山野草探訪撮【クマガイソウ】を訪ねて 成羽町
2004年5月5日 趣味 4.5.4
☆【クマガイソウ】(ラン科)
昨夜来の雨が止まない。
GWの前からの気象衛星予報が当たった。南下する低気圧に暖かい空気が流れ込み、九州や山口、広島あたりは豪雨の状況らしい。合羽、傘の雨具を用意して成羽街道を走るが、さほどの矢来雨にはならなかったのは幸いである。
北部へ進むにつれ、小雨、霧雨、曇りをくりかえし、午後からは雲間に晴天がのぞくようになった。
吹屋から望む向いの天神山の峰が浮き出て、裾からは白衣の僧が長刀をかい抱いてたちはだかるように、水蒸気は山肌を狼煙のように這いつつ立ち昇ってきた。
巨大な立ち木にフジが無尽に絡まり、汚れを落とした垂れ花があざやかな薄紫をとりもどし、穂先から雨後の雫を落としていた。
s氏の案内で文字通り谷から谷へ渡り、離合も不可避な山道をたどり深い緑を分け入った。
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る (山頭火)
現地に着いて持山主の案内をいただき、傘をさして自生地へ入る。木立が鬱蒼としたわさび谷の脇地、陰湿な斜面一画に、それと分かるクマガイソウの母衣武者が寄り集まるがごとく咲いていた。
初めて見る山野草である。
奇妙奇天烈、面妖な顔をしていた。
s氏のHPで心算りはしていたが、まことに見れば見るほどに不思議な、一言で言い表せば珍花、である。
丈は30?ほど、茎から無柄で葉が互生していて、一見ひだひだのある様は棕櫚の葉を思い浮かばせた。里の裏にあった棕櫚の樹を、幼児記憶がついつい蘇った。
広げた扇に似ているというのが通例のようだ。
2葉の中央に特徴のある花をつけていた。
薄いピンクに紅ムラサキの脈が走り、プウーと、頬を膨らましたような花唇は見事なもの。
その形を戦国時代の騎馬武者が背負う母衣(ホロ)になぞらえ、室町時代に勇躍した猛将熊谷直実のそれに似せて「クマガイソウ」と名がつけられた由。なぜ直実の母衣と結びつけたのか、彼の母衣をみたことがないので所以はわからない。
それはそれとして、数十人の熊谷直実が軍団をなして前を向き、暗闇のなから一様に世をうかがっているかのような図は、まさに圧巻以外にない。
反面、見る角度によっては、おとぎの国の小人たちが勢ぞろいしているようなユーモラス性をかもしだしていた。
この花を見ただけで大いに満ち足りた。
「おんなににている。よくよくみるとおとこでもある」
と、立ち傍の人が言われた。言葉で表現するのはいささか憚れるが、いい得て妙、でもここは聞き流してお茶を濁すことにした。
他に、エビネ、ヤブレガサ、バイカイカリソウ、サクラソウなどを見ることができた。ここは環境や土壌が湿度を好む類の山野草に最適な条件にあるのだろう。
ところで、山野草に【アツモリソウ】(ラン科)があるのはご存知でしょうか。
北海道や中部以北での分布だそうだから、写真でしか知ることができないが、葉はわれわれの識るところのランにより近いイメージがある。
色は紅が勝っているが袋状の唇弁などはクマガイソウと相似である。
実は、熊谷直実と戦った平敦盛が背負った母衣に見立てて名付けられたそうだからこの対が面白い。
山野草の源平絵巻である。
持山主に好意に感謝して帰途につくときは、渓谷を彩るフジは一層に華やいでいた。
【ささやかな知識その? ※(母衣・ホロ)】
軍記ものや歴史ものが好きな人は、あゝあれか、と思いつく。
室町時代の蒙古襲来の合戦絵に母衣をつけた武者が見える。
