prose-表裏縦横

2011年11月24日 趣味
 異才の落語家が亡くなった。
 既成ルールに反逆した言動はあるときには顰蹙をかい、あるときはその痛快さに溜飲をさげさせてもらった。ときに破天荒のそれは鯨の潮吹きににて豪快、人を食う人間はさもありなんと思わせた。社会に生きるといううことは鬱積の坩堝のなかに住んでいるということで所詮回避はできない、どこかで潮吹きしないと「生きる」継続は不可能な世間に移行し、心にあっても自らの行動には価値をみいだせない「現代人」は、突出した具象に喝采をおくって「安寧」するのである。その意味でいえばこ人は凡才の安全弁だったのかもしれない。

 集団の人間社会は裏表の表裏一体だとの思いがつとに強くなった。場面場面でいかようにも仮面をかぶって踊りまくる。併せて権力をひきよせると堂々と非常識の論議を常識にして振りかざしてまかり通るのである。
 松本清張の「深層海流・現代官僚論」で霞ヶ関の、魚住昭の「メディアと権力」を読むと官僚といえ政治家といえ経済人とはいえ、ドロドロの遊泳術で国家を操っていることがわかる。
 凄まじい権力のサバイバルがあって弛まぬ我執に凡人は辟易さえする。
 事件は事件の裏に相当のマグマをかかえているのが茶の間にいてもわかるのだ。
 
 対して「純粋」は言葉もろとも、坂の上の雲であるのだ。
 霞であっても、現実でなくても「純粋」を手放しては、人間は息ができなくなる。
 

 

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