HP【花 霞】に更新

2004年4月17日
 紀行文は4月4日をご覧ください。

 
              ☆
 津山の郊外から奥津へ走る道路がスカイラインのように整備されました。旧道をがたがた走っていた往時には考えられないほどの、快適な道路です。奥津の観光の目玉である渓谷を彩る桜や紅葉の美しい旧道の上を新道が開通するようになっていて、意図して旧道に入らなければ天然の美を愛でることができなくなりました。
              ☆    
 奥津ダムは、試験貯水しています。満水で堰堤を越えるたった一度の試験貯水にはまだまだ程遠い状況でした。それでも再び水面にのぞくことのないダム底の有様をみておくのも、報道でしか接することがありませんでしたが、建設の経緯を知る者としては万感の想いが、歴史の証人になるような気がします。
              ☆
 奥津は「コブシ祭り」でした。道の駅は車が氾れ幟や屋台がにぎやかに祭りムードを盛り上げていました。
 襟首を桜で化粧したコブシが、若緑の舞台に山を白く浮き彫りに咲いています。
 藤原審爾の「秋津温泉」は「奥津温泉」が舞台です。春日和のベンチでページをめくって小説の世界に耽るのもいいですね。
              ☆
上斎原は恩原方向に入り、さらに中津河に向かい、赤和瀬川沿いの林道に分け入ります。取り囲まれた尾根筋や谷筋に残雪があり、根曲がり竹が血管のように地面を這う林道の雪をふみしめて登ります。汚れのない透き通る若緑のフキノトウが、一面に吹きでています。
 やがてイワナシの花が山裾あたりに見え始め、帯状に咲き続いて奥へ奥へと導いていかれ、オオイワカガミの株も見え、イワウチワの自生地にたどりつきます。
 開花にはもう少し時間がかかる状況のなか、中に一輪、淡い高貴なピンク色を刷いた花がありました。高い山奥にも咲く花です。
 お目にかかるのは初めて花でした。感激ものです。
「まだはやえんじゃけど、遠路からこられたんじゃけえ、ちょっとだけみせてあげらあ」
 と、心使いしていただいたようでした。
              ☆
 後戻りして中津河川沿いを北東に走ります。
 裏見の滝で有名な「岩井滝」方向です。
 吉井川の源流ともなる渓谷の清流は分水嶺から雪溶け水をだきこみ、岩を噛み泡を吹き旋律を奏でて流れています。
 渓流釣りの人影がチラチラ映り、四駆のワゴンと彼らの拠点になるのでしょうか、窓のない小屋に洗濯物が干してありました。
 「開高健」の世界を思い浮かべました。
 道際にザゼンソウが咲くポイントがあります。
 紫褐色の仏炎包の中で僧呂が深い森林に向かって黙然と禅を組んでいました。いつまでもいつまでも。
 スミレサイシン、コチャルメルソウにも出会うことができて充実した山歩きの1日でした。
 その季節にはツキノワグマとの遭遇にご注意を。
紀行分は3月21日をご覧ください。

 今日から春日和がつづく予報です。
 カメラ機材の支度をして、さて出かけることにます。

4月4日の日記

2004年4月3日 趣味
             ☆
 ぽかぽか陽気の休日は山里が手招きしている。後楽園のソメイヨシノが満開でカーニバルの最中。メディアは河川敷の花見客が焼肉で乾杯している状況を連日報道している。花より団子の姿である。
              ☆
 8時出宅。F氏同行。吉備新線を北上して高梁ループ橋から国道313号線の成羽を走る。緑を増した山肌に淡いピンクが点在して鮮やかに山桜が咲き誇っている。河川の堤防や道路脇には桜一色の彩りがどこまでも続いていた。山桜とソメイヨシノが同時に開花し満開を競うというのは、まことに見事な趣がある。桜のトンネルを走って豪奢な芳香を浴びている思いがする。それでいて桜下で宴をしている人は皆目いない。
              
