リュウと散歩していたら、町内を西東に流れる農業用水の、俗にいうドロ揚場に、山キワに咲く「ネジバナ」が二輪咲いていた。
 対岸なので意識して目線を走らせないと発見できない。
 歩いていれば、ハナはないか、バナはないかとキョロキョロするクセが幸いになった。
 よくみると左まきである。
 夏草に分類されていて、これからは日当たりのよい山野に生え、条件が揃うと群生するところがある。
 HP更新しました新見市豊永の花盛りを鑑賞してください。このテーマで3回シリーズにします。
 小松氏の写真館は2回目です。

花びらの色仕掛け

2004年6月15日
 14日の岡山日日新聞に興味ある記事が載っていた。
 タイトルは「NEWS最前線 昆虫や鳥を引きつける 花びらの”色”仕掛け」

 植物は自分では交配ができないから虫、蝶、トンボ、鳥に仲立ちしてもらって受精がなりたつ。したがって植物それぞれ彼らが魅力を感じてくれる演出をしなけねばない。以下記事を一部抜粋要約してみよう。
 鳥の視覚は人間と同じで赤を好むが、昆虫は人間以上に紫外線が見えることを花は知っているので、まず植物は花の色と模様に進化されてきた。
 花色で代表的なのは白、黄、紫、赤、緑の5種。統計的に早春に合わして分類すると、
 
 白・・・30%以上
 黄、紫・20%
 赤、緑・10%

のようで、春たけなわになると、

 白・・・若干占有率が高くなる
 黄、紫・30%弱まで高くなる
 赤、緑・5%ぐらいまで低くなる

晩春は、
 白・・・ほぼ40%
 黄・・・ぐんと伸びて37%あたりまで高くなる
 紫・・・17%ぐらいまで落ちる
 赤・・・さらに下がる
 緑・・・ほぼ0%ちかくになる

夏になると、白は横ばい、黄・紫は20%に戻り、赤、緑が上向く。

秋風が吹くころ、
 白は20%まで下がり、晩秋には30%台に戻る
 黄は20%で晩秋を迎える
 紫は40%にはね上がり30%強で終わる
 赤は10%で晩秋は0%
 緑は5%で晩秋は8%ほどに落ち着く

と、いう推移になる。{記事はグラフなので数値は勝手に判読}
 なかなか面白い内容だ。日頃山野を徘徊していて知覚していたことがうらずけられた気がする。
 白が多いのは葉をはじめ緑の中なのでよく目立つかららしい。
 蜜線の上の花弁に班があるのは、班が紫外線をよく吸収して目ざとい昆虫を誘い込む仕掛けになっているとのこと。

 最近の岡山日日新聞には読み応えする特集が掲載されるようになった。これは大事に保管しておきたい。

 



  

  
 端境期なのでドライブのつもりで備北地区を車で走る。
 高梁市の市街地をかわして180号線は広域農道「かぐら街道」へ入る。この道は、行き詰める辺りから松原、宇治にかかると枝道が幾重にも現れて、つい未踏の道に入り込むならば大方の方向は把握できても詳細な地理感がなくなる。磁気地質で時計の針が狂ってしまうようなものだ。離合不能な幅員がつづき先細りになって突き当たりになり方向転換もできなくなるのではと思っていると、突然大型バスが並行可能な立派な道路になったりする。樹間から四方の山稜が見えて、同じ標高を平坦に走っているのが分かる。
 狐狸にしか出会わないような道でも、地道というところがない。すべて舗装されているのには恐れ入る。
 ようやく県道85号線に入り宇治の旧仲田邸前にでる。
 そこから吹屋のべんがら町で名物田舎蕎麦で腹を癒すと85号線をたどり、もとの180号線にかえった。
 相当な距離をドライブしたけれど、見た花はアザミ、ホタルブクロ、ユキノシタのわずかなもの。それより緑のあざやかさと空気のさわやかさを満喫することができた。

