優雅な一日

2006年6月3日
行きつけの喫茶店で香り高いコーヒーを喫する。
シンフォニーのCDショップでクラシックの視聴を堪能する。ブラームスのピアノ協奏曲が素晴らしい!と、いううといかにもクラシック通と思われるが実はさっぱり理解していない。ヘッドホーンで全身が震えるほどの音質で聞いて〔うっとり〕することができたら、それで私にとったら名曲である。
或る作家は原稿を書くときにモーツアルトのピアノ協奏曲を部屋に流していると、創作力が高揚すると発言していた。シューベルトなどは高揚しすぎて書けないそうだ。聞くためだけの音楽で、聞いてモチーフのバネにはならないということか。
モーツアルトは何枚か持っているがいまだそういう発露にいたっていない。ただしいい音楽であることには違いない。パソコンにCDを入れてヘッドホーンで聞くのであるが、目を閉じて聞くので魂を揺さぶられるのであるが、いつのまにか睡魔にとりつかれてしまう。大天才と極めつき凡才の違いであろう。
二科に2回入選した画伯と落ち合い、随伴して県立図書館に行く。
検索モニターの使えない画伯の代役で、スイス生まれのリレーの画集を検索したら書架ではなくて書庫にあるとの表示。職員に閲覧を依頼し出してきてもらう。絵画もクラシックと同様に系統的によく理解していない私は具象画であろうが抽象画であろうが心琴に触れないと名画とは思わない、すこぶる粗野な人間である。
呼び出されてカウンターに取りに行くと、重たい画集を2冊渡された。画伯の見る間、他の一冊を私は見た。抽象画である。何を意図して画いているのかよく分からない。最初はページを丁寧に送っていたもの、途中からは画集を立ててパラパラ送って、投げ出した。
画伯は身じろぎもせずに一ページ一ページを丹念に見て捲っている。ポイントを解説したしていただく。
私は「・・・なるほど・・・なるほど」と頷く。
この場合の〔なるほど〕は、不理解の[なるほど〕なので不敬きわまるのだが、〔なるほど〕以外の進行形言葉は他にみつからないのも事実なのだ。その点は遠うに、画伯も見抜いている。
画伯が山野草の写真に興味を示さないのと、同じである
私はなにごとによらず不明な本は最後にある解説文が好きだ。そこに書いてあるリレーのモチーフなるものをを読んで俄然興味が湧いた。
再度見直した。然るに、どう結びつくのか、分からずじまいに終わったのでる。
ただしリレーという人間像には大いなる興味が湧いた。解説文の内容をここに書くのは憚れるので止めておくが。
図書館の喫茶コーナーに行く。
葉を繁らしたプラタナスの下にある停留所で、ベンチに掛けているバス待ちの人を見ながらコーヒーを味わい、閉館まじかの時を過ごした。
こちらの方が活きた絵画に思えてならない。

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