数式は純粋人間愛
2006年12月11日岡山出身の作家、小川洋子さんの本は一度も手にとっていない。若い女性の作品、特に近年の芥川賞を受賞している作品のものに辟易しているのが災いしているのかも知れない。
昔、パソコン教室で小川洋子さんのご両親と同席させてもらっていたことがあり親近感はあったのだが読むことなく今にいたっている。
同じ岡山県出身作家に岩井志麻子さんという人がいるが、失礼ながらこいうジャンルと文体は私にとって拒絶感しかなくて一度書店で拾い読みしただけで嫌悪感を呼び意図して読まない。
今日、友人から〔博士の愛した数式〕というDVDをお借りしてきた。承知のように小川洋子さんのベストセラーの映像化である。
文系の頭には数式などという熟語は蕁麻疹がでるほどの恐怖感があったのであるが、ついつい見ていると、ぐいぐい物語りにひきこまれ夕食前に席をたたずに見終わってしまった。
数式の世界はは新発見がない限り定型的な理論で固定している。文系のように他に汚染されることがない。理解するのにはスルメを噛むようにシワイが、岩石を噛むことの味気なさはない。むしろ他の解釈が入り込まないから途方も無く純粋な学問であって、数式で物事を分析したらこれはまた魂をゆさぶるような人間愛の結果をもたらすものなのだ、と感銘した。
博士は事故のため一定の時間が経つと記憶が喪失する。阪神タイガースとエース江夏投手の大ファンで、彼の頭には永遠に現役で活躍している。残りの空間は数式の思考の世界に沈んでいる。
あるハプニングがあったあと病院の待合室で、博士はメモ用紙とマジックを事故に遭った子供の母である家政婦さんに渡し、直線を書かせる。彼女はとまどいながら用紙に横線を書く。
〔そうだね〕と博士。
〔だけど直線は端がないんだよ。直線は永遠に続く。だだ紙には限界があり、それを書き続けるあなたにも限界がある・・・}
この言葉は大いなる数式の含蓄である。
魑魅魍魎に乱れた社会には数式の原点回帰への転向が必要なのではないだろうか。
汚染とはいわないが、潜在観念で判定し物事の解決を断念してしまう常識人(?)、は恥ずかしさが残る。
寺尾聡が好演している。宇野重吉の再来である。
得体のしれない浅丘ルリ子演ずる博士の義姉はまさに世事の残滓だ。
昔、パソコン教室で小川洋子さんのご両親と同席させてもらっていたことがあり親近感はあったのだが読むことなく今にいたっている。
同じ岡山県出身作家に岩井志麻子さんという人がいるが、失礼ながらこいうジャンルと文体は私にとって拒絶感しかなくて一度書店で拾い読みしただけで嫌悪感を呼び意図して読まない。
今日、友人から〔博士の愛した数式〕というDVDをお借りしてきた。承知のように小川洋子さんのベストセラーの映像化である。
文系の頭には数式などという熟語は蕁麻疹がでるほどの恐怖感があったのであるが、ついつい見ていると、ぐいぐい物語りにひきこまれ夕食前に席をたたずに見終わってしまった。
数式の世界はは新発見がない限り定型的な理論で固定している。文系のように他に汚染されることがない。理解するのにはスルメを噛むようにシワイが、岩石を噛むことの味気なさはない。むしろ他の解釈が入り込まないから途方も無く純粋な学問であって、数式で物事を分析したらこれはまた魂をゆさぶるような人間愛の結果をもたらすものなのだ、と感銘した。
博士は事故のため一定の時間が経つと記憶が喪失する。阪神タイガースとエース江夏投手の大ファンで、彼の頭には永遠に現役で活躍している。残りの空間は数式の思考の世界に沈んでいる。
あるハプニングがあったあと病院の待合室で、博士はメモ用紙とマジックを事故に遭った子供の母である家政婦さんに渡し、直線を書かせる。彼女はとまどいながら用紙に横線を書く。
〔そうだね〕と博士。
〔だけど直線は端がないんだよ。直線は永遠に続く。だだ紙には限界があり、それを書き続けるあなたにも限界がある・・・}
この言葉は大いなる数式の含蓄である。
魑魅魍魎に乱れた社会には数式の原点回帰への転向が必要なのではないだろうか。
汚染とはいわないが、潜在観念で判定し物事の解決を断念してしまう常識人(?)、は恥ずかしさが残る。
寺尾聡が好演している。宇野重吉の再来である。
得体のしれない浅丘ルリ子演ずる博士の義姉はまさに世事の残滓だ。
コメント