 新見市の「珈琲屋あるれ」に立ち寄る。1時間前に小松夫妻がおられ千屋方面に出発された由。
 香り高いコーヒを味わいながら小松氏の展示写真を鑑賞させてもらった。

公園の花

2004年6月12日
 昼ごろの驟雨名残りが公園やグラウンドに水溜りとなっている。愛犬リュウはなんのそのピチャピチャ水を撥ねながら自分のテリトリーをまい進するが、散歩される当方はそうはいかないので、避けてよけてジグザグに歩かざるをえない。
 久しぶりの公園やグラウンドは緑が爽やかにシャワーを浴びて活き活きしていた。
 球技などに利用される円範囲の四隅には様変わりした野草の花で埋もれていた。
 いわゆるシロツメクサ、ヒメジョオンが目立つ。どちらも外来種だそうだが、今ではすっかりヤマト風土になじんでわがもの顔の強靭性で繁茂している。
 シロツメクサはクローバのことでどちらかというと春の草。地を這うようにのびて節から根をだしながら群生し花茎を垂直にたちあげて白い花弁を無数につけて咲いている。その小さな一枚一枚の花弁が爪に似ているのが名の由来だそうだが、文献をひもとくと、江戸時代オランダ船がガラス製品を運んできたときにこの草を乾燥させて緩衝材に用いたようだ。その種子を撒いたのが始まりで、「爪草」ではなく「詰め草」が正解のようだ。しかし多くは三つ葉で、四葉を見つけると幸せになる、という話は青春の想い出にあって、思い人の爪ににているという筋につながれば「爪草」の方がよりロマンな気がする。
 ヒメジョオンは1米近く茎が伸びるがこの時期はそんなに高くはない。周囲の草丈が低いので結構ノッポに見える。茎の節から枝茎を無尽に伸ばし、その形はいかにもいかつい印象をあたえるが頭上花はキク科特有性をうけつぎ意外と可愛い。薄暮のなかでもよくわかるが、近くで観察すると白色ではなくて薄紫がほんのりかかっていて十分鑑賞に耐えうると思う。この花は明治時代に日本に持ち込まれ鉄道によって瞬く間に沿線にひろがり、山奥にでも見かけるようになった。

 
 ーーーー新見市豊永・草間 4.6.6探訪ーーーー

 梅雨時期にはそれに合わした花が山野の谷間に咲いているが、春本番の繚乱に比べると圧倒的に種類が少なくなる。いわば夏草への端境期に入るからだ。
 それでも家にじっとして雨だれを聞いてはいられない。
 師匠と連れ立って北房町から豊永に車を走らす。
 分からなければ通り過ぎてしまうわき道に車を乗り入れ、人家疎らな集落の奥まった路傍に駐車する。
 ヤマシャクヤクは山の斜面に咲いていた。ヤマシャクヤクは白花が多いが、ここのは稀にあるベニシャクヤクだった。傘をさしての探訪撮で、持主の案内をいただいた。
 自生の株から丹念に種子を集め、一画の群生に育てたそうで、周囲を柵で囲い保護管理されている。
 ヤマシャクヤクは開花して2〜3日でハラリと花弁を散らす。花の命は短くて、の言葉にたがわない哀れさを漂わせる花である。
 今朝(6日)のNHKで放映されたそうで、それを見て2人の熟年女性が軽トラを駆って現れ、
「ヤマシャクヤクはどこに咲いていますか?」
と聞く。
 「TVで見ましたけぇ」
 メディアの影響にはあらためて恐れ入る。晴天ならば離合できない道に車が溢れて帰るに帰れない状況になるだろう。雨があがれば好条件になるのだが、傘を片手で、カメラの濡れを防ぎながらの撮影は思うようにシャツターが切れない。記録した画像を確認していないのでなんともいえないが、自信はない。
 
 草間の「かたくり園」で名物の蕎麦を昼食する。蕎麦好きの人にはたまらない美味さだ。
 このかくり園の中を歩かせてもらって裏山に入る。
 ヤマシャクヤク、シライトソウ、ササユリの数輪が寂々と雨に咲いていた。

 180号線の帰途、御鋒神社に山よ白よと山裾一面を白色で染め上げたユキノシタがあった。
 これほどの群生は他に見たことがない。
 新見方面に走る際には高梁を過ぎて左面を注視していると否でも目に入る。
 花の写りがよくないので外して編集しましたが、やはり阿哲地域の特有山野草なので追加しました。全体の感じをみてください。
 クマガイソウ&エビネは森の妖精という代名詞にピッタリ。自生する環境も相似ている。最近こそ鎮火したが一時はゴルフ場の開設で多くの珍花が失われてしまった。悲喜こもごもの現象だが、消滅した自然が復元するのには世紀代のカウントが必要だそうだ。