           ☆備中町・布瀬
 313号線はやがて分岐し、哲多町方面に車線を変更して走る。成羽川沿いである。前日、町役場に問い合わせしていたので備中町の中心部にさしかかる前、各ポイントで民家に確認しながら目的地にたどりついた。
 ここも個人の所有地。ましてその人の庭を歩かせてもらい、裏山の傾斜地にある栗林一面に自生しているカタクリの群生を見せてもらえるのには感謝以外なにものもない。。
 これはもう、群生としか言いようがない。陽が射して、あの細長い紅紫・ピンクの花弁を精一杯開き、反り返り、クルッと巻いてなごやかに一陣の風でサワサワ揺れる。
 ここはロープ一本が張られていて接写が可能。だからロープ内に入らないようにして、喫煙は我慢したい。
 TVで放映されて観光客、とくにカメラマンが急増したようで、小生等は2番目、そのあとが大変。あっ、というまに、男女問わずカメラを抱えた人達で行き違いもままならないほど細い通路が溢れた。「地元のもんが知らんじゃぁおえんけー」と、近辺の人たちも見学に訪れている。
 アマナ・イチリンソウが混在していた。イチリンソウの葉株が多く見られるので開花はあと1週間か。実際にあちこちを訪問してみてのことだが、キンポウゲ科の自生地に共通する条件は、
 ?多くは北面の山際地。
 ?そして栗林、梅林、墓地、境内等、家の近辺。
  (これは下草刈り等の手入れが行き届いている為と思われる)
が、好適地になっている。 
 持主と道案内していただいた人に挨拶して備中町を後にした。
 成羽川の対岸を彩る桜の花と菜の花が、ハッ、と息を呑むほどのコントラストを川面に映していた。路傍に停車してしばらく見惚れてしまう。
              
            ☆哲多町・無明谷
 吹屋の麓である坂本で昼食を摂ろうと食堂に入ったらあいにく法事の仕出しで大忙し、本日臨時休業の札がかかっていて、風にあおられてはブラブラつれなく揺れていた。
 パンを買って車内で済ます。ま、満足かどうかは別にして、腹は膨れる。
 坂本の峠を越えてると、そこはもう哲多町である。
 無明谷は入口に4台ほど駐車できるスペースがある。車を離れて井原橋あたりまで約1キロを往復したい。
 石灰岩を切り通して造った道路は両壁に岩壁が迫り、余りない土壌に落葉樹が生え、夏は傘のように繁った枝が天を覆い陽をさえぎって昼間でも薄暗い環境を演出する。そのために陰湿植物の保護指定区にもなっている。
 カタクリは盛りを過ぎていたが、北面の樹陰あたりのものはユキワリソウと混生していて素晴らしかった。
 復路、足腰の弱った老人が三脚を立てて対岸の上にレンズを向けていた。横に伸びた細い枝に黄色の侘しい花があった。ヤマトレンギョウであった。軽ワゴンに老婦がいて息子らしき人が老人の横で見守っていた。孝行息子に介添えしてもらっての山野草撮影である。
 

             ☆吉備高原
 180号線を吉備高原まで帰り、ショウジョウバカマの生育状態を確認しに立ち寄った。数株に花が見られたものの撮影にはいま少しの忍耐が必要のようだ。

             ☆
 17時に帰宅。70歳のF氏もしっかりシャッターを切っておられていた。夕食時に話の花が咲くことだろう。

 
 
 

 
 

HPに♪を挿入

2004年3月29日
 バックミュージックをいれました。
 ハープの柔らかい旋律を聞きながらHPをご覧ください。
 寸時の安らぎを感じていただいたら幸いです。

 カタクリの開花報がとどきました。
 紀行文は3月13日をご覧ください。
 
 この号から〔Tam’s 素人植物図鑑〕にリンクしています。
 曇天で時折小雨が混じる天候が、終日つづき、山野草の観察にはあいにくの条件でした。それでも強行突破して見に来てくれる愛好家に、山野草は「ちょっとだけ」の演出で迎えてくれました。。もう1週間すると、「春だよ!全員集合」の声が挙がって、どこの山野もはじけるような花の笑いが響くことでしょう。
 ウグイスもだいぶ上手になりました。
 この日一日で3ヶ所の自生地を駆け抜けてきました。