母衣にも経緯があって、幾重にもした布を背中にさして戦場を走りまわり飛び矢や石を防いだのが始まりのようで、その後、名誉ある豪勇の武者に主君から許された特権の印となり、背にかけて裾を腰に結びつけて騎馬で走ると風をはんで大きく膨らみ周囲を威圧する軍容をもたらした。
熊谷直実が用いたのは、このあたりの意味合いかもしれない。
信玄や謙信の時代からはまた意味合いが違ってきて、合戦のさい後方の本陣の幕張りのなか、御大将は戦場の絵図を前にして戦局の情報をもとに各部隊を将棋の駒のように動かしながら有利に戦わなければならない。そのために母衣武者が伝令と情報官の役をにない、前線部隊間を疾駆して戦局把握したり指揮官の伝言を本陣の御大将にもたらし、さらに情報をもとに練った戦略戦術を前線の指揮官に伝えるべく伝令として前線に馬首を還す武者は、母衣をはらんでいるから所在は一目瞭然である。
辞典によると母衣は、
?紅母衣(くれないのほろ)
?濃紅母衣(こきくれないのほろ)
?薄紅母衣(うすくれないのほろ)
?薄紫母衣(うすむらさきのほろ)
?二引両母衣
などがあるとのこと。
はてさて、クマガイソウはどの色に属するのか。
映画やTVなどで合戦ものをしているときはよく見ておきたい。 母衣をはらんでいるのが伝令武者である。
【ささやかな知識その? ※(熊谷直実)】
もと平家の武者で頼朝挙兵のさいは頼朝を攻めたが、のちに源氏の軍勢に張り頼朝に仕えた。武蔵国(埼玉県)の出。木曾義仲や平家追討に軍功をたてたことはおなじみ。
猛将で鳴らした。
源平合戦「一ノ谷の戦い」で平敦盛を討ったのは有名な話として歴史にきざまれている。
その後、戦い敗れて京都に至り、出家して浄土宗教祖の法然の弟子になった。
法名は蓮生。
波乱万丈の人であった。
☆【クマガイソウ】(ラン科)
昨夜来の雨が止まない。
GWの前からの気象衛星予報が当たった。南下する低気圧に暖かい空気が流れ込み、九州や山口、広島あたりは豪雨の状況らしい。合羽、傘の雨具を用意して成羽街道を走るが、さほどの矢来雨にはならなかったのは幸いである。
北部へ進むにつれ、小雨、霧雨、曇りをくりかえし、午後からは雲間に晴天がのぞくようになった。
吹屋から望む向いの天神山の峰が浮き出て、裾からは白衣の僧が長刀をかい抱いてたちはだかるように、水蒸気は山肌を狼煙のように這いつつ立ち昇ってきた。
巨大な立ち木にフジが無尽に絡まり、汚れを落とした垂れ花があざやかな薄紫をとりもどし、穂先から雨後の雫を落としていた。
s氏の案内で文字通り谷から谷へ渡り、離合も不可避な山道をたどり深い緑を分け入った。
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る (山頭火)
現地に着いて持山主の案内をいただき、傘をさして自生地へ入る。木立が鬱蒼としたわさび谷の脇地、陰湿な斜面一画に、それと分かるクマガイソウの母衣武者が寄り集まるがごとく咲いていた。
初めて見る山野草である。
奇妙奇天烈、面妖な顔をしていた。
s氏のHPで心算りはしていたが、まことに見れば見るほどに不思議な、一言で言い表せば珍花、である。
丈は30?ほど、茎から無柄で葉が互生していて、一見ひだひだのある様は棕櫚の葉を思い浮かばせた。里の裏にあった棕櫚の樹を、幼児記憶がついつい蘇った。
広げた扇に似ているというのが通例のようだ。
2葉の中央に特徴のある花をつけていた。
薄いピンクに紅ムラサキの脈が走り、プウーと、頬を膨らましたような花唇は見事なもの。
