今日の天気は是好
2006年2月2日ここしばらくHPの増改築に没頭していてバテ気味。いい加減のところで妥協すればいいんだが、しばらくすれば不満足の思いが頭を支配しだし、飽きもせず工事に手をつける性格。0型の人間だからだろうか、と自問自答。しかし諸行無常の定めなら、一歩後退二歩前進でいかなくちゃと己を励ます毎日で悔いもせず。
いい天気だった。ビルから眺める景色が良かった。雨後の澄んだ空に吉備高原の稜線がくっきり浮かび盛んに手招きしているように見えた。のどは猫なみに鳴ることだった。
=お帰りは上の〔HOME〕をクリックしてください=
いい天気だった。ビルから眺める景色が良かった。雨後の澄んだ空に吉備高原の稜線がくっきり浮かび盛んに手招きしているように見えた。のどは猫なみに鳴ることだった。
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霧氷は気むずかしやさんー高村 泰子さん
2006年2月1日
☆ 今年も 美ヶ原高原に、あの美しい霧氷は現れただろうか。気温は氷点下4〜5℃、風速5m以上北〜北西の風という条件でないと霧氷は見られない。
以前 霧氷を見たいと訪ねた時のこと。着いた日は猛吹雪で 霧氷はあきらめ、温泉と少々の雪見酒と山情報の交流で満足と思い眠った。
ところが翌朝 見事な雪景色。「霧氷が見られるよ。ラッキーです。」 宿のご主人の車で ダケカンバの撮影ポイントへ案内してもらった。帰りは雪の中を
歩いて帰った。朝日でピンク色に染まっていく景色や、徐々に解けていくダケカンバの姿を 年甲斐もなく、まるでアニメの世界にいるような心地で歩いたものでした。〔寄稿人〕
★雪景色に縁が薄い身には驚嘆の画像です。衝動的に霧氷が見たくなりますね。〔編集人〕
以前 霧氷を見たいと訪ねた時のこと。着いた日は猛吹雪で 霧氷はあきらめ、温泉と少々の雪見酒と山情報の交流で満足と思い眠った。
ところが翌朝 見事な雪景色。「霧氷が見られるよ。ラッキーです。」 宿のご主人の車で ダケカンバの撮影ポイントへ案内してもらった。帰りは雪の中を
歩いて帰った。朝日でピンク色に染まっていく景色や、徐々に解けていくダケカンバの姿を 年甲斐もなく、まるでアニメの世界にいるような心地で歩いたものでした。〔寄稿人〕
★雪景色に縁が薄い身には驚嘆の画像です。衝動的に霧氷が見たくなりますね。〔編集人〕
暖かそうー小松 和夫さん
2006年1月30日冬の晴れ間に
2006年1月29日
いい天気で日溜りにいるとぽかぽか陽気で幸せな気分になる。こんな時に家に居る手はない。近くの半田山植物園に行き、窓口で咲いていますか?と訪ねると「咲いています」との返事。いわずと知れたロウバイとマンサクである。まばらに人出が見られ、じっくり三脚を据えて動かない人もおり、私のように忙しく撮り歩きが常套の者はじんわり汗をかく。
マンサクを撮るため迂回の道を降りていると、一人のカメラマンがニホンズイセンを撮っておられた。撮影時には近視眼鏡を外しているので、誰とも思わず足を速めて通り過ぎロウバイの見事さに惹かれて立ち止まり撮影していると、背後から声がかかった。なんと、小松さんだった。タイヘン失礼してしまった。
シナマンサクも盛りだ。マンサクでは一番美しいという形容を確認した。アカバナマンサクは今いち。
撮り終えて頂部で小松さんに追いつき、椿園の未開を確認して正面の階段を降りた。職員がバラの剪定にいそしんでいた。
小松さんと別れて吉備高原に走ったが、快適なドライブだけに終わった。
マンサクを撮るため迂回の道を降りていると、一人のカメラマンがニホンズイセンを撮っておられた。撮影時には近視眼鏡を外しているので、誰とも思わず足を速めて通り過ぎロウバイの見事さに惹かれて立ち止まり撮影していると、背後から声がかかった。なんと、小松さんだった。タイヘン失礼してしまった。