         【英田町河合】
 かれこれ3年前に訪れたときは自然そのものの環境でしたが、いまは地元の人が「村興し」の一環として整備され、リーフレットも備え、案内もして一大イベントとして取り組まれています。
 セツブンソウの後にアズマイチゲが群生の勢いをみせていましたが、日が射さないと花弁を開かないので、ほとんど傘を折りたたんだ姿のなか、数株、「せっかく来られたのにすげなくできません」と、申し訳ていどに開いていてくれていました。
 キバナノアマナの葉はあちこち伸びていましたが、肝心の花を見せてくれるのは数本ばかりの侘しさでした。
 イチリンソウはあとしばらくで花芽が伸びてくるでしょう。
 帰途、思いがけない処でユキワリイチゲ、スズフリソウの自生に遭遇しました。このまま、そっと見守ってやりたい気持ちです。

         【御津町紙工】
 昨日はほんの数株が花芽を抱いていたのに、今日はあちこちに花を吹かしていたのがキバナノアマナです。
 一昼夜の時間経過が生育を一変させたことに驚くとともに、これほどの群生は他に見たことがありません。
 4月に入るとイチリンソウやニリンソウが賑やかに咲き誇りますが、セツブンソウとイチリンソウの間を取り持つキバナノアマナの存在は貴重なものです.
いまのところ地元の人も愛好家もいまのところあまり関心がない状況。
 探訪撮の小生などにとってはじっくり撮影できるのでまことにありがたいかぎりですが。

         【吉備高原】
 ショウジョウバカマの大株が、それも群生で花芽を愛しく抱いて育成の時期をうかがっていました。
 その日はいつでしょうか。指折り数え、はやるこころを抑えてその日を待つことにします。
 今日は彼岸の中日。土曜日と重なって、ちょっと損をしたかな、と思う日です。
 さて、墓参に北房町へ帰る途中、紙工に立ち寄ってみました。
 咲き誇る梅林の下で、はセツブンソウの花はすっかり枯れて、黒い種子を突き出した群生に変わっていました。その形が面白いのでパチリとシャッターを押します。
 管理されておられる地元の人にアマナをたずねたら、咲いている場所に案内をしていただきました。キバナノアマナです。北面で、しかも日陰になる処なので、花弁の先をわずかに開いていました。日の射す午後は開花するのですが、あいにくの曇天では午後の日差しも期待できません。
 あぜ道に白いアマナがあるのも教えていただきました。
 こちらは花弁を硬く閉ざしたままでした。
 
 以前から、HPに山野草の「図鑑」のページを要請されていました。自分で作成するのは難しい。おりにつけて寄せていただいた田向さんにお願いしたところ、こころよく氏のHPにリンクすることの承諾をいただきました。
 次回更新からリンクを設定します。氏の素晴らしい「図鑑」に小生のHPから訪問してください。
 田向さん、ありがとうございました。
 
         妙林寺の【カワヅザクラ】
 
 「もう桜が咲いているの」
 Kさんのデジカメ撮影したCFを見せてもらうと今の時期、満開の桜が写っていた。馴染み深いソメイヨシノより花弁が大ぶりでふさふさした重量感があった。山陽新聞の9日夕刊にも、花を見上げる母子のスナップが載っていた。〔花〕と聞くとじっとしておれないので、早速でかけてみた。住宅が密集している地域だが、あらかじめ確認しておいたので難なくお寺の駐車場にたどり着いた。真綿にくるまれたような天気で実に心地よい。しばらく境内を散策させてもらう。
 妙林寺は高台に建つ日蓮宗の大寺である。
 岡山中心街を眼下にすることができる。北面の丘は広大な墓地が広がり、花を持った墓参する人を三々五々見かける。お彼岸の季節なのだ。本堂は内装工事中で、工事の人が昼食後の休憩を前庭で転寝している。南となりの薬師堂からは読経が流れてきて、時々、渡り廊下をすり足で出入りする人がある。法要が営まれているのだろう。
 南面に参道がのびていて、山門の間に目当ての桜並木があった。桜の種類はカワヅザクラ、新聞の記事では、約20年前静岡県河津町から贈られたそうで、南伊豆地方に多い種類とのこと。
 大柄で華やか花を蜜蜂が飛び交う。花よ蜂よ、とカメラのファインダーを覗きこみながらうろうろする背後で、墓参ついでの花見客が「あっち」「こっち」と指示してくれるが、何しろ相手は翔をもつ身、寸時も落ち着きがないのはいたしがたがない。
 日蓮上人の巨像に香と読経がまとわりつくのを後にして、車に帰る。

