣の田園が広がっている。

乙子島まで歩くと、乙子城跡の立て札がある。宇喜田直家が最初に構えた城跡の小丘である。悲劇の一族流浪の末、若き直家に守護の大名三浦氏から最前線の盾として託された城である。ただし城というより砦である。一大隊が一もみすれば霧散するようなちっぽけな城郭だったらしい。しかし、直家はこれを拠点として備前平野に版図を拡大していった。その手段は戦国時代ならではの熾烈なものだった。斉藤道三に相似た武将だった。

釣りよりこちらの方に興味をとられいて、釣り場に帰ってみたら鉛筆のようなハゼがかかっていた。
満ち潮がピークになっても魚信なし、友人も老釣師二人も今日はおかしい、いつもはこんなことはないと盛んに繰言を交わしていた。
ハゼもバカじゃない、大潮でもベタ潮で深みから岸辺に寄ってこないのだ。
午後から別途予定があるのでさっさと納竿することにして、釣果を老人に差し上げて帰った。

読書のススメ

2006年12月3日
昨日と今日、二日(正確には1.5日)かけて1冊の本を読了した。

カッパ・ノベルズの新刊、島田荘司著[犬坊里美の冒険]、である。

久しぶりに腹の底から笑い、人間社会の必然さにうなった。司法修習生の若い女性の活躍物語だ。逞しくて強くてガンとして自己主張をする、女性ではない。むしろ正反対の性格を持つ女性だ。なにもかも未熟で脆弱だが正義と真実の探求は、未熟だけに竹のようにまっすぐ持っている。
主人公の犬坊里美は、犬坊家を舞台にした一連の小説を読んでおられた人なら、あヽあの娘か、と思うおなじみの娘だ。
倉敷、津山、総社、岡山を舞台にしているのも身近な興味(作家がどこまで知識しているか)が湧く。

ミステリーのどこがそんなに面白い?
ミステリーは笑えるものなの?

純真無垢の正義感がなぜ笑えるのか。
詳しいことは言わない。しゃべるのが勿体ない。
興味があったら、どうぞ購入して読んでみてください。
掲示板に感想いただいたら幸甚です。

思い出し笑いの話

2006年12月2日
ハンドルを回すままに走り回った過日、真庭市の山中で完全舗装した道路を登った。とにかく走ったことの無いところを選んで走った。
この道がどこを抜けてどこへ行くのか、見当もつかない。綺麗な道だから集落があるには違いない、方角からいえば落合の方向だから旭川河畔のおりるだろうぐらいの、いい加減の思いであった。ところどころに棚田の様子が伺える。フムフム、と人匂いがするのである。
急登でカーブのめったやたらと続くものだから風景にあまり注意がいかないが、昼間から物の怪が棲むあたりではなさそうな。もっとも夜はこうもいかない、雑木林ばかりの山並みばかりで、街灯なぞはもちろんなくて、光るものは多分狐狸の類の眼だけだろうから、コウモリが飛び交い大鷲がバサバサ飛翔するにちがいない。こんなとこ、闇のなかの走行はまっぴらゴメンの世界である。万が一、車がエンコでもしたらどうなるんだろうか、ケイタイの電波も届かないだろう。人なんて昼間でさえ出会わないのに、コリコリ、バタバタの獣や怪鳥の舞踏会のなかに取り囲まれのだから乙に澄ましてワインなどを傾けて微笑むどころではないのだ。・・・想うだに頬が引き攣る。
稜線近くなって道は山にぶつかった。その山を切り通しのようにY字形の岐路が抱えていた。どちらも舗装した同じ幅員なのに、標識もなにもない。
さて、どっちにいくべぇか。停車して思案した。
そこへ幸いなことに、独りの老人がヒョコヒョコ上ってきた。すれ違ったいたはずなのに、覚えが無い。突然現れた。朴訥な老人とみた。
「これ(左)へいったらどこへぬけますか?」
「そっちえいったらおめェ、ノブさんとこでおしめェだあ」
「ああん・・?」
ノブさん、ってそれはなに・・だれ・・。
「そっち(右)は?」
「こっちはおめェ行き止まりだあ」
老人は鳩豆の目をして大真面目である。要はどちらへ行っても立ち往生するのだ。
いやはや、みも知らぬノブさんの庭先で立ち往生するわけにもいくまい。

 戻り道、往き際には気がつかなかった路傍に、直立した2mほどの茎にまことに見事な花が咲いているのを発見した。
「ほう!」
この時期に、なんとまあ見事な花なんだろう。
いそいそ降りて近寄った。しかも花冠から花弁まで少しも痛んでない。それどころかツヤツヤして光っている。
「ほほう!」なんの花だろう。
それにしても整いすぎている、ような。
花弁に指で触ってみた。
「ん??」
なんと、プラスチックの花だった。
針金で巻きつけて、丁寧にテープで覆ってあった。
「・・・・・・」

この道は昼間から狐狸がでるようだった。

突然やってくる!