シナマンサクも盛りだ。マンサクでは一番美しいという形容を確認した。アカバナマンサクは今いち。
撮り終えて頂部で小松さんに追いつき、椿園の未開を確認して正面の階段を降りた。職員がバラの剪定にいそしんでいた。
小松さんと別れて吉備高原に走ったが、快適なドライブだけに終わった。
カリンの葉ー小松 和夫さん
2006年1月29日
★昨年はカリンの実を買い、知人にも戴き部屋、車において素晴らしい香りを堪能しました。おすそ分けの知人はさすが女性!カリン酒されたそうです。
落葉木なので、わずか一葉は、冬の風を感じさせます。
〔編集人〕
落葉木なので、わずか一葉は、冬の風を感じさせます。
〔編集人〕
佐渡情花ハマヒルガオー高村泰子さん
2006年1月28日寒期有楽ー江川 保子さん
2006年1月22日
☆毎日寒いですが、お元気の様子ホームページでわかりました。私たちも元気です。写真の
通り、遠出してきました。ホームページの更新楽しみにしています。〔寄稿人〕
★ブルっと震えそうですが、背後の湯煙は温泉ですか?さて何処へいかれたのでしょう。みなさんお元気で何よりです。
〔編集人〕
通り、遠出してきました。ホームページの更新楽しみにしています。〔寄稿人〕
★ブルっと震えそうですが、背後の湯煙は温泉ですか?さて何処へいかれたのでしょう。みなさんお元気で何よりです。
〔編集人〕
冬の陽射し
2006年1月21日真庭に用事があり出かけた。予報では県南でも午後雪だるまが付いていたので懸念していたが、風もなく弱い陽の射す天気。車の中は小春日和のようだ。
加茂川の賀茂大社から県道66号線をとる。一部狭隘な箇所があるが、それを越すと立派な道路が貫通していて気軽に山越えできる。走っても走っても山ばかり、というわけでもなくて適当に集落が点在しているのであるが、深夜に走行しようかなどとは思わない。狐狸の類は苦手だ。
峠あたりに〔四季桜〕〔雲海〕の見える「普門寺」がある。
この辺りには路傍に雪を残していた。この峠を越えると真庭市落合だ。昼過ぎなので道の駅〔醍醐桜の里〕で空腹を癒し、木山神社と木山寺に立ち寄る。標高430米の山頂にある神仏混淆の地で県の重要文化建造物に指定されている。弘法大師開祖と伝えられて豪壮な神社仏閣が一大聖地を構成している。寺院の方は別格真言宗本山と書かれている。本尊は薬師如来である。戦国時代、守護赤松氏の寄進もさりながら、毛利、三村、宇喜田氏の庇護の元に古刹を今に残している。
本堂に詣でても人気さらさらなし、境内に高級車がありひそむ人息は感じられる。アジサイ寺でもあるようだ。
少し上の位置に神社がある。これも青さび色の屋根を天空に聳えさしていた。
春きたりなばの、花を愛でができる山野の雰囲気があった。
〔編集人〕
加茂川の賀茂大社から県道66号線をとる。一部狭隘な箇所があるが、それを越すと立派な道路が貫通していて気軽に山越えできる。走っても走っても山ばかり、というわけでもなくて適当に集落が点在しているのであるが、深夜に走行しようかなどとは思わない。狐狸の類は苦手だ。
峠あたりに〔四季桜〕〔雲海〕の見える「普門寺」がある。
この辺りには路傍に雪を残していた。この峠を越えると真庭市落合だ。昼過ぎなので道の駅〔醍醐桜の里〕で空腹を癒し、木山神社と木山寺に立ち寄る。標高430米の山頂にある神仏混淆の地で県の重要文化建造物に指定されている。弘法大師開祖と伝えられて豪壮な神社仏閣が一大聖地を構成している。寺院の方は別格真言宗本山と書かれている。本尊は薬師如来である。戦国時代、守護赤松氏の寄進もさりながら、毛利、三村、宇喜田氏の庇護の元に古刹を今に残している。
本堂に詣でても人気さらさらなし、境内に高級車がありひそむ人息は感じられる。アジサイ寺でもあるようだ。
少し上の位置に神社がある。これも青さび色の屋根を天空に聳えさしていた。
春きたりなばの、花を愛でができる山野の雰囲気があった。
〔編集人〕
水田小学校 27年度卒業記念写真 (同窓会?)
