早朝の冷え込みが山の秋景を[錦秋]を加速させだした。
 お世話していただく人が5人、参加するわがグループは6人で、マンツーマンの観察会で恐縮である。

 行程その1:朝鍋鷲ヶ山
車で登山道を走ったのは初めてのことなので新線気分。ほぼ8合目までは常緑樹であるが、境を明確にして頂上までブナ林に代わる。陽を浴びて紅葉を増す落葉樹の梢は美しい。歩くにつれ稜線の低い南の山をバックにしての眺望は格別である。
 この季節はヤクシソウの黄花とイナカギクの白花が目立ち、リンドウが藪のなかに秘かに咲いている程度。他の多くは赤い実をキララと輝かしている。
 頂上の展望台からは日本海と弓ヶ浜、大山南壁、烏ヶ山、擬宝珠ヶ山、皆ヶ山、蒜山三山が望見できた。陽射しの裏側になるので圧巻の紅葉の錦帯は残念ながら見えなかった。

 行程その2:土用ダム
新庄の最北部に位置し落葉樹が密生しているので、色彩は一段と濃い山並みを走り、車を降りて用意していただいた美味弁当を摂り、ダム周辺を散策する。水面に細波がたって景色を映さないのは無念だったにしても、ポイントでは黒い幹、紅葉、白い水面をナイフで切り裂いたようなアングルで撮れば絵になる。

 行程その3:後鳥羽天皇の道
大和有史は誕生以来、君制政治を布いいてきたが、宮廷の警護武士であった源平の勢力勃興で幕府政治の布制が成立以来、天皇は統治実権を奪われた。それの奪還すべく内乱を興したのは弟82代後鳥羽天皇、弟96代後醍醐天皇である。どちらも敗れて隠岐島げ流刑になるのであるが、その道中、新庄の出雲街道を越えたといわれる。しかし念のため追記しておきたいのは、道中経由地は途方もなく離れた土地にふんぷんととあり、重ねてもっともらしくそれぞれの地は記念碑とか謂われを公示しているのである。
 おしなべて絶対的な確証のないことだからロマンがあって結構、ではあると思うしかない。
 新庄にも碑があり歌碑が建立され、咽喉の渇きを潤した湧水の場があり、さては愛でた[しだれ栗]なるものが二樹ある。
 真っ赤に燃える渓谷は奥津の紅葉に負けずと評価しているのであるが、悔しくまだ蒼い葉が多かった。

 観察会が無事終了して解散。企画し随行説明していただいて感謝々々でした。来春を楽しみに帰路につく。

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