      草間台地の【ユキワリソウ・オウレン】

 石灰岩の町、井倉からの道は、上り口が少し狭いのを除けば格段に拡幅整備された。上り詰めた処、左手にある「そば道場」から入って、奥の駐車場に停める。石灰岩の奇景を横目にみて自生地に出る。2月上旬に訪れたときは立ち入り禁止になっていた。蕾も膨らまない時に踏み込むと花が咲かないそうだ。
 今は、ユキワリソウが満開である。その様はセツブンソウの群生と同様、枯葉の面に白い真珠を撒いたよう咲いている。同じキンポウゲ科でもセツブンソウのはガクが花弁のように見え、本当の花弁は退化して、雄蕊の周りに黄色く点々と輪を描いている。ユキワリソウはガクではなくて花弁そのものの、違いがある。形態から見ると、セツブンソウほど複雑ではない。白、紅、ピンクの彩りはセツブンソウにはない。
 ロープ際で撮影するのだが、できれば接写を試みたい。ところが良くしたもので写りのいい花はズームの位置にある。よりいい花を探しながらロープをたどって歩いていく。民家の裏手辺りでユキワリソウの分布からオウレンの花にかわる。これが地味で、線香花火のような花は、写真泣かせ。カメラのケースカバーを被せてノン・フラッシュで撮ってみた。少し幻想的な雰囲気にあがっていた。できばえは次回の更新まで。
 この地域はカタクリが自生する。葉が出ていたけれど花が見えるのは4月になる。
 民家の庭のフクジュソウは2月以来で、株が大きく張り葉が繁って開花していた。蕾も多くあってまだまだ楽しめそうだ。
 これらすべては個人の所有地で、好意の賜物である。厚くかさんだ落ち葉を熊手で掻いて自生の環境を保持されている。
 ここで、知人のK夫妻に偶然お会いした。K氏もカメラを抱えての撮影行だった。同好の士は、当然ながら目的は同じなのである。
 
 

HP【春一番】に更新

2004年3月12日
 春一番の風とともに、野草も体内時計を鳴らして目を醒ましました。早春の花は黄色と白が多いようです。セツブンソウとフクジュソウはその代表選手のようなもので、いずれも積雪を割って花を咲かせます。身近なあぜ道にはオオイヌノフグリやホトケノザが文字通り可憐な花を咲かせます。
 今回はセツブンソウ&フクジュソウを主役にした早春賦です。
 それぞれの紀行文は過日のDiaryをご覧ください。
           7日(日曜日)
 
 セツブンソウの自生地では日本一という広島県甲奴郡総領町に向かって山陽道を走る。福山東で一般道に降り、府中市からは県道432号線を上下町経由で総領町にたどりついたのは10時前。7時20分ごろに岡山を出発したから、約2時間30分ぐらいの所要時間だった。
 天候のハプニングがあった。山間部で降雪の予報を認識していたが、「大当たり」を超えた状況に遭遇して驚くやら、喜ぶやら、凍てついた雪道の不気味さをも体験した。
 府中のはずれ、芦田川にかかる辺りからボタン雪が舞いだし、路肩に残雪が見え出す。432号線は芦田川沿いに北上していて、渓谷美を帯びだしてからは、ついに積雪10センチあまりの雪国が出現した。視界に広がるのは久しぶりに見る銀世界である。
不思議なことに上下町方面の斜線だけが車両の輪跡がつき、府中方面は新雪の深さがそのまま残っている。日曜日の早朝から、こんな天候をついてまでして街へ出るような酔狂人はいないということだ。したがって北行き車線の輪跡は大方が総領町行きの痕跡とみて間違いない。
 融けた所と、崖縁の積雪ヶ所の断続がつづき、大きく膨らんだ待避所に数台の車が停止してチェーンの装着作業風景に出くわした。
 なるほどそこからはアイスバーンのような路面で、積雪一路の様子を呈している。当方の車は冬用のタイヤを履いているからスピードを制御しつつ、アメンボウのようにスイスイ前進可能なのだ。それでも雪道に慣れない小生は不気味で、師匠にハンドルをお願いした。
 右岸にはこの時期マンサクが咲いて黄色く渓谷を彩っている筈で、それと思う場所は徐行観察したが、木々梢は雪嵩の厚化粧の下に隠されていた。
 