2006年1月14日映画観賞〔男たちの大和〕
2006年1月13日これだけメディアが氾濫して、しかもいろんな手段でタイムリーな情報が手軽に入手できるようになってからは、〔映画〕を〔映画館〕で観る機会は極端に疎遠になった。
かっての映画小僧は2本立て、3本立ての興行をハシゴしていたものだが、いまは余程興味が湧かないと足を運ばない。直近で観たものは山田洋次監督の〔秘剣シリーズ〕ものだから、かなり前だ。映画館のなかの空間で独り感情を交錯させながら凝縮ささせた映像物語に浸るのは、それなりの得がたい魅惑なので捨てきれないでいる。
〔男たちの大和〕を会社の帰途にある映画館で見た。書店に原作本(辺見じゅん)が並んでいて、イヤが上にも目に入る。極太のタイトルに抵抗感があるので手に取ってみようという気はないが、映像はいいかな、という具合の状態にあった。
想像していた通り、若い世代はいない。
〔あの戦争〕と〔戦艦大和〕の字面をなんらかの形でカスって生きたきた年代の人たちでほぼ満員であった。太平洋戦争勃発は昭和16年だから私はこの年に生まれた。現実のカスリは覚えていないにせよ、真っ只中の灯火統制はランプのホヤのように記憶があるようであり、戦後の戦艦大和の言葉は生々しく知っている。だから、ほんのカスリを身に付けて生きている。
重厚な戦艦を舞台にド派手な戦闘シーンがクライマックス。
しかしそれには人間としての感情の縦糸横糸が当然絡む。開戦時の政治状況は別にして、大和の竣工は敗戦濃厚の痣となった。
制空支援拒絶された大和は戦艦のみの戦地出航を余儀なくされるが、大きな標的される様はまさに裸の巨艦に過ぎない。
軍部組織の非人間的な下達指令。
享受せざるえない戦艦司令部。
戦艦勤務に憧れて目を輝かして乗船する新兵。
人間をさらしながら愚直なまでに突き進む上等兵。
母と子が抱き合って絆を確かめる情愛。
青春期の純粋な愛の悲劇。
観る人の立場や環境で捉え方は違っていても、やはりこの映画は平和へのメッセージに変りはない。
あちこちで白いハンカチで目頭を拭いていた。
日本人の純朴は、まだまだ枯れていない、と暗闇で確かめたものだった。〔編集人〕
かっての映画小僧は2本立て、3本立ての興行をハシゴしていたものだが、いまは余程興味が湧かないと足を運ばない。直近で観たものは山田洋次監督の〔秘剣シリーズ〕ものだから、かなり前だ。映画館のなかの空間で独り感情を交錯させながら凝縮ささせた映像物語に浸るのは、それなりの得がたい魅惑なので捨てきれないでいる。
〔男たちの大和〕を会社の帰途にある映画館で見た。書店に原作本(辺見じゅん)が並んでいて、イヤが上にも目に入る。極太のタイトルに抵抗感があるので手に取ってみようという気はないが、映像はいいかな、という具合の状態にあった。
想像していた通り、若い世代はいない。
〔あの戦争〕と〔戦艦大和〕の字面をなんらかの形でカスって生きたきた年代の人たちでほぼ満員であった。太平洋戦争勃発は昭和16年だから私はこの年に生まれた。現実のカスリは覚えていないにせよ、真っ只中の灯火統制はランプのホヤのように記憶があるようであり、戦後の戦艦大和の言葉は生々しく知っている。だから、ほんのカスリを身に付けて生きている。
重厚な戦艦を舞台にド派手な戦闘シーンがクライマックス。
しかしそれには人間としての感情の縦糸横糸が当然絡む。開戦時の政治状況は別にして、大和の竣工は敗戦濃厚の痣となった。
制空支援拒絶された大和は戦艦のみの戦地出航を余儀なくされるが、大きな標的される様はまさに裸の巨艦に過ぎない。
軍部組織の非人間的な下達指令。
享受せざるえない戦艦司令部。
戦艦勤務に憧れて目を輝かして乗船する新兵。
人間をさらしながら愚直なまでに突き進む上等兵。
母と子が抱き合って絆を確かめる情愛。
青春期の純粋な愛の悲劇。
観る人の立場や環境で捉え方は違っていても、やはりこの映画は平和へのメッセージに変りはない。
あちこちで白いハンカチで目頭を拭いていた。
