歴史ルポ
2008年7月14日
以前から企画していた庭瀬城址に赴いた。込み入ったところにあって、一部分離合できないところにあった。
平城で沼城。城らしき面影は石垣一部と掘割のみを残すのみで、栄華のよすがもない。しかし、西300メートルにある撫川城址をふくめ戦国時代から幕末明治維新まで風雲の変遷が資料に残っている。後日、新おかやま画像ルポで編集したい。
大賀一郎博士の故郷とかで堀には大賀ハスが植えられ花を咲かせていた。
平城で沼城。城らしき面影は石垣一部と掘割のみを残すのみで、栄華のよすがもない。しかし、西300メートルにある撫川城址をふくめ戦国時代から幕末明治維新まで風雲の変遷が資料に残っている。後日、新おかやま画像ルポで編集したい。
大賀一郎博士の故郷とかで堀には大賀ハスが植えられ花を咲かせていた。
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