[1]
大層なタイトルをつけたものの、チョイつまみ、の紀行である。
平成11年に退職してからは大阪へ脚を入れたことがなかった。プッンと糸が切れたようであった。アルプスや八ヶ岳に走るのには当然通過するのだが、これは高速道利用であるからして、大阪の顔は見えるものではなかった。
OB会開催の連絡をいただいたのを機に、時間はたっぷりあるのでJR鈍行(快速・新快速をつなぐのでえせ鈍行である)で往復し、回転寿司のごとき旅気分を味わうことにした。
時刻表なんかみない。
PCの区切りがついたところで家をでた。最寄の東岡山駅の改札で聞くと、和気行きが一番早い。姫路か大阪行きの電車に接続しているかと聞くとしていませんとのこと、ならば30分後の相生行きに乗って新快速の大阪行きにすることにした。
プラットホームのベンチで寛いでいると、サングラスの雪駄履きの男性が小形犬のリードを引いて階段を降りて来た。片手に可愛い赤色の携帯ドッグハウスを携えていた。下り(岡山行き)ホームにはOGらしき服装が旺盛にサンドウィッチを食べていて、食べ終えると手鏡で念入りに化粧しだした。あとは判子を捺したように電車が停発車して、ときたま轟音をひびかせて貨物列車が驀進する、昼下がりの郊外駅頭である。
相生行きの車内はガラガラ。上道、瀬戸、万富、熊山、和気、吉永、三石までが岡山県で、醍醐天皇が隠岐流付のさいに活躍した郷士児島高徳ゆかりの船坂トンネルを抜けると、もうそこは兵庫県である。かって応仁の乱前後の先祖足跡を訪ねて出発拠点にした上郡駅を車窓に見る。
八の字に山の迫った南風景の駅がある。赤穂駅と相生駅である。赤穂はご存知義士の城下町、相生は石川島播磨重工業の城下町、それぞれ瀬戸に拓かれた港町だ。駅から眺めるとその港に向かって山が迫り漏斗の口のように街が見える。
相生駅につくと反対側に新快速大阪行きがモーターを呻らして待機していた。おやつを買う間がない。
始発だからここもガラガラポン。4人席を独占して脚をのばし、バックを置き、文庫本を広げる。通路向かいの一人は寝転がってお休み態勢。
文庫本の文字がぼやけてくる。震える電車が睡魔を連れてくる。うとうと、ええ心持ちで失神していると、文庫本が床に落ちて音をたて、ハッと覚醒した。田園に麦秋が続いていた。
左に白鷺城がかいま見え、姫路駅のプラットホームに滑り込むとドカドカ乗客が溢れ、贅沢な席利用はご法度になった。
姫路までは内田百間の[阿房列車]の匂いがした。
姫路からは須磨、舞子を除けば[密集]と[鉛色空]、コンクリートジャングルの[樹海]のなかを、新快速は一途驀進するのである。
三宮駅を出ると、次の停車駅は尼崎駅。ここら辺りは古くは摂津と呼ばれ中世から群雄割拠の拠点になっている。
横道に逸れるが追憶を繰るこにしよう。
三宮と尼崎の間に[立花]という駅がある。普通電車しか停まらないがこのクラスの駅としては乗降客はバツグンに多い。この駅から大通りを南下すれば阪神電車の[出屋敷駅]に行ける。今は知らないが競艇場があった。私は20歳前後のとき、競艇場の少し北にあった長姉の家に下宿していて、春夏の高校野球には無料の外野席に入っては本を濫読していたが、入場料の要る競艇場には1回だけ、券を買わない観覧に行ったことがある。1レースはアッという間に終わり、レースは繰り返し行われ、ベンチや構内は異常な興奮の坩堝になり、外れ券が紙ふぶきになって空に舞う。全レースが終わった後は惨憺たるゴミ箱に化ける。人々は悲喜こもごもの鬼になった。