鉛筆素描展

2004年6月2日
 会社の帰りにGallery〔テトラヘドロン}に立ち寄った。
 表町のアサヒカメラの前で2階にある。
 「平島二郎 鉛筆素描展」の案内が表示してある。
 どんなものか想像もつかないまゝ会場に入ってみると、壁掛けの絵はなるほど鉛筆の風景画である。間近で見ると粗く書きなぐっているようで(失礼!)、素人の目ではどこがいいのか分からない。玉野や大山、蒜山をスケッチされている。一巡して、受付の女性と話しをしていて、何気なし遠目で絵を振り返えって見て、アッと驚いた。
 鉛筆の線と白地の絵が、ドエライ迫力で活きていた。
 驚嘆以外になにものもない。
 こんな世界もあるんだなァー。
 
 7日(月)までの開催。
 目からうろこが落ちるとはこのこと。
 販売していて一点一万円が表示されていた。

いよいよ梅雨入り

2004年5月30日
 昨日はパッとしない天気。山に入って雨になったら憂鬱なので、カメラの用意はしたものの、結局あきらめた。
 愛犬リュウにせがまれていつものコースを連れて歩かされる。自分のお気に入りのコースが3つあって、その日の気分により自分の選択した方向へグイグイ引っ張っていく。主人が行きたい所に行こうとすると、頭を反対に向けて四股をふんばり、テコでも動かぬゾーの頑強な反抗態度。こんなときは、抱きかかえてしばらく歩きいい加減な距離でおろしてやると、しかたがないなーと主人の顔をうらめしそうに見てついてくる。
 あぜ道の花がすっかり変わってしまった。
 葉茎にビロードのような柔らかい白毛をつけた黄色い小花のハハコグサも一時の盛りは過ぎたようだ。
 正式な名前は「ホウコグサ」と呼ばれ、「オギョウ」ともよばれ、春の七草でおなじみの野草である。若葉が食用にされヨモギのように草もちにすることがあると聞く。
 耕作していない田んぼにナズナを良く見かける。俗に言う「ペンペングサ」でこれもまた立派な野草で春の七草かゆには欠かせない。
 ところで春の七草はナニナニかな・・。
 せり なずな おぎょう はこべら・・・。
 脳の密度が粗くなったのか、あとが続かない。
 ごねるリュウをかかえて急いで帰宅。
 辞書を開く。
 
 セリ ナズナ オギョウ ハコベラ 
    ホトケノザ スズナ(蕪) スズシロ(大根)

 やれやれ。でも、また忘れるかもしれない。
 雨は小雨がポロッと。
 吉備高原にでもでかければよかった。 
 豊永は草間と隣接して地質を同じくする阿哲台。
 岡山では随一のカルスト台地なのである。
 新見市では最も東南に位置し台地を下ると上房郡北房町に入る境界集落であって、いわずもながらすべてが、山の中にある。
 水稲に適さない地質は畑作をうながし、葉タバコ、蕎麦、野菜栽培が主流になり、一日の温暖の差が甘露な糖分を合成するらしく、ピオーネの栽培が近年は隆盛になって、目に留まるところブドウ畑の簡易ハウスが連らなり、その上を緑の香りを含んだ風が馥郁として流れていた。
 その畑のあちこちに石灰岩塊が頭を突き出し、異様な光景を演出している。豊永の観光名所は、なんといっても鍾乳洞「満奇洞」であろう。金田一耕介が活躍するミステリー映画のロケ地になったほど、神秘な美しさを備えた洞窟である。