 セツブンソウの観察基地、道の駅「リストアステーション光のドーム」に到着。「節分草祭・名人市」で賑わっていた。
 駐車場は中学校の校庭。真っ白な校庭は1台の車のみ。汚されていない雪の中で親子3人が雪だるまを作っていた。 
 セツブンソウは田総川沿いに自生地が点在している。
 「ハイキングコースマップ」には近隣4ヶ所の公開地が掲載されている。?アースワーク公園?黒木さん宅?山根さん宅?奥さん宅八幡神社・・であるが、?と?はそれぞれ南北に3キロに離れているので車使用になる。○○さん宅、・・と個人宅で呼ばれているのは、自生地がすべて私有地であり、宅地の隣りというのは秋に下草刈りの手入れが十分行き届いているからだろう。
 10センチの雪下で花が見えるなどと疑わしい限りだったが、案内所の話では、?番の花は終わり、?と?番地区で雪かきをして一部の花が見えるようにしてあるそうだ。
 車を役場に回し?の山根さん宅を訪れた。役場裏から田総川を渡り左にとって、山根さんの庭先を歩き山縁の自生地に着いた。
セリバオウレンが2輪、セツブンソウが同じく2輪でやはりここは少し早いようだ。
 もと来た橋に戻ろうとしたら、堤防で焚き火していたログハウスから人が走ってきてこっちへ来いとの手招きあった。土手縁に雪かきがされてフクジュソウが芽を出し、なかには八分咲きに咲いていた。等間隔に株があるので不思議に思っていると、やはりこれは植栽されたものであった。ログハウスでゼンザイと美味いタクアンを腹におさめ、?の自生地向かう。
 雪かきのあとの降雪を防ぐためにブルーシートを簡易屋根にしていた。その中に首を入れて接写で撮る。真っ青な天気のような背景になる。アングルを変えて撮るが、人工青天の一角は避けて通れないものになった。黄色、薄ピンクのガクがあったのは収穫だった。
 車で?の六郎丸の自生地に行く。
 猛吹雪。さらに積雪を突風が巻き上げて襲い掛かってくる。
 指先に感覚がなくなり、ピント調整をいい加減なところで妥協してしまうことになった。
 その後、?のポイントに立ち寄り、庄原ICから中国縦貫道で帰途についた。
 雪被りのセツブンソウが、しっかり写っているの確認すると、安心して睡魔の誘惑に負け、白い雪の淵に沈んでしまった。
 気がついたら、吉備SAだった。
 
 
 白馬3部作の最終作です。あと中央アルプスの木曾駒ヶ岳、八ヶ岳の北横岳、蓼科高原などの写真がありますが、また機会をみて掲載します。次回からは岡山近辺の【春一番の花】を探訪撮して早春賦の香りをお届けします。
 小松和夫氏のギャラリーはいかがでしたか。独自のカメラアングルとテクニックを堪能していただけていたら幸いです。この6月に新見市で個展を開かれます。健闘を祈念して、またのギャラリー登場を企画したいと思います。
        
           【栂池高原】
 和田野のペンション〔☆FRONTIER〕を拠点にしての最終日、イタリア料理と静寂な森の睡眠に満足して、鼻ひげの良く似合うオーナーマスタに見送られて出発する。
 野鳥のさえずりを背にしてオリンピック道路を白馬駅まで下って国道148号線に戻り、往路糸魚川の方向へ走る。白馬大池駅あたりから案内板にみちびかれて、栂池ゴンドラリフト駅にすべりこむ。ここは小谷村である。小谷の発音は、オタリであってオタニではない。建久年間、六条院の荘園だったそうで歴史にきざまれた土地なのである。
 白馬一帯がスキーのメッカでゴンドラやリフト、ロープウエイが敷設され冬はスキー客に、夏は登山客で通年稼動していて盛況である。だから労をせずして山の中腹へ運んでくれる。
 全長5320米のゴンドラリフト「イブ」から、さらに栂池ロープウエイに乗り継ぎ最終駅の広場に降り立つ。目の前に白馬乗鞍岳が雪渓を抱いてたちはだかっていた。白い襷をかけて白袴をはいた弁慶のようにそびえ立つ。
 朝の冷たい清浄な空気は美味しい。標高1880米の高層湿原の空気は極上の味がある。満腔一杯に吸い込んで板橋の湿原を歩く。
 200種ともいわれる自生の高山植物の、ほんの一部しか探訪できなかったけれども大自然の中にいて可憐で群生する強さに、山野草のメカニズムをあらためて魅せられたものだった。
 