私は小説のような、こんな世界もあるんだ、とおもった。その一回だけで、モーターの轟音を下宿先で聞くたびに飛び魚になって水面を駆けるボートの光景を再現することができ、狂乱になって咆哮する人間を推観することができた。
忘れもしないのは出屋敷のガード下の屋台である。居並ぶ屋台に初めて入り、初めての飲酒でみんなが飲んでいる〔白馬]を飲んだ。田舎でいう[ドブロク]だろう。すこぶる呑み口がいい。阪神電車が脳みそをガタガタ揺するのを肴に、何倍かおかわりして飲んだものだから天地が急ピッチで回転しだし、椅子から転げ落ち地を這った。大地は観覧車のように大げさに舞い、私は狂ったようにゲロをつづけた。泥酔の頭に外れ券を鷲掴みして咆哮している人間が占拠し,阪神電車が轟音たてて走り廻っていた。
気がついたのは深夜の風が頬を撫でだした頃、昔でいううなら丑三つ時、民家の軒下で天を見詰めていた。心臓が移動したような頭の疼きをかかえ、夢遊病者の足取りで帰りつき、姉に大いに叱咤されたものだ。
[2]
大阪駅は梅田にある。JR以外の私鉄乗降駅やバスはそのまま地名を駅名にしている。大阪府の顔になる地所だ。
中央コンコースに立つと、何か違和感を感じた。何だろうかとおもいつかぬまま、地下降り口を抜けて正面へでてみると、工事中の障壁が並び前方の視界が全然利かない。ガードマンがいたので「トイレは何処にありますか?」と訪ねてみる。ガードマンは首をひねった。「ダイマルか構内のどこかにあるでしょう」
こんどは当方が首をひねった。これではお上りさんはますます分からない。
前が見えないと八方塞がりの蟻地獄の気分になる。反対の北方向に歩いてみると、これまた工事中の障壁に直進を阻まれていた。コンコースをぶらぶら歩いていると、以前の開放感が失せて両サイドからの圧迫感をひしひしと感じる。狭い、コンコースが狭い。外界の明るさを塞がれたせいだろうか。
喫煙場所がない。阪急にわたる陸橋の傍らで数人が喫煙しているが、灰皿があるわけでもないので足元には吸殻が散乱していた。阪急側の薄暗いところでも同じような光景がみられる。
指定の喫煙場所で喫い、デパートに入って階層表示の商品を眺めていると、案内係がすかさず寄ってきて、
「なにをお探しでしょうか?」と訊く。
「ん?、、」私は思いついて質問した。「土産もの、そう土産もの」
「それは食べるものでしょうか?」
「そう、食べるもの」
「それでしたら地下へお降りください」
「やあ、ありがとう」
制服の案内係は深々と会釈した。
この会話を文章で読むと大正か昭和初期のやりとりだ。
食料の入りこんだ匂い、人いきれの臭いに辟易して外に出て陸橋を大阪駅にバックした。陸橋から眺める御堂筋も歌に謳われるほどの艶やかさが失せている。大阪駅で小腹が空いたので蕎麦単品を、ビールを添えて食べた。「ん?」硬い、二八ではなくて四六とでもいおうか、蕎麦の香り、味が伝わってこない。
再び阪急に還りエスカレータで駅に上がる。どの電車に乗っても十三駅に行くので行き先を確認せずともOKだ。
淀川を越えて阪急十三駅に電車はすべりこんだ。7年の歳月は止まっている。あいかわらずゴチャマゼの人混み、食べ物の氾濫、西出口にある名物饅頭も賑わって繁盛しているようだ。〈ビリケン〉像も健在だ。道路をわたって商店街を流してみた。変わりようのない狭い通路は泳ぐようにあるかねばならない。そのうえ自転車の無秩序な通行、置き方には素直に歩くこともままならず、ひどく疲れた。
十三の名はどこからきたのだろう。京都から数えて13番目の橋があったとか、阪急創業者の小林一三からきたとかの、諸説を聞いているが定説はしらない。淀川が出来る前には中津川、神崎川の中洲にあって氾濫の憂目に何度かあい、淀川の整備で現況の繁栄地になったというのは当時知りえていた。