 快適な天候のなか、今日は豊永の山野草をめでるウォーキングしてきた。
 空き地に車を留めてリュックとカメラを携帯して、集落から山道をたどる。
 「豊永ふるさと宝の会」の発行しているパンフをみると、地区内の道路は縦横にはりめぐされ交叉している。地図を持たないで歩くと、今、自分はどこに立っているのか分からなくなる。分からなくともいずれ振り出し地点に帰れる利便(?)があるかも知れない。
 閑散とした空間に農作業にいそしむ人たちが疎見された。
 庭先にはさくらんぼの木がたわわに実を熟らして枝を重くしている。
 納屋の軒下に手押しの鋤やら畑のなかで畝巾をつける木製の農具が、民俗館行きの価値で転がっていた。
 石灰岩の小石を積み上げた段々の畑道をそぞろ、やがて小道は山間の緑に埋もれていく。
 白、ピンク、紅色のカノコソウ・アザミが花盛り。背丈があるので微風に戯れ、蝶・蛾・蟻・テントウ虫などが蜜を求めて花房に群がる。
 そのアングルでCFのコマがどんどん減っていく。
 林間の平地に、不思議な現象をみつけた。高く伸びる草を丸く残し下草をキレイに刈り込んでいる。
 気に留めなかったが、歩く先々で出現してくると何だろうか、と穿鑿したくなる、たち止ってよく見ると、茅であった。
 多分、推測するに、秋口に刈り取り乾燥させて保管しておき、茅葺屋根の葺き替えに使うのだろう。いつかTVで見た白川郷の大屋根はこの茅を使う。まさか白川郷に供給するわけがないだろうから近辺の神社仏閣、あるいはお堂のものとしての栽培(?)かもしれない。
 ホタルカズラ、ギンラン、フタリシズカ、イチヤクソウ、キランソウ、タツナミソウ、シライトソウ・・等々30種近い花にめぐり合うことができた。
 鳥のさえずりを聞きながら昼食を摂れるのは、このうえなく美味い。
 おおかた5時間はこうやって散策したころ台地に時雨が舞いだした。
 山崖に貼りついてホタルカズラを撮影していると、鎌を持った老女が後から追いついてきた。
「まだ咲いとるかね?」と聞く。
「ええ、もう終わりでしょうけど・・」
「済んだと思ったがね、ああまだあるわ・・、ええっと、これは・・」
「ホタルカズラです」
「そうだそうだ、そういう名前だ」
 彼女は路傍のフキを刈りだした。刈るほど密生しているのである。
「どこから来なすった」
「岡山市内です」
「ヘェー、そりゃまたごくろうさまで・・」
 老女と老男(とは言わないが)の、自然な会話であった。

 秋には秋の、台地の花に会いに来たい。

 
                
 

道端の花

2004年5月8日 趣味
 愛犬リュウに引っ張られて散歩に連れて行かれる(?)
 田園が疎外されて家屋が建ち、隙間に田畑が残る。その畦を一匹の犬と一人の人間が散歩すのだ。
 ホトケノザはなくなり、代わりにハハコグサ(ゴギョウ)と山際にはオドリコソウ、カキオドシ、オオバニガナなどが見られる。
 オドリコソウは華やかな踊り子のようで見ていて飽きない。しばらく立ち止まっていたいのだが、リュウは興味ないので停止することを拒否する。
 犬にも、山野草の興味を持たせたいものだ。

5月7日の日記

2004年5月7日 趣味
 テンチカのアートスペースに立ち寄って「野鳥写真展」をのぞいてみた。日本野鳥の会岡山県支部が開催している。
 それぞれ聞き覚えのある野鳥ばかり。中でもカワセミの姿形や色彩は、さすがに飛ぶ宝石のようにみえるし、地味なヤマセミにも精悍さが出ている。
 小さくて警戒心の強い野鳥を写すには、バードウォチングでお馴染みのレンズ、ファィバースコープにアタッチメントでカメラを装着するらしい。カメラは簡単にパソコン処理できるデジカメ。
 使用方法を説明書きしていた。なんと35ミリ撮影の2000〜4000倍相当になるそうで、驚くほど鮮明にかつ大胆に撮影されている。
 そういえば、1日の森林公園ではそのようにして動きの激しいウグイスを、一青年が撮影していたのを思い出した。
      4.5.4
        