日本人の純朴は、まだまだ枯れていない、と暗闇で確かめたものだった。〔編集人〕
花探し
2006年1月8日冬枯れの野に花は少ない。犬の散歩をしていると農道のいつも咲いているホトケノザが寒そうにあるのを見て、この休みにイキのいいホトケノザを写すべく計画していたので、稲岡氏と連れだち吉備路を走った。国分寺五重塔の前にある董立ち菜の花は大霜にまけて、溶けたようになって全滅、畑のホトケノザもいささか脆弱で、吉備高原に車を走らせた。
常緑樹の下に、スクスク伸びたものがあってやっと目的を達た。
隣にノボロギクが咲いていた。和名で野襤褸菊と書のは、あまりにも可愛そうな気がする。このように、野草にはヘクソカズラとかママコノシリヌグイなど品に欠ける名前があって、先人の名付けには辟易することがある。
植栽だが、此処にはサザンカの大木やクチナシの垣があって花、実をつけていた。シナマンサクが咲いていたようだが、これは見落とした。
また出かけようと思う。〔編集人〕
常緑樹の下に、スクスク伸びたものがあってやっと目的を達た。
隣にノボロギクが咲いていた。和名で野襤褸菊と書のは、あまりにも可愛そうな気がする。このように、野草にはヘクソカズラとかママコノシリヌグイなど品に欠ける名前があって、先人の名付けには辟易することがある。
植栽だが、此処にはサザンカの大木やクチナシの垣があって花、実をつけていた。シナマンサクが咲いていたようだが、これは見落とした。
また出かけようと思う。〔編集人〕
七草粥ゆ
2006年1月7日今日はお正月の七日である。
もう七日、まだ七日と使い分けるのは年の差である。
六日の退社時、天満屋の地下に立ち寄ってみると、あるある、パックに詰めた七草のセットを山積みしてある。2種の業者のパックでそれぞれ表面に七草の名前を書いてある。
ところで春の七草がすらすら言える人が何人居るだろうか。
〔セリ ナズナ オギョウ ハコベラ ホトケノザ ナズナ スズシロ〕
セリは言うべくもないもの。
ナズナは秋に芽を出し、寒冬にも負けず青々とした緑葉。
オギョウは正式にはホウコグサという。早春に鞠のような黄色の花を咲かせて、産毛の柔らかさを茎や葉にもっている。
ハコベラも越年草で地を這うように繁る。
ホトケノザはタンポポに似た葉を地面に這わしている。山野草で被写体にするホトケノザではなくて、正式にはタビラコといって乾いた田に生える。
ナズナは蕪。
スズシロは大根。
後の2種が一般に言う野菜で、5種はそこいらの路傍や畦にみられる俗にいう雑草(この言葉はイヤだがあえて使う)である。
風雅な七草粥に舌づつみをうった人を自生地に案内するとどんな顔をするだろう。しかし現在の野菜の祖先はすべて雑草なのである。
正月の暴飲暴食で弱った胃臓をやさしくいたわるのが七草粥なのだ。古来つたわる漢方食でもある。
見ていると、買うのは中年以上の女性ばかりだ。若奥様風は怪しげに覗いてみるだけだ。
私は男だが中年以上だから、毎年のこととて1パック手に取ってレジに並んでいた。
さっそく家内につくってもらった。
ウマイッ!!と、いうのはウソだが、さらさらと胃に入りなんとも言えぬ緑の乙な味、香りがする。いかにも体にいい得がたい食膳だ。
この日曜日には七草ではないホントウのホトケノザを撮りに行こうと思う。〔編集人〕
もう七日、まだ七日と使い分けるのは年の差である。
六日の退社時、天満屋の地下に立ち寄ってみると、あるある、パックに詰めた七草のセットを山積みしてある。2種の業者のパックでそれぞれ表面に七草の名前を書いてある。
ところで春の七草がすらすら言える人が何人居るだろうか。
〔セリ ナズナ オギョウ ハコベラ ホトケノザ ナズナ スズシロ〕
セリは言うべくもないもの。
ナズナは秋に芽を出し、寒冬にも負けず青々とした緑葉。
オギョウは正式にはホウコグサという。早春に鞠のような黄色の花を咲かせて、産毛の柔らかさを茎や葉にもっている。
ハコベラも越年草で地を這うように繁る。