人に酔い、空気に酔い、ガードを抜けて駅の東に出て会場にいってみたが1時間前とて、誰もきていない。駅沿いの筋に戻り、パチンコ店の前で喫煙、その筋を歩いてみた。今は知らぬが、かってこの筋は妖しげな雰囲気が漂う処、なになに劇場とかがあって、軒並や軒向かいには赤提灯のさがった間口の狭い飲み屋が連なり、ある店では闇にくぐもったひそひそ話しが洩れ、ある店からは哄笑がひびき、ネクタイを捻じ曲げたサラリーマンが赤鬼になって徘徊していたものだ。でも私には余り縁のない筋だった。
駅から三つ目の筋にこじんまりした公園がある。
花壇を囲んだベンチは尻の部分がピカピカよく光っている。隣のベンチには老齢らしき男の人がいて、足許には畳一枚ぐらいの大きさであるかないか、巻いた絨毯の切れ端を使い古したリュクサックに載せて置いてある。500mlロング缶ビールを飲んでいる。猫の水のみに似た音が文庫本を読む耳に伝わってきた。ヒールの音がしたので顔を上げると中年の女性が鼻歌を聞かせながら、男の横に親しげに座った。よく見えないが骨盤の張ったよくよくの美形にみえる。しかし着付けにも言葉にも[くずれ]が流れてきた。男のビールを取り上げて一口飲み、がさがさ包みを広げ、低い声で会話しだした。
「これ、食べてぇ」
「ねえちゃん、ありがとう」
「ええがな、自分も食べたかったんやし」
「それ、ワシのビール・・・」
「けちなこといわんとき。これたべえな」
油の濃い臭いがしてきた。
隣地に神社がある。本を閉じて壊れた遊具を抜け境内にはいってみると、本殿、拝殿、その他あらゆる建造物を真っ赤に塗りあげていた。祭神の数がすごい。名のある神さま集まれ、といった具合。[富くじ]の神さまでもあるらしい。ぼんぼりの下を浴衣を着た男女が富くじの祈願に詣で下駄をひびかせている光景を、想像してみた。場所が場所だけに下町の艶やかさが漂う。
[3]
OB会は盛会だった。懐かしい人ばかりだった。
膳を越え、酒を酌み交わしながら近況を語り合う場に、心地よく酔いしれた。
皆さん健壮で意気昂揚のお姿に接し感無量のひと時を過ごすことができた。
[4]
宴がはねて再び阪急電車で梅田に帰る。
つり革に揺られ車窓に写るわが身を、どこの坊主かと想う也。
浅田次郎の[地下鉄〈メトロ〉に乗って]という小説がある。
映画化されたテーマミュージックが耳の奥に流れだした。
すると無性に地下鉄に乗りたくなった。
御堂筋線に乗る。
駅を出るとゴウーと呻り暗闇に突入した。なんといってもメトロは一輌目と最尾の車輌がいい。一番前の運転席の後に歩いていった。怪物のような、生き物の迫力でなにもかも吸い込んでいく。
暗渠の暗闇をまっしぐらにひたすら疾走するのがいい。過ぎ去った人生をも飲み込んでいく勢いだ。
本町で降りる。このまま中央線に乗り換えて深江橋にいけば目的地の兄のところへ行ける。
したが、梅田行に乗った。
最尾に歩く。
怪物はなにもかも吐き出して疾走した。
過ぎ去ったものを全て吐き出してくれてまっしぐら、非特定対象物もなく、バイバイという気分に襲われる。
浪速の一日は終わった。
帳は降りても大都会は活きている。
[完]
大層なタイトルをつけたものの、チョイつまみ、の紀行である。
平成11年に退職してからは大阪へ脚を入れたことがなかった。プッンと糸が切れたようであった。アルプスや八ヶ岳に走るのには当然通過するのだが、これは高速道利用であるからして、大阪の顔は見えるものではなかった。
