主催は岡山市教育委員会
 現場は津島〜青江線の沿道にあった。
 奈良期から知られている[鹿田荘]という場所。大供周辺区画整理事業に伴い、17年度に調査したところの隣接地を発掘した遺跡の公開説明会である。駐車場がないというので市役所においてテクテク西へ歩いた。途中自転車の女性に尋ねたら、[あそこです、遺跡が出たようですよ]と指をさしてくれた。道路工事のようなゲートが見える。そこが発掘現場だった。現場に立ってみると右に商工会議所が見え、正面にJR瀬戸大橋線の高架が走っていた。
 例によって史跡愛好者が大勢詰め掛けていた。受付で案内のハガキを差し出しA3サイズ裏表の資料を貰う。案内のハガキを持っていくと次回発掘説明会の案内をしてもらえるので好都合だ。

 [荘]とは[荘園]のことで前期戦国時代あたりまでは荘園受領(ずりょう)制度だった。
 [鹿田荘]は中世初期から名が知れていて、[東寺文書]に[鹿田荘は大荘なり]とあるそうだから広大な荘園だったことが分かる。直接の付属は朝廷実権に肉薄していた藤原氏長者だったらしい。郷土史事典(岡山県)には概略記載されていて、それによると年貢の一部は興福寺(奈良)、大原野神社・藤原氏の氏神)に与えられていた古文書があるそうで、大方は藤原氏が独占していたとのこと。そして、世の常、利害による騒乱が起きていた。
 史実を紐解くと興味つきないが、この続きの記述は後日小生の[HP 新おかやま画像ルポ]で紹介したい。

 発掘現場からは、奈良、平安、江戸時代の井戸がそれぞれ現れ、建物立替の柱跡、須恵器や中国渡来の遺物、さらに海が近くまであったので貝塚が数箇所あった。

 帰りは市中散策の態でのんびり市役所まで歩いた。

=HPへはタイトル上のHOMEからどうぞ=

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