源平時代に焼失した奈良・東大寺の再建の重任についた僧・重源は備前一国にその資金や資源を賄うために諸々活動している。活動した足跡を県下随所に見受けるが、この万富では土質に着目して瓦をつくる窯を築いた。約40万枚を焼いたそうだ。
万富に入ってあちこちで訊いてみたが、知らぬ存ぜぬで埒があかない。
和気方向に走ると、左手にその旨の標識があった。
団地に沿う水路の荒れ畑のような段に案内板を見た。
車を停車して歩いていくと[跡地]の説明版が柿の実の下に建っていた。
窯跡史跡を思わせるとか、記念館資料展示などはは一切なく、叢に蒸した説明版があるだけである。
万富に入ってあちこちで訊いてみたが、知らぬ存ぜぬで埒があかない。
和気方向に走ると、左手にその旨の標識があった。
団地に沿う水路の荒れ畑のような段に案内板を見た。
車を停車して歩いていくと[跡地]の説明版が柿の実の下に建っていた。
窯跡史跡を思わせるとか、記念館資料展示などはは一切なく、叢に蒸した説明版があるだけである。
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