prose-音戸の瀬戸

2012年9月2日 趣味
prose-音戸の瀬戸
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prose-音戸の瀬戸
 山陽自動車道の高谷ICを降りて東広島呉自動車道にのるが、この道路は一部未完成で煙管のようになった道を走り、本郷経由広に出て海沿いを呉に向う。いつもは広から呉の中心部に入ったり、海田から同じように呉の中心部へはいって倉橋島にいくのだが、かって知ったる運転手にまかせて今回は4時間のドライブをした。義兄の49日法要に赴く小旅行である。
 呉本島の突端へいく羊腸の道をたどれば彼方に倉橋島があらわれるもなかなか近づかない、最後の大カーブを廻ると目線の上に巨大なアーチが飛び込んできて音戸にようやく着いた。頭上のアーチはわずか90㍍の海峡に架かった音戸大橋で本州の警固屋と倉橋島の音戸町を結ぶ螺旋橋は真っ赤な色彩が紺碧の空のあざやかな色合をかもしている。橋の手前にある音戸の瀬戸大橋公園で小休止、身支度をととのえ海峡越しの中腹にみえる大伽藍に真向う。日ごろおぼえぬ海峡の景色にみとれる。
 この海峡は平清盛が、平家氏寺のある宮島に詣でるために開削したと伝えられていて、おりしも引き潮をねらい膨大な人海戦術を用い一日で完成させた逸話の伝承には日没の太陽を清盛が扇子で招きよせたという、おおそれた伝説でなりたっている。立烏帽子直垂姿の平清盛が日没の方向に扇を向けて立つ姿の2.7mの銅像「日招像」が此処高烏山麓「音戸の瀬戸公園」に昭和42年7月に建立されている。
 あかね空の下、「音戸の舟歌」でも流れれば情調このうえない。

 イヤーレー 船頭可愛いや 音戸の瀬戸でヨー
一丈五尺のヤーレノ 櫓がしわるヨー

イヤーレー ここは音戸の瀬戸 清盛塚のヨー
岩に渦潮ドントヤーレーノー ぶちあたるヨー

イヤーレー 泣いてくれるな 出船のときはヨー
沖で櫓のヤーレーノ 手がしぶるヨー

 日あらたむれば毛利水軍の足跡が残る寺社町並みの想いをたどるのをだきながら海峡を渡った。

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