釣り

2006年12月6日
今日はいい天気で大潮なのでハゼ釣りに行かないか、との誘いを受けて一緒にさせてもらった。
釣り三昧を絶って久しく、もう使うこともあるまいと道具一式を物置にしまいこんで20年近い。底釣り専門だったから投げ釣りの道具が幾式もある。あのころは、正月&盆おろか連休があれば寝もやらず四国、九州の方まで遠征して釣りに明け暮れていた。クラブを作って全日本サーフキャスティング岡山協会に加盟し運営委員の末席で機関紙の編集などやっていた。あちこち釣り歩いては月刊誌に随筆を連載していたのもこの時期だ。感慨にふけりながら道具をだしたものの、ハゼ釣りにはちょうと大げさな道具建てになり、奥のほうから手持ちの軽い振り出し竿とリールをひっぱり出しホコリを払って使うことにした。
釣り場所は西大寺の吉井川河口の乙子島あたり、対岸にエクスランの煙突からモクモクと盛大な煙りか、蒸気がしらないが青い空に吐き出していた。
沖に突き出した堤防に独り、付け根に独りの老人がそれぞれ3本の竿を使って黙然と沖を見つめていた。私は手持ち一本でナス形錘に2本針の仕掛け。青虫の餌をつけて投擲し底を探って駆け上がりにねかせて、敷石の間に竿を立てた。間をおかぬ内に竿先を激しく絞り込んだ。しゃくってリールを巻くと確かな魚信。水面を走ってきたのはいい形のハゼとセイゴのダブル。底魚もハゼは一回の引きであとは針にかかったままあまり動かないが、バタバタ竿先をたたくのは回泳するセイゴ(シズキの幼魚)のせいである。

それが最初で最後。夢二ではないが、待てど暮らせどこぬ君を・・、の状況。
たちまち飽きて、堤防の草地を歩くと、クコの実が、コヨイマチグサがみられる。コンパクトカメラをもってこなかったのを悔いた。今の私は魚より野花に惹かれる。堤防に上がって眺望するとみごとな豊穣の田園が広がっている。

乙子島まで歩くと、乙子城跡の立て札がある。宇喜田直家が最初に構えた城跡の小丘である。悲劇の一族流浪の末、若き直家に守護の大名三浦氏から最前線の盾として託された城である。ただし城というより砦である。一大隊が一もみすれば霧散するようなちっぽけな城郭だったらしい。しかし、直家はこれを拠点として備前平野に版図を拡大していった。その手段は戦国時代ならではの熾烈なものだった。斉藤道三に相似た武将だった。

釣りよりこちらの方に興味をとられいて、釣り場に帰ってみたら鉛筆のようなハゼがかかっていた。
満ち潮がピークになっても魚信なし、友人も老釣師二人も今日はおかしい、いつもはこんなことはないと盛んに繰言を交わしていた。
ハゼもバカじゃない、大潮でもベタ潮で深みから岸辺に寄ってこないのだ。
午後から別途予定があるのでさっさと納竿することにして、釣果を老人に差し上げて帰った。

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