吉備遊歩
2008年5月17日
過日、オレフ句会の吟行で吉備津彦一帯を歩き、パチパチ写真を撮ったが、撮り忘れて咽喉に刺さった骨のように後悔している処を撮りに行った。
両国橋と細谷川である。
古代吉備王国の桃源郷に隠れた存在である。吉備の領土が広大なので権力の分散を図り、備前&備中に分割し、その両国に引かれた境界線が細谷川であり架橋の名が両国橋なのである。と、いっても多分物知りの人でない限り車で通行していたら100%認識することはないだろうと思うぐらい、ちっちゃな川と橋なのだ。しかし細谷川は、万葉集に詠まれている名所で俳句、短歌、和歌の世界では欠かせない題材になっている。
課題を撮り終えて、吉備津神社に立ち寄った。
吉備津神社は拝殿、本殿の修理工事中で、網目のシートから比翼入母屋の金襴と五月晴れに輝く威容が上部分だけ覗いていた。
この神社で一番好きなところは北随身門から西へ数百m続く回廊である。極彩色の部所は通過するだけでいい。回廊に足を踏み入れると心が落ち着く。
吉備津彦を祭祀する神社は吉備に二つあるのはご存知の通り。
吉備津彦神社と吉備津神社であり、前が平安時代、後が室町時代に造営されている。いかな理由で備前に一つ、備中に一つに同祭人の神社が成り立ったのか詳細は調べていないが、好き嫌いでものを言ってはいけないものの、吉備津彦神社の豪壮でありながら沈着な雰囲気のほうが性に合う。
いつか[新おかやま画像ルポ]にとりあげたい。
両国橋と細谷川である。
古代吉備王国の桃源郷に隠れた存在である。吉備の領土が広大なので権力の分散を図り、備前&備中に分割し、その両国に引かれた境界線が細谷川であり架橋の名が両国橋なのである。と、いっても多分物知りの人でない限り車で通行していたら100%認識することはないだろうと思うぐらい、ちっちゃな川と橋なのだ。しかし細谷川は、万葉集に詠まれている名所で俳句、短歌、和歌の世界では欠かせない題材になっている。
課題を撮り終えて、吉備津神社に立ち寄った。
吉備津神社は拝殿、本殿の修理工事中で、網目のシートから比翼入母屋の金襴と五月晴れに輝く威容が上部分だけ覗いていた。
この神社で一番好きなところは北随身門から西へ数百m続く回廊である。極彩色の部所は通過するだけでいい。回廊に足を踏み入れると心が落ち着く。
吉備津彦を祭祀する神社は吉備に二つあるのはご存知の通り。
吉備津彦神社と吉備津神社であり、前が平安時代、後が室町時代に造営されている。いかな理由で備前に一つ、備中に一つに同祭人の神社が成り立ったのか詳細は調べていないが、好き嫌いでものを言ってはいけないものの、吉備津彦神社の豪壮でありながら沈着な雰囲気のほうが性に合う。
いつか[新おかやま画像ルポ]にとりあげたい。
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