        ☆【クマガイソウ】(ラン科)
 昨夜来の雨が止まない。
 GWの前からの気象衛星予報が当たった。南下する低気圧に暖かい空気が流れ込み、九州や山口、広島あたりは豪雨の状況らしい。合羽、傘の雨具を用意して成羽街道を走るが、さほどの矢来雨にはならなかったのは幸いである。
 北部へ進むにつれ、小雨、霧雨、曇りをくりかえし、午後からは雲間に晴天がのぞくようになった。
 吹屋から望む向いの天神山の峰が浮き出て、裾からは白衣の僧が長刀をかい抱いてたちはだかるように、水蒸気は山肌を狼煙のように這いつつ立ち昇ってきた。
 巨大な立ち木にフジが無尽に絡まり、汚れを落とした垂れ花があざやかな薄紫をとりもどし、穂先から雨後の雫を落としていた。
 
 s氏の案内で文字通り谷から谷へ渡り、離合も不可避な山道をたどり深い緑を分け入った。

    しぐるるやしぐるる山へ歩み入る   (山頭火)

 現地に着いて持山主の案内をいただき、傘をさして自生地へ入る。木立が鬱蒼としたわさび谷の脇地、陰湿な斜面一画に、それと分かるクマガイソウの母衣武者が寄り集まるがごとく咲いていた。
 初めて見る山野草である。
 奇妙奇天烈、面妖な顔をしていた。
 s氏のHPで心算りはしていたが、まことに見れば見るほどに不思議な、一言で言い表せば珍花、である。
 丈は30?ほど、茎から無柄で葉が互生していて、一見ひだひだのある様は棕櫚の葉を思い浮かばせた。里の裏にあった棕櫚の樹を、幼児記憶がついつい蘇った。
 広げた扇に似ているというのが通例のようだ。
 2葉の中央に特徴のある花をつけていた。
 薄いピンクに紅ムラサキの脈が走り、プウーと、頬を膨らましたような花唇は見事なもの。
 その形を戦国時代の騎馬武者が背負う母衣(ホロ)になぞらえ、室町時代に勇躍した猛将熊谷直実のそれに似せて「クマガイソウ」と名がつけられた由。なぜ直実の母衣と結びつけたのか、彼の母衣をみたことがないので所以はわからない。
 それはそれとして、数十人の熊谷直実が軍団をなして前を向き、暗闇のなから一様に世をうかがっているかのような図は、まさに圧巻以外にない。
 反面、見る角度によっては、おとぎの国の小人たちが勢ぞろいしているようなユーモラス性をかもしだしていた。
 
 この花を見ただけで大いに満ち足りた。
 「おんなににている。よくよくみるとおとこでもある」
 と、立ち傍の人が言われた。言葉で表現するのはいささか憚れるが、いい得て妙、でもここは聞き流してお茶を濁すことにした。
 他に、エビネ、ヤブレガサ、バイカイカリソウ、サクラソウなどを見ることができた。ここは環境や土壌が湿度を好む類の山野草に最適な条件にあるのだろう。
 
 ところで、山野草に【アツモリソウ】(ラン科)があるのはご存知でしょうか。
 北海道や中部以北での分布だそうだから、写真でしか知ることができないが、葉はわれわれの識るところのランにより近いイメージがある。
 色は紅が勝っているが袋状の唇弁などはクマガイソウと相似である。
 実は、熊谷直実と戦った平敦盛が背負った母衣に見立てて名付けられたそうだからこの対が面白い。
 山野草の源平絵巻である。