ホトケノザはタンポポに似た葉を地面に這わしている。山野草で被写体にするホトケノザではなくて、正式にはタビラコといって乾いた田に生える。
ナズナは蕪。
スズシロは大根。
後の2種が一般に言う野菜で、5種はそこいらの路傍や畦にみられる俗にいう雑草(この言葉はイヤだがあえて使う)である。
風雅な七草粥に舌づつみをうった人を自生地に案内するとどんな顔をするだろう。しかし現在の野菜の祖先はすべて雑草なのである。
正月の暴飲暴食で弱った胃臓をやさしくいたわるのが七草粥なのだ。古来つたわる漢方食でもある。
見ていると、買うのは中年以上の女性ばかりだ。若奥様風は怪しげに覗いてみるだけだ。
私は男だが中年以上だから、毎年のこととて1パック手に取ってレジに並んでいた。
さっそく家内につくってもらった。
ウマイッ!!と、いうのはウソだが、さらさらと胃に入りなんとも言えぬ緑の乙な味、香りがする。いかにも体にいい得がたい食膳だ。
この日曜日には七草ではないホントウのホトケノザを撮りに行こうと思う。〔編集人〕
蛍の光り
2006年1月3日小学校の同窓会の案内をもらったので2日にのこのこ帰郷した。
昭和27年の卒業だから54年経過している。以来初めての同窓会だそうだ(というのも離郷していたからあまり参加していなかった)。中学校は何度か参加しているし、岡山、倉敷在住の会は毎年開催されている(これもご無沙汰)。二つの小学校が一つの中学校に統一されていたから、総勢では1/2になる。
だれもかれもロートルである。だれがだれかよくわからぬ人が多い。面影が残っているのでそれらしく分かるが、名前がでてこないのは当方ばかりではないとみえ、饒舌に会話が弾むのに名前がとんと飛び交わない不思議な雰囲気だ。みなさん、名前がわからないのだ。幹事に名札をつけてもらう。肩を叩きながら〔元気でやっているか?〕といいながら、相手の名札を見て(老眼鏡不要の大きい字で書いてある)、「あァ、○○君か」などと、改めて懐かしむのである。卒業写真を焼きなおして配布してくれたので比べてみると、よくもまぁこんなに老けたもんだと感心する。若木も老木になり葉も枝から落ちるようになった。それにしても、女性は若い(ように見える)。
物故者は13人もおられる。
壮健ですごされておられる恩師は3人出席されていた。それぞれ挨拶で「何年のとき受け持った」といわれ、今でもくりくり頭の顔はおぼろげに覚えているが、こうやってみると皆目分からないとおっしゃっていたが、至極ごもっとも、小生なんか恩師の顔もお名前もからっきしなのだ。
しかし、あれだね、人間60の齢を超えると老いの差はなくなるようだ。だれが先生で生徒かとんと区別がつかない。ことに後から見ると判別がつかないこと恐ろしい。かえって先生のほうがクログロフサフサしておられる。
美味しい滅多に食えないカニ鍋でさえ、鍋奉行はいてもパクパク箸をふりかざすわけでもなく、かっての酒天童子も節制童子に看板を塗り替えてウーロン茶のボトルをはなさない。
もう10年逆ねじが巻けたら鍋は空になっても、ビールの追加が飛び交っていただろう。
幹事さん、お世話になりました。〔編集人〕
昭和27年の卒業だから54年経過している。以来初めての同窓会だそうだ(というのも離郷していたからあまり参加していなかった)。中学校は何度か参加しているし、岡山、倉敷在住の会は毎年開催されている(これもご無沙汰)。二つの小学校が一つの中学校に統一されていたから、総勢では1/2になる。
だれもかれもロートルである。だれがだれかよくわからぬ人が多い。面影が残っているのでそれらしく分かるが、名前がでてこないのは当方ばかりではないとみえ、饒舌に会話が弾むのに名前がとんと飛び交わない不思議な雰囲気だ。みなさん、名前がわからないのだ。幹事に名札をつけてもらう。肩を叩きながら〔元気でやっているか?〕といいながら、相手の名札を見て(老眼鏡不要の大きい字で書いてある)、「あァ、○○君か」などと、改めて懐かしむのである。卒業写真を焼きなおして配布してくれたので比べてみると、よくもまぁこんなに老けたもんだと感心する。若木も老木になり葉も枝から落ちるようになった。それにしても、女性は若い(ように見える)。
