どこかで読んだ本に、似ているなあとおもった。
 なんの本だか思いだせないまま2日過ぎ、知人宅で新聞を広げていたときにピカッと閃きその小説を思い出した。松本清張作品の「かげろう絵図」がそうだ。小説だから何処までが信じられて創作部分はどの経緯だろうかなどと清張文学を思いうかべた。一時代の「かげろう」ごとき策略は時をえらばず人間社会につきものだろうか。
 
 その時代は第11代将軍徳川家斉の世。この人は類まれな好色将軍で子供は述べ54人、「よくもできるものだ」と自我感嘆していたというからその意味では豪傑だ、が引退して嫡子家慶に将軍職を譲っても幕府決裁権を手放さずに西の丸で采配を振っていた御仁。
 いわゆる院政政治、中世の天皇家で旺盛に便用された制度でここからにじみでた膿により日本国が「変」とか「動乱」の頻発で坩堝の混乱をきたした。今でも代表取締役社長の上に代表取締役会長が居座っている企業は少なくない。
 小納戸役で身を興し、僧侶の娘美代を養女に直して家斉に献上し家斉ことのほかの愛妾により側近としての信頼をかちとった中野播磨守清茂という一品の策士がいた。隠居後は石翁と名乗り西の丸相談役になって西の丸重臣を気圧して実質権勢を我がものにした。
 ただし家斉もいずれ崩御すれば本丸の現象軍家慶に実権が移るのは明らかなこと、わが世の春と謳った石翁以下西の丸重臣は今までないがしろにした本丸の報復はそのさい悲惨なもになるだろう。わが世の春は永遠に謳いたいのは必定。
 奇しくも家斉が再起不能の病に倒れた。
 そこで策謀家石翁には、このときの備えに長年あたためていた策を動かし始めた。
 家慶あとの家定は虚弱体質、おつむも少々弱い。世子を産ますのはまづ望めない、養女美代の方が産んだ家斉娘を加賀百万石前田家藩主に嫁がせ、その子に犬千代なる者がいた。
 石翁の策謀はこうだ、前田犬千代を家定の養子にし将軍家慶を強引に隠居させ、虚弱な家定は早晩死するので犬千代を心太のように押して征夷大将軍位につける。ならば、将軍は幼少、しかも我が孫、仕える重臣は自分の息のかかった者ばかり、まさに天下は掌に転がるのである。
 腹の中でほくそ笑むも、角ばった顔に薄い眉、濁った細目で鋭く射る、石翁の人に見透かされない得意なポーズだ。

 それを仕上げるのに強力な小道具が要る。
 病床枕頭で介護しているのが腹心の水野美濃守と美代の方のみでいっさい他をよせつけない状態を演出、息絶え絶えの家斉の耳を噛むように口をちかずけ、美濃守は本丸のあることないことを吹き込むと家斉は憤怒、分けのわからぬ呻きをしながらブルブル震える手でどうにか読める文字を認めた。
 犬千代を養子にして将軍位につけよ、という遺言である。
 崩御たちまちのうちにこの書状を家慶や水野越前守忠邦以下本丸のうちそろう重臣の鼻つらに突きつけるのである。胸の好くような大芝居の仕掛けだ。演じるのは西の丸老中、石翁は戯作者、待っていた朗報が届いたが肝心の書面を水野越前に渡してしまった。石翁はひとり青くなった。
 案の定、家斉の正室鑑定で「贋物」と断じられた。
 今度は西の丸陰謀演者全員が青くなり、泡を食い、一気に奈落の底へ落とされたのである。
 いつの世も策謀のなれの果てあった。

 水野越前守忠邦は後世に質素倹約家で名をのこした。
 電光石火で幕閣の悪を放逐したものの生来が財政緊縮の持主、以降江戸城大奥もとより武家、庶民にわたり華美を禁じ質素倹約の施行を強いたため各層の反発と反対党の策動に遭い老中罷免にいたっている。

 今の世、だれが石翁でだれが越前か。
 「かげろう」のごとき「政界図絵」である。
 
 
 
 
 
 

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