 持山主に好意に感謝して帰途につくときは、渓谷を彩るフジは一層に華やいでいた。

   【ささやかな知識その? ※(母衣・ホロ)】
 軍記ものや歴史ものが好きな人は、あゝあれか、と思いつく。
 室町時代の蒙古襲来の合戦絵に母衣をつけた武者が見える。
 母衣にも経緯があって、幾重にもした布を背中にさして戦場を走りまわり飛び矢や石を防いだのが始まりのようで、その後、名誉ある豪勇の武者に主君から許された特権の印となり、背にかけて裾を腰に結びつけて騎馬で走ると風をはんで大きく膨らみ周囲を威圧する軍容をもたらした。
 熊谷直実が用いたのは、このあたりの意味合いかもしれない。
 信玄や謙信の時代からはまた意味合いが違ってきて、合戦のさい後方の本陣の幕張りのなか、御大将は戦場の絵図を前にして戦局の情報をもとに各部隊を将棋の駒のように動かしながら有利に戦わなければならない。そのために母衣武者が伝令と情報官の役をにない、前線部隊間を疾駆して戦局把握したり指揮官の伝言を本陣の御大将にもたらし、さらに情報をもとに練った戦略戦術を前線の指揮官に伝えるべく伝令として前線に馬首を還す武者は、母衣をはらんでいるから所在は一目瞭然である。
 辞典によると母衣は、
 ?紅母衣(くれないのほろ)
 ?濃紅母衣(こきくれないのほろ)
 ?薄紅母衣(うすくれないのほろ)
 ?薄紫母衣(うすむらさきのほろ)
 ?二引両母衣
などがあるとのこと。
 はてさて、クマガイソウはどの色に属するのか。 
 映画やTVなどで合戦ものをしているときはよく見ておきたい。 母衣をはらんでいるのが伝令武者である。
 
   【ささやかな知識その? ※(熊谷直実)】
 もと平家の武者で頼朝挙兵のさいは頼朝を攻めたが、のちに源氏の軍勢に張り頼朝に仕えた。武蔵国(埼玉県)の出。木曾義仲や平家追討に軍功をたてたことはおなじみ。
 猛将で鳴らした。
 源平合戦「一ノ谷の戦い」で平敦盛を討ったのは有名な話として歴史にきざまれている。
 その後、戦い敗れて京都に至り、出家して浄土宗教祖の法然の弟子になった。
 法名は蓮生。
 波乱万丈の人であった。

 

 
 

掲示板開設

2004年5月3日 趣味
 HPに「掲示板」を開設しました。
 皆さん同士の連絡、広報、情報、企画、たわごと、・・e.t.c
にご利用ください。(仮名・略名、筆名・愛称で可)

 朝からHPのメンテを行いました。
 そろそろ衣替えの季節、HPも少し春らしく変えてみました。

 意見やら注文は掲示板へどうぞ。
    −−目に青葉 山ホトトギス 初鰹ーー
    【岡山県立森林公園ー2004、5,1】

 岡山市近郊の稜線は濃い緑に化粧しているのに、奥津域に入ると初々しい若緑がまるで水彩画のように展開している。いまだに芽吹きをしている木々は、羽化して間もない蝶が薄茶の羽を乾かしている姿に見えてならない。
 
 GW初日で森林浴の賑わいを予想していたが、さほどの人混みではなかった。まずは管理棟に立ち寄り、今咲いていて見られる花の確認し、園内に踏み入る。
 いたるところで【ザゼンソウ】(サトイモ科)の葉は大きく育ち仏炎苞は朽ちており、もはや役目を終えていた風情だった。
 マユミ園の東を流れる沢縁では【ハシリドコロ】(ナス科)の花が見られる。暗紅紫の花弁は鮮やかな葉の色に比べて、あくまでも地味でいわくありげな姿。よくよく見ないと見過ごしてしまう花。
 根っこを口にすると走しりまわってバタンと倒れる、といわれるとんでもない毒性植物でもあり、そういえば、色具合からして江戸城大奥の陰湿さを思い浮かべたのは、少々小説の読みすぎか、はてまた妄想か。ハシリドコロには申し訳ない想像をしてしまったようだ。花を観賞するかぎりは良い対象になる。
 【ヤマエンゴサク】(ケシ科)の咲きみだれの中に【キクザキイチゲ】(キンポウゲ科)がポツンと咲いていた。
 【ミズバショウ】(サトイモ科)も数株を残すのみ。板橋を歩く人は疎らだ。
 湿原の【リュウキンカ】(コンポウゲ科)にはさすが人たかりができる。黄金色の花弁は陽を浴びるとひちきわ輝く。道きわの花には縁の白いヤツレが見える。蜜集めに余念のない蜂を追ってアングルを移動させてみたがうまくいかなかった。カメラ三脚を据えた老夫婦は長期戦でシャッターチャンスを狙っていた。
 路傍に3m余りの木が白い花を咲かせていた。【ヤマナシ】である。
 この辺りから見返りの唐松林を眺めるのが抜群に良い。どこまでも垂直に伸びて青空を突き、凛としているのがいい。芽吹き、若葉、冬枯れ・・のいずれの姿でも、眺める者の心を慰撫してくれる。
 中央園路からもみじ滝までの山際や沢際にいろんな山野草に出会える。
             