物故者は13人もおられる。
壮健ですごされておられる恩師は3人出席されていた。それぞれ挨拶で「何年のとき受け持った」といわれ、今でもくりくり頭の顔はおぼろげに覚えているが、こうやってみると皆目分からないとおっしゃっていたが、至極ごもっとも、小生なんか恩師の顔もお名前もからっきしなのだ。
しかし、あれだね、人間60の齢を超えると老いの差はなくなるようだ。だれが先生で生徒かとんと区別がつかない。ことに後から見ると判別がつかないこと恐ろしい。かえって先生のほうがクログロフサフサしておられる。
美味しい滅多に食えないカニ鍋でさえ、鍋奉行はいてもパクパク箸をふりかざすわけでもなく、かっての酒天童子も節制童子に看板を塗り替えてウーロン茶のボトルをはなさない。
もう10年逆ねじが巻けたら鍋は空になっても、ビールの追加が飛び交っていただろう。
幹事さん、お世話になりました。〔編集人〕
続・愛犬を友に湯原へいく(元旦の後記)
2006年1月3日お犬様の浴場は、混み合うことはないにしろ切れ目がなくお客(?)が絶えない。珍しいのか、人間様の浴客が覗きにきたりする。半畳の浴場は蛇口が二つあって一方は開放で出っ放し、いまひとつは湯量が多くでるので利用時に開栓するのである。源泉がそのまま出ていて、ややぬるめ、適量溜まったところで脱衣(はない)のでリュウを入れるのであるが、これがまた大騒ぎ、生まれて初めての経験は恐怖をよぶようで飛び出る、抑える、もがく、恨めしげに啼くで、濡れた全身を絶えずぶるぶる振るわすわして、飼い主の衣服が濡れ濡れ。こちとらが温泉に飛び込みたいぐらいになる。
それでも一向に上げてくれないので諦めたようである。
シャンプーで洗いシャワーで流し、再び入浴させる。
シーズとマルチーズの混血犬だから毛がふさふさ(!!)とある。
これが濡れると全身にぺっとり付くから体形が露になったのをみれば、ころころ肥えてばかりと思っていたのに、なんとまァ、スマートなお姿におなりになったものだった。
湯当りしてはと、スノコに上げて乾かすのがこれまたタイヘン。何枚ものタオルが必要。さらに1時間百円のドライヤーでぶんぶん吹き付ける。ブラッシングしてやる。見違えるように白さが輝いた。
いい加減乾いて化粧直しているうちに湯冷めしたのかぶるぶる震えだした。あわてて車に戻りつくことだった。
年男ならぬ年犬のめでたさに、とんだ体験させられたリュウは体力を使い果たし、ストレスにまいったのか、帰途は家内の膝で眠りこけてしまった。
おかげで、〔ウ〜、ワン〕の命令から解除されて快適にドライビングしたのだった。
運転しながら、ふと思ったのは、徳川三代の幕府定礎の革新争乱の後の、あの徳川綱吉の時代に、ひょっとしたらなるのではあるまいか・・・・? まさかね。
ひまわり館
岡山県真庭市湯原下湯原24−1
電話:0867−62−7080
ペット入浴料 1570円
人間様入浴料 420円(この差なんなの差) 子供210円 〔編集人〕
それでも一向に上げてくれないので諦めたようである。
シャンプーで洗いシャワーで流し、再び入浴させる。
シーズとマルチーズの混血犬だから毛がふさふさ(!!)とある。
これが濡れると全身にぺっとり付くから体形が露になったのをみれば、ころころ肥えてばかりと思っていたのに、なんとまァ、スマートなお姿におなりになったものだった。
湯当りしてはと、スノコに上げて乾かすのがこれまたタイヘン。何枚ものタオルが必要。さらに1時間百円のドライヤーでぶんぶん吹き付ける。ブラッシングしてやる。見違えるように白さが輝いた。
いい加減乾いて化粧直しているうちに湯冷めしたのかぶるぶる震えだした。あわてて車に戻りつくことだった。
年男ならぬ年犬のめでたさに、とんだ体験させられたリュウは体力を使い果たし、ストレスにまいったのか、帰途は家内の膝で眠りこけてしまった。