2006年12月1日
とうとう師走に入った。
挨拶するのに、
〔寒くなりましたなァ〕という日と、〔今年は冬とは思えない暖かさですなァ〕の、二種類の言葉を使い分ける日々が続く。紅葉の南下も1週間は確実に遅いのだから、例年よりは暖かい。
そう思ううちに、寒冷がやってくるだろう、しかも突然に。
暦も気がつくとあと1枚。齢を重ねのるもあと1月。
なにもしていないのに、なにもかも移り変わり古くなる。それも本人の了承もなしに。
今の世の中、自分から行動をおこさなければなにもかも、矢のように飛んできて去っていく。

パソコンの前でHPの整備と読書と、これから多分年賀状の支度も出てくることを考えて鬱々としてもおられない、と思考したら、突然、半田山の紅葉祭りに行きたくなった。

ハンドルの向く儘

2006年11月24日
吉備新線が面白い。枝道が魑魅魍魎とあり、探索ドライブにもってこい。
〔鬼突き岩〕伝説の場所がある。公文を憚れるので興味ある人はどうぞ。
真星ハス公園を下見、来夏にはきてみようと思う。
フユハナワラビを写し、円城で岩倉山を一周、道の駅で昼食、おばさんの説明どうり建部への腋道を走ったらとんでもないところへ出た。油の瀬、小森温泉の軒をかすめた。なんのことはない、山稜を迂回して元の道路に戻ったわけだ。
江与味から馬庭普門寺へ。ご存知四季桜の場所。絢爛たる紅葉に挟まれて侘し気風情で咲いていた。折りよく〔紅葉と桜祭り〕地元の人の青空市があり、バター焼きに大きくて肉厚の椎茸と柚を、搗き立ての餡餅を買う。茶屋の囲炉裏端で焼いた餅が美味しかった。年も変わらぬオバァちゃんとの懇談にひと時。この山頂に小学校がある。真庭市立上田小学校。生徒14人、来春の卒業生が5人で新入生はゼロとのこと。教職員8人はマンツウマン教育の暖かさとマンモス校にない人間教育の贅沢さが見えた。
落合の木山寺・木山神社に詣でて深山豪壮の神仏混淆の清浄を浴び、ヒヨドリジョウゴ、ムラサキシキブ、フユイチゴ、オニフウセンを林内で確認した。広域林道を走駆していたら真庭カントリーの道路に出た。

ハンドルの向く儘

2006年11月23日
吉備高原でヤブコウジ、ツルリンドウの実を見て吉川へ。
メダカ園のところで交通事故直後の現場にでくわす。黒いセダンが路肩のコンクリート電柱に正面から衝突。運転は中年女性か。パトカー2台が到着。
吉川八幡宮から南下。走るに連れ下るに連れ、幾筋の枝道が出没。ナビも探知に右往左往していてお気の毒。

修復経過

2006年11月14日
 PCのトラブルでシステム初期化し修復期間が長くかかったが、一段落までこぎつけることができた。事典等一部が混乱したままだが、一応見えることができるようになった。

初冬

2006年11月10日
8日、冬至を迎え待っていたかの様に木枯らし一号の襲来。
これだけではなく、北海道に途方も無い竜巻が起こった。
やはり異常気象のなせるものなのか。
地球温暖化が加速的に進んでいるのは確かなことだ。恐ろしいことだ。
これだけ文明が発達していれば後戻りはできないのだから、その道の英知と政治は頭でっかちではいけないのでは。

ギャラリー表敬訪問

2006年11月7日
天心堂さんが自宅にて写真展を開かれておられる。今日は(6日)m175さんと一緒に表敬訪問させていただいた。
独自の境地を開拓して活動されておられるので、約80点の写真は力作ばかり。そのうえ展示に工夫を凝らしアイディアの演出に感嘆しました。