               ☆
 ▲【ミヤマカタバミ(カタバミ科)】
おおかたが葉も花傘をすぼめた形。午後日当たりとともに広げる。
 ▲【ボタンネコノメ(ユキノシタ科)】
沢際の湿ったところを探すと容易に見つけることができる。花そのものは地味だが、ほう葉、と呼ばれる黄色い葉が見事で闇を照らすように光る。あれば群生している。
 ▲【サンインシロカネソウ(キンポウゲ科)】
沢、谷のしぶきが掛かる岩などに自生している。日本海側の植物なので、ここらあたりが南限かなと思う。薄黄の花弁に暗赤色のガクがついて可愛らしいく、丈が低いのに俯いて咲くから被写体になりにくく、見上げる岩にでもあれば濡れを覚悟で足を踏み入れてシャッターをおしたくなる。上から形だけをみればアカモノに似て非ずである。
 ▲【コチヤルメルソウ(ユキノシタ科】
水際でお馴染みの花。腰をかがめて水面を背景にするとよく見える。一つ発見するとあちこちに群生しているのがわかる。ホンにあなたは忍者のような者・・とつぶやきたくなる。
 ▲【エンレイソウ(ユリ科)】
がらにもなく大きな葉を3枚もつけて・・と言われそうな花。中央の茶褐色のガクが花弁と間違われる。林の中に群生している。
 ▲【スミレ各種】
             
                ☆

 もみじ滝の橋を渡らずに右に行くと千軒平(1090m)へ登る。滝の前で息を入れて左手の道を行く。きたけ峰(1108m)方向で森林公園の最高峰を目指す。行程は変幻に富みアップダウンを繰り返して等高線を稼ぐ。丸太の階段あり、ブナの根が走る傾斜があり、横断あり、急勾配あり・・で、こまめに息をつぎながら、最後尾をたどり、各ポイントで皆さんに待ってもらいながらやっと高峰をきわめることができた。
 術後、初めての登峰である。体の疲れを感じなかったのは最高の喜び。足腰の弱化はいたし方がない。かってのバネが完全に失われたのを実感したのでこれからはこのペースを基礎にして行程を組み立てねばならないだろうと考える。
 ここから途中、もみじ滝に下りるものの、しばらくは千軒平の方向に稜線をアップダウンしながら漕ぐ。よく管理された広い道の両側に根曲がり竹が鬱蒼と繁る。森林公園の稜線はすべて鳥取県との県境線である。
 200mぐらいの処、稜線の大きな瘤を越えると、行く手の下り斜面に、白い花をつけた山野草の群れを見ることができた。
 これが今日一番のお目当ての花、【サンカヨウ】(メギ科)である。
 茎が立ち、柔らかくて切れ込みのある大きな葉をつけて、2枚ある葉の上葉の元から枝茎を伸ばして花輪を数個、よせあつめたように純白に咲いていた。幽閉とは言わないが、深山に分け入らないとお目にかかれない山野草である。折から陽光がさんざんと降りかかり、被写体としての白い花弁が周囲に溶け込んで不明瞭になりはしないかと、リュツクを放り投げて腹ばいになり、アングルを変えたり、影をつくったりして撮影に没頭することだった。 ときおり通りすがる登山者が、転げまわってカメラを構えている4人を不思議な面持ちをみせて過ぎていく。師匠によると今年は昨年より少ないそうだ。それでもこれだけの群生に出会えるのは感激もの。いつか又会える、ほどの体力の余裕がなくなっているので、焦るように写す。

 目の前の高山は津黒山だろうか、湯岳だろうか。屏風のように立つ中国山脈の連峰にガスがかかり始め、風に乗っての流れは肉眼でもとらえることができる。10数m先のブナ林に煙立ちに似て、幹の間を縫って流れてくるガスの尻尾を久しぶりに懐かしく目線で追うことであった。

