「憂国」というのはナフタリン漬けで価値を失った言葉。いわゆる近代国家勃興時代の言葉と思っていた。ところが昨今の世界における国政のドタバタをみていると、まさにこの言葉が不死鳥のように蘇えってきた。三島由紀夫事件を連想する響きがあってあまりいい気分ではない、が、維新当時の志士が常に想っていたことであれば、今は同じような混迷時代なので「憂国」の思いには妥当性がある。
今の政界そのものが崩壊寸前の徳川幕府の有様でありながら、救国志士が皆目見当たらないしのが残念。いいたい放題の言葉遊びするだけで、あとさきの戦略がなく戦術がない。流れを組み立てもせず国会で重大な発言をし撤回、自身の進退の明言不履行をして平気な平左衛門のへっちゃらである。
自分がいかに虚言、虚勢の範を国民に垂れているのを、本人たちは認識しているのだろうか、コップのなかの諍いは見苦しいし、他国、とくに牙を剥く国々からみればつたない国家で、脅迫、無理難題を投げかけても組み易しとしか思わないだろう。
野党も党内野党も言葉尻や揚げ足をとりあげてチマチマつつき合うのはいい加減にやめてもらいたい。政府にリーダーシップのないのも大いに問題、ならば国際、経済、社会、防衛の重要政策に絞り強調論議して国家高揚を図るべき、と耳の長い小父さんは考えるのだ。

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