続・新庄宿界隈

2004年11月14日
              ★
 後醍醐天皇の流布の道、旧出雲街道に入り、歌碑のある公園で紅葉を楽しむ。
 谷沿いの敷きに見事な紅葉が陽に映えていた。
 奥津渓の紅葉に比肩する彩り。

 新庄宿の脇本陣前の水路にミニの水車が回っていた。通りに人気はない。これでつむじ風が舞えば三船敏郎の「用心棒」が出現する。
 この旧街道は凱旋桜の並木で知られていた。
 いつ植栽されたのか知識はないが、日露戦争の凱旋で提灯行列して祝ったことに因んでガイセンザクラと呼ばれるようになった。さくら百年を越え、かなりの老樹の太幹はホコラだらけで樹医で施術され人間でいうならば包帯だらけの身を寒風に晒していた。見る目に痛々しさを覚えた。
 脇本陣は木代の姓でかって醤油製造を営んでいた。今は町営の観光施設になり、最奥に「さくら茶屋」の食事処になっていた。天井が低くて重厚な木造構えが光を吸い取ってしまい薄くらい空間をかもし出す雰囲気は、いずこの本陣でも同じ。
 たたきの土間に巨大な醸造樽があった。
 一組のカップルが食事を終えるとわれわれ3人だけになってしまった。たった一人の女性係員の話を聞きながら和蕎麦を食べる。
 県道58号線を蒜山に抜けるつもりだったが、野土路乢が台風で崩壊して通行禁止になっているとのこと。予定変更止むなし。
 
 帰路、花見山に立ち寄った。
 スキー支度で草原は見事に刈り払われいつ積雪があっても万端整ったゲレンデに変貌していた。マツムシソウが一区画に点在していたのがせめての慰めであった。
 
 

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