取材行

2007年7月25日
 書家、画家、詩人の多岐にわたる文化人・清水比庵の生誕地・高梁市に行く。市総合文化会館内にある記念室に入り、氏の書画詩文に触れた。
 職員に説明を受けて松蓮寺にある歌碑を見に行く。
 すり鉢の底にある土地柄、曲折する街を縫い歩くと、地から燃え上がる灼熱の中はくらくらめまいがするような疲労を覚えた。
 水分補給すべきだが工事中の経路に自動販売機はいっさい見受けられない。困った困ったと思いつつ、寅さんロケで有名な薬師寺(此処には次姉が埋葬されている)の隣に接する真言宗松蓮寺の石段を上り、境内の歌碑を見る。城下を見渡す高台にある寺だから望景はバツグン。いつならくまなく見て周り寺の人に話を聞くのであるが、いささか渇水にあるので人気のない寺を辞する。
 総合文化会館の駐車場近くまで帰ると自動販売機があり緑茶を嚥下して落ち着く。文化会館の職員に挨拶をして鍛冶町の親戚宅に立ち寄り自転車を借りて比庵生家の弓之町を探訪したがそれらしき遺跡はなかった。車両一台の幅員で左右に軒を寄せ合う通りに行き交う人もいないので尋ねるわけにもいかない。
 親戚宅を辞して、臥牛山松山城の麓に歌碑があるというので紺屋川を渡り頼久寺の前を通過して小松山に車を走らす。
 したが、駐車場あたりまで探索したが見届けることができなかった。天守閣のある頂上までは15分程度の登山だが、相当の斜度急坂なのを知っているのでその気はさらさらない。
 車道の北側に昔ながらの登山道がある。国道180号線にあった野猿の自然公園が登山口になっている途であるが、少年のころ姉の婚家に来て、義兄の桐の下駄を履いて登山往復した記憶がある。大石内蔵助が城預かりに登ったときに腰を降ろしたという岩がある。それはともかく下山すると、下駄の歯がちびてなくなっていたのには驚いた。亡姉にこってり絞られたのはいううまでもない。よほど印象に残っていたのか後々に【兵どもの夢の跡】という一文を雑誌に載せた。
 吉備高原の鳴滝まで帰り、チョウの撮影しようと歩き回っていると、空がにわか掻き曇り稲妻雷鳴とどろき、バケツをひっくり返した降雨に遭う。
 全身ずぶぬれ。ただしカメラは衣服の下に隠したので濡らさずに済んだ。

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