OB会開催の連絡をいただいたのを機に、時間はたっぷりあるのでJR鈍行(快速・新快速をつなぐのでえせ鈍行である)で往復し、回転寿司のごとき旅気分を味わうことにした。
時刻表なんかみない。
PCの区切りがついたところで家をでた。最寄の東岡山駅の改札で聞くと、和気行きが一番早い。姫路か大阪行きの電車に接続しているかと聞くとしていませんとのこと、ならば30分後の相生行きに乗って新快速の大阪行きにすることにした。
プラットホームのベンチで寛いでいると、サングラスの雪駄履きの男性が小形犬のリードを引いて階段を降りて来た。片手に可愛い赤色の携帯ドッグハウスを携えていた。下り(岡山行き)ホームにはOGらしき服装が旺盛にサンドウィッチを食べていて、食べ終えると手鏡で念入りに化粧しだした。あとは判子を捺したように電車が停発車して、ときたま轟音をひびかせて貨物列車が驀進する、昼下がりの郊外駅頭である。
相生行きの車内はガラガラ。上道、瀬戸、万富、熊山、和気、吉永、三石までが岡山県で、醍醐天皇が隠岐流付のさいに活躍した郷士児島高徳ゆかりの船坂トンネルを抜けると、もうそこは兵庫県である。かって応仁の乱前後の先祖足跡を訪ねて出発拠点にした上郡駅を車窓に見る。
八の字に山の迫った南風景の駅がある。赤穂駅と相生駅である。赤穂はご存知義士の城下町、相生は石川島播磨重工業の城下町、それぞれ瀬戸に拓かれた港町だ。駅から眺めるとその港に向かって山が迫り漏斗の口のように街が見える。
相生駅につくと反対側に新快速大阪行きがモーターを呻らして待機していた。おやつを買う間がない。
始発だからここもガラガラポン。4人席を独占して脚をのばし、バックを置き、文庫本を広げる。通路向かいの一人は寝転がってお休み態勢。
文庫本の文字がぼやけてくる。震える電車が睡魔を連れてくる。うとうと、ええ心持ちで失神していると、文庫本が床に落ちて音をたて、ハッと覚醒した。田園に麦秋が続いていた。
左に白鷺城がかいま見え、姫路駅のプラットホームに滑り込むとドカドカ乗客が溢れ、贅沢な席利用はご法度になった。
姫路までは内田百間の[阿房列車]の匂いがした。
姫路からは須磨、舞子を除けば[密集]と[鉛色空]、コンクリートジャングルの[樹海]のなかを、新快速は一途驀進するのである。
三宮駅を出ると、次の停車駅は尼崎駅。ここら辺りは古くは摂津と呼ばれ中世から群雄割拠の拠点になっている。
横道に逸れるが追憶を繰るこにしよう。
三宮と尼崎の間に[立花]という駅がある。普通電車しか停まらないがこのクラスの駅としては乗降客はバツグンに多い。この駅から大通りを南下すれば阪神電車の[出屋敷駅]に行ける。今は知らないが競艇場があった。私は20歳前後のとき、競艇場の少し北にあった長姉の家に下宿していて、春夏の高校野球には無料の外野席に入っては本を濫読していたが、入場料の要る競艇場には1回だけ、券を買わない観覧に行ったことがある。1レースはアッという間に終わり、レースは繰り返し行われ、ベンチや構内は異常な興奮の坩堝になり、外れ券が紙ふぶきになって空に舞う。全レースが終わった後は惨憺たるゴミ箱に化ける。人々は悲喜こもごもの鬼になった。
私は小説のような、こんな世界もあるんだ、とおもった。その一回だけで、モーターの轟音を下宿先で聞くたびに飛び魚になって水面を駆けるボートの光景を再現することができ、狂乱になって咆哮する人間を推観することができた。