 午前中は昨夜来の雨。午後陽が射してきて屋内にじっとしていらねない。カメラをかついで吉備新線を走る。
 数組の家族が訪れていた。
 梅林の平地は遠目にも白に塗られている。
 自生地は2段になっていて、咲き始めのころは1段目が咲き、2段目はガクに包まれた蕾だったのが、今回は2段目がほぼ満開に近い咲き具合だった。
 花は不思議に一斉に北を向いている。
 接写でピント合わせをつづけていると腰が痛くなる。
 腰をのばしながらも、あぜ道のオオイヌフグリやホトケノザを写しての帰り道だった。
 日没がもう近い。
 

畦道の春

2004年2月28日
 午後、微風もここちよく陽ざしは暖かい。
 愛犬リュウを連れて近くの公園を通り抜け、造成地にめだちはじめた新宅を眺めながら農道を散策する。
     
     【オオイヌノフグリ&ホトケノザ】
 田んぼの畦に青紫と赤紫の花が咲き出した。どちらも小さな花弁、しゃがみこんで観察すると精緻な造形に感心する。
 竜之口丘陵にこころなしか青味が増えたようだ。

大失敗!

2004年2月24日
 昨日のフクジュソウの写り具合を確認すべく、パソコンに取り込んで「すべて選択」を指定し、スライドショウをした。
 なかなか、ふむふむ、いいんじゃないん、とそこまではいい。 中にボケがあって、そのコマにポイントして「削除」を押した。フクジュソウのフォルダーが、アラッ! カラになった。
 なむさん、「すべて選択を解除」を忘れたのだ。
 高知まで行った、あれは何だったのだ!!
 思わず、パソコンのディスクをのぞきこんだ。
 やむなしzzzzz・・・・。
    【高知県大豊町南大王のフクジュソウ】
 今日の瀬戸大橋は制限速度50キロ、二輪車通行止めの規制表示。ハンドルが風圧で小刻みに動く。坂出あたりからワイパーを最速で使うようになる。松山道を走り出すと前方の視野が不透明になるほどの降雨にみまわれた。予報ではハナマルだったのに。これは最悪の天気!1
川之江から高知道に入ると、好天とはいかないでも「曇り時々晴れ場合によっては小雨」という、どっちにころんでも外れなしのあんばい。大豊INを降りて国道32号線を逆戻りし、豊永で県道439号線に進み、さらに離合もままならない崖っ淵道に乗り入れる。肝ためしに適応した道路である。
 フクジュソウ祭りの期間内だけど、ウィークデーなので青年団の交通整理もない。その分観光客がいなくてヒヤヒヤしながら対向車もなく羊腸の山襞をしのぎ目的地に滑り込んだ。この集落には平地が存在しない。切り込みの谷を挟む両山の傾斜に、ちぎり紙を貼り付けたような家屋が散在している。都会から来た者をうならせる光景である。
 文旦を売っている小屋で入山料300円を払う。足元からフクジュソウが生え、標高600メートルの地点までフクジュソウだらけの山で、規模的には日本一という呼び声がある。主に田畑の土手に密生しているが散見する民家の庭にもその根は波及しており、すべての花が満開になると遠目にも全山黄色に染まる。
 3月初めが見ごろだそうで、今の時期はガクにつつまれた蕾が目立つ。それでも「おませ」はいるもので、それを見つけてアングルを狙いシャッターをきる。それを繰り返しながら、煙となんとかと同じように次第に上へ上へ登っていく。
 突き詰めた処に大きな小屋があって、「うどん」「そば」はもとよりパチパチ燃える炉辺の周りに「みそ田楽」「やまめ」の串刺しをたてて焼き売りをしている。
 周囲が暗幕を張ったように暗くなり、雪が舞いだした。
 すっかり冷え切ってうどんをすする。熱いのがご馳走だ。
「きにょうは嵐のように風が吹いて雨が降って客はさっぱりだった」
「そうかね。今日きて正解かね」
「陽が照ったら花は開くけどね」
 うどんを作るおばさんは笊の湯きりをしながら教えてくれた。
 満腹感でもうひと歩きをしたけれど、とうとうこの日は天照大神のご出馬はなかった。
 それで満足満足、としたい。
 
