ここは鹿児島本線である。九州を貫いて走る大動脈だ。
 小倉駅を出ると門司駅、小森江駅を経て終着駅の門司港駅に着く。車両止めがありもじ通り鹿児島本線は、ここが北の果てになる。山陽本線は門司で分岐してモグラに似て海峡の底にもぐりこみ対岸の下関につなぐ。因みに鹿児島本線は交流、山陽本線は直流だそうで、ダイレクトに下関まで走る車両は直交交換可能の車両に限定されるのだ。こういうことを知ると50、60サイクルという使用域を分断していることを含めて、明治以降の電気事情には政治政策の匂いが紛々として漂うのである。
 
 12月30日10時28分、キョロキョロ車窓景色を眺めているうちに電車は門司港駅のプラットホームに滑りこんだ。降りた途端、潮風にさらされた旧い駅舎の光景が飛び込んできた。濃い海峡の匂いが鼻腔を突いた。
 改札口にいたるまでに、大きな動輪が記念設置されていたのでこれを撮り、途中下車なので乗車券を若い駅員にさしだすと、門司駅~門司港駅の追加運賃を請求された。(?)の顔してみても、乗車券を裏表ひっくり返してみても、追加運賃は要るようだ。博多駅での説明とはいささか異なるのだが、揉めても詮方なし200円支払う。
 門司港の街は[レトロ]を一枚看板で構築されている。したがって駅構内外は旧き良き旅情をかもし出していた。関門トンネルができるまでは九州鉄道の玄関口で、下関との鉄道連絡船基地としてまたは貿易港として栄え随分賑わった様である。連絡線から列車を迎えいれる導入口はコンクリートで封鎖されてはいるが、その痕跡は見学できるので話の種に覗いてみた。
 キヨスクでパンと缶コーヒーを買いリュックに押し込んだ。食事にありつけない場合があるので。食堂事情が分からない土地ではこの方法が大事だ。
 駅舎を出ると円形状の駅前広場がゆったりと広がっていた。余分な物はいっさいなくきれいに確保されていた。この印象的な広場の蓋は少し曇った海峡の空だ。
 駅前に旧商船三井ビルや 門司郵船ビルなどの歴史を刻んだ建物が建ちならび、観光人力車3台が客の呼び込みをしているのが聞こえるほどに空気が冴えている。
 向かって左の海港背景に馬関が横たわっているし、右手に高速道・関門橋が豪快に海峡を渡っているのが見える。
 広場で駅舎を撮つしている観光客を少なからずいるので私も歩いていき振り返ってみた。
 戦前の構造をそのまま残した現役の駅舎がデンと座っていた。いい光景だ
 駅前周辺を眺めてみると、ちょっとした明治開化のムードがするのは、函館の味に似て非なるものがある。
 広場から国道198号線を横切って埠頭を歩くと、響灘から周防灘へ向かう突風に煽られる。沢山着込んでいるので顔の寒さほどの冷えはないが、その分風当たりがよいのかヨタヨタ歩きで西日本海運の待合所に駆け込んだ。
 下関に渡る連絡船と巌流島への観光船発着場である。突風に船も浮き桟橋も木っ端揺れ、折からの満ち潮は響灘から白馬のように波頭をたて早瀬にように海が流れている。私にはグワッと襲い掛かる波の牙のように写る。それでも船は知らぬ顔で埠頭を離れていくのだ。怖ろし気に見送るばかりなり。
 隣の桟橋にはお馴染みのトーンに塗り分けた警察艇があった。
 馬関に壇ノ浦、唐戸、下関の景色が一巻を広げるぐあいに伸びて見え、朱色鳥居の赤間神宮が手に取るように判別できる。
 此処まできたら行かずとも巌流島の島影を是非みておきたい、と思い目の届く埠頭の端にある異形の建物に向かう。みるからに展望台があるようだからだが、[海峡ドラマシップ]といわれる施設でサブタイトルに[海峡の歴史ドラマに感動する旅!]とついているからには、[源平の戦い][巌流島の決闘]をテーマにしたイベント展示館だろう。
 最上階で北方向に巌流島が浮んでいるのを確認した。
 この位置からだと残念ながら島とは見えず本島の地続きに見える。
 
 正午になったので、点在する食堂の看板をみて歩いていたら一様にあるものに気がついた。どうやら、門司港の名物メニューは[焼きカレー]らしい。手持ちのパンフによると、御飯の上にカレーを掛けてチーズと卵を載せオープンで焼いたもののように書いてある。
 余程のよほどか、どの店も行列が出来ていて、簡単にありつけない様子。岡山は日生のカキオコを求む状況とみたがいかばかりか。(続)

HP山野草探訪撮
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