忘れもしないのは出屋敷のガード下の屋台である。居並ぶ屋台に初めて入り、初めての飲酒でみんなが飲んでいる〔白馬]を飲んだ。田舎でいう[ドブロク]だろう。すこぶる呑み口がいい。阪神電車が脳みそをガタガタ揺するのを肴に、何倍かおかわりして飲んだものだから天地が急ピッチで回転しだし、椅子から転げ落ち地を這った。大地は観覧車のように大げさに舞い、私は狂ったようにゲロをつづけた。泥酔の頭に外れ券を鷲掴みして咆哮している人間が占拠し,阪神電車が轟音たてて走り廻っていた。
気がついたのは深夜の風が頬を撫でだした頃、昔でいううなら丑三つ時、民家の軒下で天を見詰めていた。心臓が移動したような頭の疼きをかかえ、夢遊病者の足取りで帰りつき、姉に大いに叱咤されたものだ。
[2]
大阪駅は梅田にある。JR以外の私鉄乗降駅やバスはそのまま地名を駅名にしている。大阪府の顔になる地所だ。
中央コンコースに立つと、何か違和感を感じた。何だろうかとおもいつかぬまま、地下降り口を抜けて正面へでてみると、工事中の障壁が並び前方の視界が全然利かない。ガードマンがいたので「トイレは何処にありますか?」と訪ねてみる。ガードマンは首をひねった。「ダイマルか構内のどこかにあるでしょう」
こんどは当方が首をひねった。これではお上りさんはますます分からない。
前が見えないと八方塞がりの蟻地獄の気分になる。反対の北方向に歩いてみると、これまた工事中の障壁に直進を阻まれていた。コンコースをぶらぶら歩いていると、以前の開放感が失せて両サイドからの圧迫感をひしひしと感じる。狭い、コンコースが狭い。外界の明るさを塞がれたせいだろうか。
喫煙場所がない。阪急にわたる陸橋の傍らで数人が喫煙しているが、灰皿があるわけでもないので足元には吸殻が散乱していた。阪急側の薄暗いところでも同じような光景がみられる。
指定の喫煙場所で喫い、デパートに入って階層表示の商品を眺めていると、案内係がすかさず寄ってきて、
「なにをお探しでしょうか?」と訊く。
「ん?、、」私は思いついて質問した。「土産もの、そう土産もの」
「それは食べるものでしょうか?」
「そう、食べるもの」
「それでしたら地下へお降りください」
「やあ、ありがとう」
制服の案内係は深々と会釈した。
この会話を文章で読むと大正か昭和初期のやりとりだ。
食料の入りこんだ匂い、人いきれの臭いに辟易して外に出て陸橋を大阪駅にバックした。陸橋から眺める御堂筋も歌に謳われるほどの艶やかさが失せている。大阪駅で小腹が空いたので蕎麦単品を、ビールを添えて食べた。「ん?」硬い、二八ではなくて四六とでもいおうか、蕎麦の香り、味が伝わってこない。
再び阪急に還りエスカレータで駅に上がる。どの電車に乗っても十三駅に行くので行き先を確認せずともOKだ。
淀川を越えて阪急十三駅に電車はすべりこんだ。7年の歳月は止まっている。あいかわらずゴチャマゼの人混み、食べ物の氾濫、西出口にある名物饅頭も賑わって繁盛しているようだ。〈ビリケン〉像も健在だ。道路をわたって商店街を流してみた。変わりようのない狭い通路は泳ぐようにあるかねばならない。そのうえ自転車の無秩序な通行、置き方には素直に歩くこともままならず、ひどく疲れた。
十三の名はどこからきたのだろう。京都から数えて13番目の橋があったとか、阪急創業者の小林一三からきたとかの、諸説を聞いているが定説はしらない。淀川が出来る前には中津川、神崎川の中洲にあって氾濫の憂目に何度かあい、淀川の整備で現況の繁栄地になったというのは当時知りえていた。
