prose-チャリンコ人生
2013年10月17日 趣味 台風一過、チャリンコで外出すると爽やかな気分になったが何せ台風の余波でむかい風がつよい、だんだん脚に負担がかかり世の風を一身に受けている気分になってきた。百閒川にかかる勾配を押して歩くのは、回転する乗り物を手押しで歩くなんて本末転倒の思いであったが下りは最高、風をきって走るときの爽快さは人生そのもの、憂いあれば楽もありで起伏もよしとしたいが、帰りのことを考えると鬱陶しいのである。
電器量販店で小物を調達し、いつもの河川敷で短距離のウォーク。
トランペットの音が流れてきていいリズムの歩行しているうちに突然みだれて躓きそうになる、ニニロッソとはなかなかいかないようだ。
折り返しは急ぎ用もなし、口笛を吹いて走れれば申し分ないのだが脇を車がビュンビュン走り対向自転車でもあると片足をついて待つようになるので、裏道の住宅街をぬける。ゆっくり軒並を見ながらペタルを踏んで帰ろうと思っているのだが、いつのまにかやみくもに脚に力がはいり膝が痛くなるほど漕いでいて、はっと気がつき、スローダウンでいくとこれまた徘徊している気分におちいりはなはだ面白くない、で元どうりいっぱいに漕ぐようになる。
さして用事もないのになにを急ぐのか、自分でもわからいのである。
電器量販店で小物を調達し、いつもの河川敷で短距離のウォーク。
トランペットの音が流れてきていいリズムの歩行しているうちに突然みだれて躓きそうになる、ニニロッソとはなかなかいかないようだ。
折り返しは急ぎ用もなし、口笛を吹いて走れれば申し分ないのだが脇を車がビュンビュン走り対向自転車でもあると片足をついて待つようになるので、裏道の住宅街をぬける。ゆっくり軒並を見ながらペタルを踏んで帰ろうと思っているのだが、いつのまにかやみくもに脚に力がはいり膝が痛くなるほど漕いでいて、はっと気がつき、スローダウンでいくとこれまた徘徊している気分におちいりはなはだ面白くない、で元どうりいっぱいに漕ぐようになる。
さして用事もないのになにを急ぐのか、自分でもわからいのである。
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