 旬の花便りがあちこちから聞こえ出した。
 今はせっせっと撮影溜めしておきたい。
 繋ぎとして、HPの更新は白馬連峰?にして完了させた。
 
           【八方尾根】
 名の由来は四方八方を見渡せることからきている。頂上の唐松岳は2696メートル。車は黒菱まで行けるが、ここはリフトを3基乗り継いで八方池山荘に行った方が旅行気分が味わえる。草原の葉先を撫でるようにして早朝の空間をすべるのはなんともいえない感激がわきあがる。
 リフトの最終駅近くい湿地公園があり、長野オリンピックのDHスタートハウスはすぐ下にある。ガスにつつまれた山荘の周りにはカラフルなヤッケ姿の登山者が表町界隈のように賑わっていた。
 山荘脇から出発する登山道は、第2ケルン手前まで2コースに分岐している。往路と復路をかえて歩く楽しみがある。
 往路は南側コースを選択した。このコースは山を巻くように歩くので距離的にやや長いが高山植物を観察しながら、適宜息継ぎして登れるので往路に適している。よく晴れた日は木曾駒ヶ岳の中央アルプス連峰が望める。逆に北側コースは瓦礫のような岩石道でほぼ尾根歩き。左手に白馬三山が屏風のように眼前にそびえて離れず登山気分を満喫させてくれる。
 第2ケルンを過ぎると2000メートル近くになり、小さい規模ながら雪渓が出現して火照った体を癒してくれる。
 山荘から八方池まで約1時間30分が標準時間だけど、山野草探訪撮隊ははるかにその時間を越えてよし、としている。だから2時間はゆうに歩いた。標高2066メートルの地点である。
 残念ながら、峰々に厚い雲がかかり白馬三山は白いベールの奥に隠れて見ることができなかった。
 八方尾根は「植物の垂直分布が逆転」している、といわれている。高山帯植物の上に、亜高山帯植物が分布しているそうだ。
 八方池から唐松岳へは、本格的登山の装備で山小屋泊の準備が必要である。
 
 
 あたたかい日差しに誘われて御津町のセツブンソウの再撮にでかけた。初めて訪れた15日の朝は大霜で、咲き始めたばかりの数輪の花は撮影の対象には少し早すぎた。積雪を割って咲く風情に出会えればこれにこしたことはないが、霜被りもすてたものものでもない。ただ花に勢いがなかった。
 今日は4月の日和とのこと。吉備新線を走る車もガラスを降ろして爽やかな春風を先取りした。
 女性の先客がいて、フェンスに囲まれた狭い通路にシートを敷いてうつぶせになりシャッターを盛んに切っている。いでたちや機器類からみると並の人ではない。梅林に入り込んだ通路の半分を占拠して長々となり、陽気の加減で増えるてくる観光客などなんのその、シャツターから指を離さないでいるのも、並の人ではない。その執着性に感嘆する。
 時計の針が進むにつれ、花が開花した。ほぼ8分咲きといったところ。脈が浮かぶ純白なガクを精一杯ひらいて、なかには反り返るのもあり、黄色の輪形退化した花弁の中心に淡紫色の葯があざやかにういて見える。
 山の北面に群生がみられるのは、この山野草が木陰を好むからで、下草を刈って手入れをした環境でないと繁盛しない。せいぜい15センチの丈で花径は2センチという花だから丈の勝つ他の野草の中では育ちにくい。手入れをする梅林や栗林、神社の境内などに多いのはそれに所以する。
 したがって最良のアングルを確保するには、レンズが上向きになるカメラか、大地に腹ばいになるしかない。さらに三脚でズーム、あるいはマクロ撮影機能がダントツ有利である。
 十分写して上をみると、苔むす老木の梅がセツブンソウに負けずと花数を増やしていた。紺碧の空によく映えていた。
 小川の堤防に、ごくごく小さな花が株単位で群生している。よく観察すると青紫の花弁は精緻な模様で優雅な趣がある。もちろん、付けられたオオイヌノフグリという名は体をあらわしていない。
 春うらら気分で、空きっ腹をかかえながら田んぼ道を蛇行しながら帰っていると、例の女性カメラマンがせかせかと追い抜いて行った。
 

< 63 64 65 66 67 68 69

 
SU

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索