PC修復に飽いて午後外出。久しぶりに総社鬼ノ城へ独歩。今日はカメラを持たないでブラブラ遊歩のつもり。
よく整備された砂川公園には人の気配はない。紅葉前線も未だここまで降りてきていない。砂川公園を抜けると急勾配の山道。離合できない道幅は従来通り。賑やかな小学低学年の遠足とすれ違う。
城跡は400mの吉備高原南限の低山にある。登山口のビジターセンターにある駐車場に駐車して、まず缶コーヒーで一息。おヽ、山だ!あヽ山だ!やっぱり山はいい。
登山口からはいきなり急登。重たいカメラ道具もリュックもなく、登山杖があるのでラクチン。角楼と、180号線からも遠謀できる西門を観る。遊歩道を歩く。眼下に吉備平野を一望にし、白銀に光る瀬戸内海への眺望はみごと。400mの低山とは思えない。一昔の荒れ放題の遊歩道とは違って発掘のせいではあるが、見違えるほど整備されている。東端の屏風折れ近くは昔ながらの遊歩道で味わいがある。屏風折れの突き出しで腰を降ろして小一時間ほど休息する。あヽ、至福々々。
北門は復元修復中で帰途は折り返す。
ビジターセンターの駐車場からウォーキングコースが整備されているので歩くことにした。板橋を整えたところまでは、いわゆる湿原。サワヒヨドリの枯れ穂が林立。リンドウがあちこち群生して秋を演出。センブリがちょこと。径はやがて森の中へ下降して行く。ところどころ湧水、立ち入り禁止のロープ、植物採集禁止のポイント、警告があり。イノシシの掘跡が無尽。マムシ注意の立て札があり。したがって下ばかり見て歩くのであった。
大分歩いて行き止まりは岩屋へ上がる車道に出た。
次は岩屋を歩いてみたい。
よく整備された砂川公園には人の気配はない。紅葉前線も未だここまで降りてきていない。砂川公園を抜けると急勾配の山道。離合できない道幅は従来通り。賑やかな小学低学年の遠足とすれ違う。
城跡は400mの吉備高原南限の低山にある。登山口のビジターセンターにある駐車場に駐車して、まず缶コーヒーで一息。おヽ、山だ!あヽ山だ!やっぱり山はいい。
登山口からはいきなり急登。重たいカメラ道具もリュックもなく、登山杖があるのでラクチン。角楼と、180号線からも遠謀できる西門を観る。遊歩道を歩く。眼下に吉備平野を一望にし、白銀に光る瀬戸内海への眺望はみごと。400mの低山とは思えない。一昔の荒れ放題の遊歩道とは違って発掘のせいではあるが、見違えるほど整備されている。東端の屏風折れ近くは昔ながらの遊歩道で味わいがある。屏風折れの突き出しで腰を降ろして小一時間ほど休息する。あヽ、至福々々。
北門は復元修復中で帰途は折り返す。
ビジターセンターの駐車場からウォーキングコースが整備されているので歩くことにした。板橋を整えたところまでは、いわゆる湿原。サワヒヨドリの枯れ穂が林立。リンドウがあちこち群生して秋を演出。センブリがちょこと。径はやがて森の中へ下降して行く。ところどころ湧水、立ち入り禁止のロープ、植物採集禁止のポイント、警告があり。イノシシの掘跡が無尽。マムシ注意の立て札があり。したがって下ばかり見て歩くのであった。
大分歩いて行き止まりは岩屋へ上がる車道に出た。
次は岩屋を歩いてみたい。
コメント
母が7年間久米の特老にお世話になっていましたから、7年間通いました。そのたびに鬼の城を見上げどんな所かなと思っていました。
秋日和には車椅子で散歩し山を一緒に眺めていました。
過ぎし日の思い出は「鬼の城」の言葉と一緒に甦りました。折あれば登ってみたいとおもいます。
戦国時代の築城はほとんど山城ですね。この鬼ノ城跡はさらにさかのぼって古代の史上に現れていないので、さながら幻城の雰囲気があります。絶壁の山頂に後楽園球場の6倍ともいわれる城郭は、野面積みの巨石、延々とつづく土塁で城壁をなし、守りに徹したものでしょう。百済、新羅、唐の連合軍の侵攻に備え、朝鮮帰化人に築城させたものといわれています。南側はかって山麓までは海だったそうで、そういわれれば海外からの侵攻防御の意味が肯定できます。
近年ようやく発掘調査の音が響き、一部の城門が復元、現在も北門が工事中です。
一度歩いてみられることをお勧めいたします。