城側の発着場は確定されていないが説明によれば今の月見橋周辺ではないかといわれている。長さ10㍍ほどの藩主専用の舟で後楽園側の突堤で遮った舟溜り入り、北中央の接岸地に横着けされたようである。
 今回発掘されて出現したのはこの部分である。
 舟の長さに合わしたのか接岸処の最下部に敷設された雁木は10㍍、13段の雁木の上は長さ6.2㍍、園内へはやや左にさらに右へ曲がり土手を斜めに横切って園内の道に繋がっている。藩主専用とはいえ、三角錐の形で雁木を構えたのはなぜだろう、いわく両翼の端は供の者が使用したようで、上になるにつれ細くなるのは藩主一人の通行に十分と窺える。
 配布されたコピー絵図では舟溜りの最奥部に「加子部屋」があったように記され、船頭が待機するところ、その奥に役人詰所、見張所があったとのことである。
 此処が当時の正門、南御門(御成御門)であって、幕末期に御舟入りそのものが難しくなり埋められて絵図面から消滅し、現在南門として一般観光客が出入りしている処が御成門になった。
 往時は「御後門」といわれ「後楽園」に改称されたのは明治4年。

 平成の風に頬を撫でられた遺跡はやっと解放されたのだろうか。

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