人に酔い、空気に酔い、ガードを抜けて駅の東に出て会場にいってみたが1時間前とて、誰もきていない。駅沿いの筋に戻り、パチンコ店の前で喫煙、その筋を歩いてみた。今は知らぬが、かってこの筋は妖しげな雰囲気が漂う処、なになに劇場とかがあって、軒並や軒向かいには赤提灯のさがった間口の狭い飲み屋が連なり、ある店では闇にくぐもったひそひそ話しが洩れ、ある店からは哄笑がひびき、ネクタイを捻じ曲げたサラリーマンが赤鬼になって徘徊していたものだ。でも私には余り縁のない筋だった。
駅から三つ目の筋にこじんまりした公園がある。
花壇を囲んだベンチは尻の部分がピカピカよく光っている。隣のベンチには老齢らしき男の人がいて、足許には畳一枚ぐらいの大きさであるかないか、巻いた絨毯の切れ端を使い古したリュクサックに載せて置いてある。500mlロング缶ビールを飲んでいる。猫の水のみに似た音が文庫本を読む耳に伝わってきた。ヒールの音がしたので顔を上げると中年の女性が鼻歌を聞かせながら、男の横に親しげに座った。よく見えないが骨盤の張ったよくよくの美形にみえる。しかし着付けにも言葉にも[くずれ]が流れてきた。男のビールを取り上げて一口飲み、がさがさ包みを広げ、低い声で会話しだした。
「これ、食べてぇ」
「ねえちゃん、ありがとう」
「ええがな、自分も食べたかったんやし」
「それ、ワシのビール・・・」
「けちなこといわんとき。これたべえな」
油の濃い臭いがしてきた。
隣地に神社がある。本を閉じて壊れた遊具を抜け境内にはいってみると、本殿、拝殿、その他あらゆる建造物を真っ赤に塗りあげていた。祭神の数がすごい。名のある神さま集まれ、といった具合。[富くじ]の神さまでもあるらしい。ぼんぼりの下を浴衣を着た男女が富くじの祈願に詣で下駄をひびかせている光景を、想像してみた。場所が場所だけに下町の艶やかさが漂う。
[3]
OB会は盛会だった。懐かしい人ばかりだった。
膳を越え、酒を酌み交わしながら近況を語り合う場に、心地よく酔いしれた。
皆さん健壮で意気昂揚のお姿に接し感無量のひと時を過ごすことができた。
[4]
宴がはねて再び阪急電車で梅田に帰る。
つり革に揺られ車窓に写るわが身を、どこの坊主かと想う也。
浅田次郎の[地下鉄〈メトロ〉に乗って]という小説がある。
映画化されたテーマミュージックが耳の奥に流れだした。
すると無性に地下鉄に乗りたくなった。
御堂筋線に乗る。
駅を出るとゴウーと呻り暗闇に突入した。なんといってもメトロは一輌目と最尾の車輌がいい。一番前の運転席の後に歩いていった。怪物のような、生き物の迫力でなにもかも吸い込んでいく。
暗渠の暗闇をまっしぐらにひたすら疾走するのがいい。過ぎ去った人生をも飲み込んでいく勢いだ。
本町で降りる。このまま中央線に乗り換えて深江橋にいけば目的地の兄のところへ行ける。
したが、梅田行に乗った。
最尾に歩く。
怪物はなにもかも吐き出して疾走した。
過ぎ去ったものを全て吐き出してくれてまっしぐら、非特定対象物もなく、バイバイという気分に襲われる。
浪速の一日は終わった。
帳は降りても大都会は活きている。
[完]
コメント
尼崎、十三のくだりが良かったですよ。酒を飲み始めた頃、酒の怖さを知らずに、つぶれた頃を思い出します。
また十三のネイちゃんのピンサロに友人と出張帰りに立ち寄ったあの頃が懐かしい。
あの頃は日々必死に働き、またよく遊びました。
鋭い感性とロマンだけはこれからも忘れないでください。
だれにも青春の爪あとをあちこちに残しています。
時に急かされず、爪あとに足を踏み入れて佇んでみるのも命の洗濯です。
時代といえば時代ということですが、いつの世にあっても、自己を振り返り前に歩く人間でありたいですね。