 帰途、津黒への広域林道を走り、西羽出に抜ける途中、【オオイワカガミ】(イワウメ科)をカメラに収めることができたので望外の探訪撮になった。

 

 

 
 
 
 HP【花 鶯 ?】に更新しました。
 紀行文は4月11日をご覧ください。
 この時期、屋外は春日和なのに室内にいると寒い日がある。
 こんなときはドライブにかぎる。ぽかぽかと快適である。
 
 吉備新線は「目に青葉・・・」で若緑が映え、遠く中国山脈の稜線は春霞で薄墨の絵のよう。沿線は両側から迫る山はだに藤が繚乱、ツツジが萌えている。
 鳴滝のショウジョウバカマの群生はすべて花弁を落としていた。ちょっとのズレが絶好の機会を逸してしまうことになる。

 賀陽町の青空市場は買出し客で賑わっていた。
 タケノコ、ワラビ、ウド、フキ、タラノメ・・・・山菜が総揃いだった。
        【翔ぶ狩人】 
 
 渓谷沿いの車道を走っていたとき、谷底から突如、二羽の大鳥が翔びたち常緑の森を抜けて青空を背景に水平滑空した。
 灰色の狩人、「鳶」である。
 雌雄か、左の鳶は獲物を銜えている。上昇気流に乗って並んでいたが、すぐ左右に分かれて危険性を分散、獲物を銜えたオスらしきは渓谷を上流に向かう。      
 獲物は一見それと識れる、かなり大きな蛇だった。頭部を銜えられ全身をダラリと垂らした蛇はすでに無抵抗の状況をしめしており、鳶の平衡飛行は悠然としたものだった。
 深い緑のなかへ消えていった。

【赤和瀬川沿い】

 赤和瀬川渓谷を包む山稜のコルには残雪の跡はなくなっていた。熊笹が繁り、白樺も爽天に芽吹きを見せて、林道の日陰すら春の彩りに萌えていた。
 熊避けのスズをリンリンならしながら林道を踏んで行くと、フキノトウは野摘みのできる丈をはるかに超えて花茎が伸び散房状の花を愛でる姿ではなくなっていた。
 眼の至るところにはスミレの種類が、わが季節きたりとばかりに咲き誇っている。なかでもショウジョウバカマが今や盛りの勢い。
 ヒノキの枝打ちが進み、間伐された槙類の幹が山際に積まれていて、索莫さを感じる半月の時の過ぎ去りしは、秒針の速さに似て驚くばかり。
 イワナシは筒型花弁が落ちて、一番目標のイワウチワはたった一輪、それもうちしがれて咲いていた。稜線に登って観察すると数株、開花の名残りの芯を見ただけ。群生している多くの茎に花芽を持たないのは幼さなのか。
 小さな渦を巻く、登りつめた沢淵にエンレイソウが大きな3枚葉にひそやかなガクを広げていた。

        【中津河川沿い】
 
 ザゼンソウは若緑の葉を広げて、陽の射さない杉林の中の狭い区域を除き、仏炎苞の一角が萎びた内側で、瞑想する禅僧も老いの色を濃くした態だった。
 岩井滝登山口までの徒歩区間で、トキワイカリソウ、ミヤマカタバミ、キクザキイチゲ、ヤマネコノメソウ、ミヤマキケマン、スミレ各種、コチャルメルソウを再録することができた。
 登山口周辺の杉木立にはまだ残雪を見ることができる。

タンポポ

2004年4月19日 趣味
 19日月曜日の岡山日日新聞に「タンポポ」の記事が載っていました。
 タイトルだけを追ってみても、
【和・洋せめぎあい 雑種が今や多数派】
  ・揺れる環境指標の役割
    ・3タイプが混在
    ・今も「新顔」登場
  ・「タンポポ地図」の運命は?
    ・調べ方に新工夫

 と、いう具合のセンセーショナルなものです。外総苞片の反り返り有無で在来種、外来種と区分していましたたが、DNA分析の結果、双方が交配して雑種なるものが大方分布しているらしい。
身近に見られるタンポポも、よくよく観察すると私たち子供のころのイメージに違和感を感じていましたが、実はこんな事になっていたのです。
 図鑑的イラストもあって興味のあるNEWSでした。
 

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