おかげで、〔ウ〜、ワン〕の命令から解除されて快適にドライビングしたのだった。
運転しながら、ふと思ったのは、徳川三代の幕府定礎の革新争乱の後の、あの徳川綱吉の時代に、ひょっとしたらなるのではあるまいか・・・・? まさかね。
ひまわり館
岡山県真庭市湯原下湯原24−1
電話:0867−62−7080
ペット入浴料 1570円
人間様入浴料 420円(この差なんなの差) 子供210円 〔編集人〕
元旦昇陽ー稲岡 勝氏
2006年1月2日
☆朝日の出るときの良い写真は、いくらでも撮るチャンスはありますが1月1日の写真は一年に一回しかないのでこの写真も大事にしたいと思います。
〔寄稿人〕
★瀬戸に浮かぶカキ筏の上に旭日が昇りましたね。いい年を暗示する光になれば本当に幸いです。
〔編集人〕
〔寄稿人〕
★瀬戸に浮かぶカキ筏の上に旭日が昇りましたね。いい年を暗示する光になれば本当に幸いです。
〔編集人〕
愛犬を友に湯原へいく
2006年1月1日落合JCTあたりの日陰になる幹周りは薄雪が残っていて、陽射しのヶ所は融けて流れていた。帰省の車も落ち着いて快適なドライブになった。年末にマーク?からパジェロ・ミニに替えた愛車は走る応接間から、〔駆ける狩人〕に変身して唸り声高らかに獲物を追いかけるように走る。
同乗は家内と愛犬〔リュウ〕。狩りに行くのではない。戌年なのでリュウを温泉で保養させるのが目的なのである。彼のクセで走りだすと窓を開けろ、としつこくせがむ。少しウィンドウを下げてやると嬉しそうに、しかも強引に頭を車外に出し、長い白髪を疾風に靡かせたものだ。斥候犬のように前方を睥睨して止まない。ときたま首を引っ込めて運転手に向かって〔ウゥ〜、ワン〕と、もっとスピードを上げろと命令するのだ。ぺタルを床一杯に踏み込んでやると〔その調子だァ、ウ〜、ワン〕などと満足気に吼えて再び白髪を靡かす。
おかげで運転手と助手は寒いったらない。ヒーターをがんがん利かすのだ。
米子道に入ってからは路肩に残雪が見え始め、トンネルを抜けるごとにその嵩はうずたかくなり、いずれの峰々も綿帽子を被り集落は雪に埋もれていた。除雪車の後なので走行に不自由はなく〔スピードを落とすな!ウ〜、ワン〕などと怒られることはなかった。
ナビが終点を告げたのが、ひまわり館。お犬様専用の温泉があるところ。しかも屋根と葦の囲いのある露天風呂とはイキではないか。
料金がまた豪華。人間さまより3倍高い!
大型犬と小形犬の2浴槽があって、リュウは一応小形犬の浴槽に入ることになった。相浴はケンケンガクガクになるのを避けてか、なんとまァ貸切制なのである。
〔編集人〕 〔続〕
同乗は家内と愛犬〔リュウ〕。狩りに行くのではない。戌年なのでリュウを温泉で保養させるのが目的なのである。彼のクセで走りだすと窓を開けろ、としつこくせがむ。少しウィンドウを下げてやると嬉しそうに、しかも強引に頭を車外に出し、長い白髪を疾風に靡かせたものだ。斥候犬のように前方を睥睨して止まない。ときたま首を引っ込めて運転手に向かって〔ウゥ〜、ワン〕と、もっとスピードを上げろと命令するのだ。ぺタルを床一杯に踏み込んでやると〔その調子だァ、ウ〜、ワン〕などと満足気に吼えて再び白髪を靡かす。
おかげで運転手と助手は寒いったらない。ヒーターをがんがん利かすのだ。
米子道に入ってからは路肩に残雪が見え始め、トンネルを抜けるごとにその嵩はうずたかくなり、いずれの峰々も綿帽子を被り集落は雪に埋もれていた。除雪車の後なので走行に不自由はなく〔スピードを落とすな!ウ〜、ワン〕などと怒られることはなかった。
ナビが終点を告げたのが、ひまわり館。お犬様専用の温泉があるところ。しかも屋根と葦の囲いのある露天風呂とはイキではないか。
料金がまた豪華。人間さまより3倍高い!
大型犬と小形犬の2浴槽があって、リュウは一応小形犬の浴槽に入ることになった。相浴はケンケンガクガクになるのを避けてか、なんとまァ貸切制なのである。
〔編集人〕 〔続〕