その形を戦国時代の騎馬武者が背負う母衣(ホロ)になぞらえ、室町時代に勇躍した猛将熊谷直実のそれに似せて「クマガイソウ」と名がつけられた由。なぜ直実の母衣と結びつけたのか、彼の母衣をみたことがないので所以はわからない。
それはそれとして、数十人の熊谷直実が軍団をなして前を向き、暗闇のなから一様に世をうかがっているかのような図は、まさに圧巻以外にない。
反面、見る角度によっては、おとぎの国の小人たちが勢ぞろいしているようなユーモラス性をかもしだしていた。
この花を見ただけで大いに満ち足りた。
「おんなににている。よくよくみるとおとこでもある」
と、立ち傍の人が言われた。言葉で表現するのはいささか憚れるが、いい得て妙、でもここは聞き流してお茶を濁すことにした。
他に、エビネ、ヤブレガサ、バイカイカリソウ、サクラソウなどを見ることができた。ここは環境や土壌が湿度を好む類の山野草に最適な条件にあるのだろう。
ところで、山野草に【アツモリソウ】(ラン科)があるのはご存知でしょうか。
北海道や中部以北での分布だそうだから、写真でしか知ることができないが、葉はわれわれの識るところのランにより近いイメージがある。
色は紅が勝っているが袋状の唇弁などはクマガイソウと相似である。
実は、熊谷直実と戦った平敦盛が背負った母衣に見立てて名付けられたそうだからこの対が面白い。
山野草の源平絵巻である。
持山主に好意に感謝して帰途につくときは、渓谷を彩るフジは一層に華やいでいた。
【ささやかな知識その? ※(母衣・ホロ)】
軍記ものや歴史ものが好きな人は、あゝあれか、と思いつく。
室町時代の蒙古襲来の合戦絵に母衣をつけた武者が見える。
母衣にも経緯があって、幾重にもした布を背中にさして戦場を走りまわり飛び矢や石を防いだのが始まりのようで、その後、名誉ある豪勇の武者に主君から許された特権の印となり、背にかけて裾を腰に結びつけて騎馬で走ると風をはんで大きく膨らみ周囲を威圧する軍容をもたらした。
熊谷直実が用いたのは、このあたりの意味合いかもしれない。
信玄や謙信の時代からはまた意味合いが違ってきて、合戦のさい後方の本陣の幕張りのなか、御大将は戦場の絵図を前にして戦局の情報をもとに各部隊を将棋の駒のように動かしながら有利に戦わなければならない。そのために母衣武者が伝令と情報官の役をにない、前線部隊間を疾駆して戦局把握したり指揮官の伝言を本陣の御大将にもたらし、さらに情報をもとに練った戦略戦術を前線の指揮官に伝えるべく伝令として前線に馬首を還す武者は、母衣をはらんでいるから所在は一目瞭然である。
辞典によると母衣は、
?紅母衣(くれないのほろ)
?濃紅母衣(こきくれないのほろ)
?薄紅母衣(うすくれないのほろ)
?薄紫母衣(うすむらさきのほろ)
?二引両母衣
などがあるとのこと。
はてさて、クマガイソウはどの色に属するのか。
映画やTVなどで合戦ものをしているときはよく見ておきたい。 母衣をはらんでいるのが伝令武者である。
【ささやかな知識その? ※(熊谷直実)】
もと平家の武者で頼朝挙兵のさいは頼朝を攻めたが、のちに源氏の軍勢に張り頼朝に仕えた。武蔵国(埼玉県)の出。木曾義仲や平家追討に軍功をたてたことはおなじみ。
猛将で鳴らした。
源平合戦「一ノ谷の戦い」で平敦盛を討ったのは有名な話として歴史にきざまれている。
その後、戦い敗れて京都に至り、出家して浄土宗教祖の法然の弟子になった。
法名は蓮生。
波乱万丈の人であった。
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