紅葉ドライブ

2006年11月5日
蒜山・大山スカイラインに紅葉狩り。今がピークかな、わんさかの人出。

秋日和ドライブ

2006年11月4日
カメラを持たずに作州路をドライブにでかけた。当てもなく美作市に進み、たいそうな人気に誘われて赤い3重の塔で有名な長福寺に行き、いまだ緑の塔を見て雲海温泉へ。そしてリンゴ園に。リンゴの味利きをたくさんしてしまい、一籠を買はねば気の毒になりフジの品種を買う。甘さは王林の方がまさるが、フジは微妙に酸味がありリンゴらしいと思った次第。
ここらは、紅葉まだ早し、の感。
真っ赤な夕焼けに向かって田園の一本道を走って帰宅。
これではHP修復はいつになるやら。
PC修復に飽いて午後外出。久しぶりに総社鬼ノ城へ独歩。今日はカメラを持たないでブラブラ遊歩のつもり。
よく整備された砂川公園には人の気配はない。紅葉前線も未だここまで降りてきていない。砂川公園を抜けると急勾配の山道。離合できない道幅は従来通り。賑やかな小学低学年の遠足とすれ違う。
城跡は400mの吉備高原南限の低山にある。登山口のビジターセンターにある駐車場に駐車して、まず缶コーヒーで一息。おヽ、山だ!あヽ山だ!やっぱり山はいい。

登山口からはいきなり急登。重たいカメラ道具もリュックもなく、登山杖があるのでラクチン。角楼と、180号線からも遠謀できる西門を観る。遊歩道を歩く。眼下に吉備平野を一望にし、白銀に光る瀬戸内海への眺望はみごと。400mの低山とは思えない。一昔の荒れ放題の遊歩道とは違って発掘のせいではあるが、見違えるほど整備されている。東端の屏風折れ近くは昔ながらの遊歩道で味わいがある。屏風折れの突き出しで腰を降ろして小一時間ほど休息する。あヽ、至福々々。
北門は復元修復中で帰途は折り返す。
ビジターセンターの駐車場からウォーキングコースが整備されているので歩くことにした。板橋を整えたところまでは、いわゆる湿原。サワヒヨドリの枯れ穂が林立。リンドウがあちこち群生して秋を演出。センブリがちょこと。径はやがて森の中へ下降して行く。ところどころ湧水、立ち入り禁止のロープ、植物採集禁止のポイント、警告があり。イノシシの掘跡が無尽。マムシ注意の立て札があり。したがって下ばかり見て歩くのであった。
大分歩いて行き止まりは岩屋へ上がる車道に出た。
次は岩屋を歩いてみたい。

20000人目のゲット!

2006年10月31日
岡山市内のS.Tiraさん、20000のカウント資料を受領いたしました。幸せのあなたに、きっといいことがありますように。こんごともよろしくお願いします。
後日記念品をお送りします。

寄島の海を探訪撮

2006年10月29日
久方ぶりの海風薫風を浴びる。靄がかかって晴れない。
アッケシソウは盛期を過ぎて褐色化していたが、いいのを選んで撮影する。名所、三っ子島を何枚か重ねたが、惜しむらは・・・であった。
帰途、総社ヒイゴ池でミミカキソウとあいまみえた。

明日からHP修復に専念予定。

吉備高原探訪撮

2006年10月28日
秋冷好日。ホームグラウンドの吉備高原に走る。マッタケ自生の入山禁止の警告板や縄張りのロープだらけ。うかつにも迷いこんだら大事だ。

キッコウハグマが出揃っていた。0.5〜1cmほどの花だから撮影には疲れる。センボンヤリの綿穂が陽光を受けて宝石の輝き。
リュウノウギク、ヤマラッキョ、リンドウ、コウヤボウキ、キセルアザミ、シラヤマギク、ヤマシロギク等々。次第に秋深くなってキク系統のみが残るようになる。

同じようにカメラを担いだ人を散見した。

トラブルで頭丸抱え

2006年10月26日
トラブルでリカバリーを使い初期化。ここまで回復。最後の詰めが完成せずにあるので、更新ができない状態。当分かかりそう。
PCメンテの基本教育を受けたい心境。
?以下の事が書き込み更新不可能の状態。
・探訪撮&紀行、探訪撮事典、編集室、ギャラリー
?以下のコーナは書き込み可能。
・DiaryNote、掲示板、画像掲示板、と、ある風景、創作等。

心頭冷却のために御津に探訪撮。
ツメレンゲとコシオガマをカメラに収めて帰路。

自生場所は草刈、踏跡ありあり。ツメレンゲは無数。コシオガマは無残な腰折れ姿。岩壁の上部にキレイな花姿が見られるが行けそうもない。
帰路は、紙工から直進すると建部に出られる道があり、好奇心で進入。2車線が山間に入ると乗用車一台分の道幅、左手は崖、右手は切通しの山肌、昼間なお暗しライトを点けての走行だが、カーブで突然対向車が現れて仰天、どちらかが退避場所まで後退。
そうこうするうち広い人家のある道に出て、なおも直進すると、なんと、建部の町手前(岡山からみて)の国道53号線大田橋に出た。
また未知の道を克服した。

< 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 >

 
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