prose-だらだら悪天候の北帰行②
2014年3月22日 趣味 岸田吟香といっても知らぬ人が多い。
幕末に津山藩の塾生になったのをはじめ三河藩の中小姓になったり、はては湯屋の三助や妓楼の箱屋につとめのちに吉原の妓楼主人、東京日日新聞に入社しては台湾への従軍記者、目薬の製造販売の実業家、晩年の教育家などの変遷を遂げ、七男五女をもうけ、4男劉生は洋画家で名がしられている。
もっとも地元に馴染みなのは「卵かけごはん」の公布であろう。今に息をふきかえし久米には専門の食堂ができるほどで、新鮮な生卵をほかほかのご飯にわりこみ納豆のようにねばりを出して出し醤油の味を加味して食べるのは一般家庭の一膳になっている。卵ご飯という食べ方は江戸時代早くから各層にあって特段珍しくはないと思うなだが、献立に汎用させたのは吟行の功績である。
このパワー満ち満ちている人生は七男五女の子沢山にもあふれている。
緑陰の褪せた緑と芽吹きまえの淡白い落葉樹におおわれている頂上の郷を想うと、こころざしのタフさは芽吹きのように内包されている。
旧旭町の橋梁にかかると自然と不釣合いな建物は曇天に沈んでいた。河の中央に白赤の角形ブイがこれからの上流に点在していた。水量をはかるものか遊魚舟の目印のものかはわからない。霧雨に煙っていた。
高校野球の開幕セレモニーがラジオから感動的な口調でながれていた。
ようやく落合に着いた。時計は11時をさしていて行程に2時間かかった。
ダウンを羽織るほどの寒さになっていた。
幕末に津山藩の塾生になったのをはじめ三河藩の中小姓になったり、はては湯屋の三助や妓楼の箱屋につとめのちに吉原の妓楼主人、東京日日新聞に入社しては台湾への従軍記者、目薬の製造販売の実業家、晩年の教育家などの変遷を遂げ、七男五女をもうけ、4男劉生は洋画家で名がしられている。
もっとも地元に馴染みなのは「卵かけごはん」の公布であろう。今に息をふきかえし久米には専門の食堂ができるほどで、新鮮な生卵をほかほかのご飯にわりこみ納豆のようにねばりを出して出し醤油の味を加味して食べるのは一般家庭の一膳になっている。卵ご飯という食べ方は江戸時代早くから各層にあって特段珍しくはないと思うなだが、献立に汎用させたのは吟行の功績である。
このパワー満ち満ちている人生は七男五女の子沢山にもあふれている。
緑陰の褪せた緑と芽吹きまえの淡白い落葉樹におおわれている頂上の郷を想うと、こころざしのタフさは芽吹きのように内包されている。
旧旭町の橋梁にかかると自然と不釣合いな建物は曇天に沈んでいた。河の中央に白赤の角形ブイがこれからの上流に点在していた。水量をはかるものか遊魚舟の目印のものかはわからない。霧雨に煙っていた。
高校野球の開幕セレモニーがラジオから感動的な口調でながれていた。
ようやく落合に着いた。時計は11時をさしていて行程に2時間かかった。
ダウンを羽織るほどの寒さになっていた。
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